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1999年5月

第2部 新しい行政システム ~ 第6報「自律的境界」
大串正樹/卒塾生

 
§0.はじめに

 教育を政策として捉えた場合、これは、人材育成という意味で、国家戦略とすべきか、あるいは地域に根ざし、そこで子供たちが楽しく学べる環境づくりという意味で、現場の問題と捉えるべきか...今回は、教育政策を例として、新しい行政システムの中核のお話をします。

§1.大きな政府と小さな政府

 大きな政府か小さな政府かという議論では、おおよそ今の状況からは小さな政府を志向しなければ国が持たないという意見が多いようです。ご承知の通り、我が国は財政的に厳しい状態(本当に厳しいかどうかも議論の分かれるところでありますが)が続いており、なんとかせねばなりません。特に今後の少子高齢化社会を迎えるとき、福祉に関してみただけでも、ある程度の自助努力をしていただかないと、財政は破綻してしまいます。これは高福祉・高負担の国々でも、多かれ少なかれ、そういう傾向にあります。そこで、我が国でも地方分権を進めて、国の負担を減らして、地域で効率よく行政サービスを営もうという方向で議論は進められてはいます。もちろんご承知のように実現への道はかなり険しいものがあります。それでも徐々にではありますが、国から、あるいは県から自治体への権限の委譲が進んでいるところもあるようです。もっとも、自治体の中には権限だけもらっても、財源や人が増えなければ単なる押しつけにしか過ぎないという厳しい意見もあります。従って、本来は、行政の仕事を見直して、国がやるべき仕事、県がやるべき仕事、自治体がやるべき仕事をきちんとわけておく必要があります。さらに、その前段階では、行政がどこまでサービスを提供するか、もしくは、国民がどこまで負担するべきかという議論も必要でしょう。これは、その行政サービスが、税金を支払ってでもやってもらうべき仕事なのか、あるいは、個人的に購入した方が効率がよいサービスなのかをそれぞれの立場を考えながら検討していかなければならないでしょう。政府の大小を議論する場合に、福祉を例に挙げる人が多いのも、それが、生活に直結してわかりやすいからだと思います。しかし、福祉以外にも行政の仕事は多岐に渡りますので、一つ一つを慎重に検討していく必要があるでしょう。

§2.教育にまつわる知の所在

 今回は教育を例にとって、行政の仕事の役割分担を考えたいと思います。日本国憲法の第26条に「すべて国民は...等しく教育を受ける権利を有する。」とありますが、このことを憲法という最高法規に定めた理由は、冒頭に記したように、人材育成が国家戦略の重要な課題であることに起因していると言えるでしょう。特に、我が国のように資源を有さない国では、人材こそが唯一の資源だからです。従って、国民全体の知のレベルを常に高い状態で維持していくことは、国家の命運に関わる重要な課題だと思います。幸い、我が国は識字率も高く、計算能力も高いことは誇りに思って良いでしょう。もちろん、義務教育だけで、すべてが済むわけではありませんが、少なくとも、その恩恵は多大なものであるといえます。そして、これは、文部省がその指針を定めたものであります。しかし、最近、とりだたされている教育にまつわる様々な問題、不登校・学級崩壊・校内暴力・いじめ...などは、文部省の対応が後手後手に回っていて、いささか、いらつく場面も見られます。これは現場の問題なのでしょうか。確かに、実態は現場の教師や親の方が具体的に把握できているでしょう。しかし、政策として対応して行くには、この実態を国に知らしめる必要があります。ところが、こういった教育現場における様々な問題は、体系的にまとめにくいという性格をもっています。子供は生き物でありますから、その時の感情、家庭の事情、教師の対応の仕方、地域が抱える問題など、ほぼケースバイケースといって過言ではありません。したがって、その問題の根本が、仮に、教育政策にあったとしても、具体的な改善策として結びつかないと言うジレンマがあります。

 これを言い換えると、現場で経験的に蓄積された知識(暗黙知)が、まず、個人個人のなかでしか理解されていないこによって問題を話し合えない(共有化)ことが初めに挙げられます。次に、その暗黙知が共有化されたとしても、それが議題として問題とされない(表出化)ことによって、誰にでもわかるような形(形式知)に姿を変えられないでいます。従って、実態把握ができない現状では政策も作りようがないのです。この状況を一言で言うと、知が循環していないと言えます。これは先に述べた地域への権限委譲と絡んで大きな問題をはらんでいます。知の所在を考慮して、これを現場の問題と捉えることによって、教育を自治体レベルでの政策として委譲してしまうか。あるいは、国家戦略の重要な課題である教育はやはり、国の政策として常にトップダウンで指針を作り続けるか...その議論の前に、知が循環する制度作りが急務であることはご理解いただけるでしょう。

§3.二項対立を乗り越えて

 知が循環する制度を作ったとして、それでは、政策形成を国でやるか、自治体でやるかという議論がおこります。乱暴な意見では、国でやるべき仕事はほとんどないから、すべて現場である自治体に委譲して差し支えないという人もいます。国か自治体か、大きな政府か小さな政府か...このような二項対立(ダイコトミー)しかないのでしょうか。しかし、より柔軟に対応のできるシステム作りは可能なのです。初めから、境界を設けようとせずに、最適な役割分担が自律的に決まるシステム。そのためには、システムが知のレベルで十分に開放的であり、かつ、それぞれの知の段階で最適な「場」を用意していく必要があります。それこそが、これから述べていく新しい行政システムの中核的コンセプトです。境界線を引くことが、利権争いを生み、業務の非効率さを生む温床であることは、これまでの実験で実証済みです。必要あらば、自ら自己組織化を促し、不要なシステムは自ら廃棄していくシステムには、冗長性と開放性が不可欠であります。二項対立を乗り越えて、知が循環するシステム作りについてはこれから述べていきたいと思います。

つづく

1999年5月 執筆
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