論考

Thesis

日本の観光学序論 ―日本のインバウンド観光振興作戦!(1)―

私は今年の6月、冨田勲作曲「源氏物語交響絵巻」ロンドン公演のプロデュースに参加した。冨田氏はホルストの「惑星」のシンセサイザーアレンジで過去アメリカのヒットチャートで一位もとったことのある、日本の誇るシンセサイザー音楽の世界的権威である。今回その冨田氏が作曲した「源氏物語交響絵巻」をロンドン屈指のオーケストラであるロンドンフィルハーモニックを冨田氏自らが指揮、それに加えて琵琶の弾き語り、琴、笙、篳篥、能管(笛)、数々の日本の打楽器とともに演奏した。しかも今回の目玉は、オーケストラのバックに世界最新鋭のハイビジョンで撮影した、京都を中心とする日本の美しい四季の風景の映像を曲とコラボレートして映し出すというクラシックのコンサートでは類を見ない凝った演出である。この映像は日本でも屈指の映像ディレクター、清水満氏により撮影され、美しい日本の四季の情景に、観客だけでなく、演奏者も、裏方も魅了された。

 ホールはNon-Japaneseが約8割を占めた。演奏会終了後、ホール中央のオペレーションセンターにいた私は数多くのNon-Japaneseから質問を浴びた。「この映像は日本のどこで撮ったのか、どこに行ったら見られるのか」「曲中シンセサイザーで寺の鐘がゴオーンと鳴ったのだが、それはどこに行くと聴けるのか」等々。殆どが、今度自分自身の眼で見てみたいと言う気持ちから生まれる質問であった。
 巷にはその質問の答が用意されていない。海外において受信する日本の情報は偏っている。確固とした裏付けが無いままに日本のある一面を誇張して記述したいいかげんな著作も多い。国際社会における日本に対する誤解の原因はここにある。

 この現状を打破する道は2つ考えられる。

 一つ目は、英語で日本のインフォメーションを的確に表現できる翻訳者の養成である。現状、海外の著作を日本語に翻訳して満足している翻訳者が殆どである。そのため、海外からのインフォメーションは日本でも手に入るが、海外に日本の良質なインフォメーションが発信されない。日本の情報が海外にて発信される場合は日本人でなく、現地人が翻訳している場合が殆どである。これでは言葉の奥に隠れた微妙なニュアンスは伝わらない。

 先に紹介した源氏物語のイベントのときに実感したことだが、ともに仕事をした電通ヨーロッパに勤める英国人Samantha Barnes氏は日本文化にかなり造詣が深い人なのだが、このイベントが始まる前、源氏物語の英訳を読んで、源氏について “He is a naughty boy.” (naughty:いたずら好きな、行儀の悪い)と表していた。しかし、今回映像を見ることによって、自分の抱いていた源氏に対するイメージは正しくなかったということが分かったと言っていた。我々日本人が高校時代源氏物語を学習したとき、源氏に対して好色であってもnaughtyというイメージはなかったように思う。このように、翻訳を通してイメージが変わって伝わる可能性は極めて高い。

 著作だけではない。日本のアニメも海外で数多く放映されている。例えば、手塚治虫の名作「鉄腕アトム」は中国を中心に世界で放映されているが、この「鉄腕アトム」は平和を愛するというコンセプトが通奏低音のように流れていると同時に、それを日本の「アトム」が実現するという、「平和主義の日本」を意識した構成になっている。中国事情に詳しい私の友人数人に聞いたところ、中国で放映されている「鉄臂亜土木」は、世界平和を実現するための日本の役割という部分が見事に削られているのである。これではいつまでたっても日本に対する誤解、過剰反応は改善されない。近々、ハリウッドでも「鉄腕アトム」が製作されるというニュースを耳にしたが、平和を愛する人類の味方という面が削ぎ落とされ、あまりにお粗末な単なる怪獣映画に成り下がってしまったハリウッド版「ゴジラ」の二の舞にならないよう、手塚作品の理念をしっかりと理解した日本人の更なるコミットを望む。

 しかし、この日本人翻訳者の養成は目的達成までかなりの時間を要する。そこで、二つ目の方法として、インバウンド観光の振興をここで提唱したい。インバウンドとは、外国人の日本への観光客受け入れのことである。

