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1999年1月

丹邱日記最終回「まごころを君に」
大串正樹/卒塾生

 
§1.はじめに

 多久市役所の皆様をはじめ、様々な施設の方々のおかげで多久市の研修も大変有意義に、また無事に終えることができました。ここに改めて感謝を述べたいと思います。今回は多久市での研修のレポートで、これまで書くことができなかった、福祉施設(特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、救護施設など)で見てきた「物語」で締めくくりたいと思います。

§2.「生きている」ことと「生きる」こと

 「ご迷惑をおかけします」、「ありがとうございます」...その老婆は何度も振り返り、車椅子を押す私に向かって手を合わせた。そんなに卑屈になる必要はないのに...と思いつつ、車椅子を押しながら、特別養護老人ホームの長い廊下をゆっくりと歩く。はじめに目にする部屋には、鼻にチューブをつけた老人が口を開けたまま寝ていた。意識はないが「生きている」。しかし、この老人は私が研修でこの施設にいる間中ずっとこの状態で生きていた。また、目を前にやり、車椅子を押し続けると、すれ違いざまに寮母さんが言う。「その人は自分で(車椅子をこぐことが)できるから」。私が、手を離すと、車椅子の老婆は何度もせがむ。「お願いします」と。私は自分で部屋まで行くようにと告げて、その老婆から離れた。その老婆は、しばらくして自分でこぎだした。

 その日は音楽(療育音楽)の時間。音楽室に老人たちを集めて、スズやタンバリン、カスタネットなど簡単に音が鳴る楽器を渡す。いろんな手段をつかって生活に刺激を与えるのだが、理解している人は少ない。音を聴くだけの人(もちろん聴いているという保証はないが)、終始ぼやいている人、元気に楽器をたたく人...まちまちである。目の前で私が大きな声で歌ってあげるとやっと反応する人もいる。機嫌の悪い人でも、耳元で大きく「おはよう」というと、ニッコリとすることもある。しかし、このニッコリに元気づけられる。
 そして、昼食の準備。自力で食べられない人は、食べさせてあげる。「できるだけチューブは使いたくない」。これが、この施設の方針である。しかし、これだけは機械化できない。一人一人、一口一口が手作業である。しかも、失敗してのどに詰まらせたら命に関わる。それでも、皆おおよそ与えれば与えただけ食べてしまう。黙々と食べる人、途中で何度も固まってしまう人、食べ散らかす人...様々である。味はと言うと、これが意外に美味しい。もっとも、ご飯が軟らかいのが気になるが、これはしょうがない。ドロドロのミキサー食に比べれば噛めることは幸せである。

 午後は、入浴の時間。おおよそのイメージでは、老人ホームでは入浴が一番大変だと思うだろうが、これはかなり機械化されていて意外にスムーズに進む。リフトで持ち上げて、入浴専用のベッドに寝かせる。衣類を脱がせて、後はベッドごと浴室へ。もちろん、自分できちんと入浴できる人もいる。しかし、逆に入浴だけ通所(病院で言うところの外来)でこのサービスを受ける人もいる。今や老人ホームは様々な機能がある。入所はもちろん、日帰りのデイサービスや在宅介護サービスなど、不景気のこのご時世では数少ない成長産業である。どのサービスを選ぶかは、その人の要介護度による。ちなみに生きる上での最低日常動作をADLという。その項目には、入浴ももちろん含まれるが、それ以外にも、立ち上がり、歩行、食事、排泄、更衣、身だしなみなどがある。これらに、買い物や現金管理を含めたものをIADLという。「生きる」ために最低限必要な、人としての機能がここに示される。

 あれよあれよと言う間に、もう夕食の準備である。サイクルがとても早い。冒頭の車椅子の老婆がまた「私は下手ですからお願いします(ご飯を食べさせて欲しい)」と手を合わせる。おねだりを無視して、「もう食べても良いですよ」と声をかけると、しばらくして、その老婆は自分で食べ始める。デイサービスではもうお帰りの準備である。在宅介護は、夜間介護の準備を始める。そうこうして一日が終わる。玄関の九官鳥は相変わらず「こんにちは」を繰り返している。バカな鳥だが、それでも、ここでは存在価値がある。  デイサービスのお年寄りは陽気である。朝お迎えのバスが来て、仲間たちと一緒に施設に向かう。お茶を飲んだり、遊んでみたり、疲れたらお昼寝をしてみたり、お風呂に入って、ご飯を食べて...夕方はしっかりと送り届けられる。とっても楽しいのである。もちろん家族も大助かり。その間に、出かけたり、家の用事を済ます。このデイサービスも、老人保健施設になるとデイケアと名前が変わり、理学療法などが加わってくるが、基本的には同じである。老人たちにとっては、いこいの場である。また、これが数日間施設に預けることになると、ショートステイとなる。家族が介護に疲れた時、介護者が要介護者(老人の二人暮らしなど)の場合、片方が病気になった時に利用される。あらゆるニーズに応え、まさにサービス産業の鏡であるが、これは、あくまでも福祉なのである。

