論考

Thesis

英国の住宅政策研究を通して感じたこと

名古屋地区の都市計画分野での第一人者である中部大学の佐藤圭二教授が8月末から9月上旬にかけて英国に資料収集および視察に訪れ、私が現地コーディネーターを務めた。 佐藤教授は住宅政策を今回の研究テーマにしているので、私は佐藤教授に随行してロンドンの住宅地を実際に廻り、いくつかの代表的地区の住環境を都市計画の視点から検証してきた。

曲がりくねった道…それもまた人生

 今回の視察で一番大きな印象を受けたことは、地区の町並みが道路の曲がり具合を変えるだけでも人々の心に余裕を与えるものであるということである。

 日本は良く区画整理をしてある地区というのは、碁盤の目のような町並みをいうことが多いが、直線道路より、円弧型の道路やS字型道路など、バラエティに富んだ道路を組み合わせることで町は生きてくるということを佐藤教授は視察前に主張されていた。そのときは私もピンと来なかったのだが、実際にロンドンにおける郊外型住宅地のお手本となっているハムステッド・ガーデン・サバーブを訪れてみて、改めてその認識を新たにした。ハムステッド・ガーデン・サバーブは地図を見ても明らかなのだが、まっすぐ平行な道路が一本もない。ある道はクレッセンドといわれる円弧型に、ある道はS字型に、ある道はテニスラケットのように途中から丸くなっている。
 そのときに私はロンドンにきて間もないときに図らずも訪れた2つの地区のことを思い出した。一つ目は私が乗るバスを間違ってまったく関係ない地区に出てしまったのだが、その地区が本当に心が豊かになるような町並みで、そこで憩う人々の顔も別世界のように穏やかだったのである。この光景の「優しさ」は今でも私の脳裏に強烈に焼きついている。もうひとつは、私は家探しのとき悪徳不動産屋に不覚にも騙されてしまった。そのときにその悪徳不動産屋が最初に私を連れて行った地区というのがまさに緊張感の漂う雰囲気の地区であった。この2つの地区を佐藤教授のいう道路の曲がり具合で検証してみると、前者はまったく平行道路がなく、円型道路あり、クレッセンドあり、大胆な行き止まりあり、変化に富んだ道路の設計がなされてある。この地区はイーストフィンチリーといい、ハムステッド・ガーデン・サバーブに隣接する人気の高い地区であることが判明した。後者はヘンドンとブレントクロスの間あたりで、全ての道路が並行でまっすぐ伸びており、土地も短冊型であった。

 ロンドンはテラスドハウスといういわゆる長屋か、セミデタッチドハウスという2軒がドッキングしている家屋が主流で、日本のように各家が特徴的な立て方を競っているという様相はあまりなく、各々の家自体に個性はあまり感じられない。となるとどこで家の値段に違いが出るか、一番大きな要因はその地区の良し悪しなのである。
 イーストフィンチリーも、ヘンドン・ブレントクロスもロンドン中心部からの距離はあまり変わらないのだが、家賃では2-3割変わってくる。よって余計富裕層と貧困層の住む地区がますます区別されていくことになる。
 曲がった道路の与える印象のあまりの違いに私自身も驚いた。Seeing is believing.というように実際に街を歩くと分かるのだが、直線道路は歩く人に緊張感を与える。しかし曲がった道路だと、目の前に家があり、家の前庭の緑があり、何故か心が落ち着くのである。横を通り過ぎる車のスピードも直線道路だと無意識のうちに速くなり、曲がっていると若干遅くなるのも関係していると思われる。英国でも土地活用重視のプランナーと、景観重視のデザイナーとの攻防により、行き止まりはプランナーが敬遠して、最近ではあまり見られなくなったようだが、クレッセンドやS字型道路は今でも大きな評価を得ている。