 先の冨田勲コンサートで実感したが、ここロンドンでどの旅行会社を廻ってみても、日本へのパッケージ旅行の商品は殆ど陳列されていないのが現状である。折角、今まで日本のことなど興味を持っていなかった人が日本についてもっと触れてみたいと思っても、その受入態勢が全く整っていない。旅行に来て、実際自分自身の眼で観、耳で聴き、肌で触れて初めて日本への想いがリコンファームされるのである。インバウンドの旅行客を増やすことが如何に国益に合致したことか、もっと国家としてインバウンド振興を行うことが重要であることを強く主張したい。

 現在、日本はアメリカに次いで世界第2位の観光大国として位置付けられているが、これはひとえに海外への日本人旅行者数によるものである。平成10年の統計によると、日本人の海外旅行者数(アウトバウンド)が1581万人に対して、海外からの旅行者は411万人と実に4分の1といういびつな構造となっている。このようないびつな構造は日本だけであり、世界でも、外国人旅行者の受入数を比較すると日本は32位(1996年の統計:1998年統計では韓国にも抜かれているので、最新のものではもっと順位は下がっていると思われる。)

 国としてもインバウンドは伸ばす動きはまったくないわけではない。観光白書でもしっかりと謳われており、ウエルカムプラン21と称して、取り組みも動き出してはいる。
 しかし、現状はまったく改善されていない。ここ10年間で自然増に任しているアウトバウンドは164%の伸びを示したのに、施策を講じているインバウンドは145%に留まっている。なぜ伸びないか、有識者は口をそろえて、円高の影響で日本の物価の高さが敬遠されていることと、日本における英語が通じない現状を唱える。しかし果たしてこの2点が真の原因なのだろうか。

 まず、円高の影響であるが、もしも円高が主たる原因ならば、昨年起こった円安の状況下においては多少のゆり戻しがあってしかるべきである。しかし、平成9年と10年を比較して見ると平成9年は422万人であったのに対して、平成10年は411万人と逆に減少しているのである。また、(円高による)日本の物価の高値感という面も主たる原因とはいいがたい。何しろ世界で一番インバウンドを受け入れている国は世界で一番物価が高いといわれているフランスなのである。ヨーロッパは言うに及ばず、発展途上国のリゾート地を見てみても、アジアのリゾートはそれなりに割安感はあるが、欧米人のデスティネーション、例えば、地中海の島々、カリブの島々など、完璧にツーリスト価格と現地価格は異なり、旅行者がデスティネーションで割安感を感じることは不可能であるのが現状である。(この点は私が過去日本航空勤務時代に各地を訪問したときの主観に基づくものであるので実際の理論的裏付けは未だ無いが、各地を満遍なく旅行されたことのある方なら同じ感想を持たれるものと思われる。世界の都市における物価比較の資料はFinancial Timesが毎年統計を取っているものがあるが、世界のホテルにおける価格比較の研究はまだなされていないようなので、2000年9月提出予定の私の修士論文作成過程で世界のリゾート地を10地点以上選び出し、ほぼ同一クラスのホテルにおける実際の代表的な商品やサービスの価格を比較する予定である)

 また、英語が通じないという面も、同じ英語が通じない韓国は日本よりインバウンドは多く受け入れている。(1998年統計より)1996年の統計だが、
http://www.sorifu.go.jp/whitepaperaisei/kanko/h11/z2-6.html
に世界のインバウンド受け入れ上位国一覧が載っているが、ここで是非確認されたい。本当に英語が通用するか否かがインバウンド振興の決定的条件ではないということが分かるであろう。

 それでもなぜ相も変わらずこの円高、英語の2点を有識者が口をそろえて主張するのか。私はここでこの2点は真の問題点を隠蔽している隠れ蓑に過ぎないと断言したい。この2点はいわば、一朝一夕ではどうしようもない問題である。ここにはどうしようもない問題点を提示することで、インバウンドを振興するというポーズだけは取って、実のところはインバウンドを振興したくない裏事情があるからである。

 この裏事情を解明していくことで、日本の観光業界の問題点を浮き彫りにすることが出来る。12月の月例報告で日本の観光業界の問題点を論じ、連続して日本でインバウンドを振興するにはどうすれば良いか考えを広げていきたい。

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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