 夜になると、夜間の在宅サービスに出かける。年寄りは総じて被害妄想が強く、物がなくなると、すぐに「盗まれた」と言う。そういうトラブルを防ぐ意味で、在宅サービスには必ず2人以上で出かける。しかし、悲しいものである。人間、痴呆が進んでくると子供に返ると言うが、心が純粋になると言うよりは、醜い部分も併せて直接的になってくるのである。あるいは、純粋であるが故に醜いのかも知れない。と、いろいろ考えながら、在宅サービスに出かけると、そこは、それぞれのお年寄りの生活をそのまま見せつけられることになる。一人暮らしのお年寄りも少なくない。かなり裕福な家庭もあれば、貧しいながらにもそこで「生きる」姿を見せつけられることもある。介護サービスの内容がそれぞれ異なるが、中には「生きている」ことを確認しに行く作業のようにも見える場合もある。部屋にこもる臭いが、その生活を生々しく物語っている。

 深夜、施設の中で、老人たちは眠らない。昼間眠ると夜眠れなくなる。昼夜逆転である。もちろん全員ではないが、そんな老人を数人の夜勤者で相手する。おむつの交換、具合の悪い入所者の容体を観察したりと、なかなか忙しい。夜勤の日、私は、はじめ仏間に眠ることをすすめられたが、これはやめた。朝を迎えると、夜勤者からの引き継ぎが行われて、また同じ一日がスタートする。何も生産することのない繰り返しである。しかし、そこで働く人たちは、少しでもお年寄りが楽しく生活ができるようにと、純粋な気持ちで働いている。しかも、意外に重労働であるにもかかわらず、ほとんどが女性の職場である。男には向かない仕事が多い気もする。また、夜勤もあるから、生活のリズムは乱れる。家庭を持つ人は当然、大変だと思う。しかし、若い人からも人気のある職業であることが、せめてもの救いである。

§3.そして「死ぬとき」

 死を迎えるとき、人間ほど不便な生き物はないと感じる。唯一、ひとりで死ぬことができない生き物ではないだろうか。死亡確認、死亡届、火葬許可書交付、火葬、遺骨をはじめ所持品やあれば現金の引き取りなど、いかなる身分の人間が、どんな最後を迎えても、おおよそ手続きは同じである。ただ大きく違うのは、まわりの人間に惜しまれて逝くか、死さえも迷惑に思われるかである。死が迷惑に思われると言うことは、生きていることはもっと迷惑な存在なのであろう。養護老人ホームの中にはそんな人たちもいる。一般には特別養護老人ホーム(以下、特養)と養護老人ホーム(以下、養護)の違いは、入所者の要介護度の違いと思われがちである。確かに一面では正しい。しかし、考えて見れば特養に行かなくても良いぐらい元気、すなわち身の回りのことがきちんとできるなら自宅で家族と暮らしていればいいはずである。つまり要介護度以外の要因が他にもあるわけで、それが経済的に生活が困難という要件なのである。しかし、年寄りが経済的に困難というのは、裏を返すと、身寄りがないということにもつながる。正確には身寄りがないと言うよりも、親戚から見放されてしまったと言う方が正しい。少し考えて欲しい。自分が年をとった場合、自分の親が年をとった場合、自分の親戚が年をとった場合。自分の老後は誰しも心配である。そして、一緒に暮らす親が年をとったら、その面倒は見ざるを得ない。それでは、親戚、しかも、遠い親戚が年をとって、生活に困っていたら自分が率先して、面倒を見るだろうか。自分の親(義理の親ならなおさら)でさえ、大変であるのに。かくして、ひとりの道を歩まざるを得ない老人は、たくさんいる。養護老人ホームに入れる人は、実は幸運なのである。好むと好まざるとによらずホームに入所してきた老人たちは、皆、元気に楽しく暮らしている。少なくとも、孤独にはならない。自由もたくさんある。楽しいイベントもたくさんある。逆に老人たちは忙しいとさえ思えるほどである。指導員はイベント屋であると自ら語るほど、行事が目白押しである。寮母さんたちも、とても明るく盛り上げる。ちょっと明るすぎるぐらい陽気である。