 ロンドンから電車で2時間ほどの揺られるとバースという町がある。バースは古代ローマの浴場跡で観光地として有名だが、(お風呂のbathという言葉はこの町に由来している)バースは18世紀の昔から王侯貴族に極めて人気の高い町で、今なお観光客がリピーターとなって絶えないのはこの浴場跡だけを見に来るのではなく、町並みの美しさに時代を超えて人々が魅了されているのである。実際にバースに行って見たところ、浴場跡もさることながら、私の心を捕らえて離さなかったのは町並みである。特に美しいとされているのはロイヤルクレッセンドという円弧型の道路と、ザ・サーカスという円型の道路である。バースに行かれる際は浴場跡だけでなく、このロイヤルクレッセンドとザ・サーカスの町並みを是非見られることを強くお薦めする。
 日本には「この道」や「川の流れのように」のような「道」を題材にした心の繊細な動きを描写した歌が数多くあるのに、日本の行政は「道」が人々の心に与える影響は甚大であることをあまりに過小評価し過ぎである。日本ではついつい土地活用の効率性の面ばかりを重視するあまり碁盤の目型を取り入れがちであるが、多少土地活用の効率性を捨ててでも、人々の心に余裕を与えるということがもっと重要視されてもいいのではないだろうか。

英国における住宅政策の歴史

 佐藤教授の帰国後、私は佐藤教授の論文「イギリスの住環境整備―戦後・日本との比較研究」と「イギリスの住環境整備・住宅政策の過程のなかで」を参考文献にし、都市計画をおもに住宅政策との関連で紐解いてみることにした。

 まず、英国における住宅政策の歴史を住環境整備の視点から概観してみることにする。英国においては18~19世紀の工業化に伴う人口の急増で、インナーシティーに住宅が集中した。しかし、このときに供給されたのは狭く劣悪な設備不良住宅が多かった。この劣悪な住環境は1918年の住宅基準が出されるまでは多かれ少なかれ続いた。
 第一次大戦終了後、退役軍人たちの住居が不足し、時の首相ロイド=ジョージの「勇者に住まいを!」の公約実現のため、多くの公営住宅が建設された。このとき建設された家屋は新しい住宅基準に則って作られたので劣悪な不良住宅は新築されなかった。ちなみにフィンチリー・チャーチエンド地区にある私が今住んでいる家はこのときに建てられたものである。当初家主からこの事実を聞いたときはその古さに驚いたのだが、現在英国での民間家屋の主流はこの時期に建てられたものである。実際住んでみても古さはまったく感じられず、大きな問題もなく快適に暮らしている。(勿論英国なので小さな問題は日本とは比較にならないほど数多く発生するが)1930年代に入って、都心の18~19世紀に建てられた劣悪な住宅の大規模なスラムクリアランスが行われた。第二次大戦終了後もスラムクリアランスがたびたび行われたが、1970年代に入ると大規模なスラムクリアランスは行われなくなった。その理由としては、財政状態の悪化、既存コミュニティを壊す等のクリアランス政策への批判が挙げられるが、取り壊さなければならないほどの不良住宅が減少したことが一番大きな理由である。政府はスラムクリアランス、ニュータウンの建設のような再開発型の住宅環境改良事業から修復型の改善事業を進めるよう方向転換した。確かに劣悪な不良住宅は減少したものの、既存住宅の老朽化が進んできたのが実情であった。
 そして1975年、都市再開発機構を設立して、オーナーに代わって市が工事を行う契約から書類の作成を行うシステムを確立することで住宅改善の効率化を図った。工事の費用は外部工事の費用は全額政府負担、内部工事も大部分(当初75% 後に90%)が政府負担であった。
 1980年代に入ってサッチャーが政権を握ると、政府財政の逼迫を回避するため、この手厚い住宅改善の費用にメスが入った。1988年の住居法では公営住宅のこれ以上の新築を禁止した。そして住宅組合を設立し公営住宅の供給を委託するようになった。そして改善補助金に所得制限を設けたり、公営住宅を売却したりして、一層のスリム化を図ったのである。

