論考

Thesis

Allen & Overy法律事務所での研修を終えて

八月一杯でAllen & Overy での研修を終えた。まとめの意味も込めて、今月の月例報告では、Allen & Overy での研修を振り返りたい。

1)はじめに ―主権国家の成立―

 一六四八年、メッテルニヒ主導によって結ばれたウェストファリア条約が、主権国家成立の起源と言われている。従来のローマ教皇を頂点とした世界秩序が宗教革命によって崩壊し、ドイツ三〇年戦争をはじめとしてヨーロッパ諸国は混乱の極に達した。諸侯達はそれぞれの信じるカトリックないしはプロテスタントという宗教の正当性を争い、相闘った。宗教戦争のはじまりである。宗教という、自らの信じる価値を賭けた争いであったために、戦いは凄惨なものとならざるをえなかった。この混乱の結果、中世カトリックによる一元的な世界秩序に代わる秩序維持の装置として登場したのが、主権国家である。従来は、真理はひとつであると考えられており、カトリックないしはプロテスタントのどちらか一つが、あらゆる国々において信奉されなければならないことは自明のこととされていた。

そして、そのための宗教戦争であった。それが長年の戦乱の末、各主権国家単位での宗教の自由がみとめられるようになった。こうして、中世の一元的な秩序に代わり、新たな近代主権国家間の多元的な秩序が構築された。

2)国際法における主権国家

 従来の国際法に従えば、この新たに登場した近代主権国家は、それぞれが唯一・絶対・不可分の主権を有するとされてきた。
 つまり、それぞれの主権国家は何をしてもよい、そして何でもできるということが、近代国際法の前提となっている。ホッブズ的にいうのであれば、近代主権国家という秩序維持装置は、「万人の万人に対する闘争」という自然状態に、一国領域内で秩序をもたらした反面、主権国家間の関係は、まさに「各国の各国に対する闘争」という自然状態に陥ったということができよう。一般に国際法の分野に最初に主権概念を持ち込んだのはボーダンといわれている。田畑はボーダンを引きつつ以下のように述べている。

 彼(ボーダン;引用者注)が国家権力をもって最高のものとしたのは、地上の他のいかなる権力にも従属しないという意味、具体的には、ローマ法王や神聖ローマ皇帝の権力に従属しないという意味で(あった)。

3)憲法における主権国家

 一方、憲法学において主権国家概念がもっとも発達したのは、ドイツであった。ドイツ憲法学においては、唯一・絶対・不可分という国家主権概念の本格的な登場は、一九世紀末の憲法学者であるゲルバーとラーバントに負うところが大きい。ゲルバーとラーバントは、サン・シモンやコント、そしてマッハーらによる実証主義の概念を法律学にも導入した。つまり、従来の法律学から形而上学的な事柄を排除し、実証的・科学的な事柄のみによる法律学の形成を目指した。この結果成立したのが、実証主義法学である。ラーバントは、この実証主義法学に依拠しつつ、私法における自然人の権利が絶対・不可分であることから類推する形で、公法における国家主権も絶対・不可分であるということを導き出している。

4)国際社会の組織化

 このように中世の一元的秩序の崩壊を端緒として成立した近代主権国家であるが、その絶対・不可分の主権概念は、近来、国際連合をはじめとした「国際社会の組織化」によって、ある程度国家主権が制限される傾向が生じている 。この国家主権の制限が具体的にどのような形で、国際社会において起こっているのかを現場で見ることが、今回のAllen & Overy における研修の大きな目的の一つであった。つまり、「国際社会の組織化」が一番進行しているEUにおいて、なおかつEUの中でも最も加盟国の組織化が進んでいる(つまり欧州委員会が最も強力な権限を与えられている)競争法の分野において、どのように加盟国の「主権の制限」が行われているかを現場で研修することを目的としていた。そして、近代主権概念の根底に実証主義等の思想上の変遷が大きな陰を落としていたように、現代社会における主権概念の変化の背後には、どのような思想の影響があるのかを考察することをその最終的な目標としている。