 そんな楽しい日々もいずれは終わる。重度の介護が必要になって、特養に移る(これを措置替えという)場合もあるが、長い入所待ち(多久市でも1~2年)の間、あるいは急な容体の変化で養護の中で生涯を終えることも珍しくない。死亡すると、まずは身元引受人に連絡を取るのだが、身寄りがないか、あっても、かなり遠い親戚の場合は迷惑がられる。「葬式までそちらでお願いします」と。遺骨になってやっと引き取りに来る。しかし、「お金はいくら持っていましたか?」と言う質問がはじめに来ることも珍しくないそうだ。悲しい最後ではあるが、そんな生き方しかできなかったのである。あるいは、彼らに対して、そんな生き方しかさせない社会なのかも知れない。

§4.まごころを君に

 いきなりじっと見られる。そして、握手を求められる。部屋に招かれることもある。彼らに、羞恥心や遠慮などない。いきなりみんな友達である(正直言って、それまで私はこういう状況がとても怖くて苦手だった)。そこは救護施設と言うところである。これまでの老人福祉法に基づく施設とは違って、生活保護法による施設である(従って、児童と老人を除く全ての世代が混在している)。生活保護を受けるのであるから、最低の生活を送る施設である。しかも、心身に障害がある人たちで自立した生活が困難であることが入所の条件である。実際、ほとんどの人が知的障害者か精神障害者で、中には身体的障害も併せて持っている人もいる。しかし、彼らは純真な子供のままの心を持つ。が、故にだまされやすく、若い女性はもてあそばれることもある。従って、身寄りがない場合は、施設に保護してあげなければ彼らにとって世間はあまりにも残酷すぎるのである。それどころか施設があること自体も迷惑がられるぐらいである。「カタワとキチガイがやってくる。何をしでかすかわからない」...など、人間というのはつくづくむごい生き物だと思う。  この施設にいる人は、ほとんど身寄りがない。というのは、障害を持った子供であろうと、それが自分の子供なら大切に育てるのが一般的である(あくまで一般的なのだが...)。従って、親が生きている間は問題ないが、親がいなくなったときが問題なのである。障害者となると、兄弟でもなかなか面倒を見ることは難しい。知的障害者なら、体は元気なのであるから、何をしでかすかわからないからである。もちろん、健常者(私はあまり好きな言葉ではない)である兄弟たちにも家族があり、生活があるので、彼らを引き取る余裕などない(しかし、真実は世間体を気にして関わりたがらないのである)。また不幸なことに、今の日本社会では障害者、特に知的障害者はなかなか仕事がない。従って、収入がなく生活保護を受ける確率も高い。このようないろいろな事情から、垢にまみれてドロドロの状態で救護施設に引き取られてくる場合も少なくない。しかし、突如として、身内が現れて引き取られことがある。そして、またドロドロになって帰ってくるのである。実は、彼らの障害年金が目当てでこういう現象が起こるのである。得てして、彼らの引き取り手も貧しいことが多いのだが、彼らは施設にいる限りお金がかからないし、使うこともあまりしない。従って、彼らの預金口座には着実に障害年金が貯まっていく。お金をすっかり搾り取られて再び帰ってくる入所者(ここでは園生と呼ばれる)も、そのことに薄々は気が付いている。だから、お迎えが来ても帰りたがらない園生もいるぐらいである。

 施設内を歩いていると、あるオバサンが手招きをする。といっても、見かけがオバサンであって、実際、接している感覚は5~6才の子供のような感じである。彼女は塗り絵を見せてくれた。ウェディングドレスも蛍光ペンでまっ黄色であるが、得意げに「これアタシがぬったん」と見せてくれる。(その間も友達と意味不明の会話をする。かみ合っていないのだが、会話が成立している。)塗り絵の中には、上手に塗ってある物もある。「これはセンセがぬったん」という。先生とは施設の指導員や寮母を指す。おそらく、寮母さんの誰かが塗ってあげたのだろう。しかし、施設に入所している園生たちはとても、職員に気を遣うのである。先生に迷惑をかけてはいけない...常にそういう気持ちと、世話をしてもらっているという感謝の気持ちで溢れている。心からの気持ちである。そんな彼らに対して、私も、まごころで接する他ない。彼らは人をだましたり(もちろん自分をだますことも)しないので、奇妙なぐらい安心して付き合える。相手が、まごごろで接してくれば、こちらも安心してまごころで接すればいいのである。こんな無防備な世界はどこにもない。やがて、私が部屋から出ていこうとすると、何度も「げんきでね」「またきてね」と手を振る。しつこいぐらい何度も手を振る。彼らにとって、施設外の人間と知り合う機会は極めて少ない。せいぜい福祉系学校の研修生ぐらいだろう。後日、私がまた訪れると、彼女はとても喜んだ。私の手を握って「おぼえててくれたん?」と、すごく喜ぶのである。なかなか手を離してくれない。彼女はその一生の間に、自分の存在を何人の人間の記憶にとどめられるだろうか。