サッチャー首相の隠された意図

 住宅政策も例外ではなく、サッチャー首相の改革によって民間活力の導入が積極的に図られたことが理解できた。しかし、この政策をよく吟味してみると、行政のスリム化という大目標の中、スリム化の対象にされたのは国レベルではなく地方自治体だけであることに気付いた。そして、地方自治体の権限を民間に委譲するだけでなく、住宅整備財団等新規の財団を設立すると、これは政府直接出資としたのである。これは結局中央集権化である。
 日本における行政改革の議論の中で「地方分権」と「民営化・PFI」は同じ「小さな政府」を目指すものとして議論されており、その点で日本の各マスコミや政策提言団体はサッチャー首相の改革を一定評価し、英国に見習えとばかりに英国の事例を紹介することに躍起になっているが、実は労働党主導の地方自治体の体力を衰退させるための戦略であったという一面はどのマスコミも政策提言団体も看破していない。ブームに乗って民営化、PFIでいたずらに英国式を真似ると地方分権とはまったく逆の結果になってしまうことを再認識する必要がある。
 日本では今3割自治といわれている。地方自治体の独自財源は総支出の3割で、残りは中央からの補助金に頼っているという現状を示した言葉だが、その表現を借りるならば、英国の地方自治の現状は1割自治なのである。私もここロンドンに来るまではサッチャリズムを評価し、民営化、PFIを積極的に導入することを是としていたが、今一度民営化、PFIの意義について考えなければならないと痛感した。

「つくる」と「残す」

 もうひとつ、英国の住環境整備の歴史から理解できることは、1918年、住宅基準が出されたのを契機に、1919年以降建設された住宅に殆ど劣悪な設備の住宅は見られず、それ以前に建設された劣悪な住宅群は数度のクリアランスで根こそぎ改善されたことである。そして、その後の政府の方針を見ても明らかなように、基準を満たした住宅で老朽化したものは、建て替えを奨励せず、修繕することで寿命を延ばすことを狙っていることが特徴的である。現在は基本的に英国の住宅の寿命はほぼ100年以上は十分に耐用出来得ると言われている。
 一方、日本は戦後も劣悪な住宅を供給しつづけ、1975年に木造アパート供給が終焉してもなお、低水準住宅と狭隘道路という劣悪な住環境は改善されていない。しかも、日本の住宅の耐用年数は英国に比べて格段に低い。築40年というともうかなり古さを隠し切れないのが現状である。
 住宅に限ったことではない。日本ではコンサートホールも昭和30年代に建築されたものは老朽化が激しく、演奏者にも観客にも不評である。そのため建て替えが積極的に進められている。しかし、英国では1860年建築のロイヤルアルバートホールも1951年建築のロイヤルフェスティバルホールも改築しながら健在である。世界をリードするミュージカルも勿論緞帳、照明、音響等舞台設備は最新のものを採用しているが、建物自体は伝統的なシアターを使用している。とにかく、英国は新築より改築なのである。
 日本には地震がある、日本の住宅を構成する素材は煉瓦より弱い木材で作られている等の反論もあろう。
 しかし、世界最古の木造建築物である法隆寺は1400年もの間斑鳩の地に立っているのである。きっと聖徳太子は法隆寺を後世まで出来る限り残そうと願って建築したに違いない。私はときの政治家(為政者)のスタンスによるものだと考える。今の日本の政治家の発想では「つくる」とき「つくりっぱなし」である。ときの政治家こそ「つくる」概念の中に如何に「残す」かという発想でことを考えていなければ何も後世に残せない。

おわりに

 「残す」概念、これは建築や都市計画に限ったことではない。教育然り、産業然り。国家経営全てに必要な概念であるにもかかわらず、日本中皆、今をつくることに精一杯である。「残す」ことこそ文化・芸術の真髄である。私が文化・芸術的視点での国家経営論を展開する所以がここにある。

 来月は「つくる」ことと「残す」ことについて、文化・芸術的視点から考えを広げていきたい。

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授、日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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