5)EU競争法

 EUの競争法は、アムステルダム条約81、82条等をその根拠条文として、欧州委員会の第四総局(DG-IV)によって適用されている。

 EU競争法は、大きく三つの分野に大別される。すなわち、価格規制、独占規制、企業結合である。81条がカルテル等の企業の価格規制を、82条が企業による独占を規制している。そして、M&Aなどの企業結合はthe EC Merger Regulationに依拠して取り締まられている。今回の研修では、図らずも三つそれぞれの分野について、仕事に携わることができた。まず、価格規制については、化粧品会社の販売店契約等で問題となる、垂直的価格規制について日欧の法制度及び法執行の違いについてレポートをまとめた。さらに、独占規定については、前回の月例報告にも掲載したように、Essential Facility Doctrine を根拠とした独占規制についてレポートを執執筆した。そして企業結合については、実際に欧州委員会への届出(Notification)の文書作成を、資料収集から手伝うことができた。

このようにEU競争法の概要を大まかにではあるが、現場で研修できたことは、大変よい経験となった。特に、Essential Facility Doctrineのように競争とイノベーションとのバランスをとって行くかというこの問題は、まさに現在、現場で検討されている。この事例例に訴状作りの段階から参画することができたことは、刺激的なことであった。

6)まとめに

 最後に、冒頭で論じた国家主権の制限という観点からみた、EU競争法の運用について、若干触れて、小稿を閉じることにしたい。

 国家主権の制限との関連では、(1)欧州委員会によるEU加盟諸国の主権の制限と、(2)欧州委員会(もしくはEU自体)の主権が他国の競争法ないしは他国との条約によって制限されることの、二つが問題となる。この場合に、主権とは「自(国)領域内で、自由に競争法を制定・執行すること」と、規定しておきたい。後者の問題については、六月の月例報告において扱ったので、今回は割愛する。前者の問題については、例えばエアー・フランスとベルギー・サベナ航空との提携問題について、フランス・ベルギー両政府が基本的に賛成の姿勢を示していたのにも関わらず、欧州委員会はその提携を一定の制限を付けた上で、承認した事例を例として挙げることができる。このように、EU加盟諸国の競争法を適用する主権が、欧州委員会によって制限されている事例は、枚挙に暇がない。欧州委員会が加盟各国の主権を制限できるのは、いうまでもなく、ローマ条約をはじめとした各国によって締結された諸条約による。

 このようなEU諸条約に基づいて加盟国の主権が共有されていることを、主権のプール概念というタームを用いて説明しているものもいる。また、ドイツがプロイセンによって統一された際の議論を援用する者もいる。つまり、主権は分割可能であり、ドイツ諸邦がその主権の一部をドイツ連邦に委譲したように、加盟国もその主権の一部をEUに委譲しているに過ぎないとする。どのような枠組みが、現在、EUで生じている国家主権概念の変遷を説明するのに最適であるか、そしてその背後にはどのような思想的な枠組みがあるのかは、今後の課題したい。が、今回、単に、欧州委員会のメンバーのみならず、弁護士や企業など数多くのアクターによって、EU競争法が形作られ運用されている現実を目の当たりにできたことは、研修の最大の収穫であった。


参考文献
田畑茂二郎 (1966). 国際法 第二版 岩波全書 p 186
鈴木真澄 (1993). EC統合と立憲主義ー主権のプール概念を素材としてー. 早大法研論集. 64.
鈴木真澄 (1994). 欧州連合の「憲法的」構造 ―「補完性原理」と「欧州連合市民」をとおしてー. 早大法研論集. 69,70,72.
Oeter, S. (1995).

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小林献一の論考

Thesis

Kenichi Kobayashi

小林献一

第19期

小林 献一

こばやし・けんいち

Philip Morris Japan 副社長

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産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)

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