 あるオジサンが私に飛びつく。かなり高齢なのだが、やはり、子供のようである。背中をたたいたり、肩をもんだり、私の背後で大暴れをする。その後、私の手を引いて部屋まで連れて行く。彼は音楽が好きらしい。自分のラジカセを指さしながら、お気に入りのテープをかける。「人生劇場」である(音楽はなぜか年相応であるのが不思議)。デタラメではあるが一緒に歌っている。その後、唐突に質問された。「ミカワケンイチはオトコか?」と。素朴な疑問である。彼にとってはずっと気になっていた問題なのだろう。「男です」と応えると、複雑な顔をして考え込んでしまった。がっかりしたように見えた。そうこうしていると、側に寝ていた別の園生が「アイサツがわりや」と紙を渡す。よく見ると、施設の部屋ごとの園生名とその担当の指導員(寮母)名が書かれてある。彼は、一生懸命、この表を作る。その日も、新しい表に着手していた。しかし、その真意はわからない。彼らの部屋を出て、隣の部屋をのぞくと、部屋の真ん中で正座して何やらつぶやいている人がいる。私が研修中、ずっとその状態だった。おそらく何十年も同じ状態で座っているのであろう。そして、これからも同じ状態が続くのであろう。もちろん私には理解できなかった。そんな中にいたせいか、私はその施設にいる間中、何度も時間が止まった感覚を覚えた。世間から取り残されていくような感覚と言った方が正確かも知れない。園生も子供のまま老いていくのである。

 食事の時間である。ご飯は食堂にみんなで集まって食べる。とても楽しみにしている。ここで面白い光景が見られる。自力で部屋から出て来られない人を、別の園生がきちんと連れてくる。体が動いて知的障害も比較的軽度な人は積極的に仕事を手伝う。施設の園長さんは「複合施設の良いところである」という。お互いに、自分の出来る仕事を見つけて助け合う。協力しあって生きていく。本来、社会とはそのようにあるべきではないだろうか。ひとつ彼らに教わった。しかし、現実の外の社会はその逆である。「何かがおかしい」...最近よく聞く言葉である。
 私が施設を訪れた初日が月に一度の誕生会であった。この日ばかりはご馳走の日である。といってもそこは救護施設。巻き寿司である。園長さんは「自分の誕生日ぐらい覚えさせたい」というが、一向に覚えてくれない。そんなことには興味がないのである。もちろん、たいていは読み書きが出来ない。そして食事の合図の音楽が鳴ると、一斉に園生が集まってくる。怖いぐらい敏速に集まってくる。彼らは食事を本当に楽しみにしている。楽しいことは楽しい。好きなことは好き。嫌なことは嫌。何でもはっきりしている。しかし問題がないわけではない。SEXの問題がある。彼らは確かに知的障害者である。それでも、性的な機能には全く問題がない人が多い。欲求もある。しかし、救護施設のような小さな施設で、男も女も一緒に生活をして、さらに、欲望を理性的に抑えられない彼らである。SEXは禁じざるを得ない。知的障害者であるが故に、正常な機能部分を認められない...これで良いのだろうか...事務長の言葉である。障害者であっても幸せにしてあげたいが、彼らにとって何が幸せか。そんなことは彼らの口からはでてこない。もっとも、自分のおかれた不幸な状況(外側にいる我々の一方的な価値観から見た場合)さえわかっていないだろう。それが幸せなのかも知れない。それが証拠に、彼らは毎日明るく元気に過ごしている。とても、明るい。食堂に向かう園生の波の中、廊下で、ある園生が私に向かって話しかけてくる。「きょうはボクのたんじょうび。おめでとうっていって」。私が「おめでとう」と言うと、彼は、大きくうなずき、誇らしげに胸を張って食堂に向かっていった。

1999年1月 執筆
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