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1999年7月

第2部 新しい行政システム ~ 第8報「普遍性と優位性」
大串正樹/卒塾生

 
§0.はじめに

 今まさに、私は、パソコン上でワードプロセッサーを使いながら、この文章を作成しています。しかし、この文章を読んでいる皆様は、今、おそらくインターネット上で読んでいることでしょう。従って、私が言う「今」と皆さんがこの文章を読んでいる「今」は明らかに異なります。しかし、なにより、強調したい点は、私が文書ファイルを作成する過程において、ワープロ文書として作成した後、これを、インターネット上でも識別可能な「HTML」文書に変換して、二種類のファイルを作成しているということです。今回は、この二つの文書ファイルの形態をアナロジーとして、システムの外部影響力について若干考察してみます。

§1.アメリカの世紀

 20世紀はまさに、アメリカの世紀といって過言ではないでしょう。アメリカは軍事的にも経済的にも大きな力を手に入れました。しかし、アメリカの政策も常に順風満帆ではなかったと思います。軍事力にしても、確かに、現在では圧倒的な強さを誇り、今では、国連も無視して自国の国益のためのみに行動できるようになりました。もちろんそれがいいか悪いかはここでは論じませんが、少なくとも、冷戦時代の一時期は、ソビエトに大きく軍事技術で水をあけられていたことも確かですし、それにより、大きな財政負担を強いられてきたことなど、決して良い面ばかりではないでしょう。また、冷戦終了後は、大きな財政赤字を背負って、経済的にも困窮した時期もありました。しかし、今では、それらを乗り越えて、世界経済の牽引役さえ担っています。そんなアメリカがいま、これほどまでに優位に展開している理由を考えてみました。乱暴ですが、おおざっぱに言うと、アメリカは自分に有利なシステムを外部に普及させたといって良いのではないでしょうか。ひたすら、自国のシステムを外部に普及させること。これが、結果的に今の優位性を作っているのではないかと考えるわけです。そのシステムは、民主主義、市場経済にはじまり、英語という言語や、さらに細かい点では、冒頭に申し上げたような、HTMLというネット上の文書の形態にまで至ります。

§2.普遍性と優位性

 システムは、作動することによって初めてシステムたり得るわけですが、そのシステムが作動する過程において、外部システムのとの境界上で整合性を試されるわけです。言い換えると、ある国が何かをしようと思っても、その方法が外部とうまくやりとりできなければ、そのルールはその国の中だけでしか通用しないということであります。従って、システムを普及させて優位性を得るためには、外部システムとの整合性をとれるだけの普遍性が必要と言うことになります。
 では、普遍性とはなにか。これは、「分かり易さ」ということではないでしょうか。この分かり易さについては、英語が良い例でしょう。数少ないアルファベットにより示されること。日本語のように、漢字仮名交じり文で、おなじ文字でも状況によって様々な読み方がされるようでは、普遍的に広まる可能性は皆無と言っていいでしょう。従って、日本人は、外国との交渉では必ず、言語の不利益を被ることになります。英語であれば、様々な文献も素早く手に入りますし、同時に発信も瞬く間です。分かり易さは即、利便性、優位性でもあるわけです。従って、優位性の前提には普遍性があると考えるわけです。そして、同時に、この分かり易さは高い影響力を持つ原動力にもなるわけです。それでは、アメリカが勝ち得た、この「分かり易さ」は戦略的に練られたものなのでしょうか。あるいは、システムがたまたま分かり易かったために、偶然今の優位性を獲得してきただけなのでしょうか。私は、その中間的なところに正解があるような気がします。つまり、アメリカはそもそも、多民族国家でシステム構築の前提に分かり易さが必須だった。この分かり易さが、普遍性を生み出し、優位性を築いていったということではないでしょうか。従って、その結果として、自然に国際的に強い立場を得てきたと考えるわけです。しかし、以前にもお話ししましたが、アメリカはいまだにメートル法を採用しないなど、閉鎖的な部分があることも忘れてはいけません。

§3.アジアとアメリカ

 それでは、アジアに目を向けたときはどうでしょうか。異なる文化がひしめき合うこのアジアでは、全体を統合するような普遍性は全くと言っていいほどありません。個性的なそれぞれの国の文化は、即、分かり難さを提供します。
 ここで、冒頭に述べた文書ファイルの形式を思い起こして下さい。ワープロで書き記した文書は、様々な文字飾りや、レイアウトを作ることが出来ますが、それぞれの機能は同じソフトの上でしか、再現できません。ワープロのみならず、表計算のソフトや、図面を描くドローイングソフトもしかりです。これらは、もちろん、共通のOS上で動作することから、一定の、共通性、すなわち、普遍性は維持していますが、それでも、ファイルそのものをコピーしたり、圧縮したりと、機能は限られています。これがアジア的と言えるのではないでしょうか。逆に、HTML文書は、表現の機能は限られていますが、世界中どこでも、インターネットブラウザを通じて、それぞれが閲覧可能です。個性的な文字飾りや図などは、共通のファイル形式で、いわばブラックボックス的に添付可能で、閲覧だけはどこでも出来るようになっています。これが、アメリカ的と言えるのではないでしょうか。個性を犠牲にしてでも、普遍性(すなわち、利便性)を優先したシステムであるといえます。

§4.国家のアイデンティティー

 普遍性を受け入れることは、確かに大きなメリットもあります。しかし、それでは、国家のアイデンティティーとはいかなるものになるのでしょうか。国際社会に向けて普遍性を受け入れて、経済的な成長を目指すのか、あるいは、かたくなに、自国のシステムを維持し伝統と文化を守り続けるのか。そのバランスをどこに求めるのか。日本の進むべき道はいかなる方向なのか。今回で、第二部の新しい行政システムを終了して、次回から、ある国をテーマにそのあたりを考えてみたいと思います。

第二部「新しい行政システム」終了。

1999年7月 執筆
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