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国家観
2004年6月

憲法改正そのものの考察
谷中修吾/卒塾生

 憲法を改正するとは一体どういうことなのか。それ自体が一つの重大な論点であると考え、憲法改正そのものの考察を試みた「国家観レポート」シリーズ第一弾。憲法とは何かという根本的な問いから改めて考察を深め、日本国憲法制定の歴史的経緯を加味した上で、憲法改正とは何たるかについて考察する。

 

1. はじめに

 本レポートは、「憲法改正の論点」についてテーマを設定し、各自の意見を述べるという「国家観レポート」である。シリーズとして著述していくにあたって、考察すべき重要な論点を一つずつ取り上げていきたい。初回となる今回は、憲法改正そのものについて考察する。憲法を改正するとは一体どういうことなのか、それ自体が一つの重大な論点であると考えるためである。そこで、憲法とは何かという根本的な問いから改めて考察を深め、日本国憲法制定の歴史的経緯を加味した上で、憲法改正とは何たるかについて考察する。それを踏まえた上で、憲法改正に対する私自身の基本的考えを提示してみたい。

2. 憲法とは何か

 そもそも、憲法とは何であるか。一般的に、憲法とは、国家の最高位にある法であり、国家の仕組みと国民の権利を定めたものであるとされる。学問的には、芦部信喜『憲法』を引用するに、「一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。この国家という統治団体の存在を決定づける基本法、それが通常、憲法と呼ばれてきた法である。」と定義される。つまり、端的には、「憲法とは国家の基本法である」と表現できよう。

 ここで、定義をより明確にするために、多義的な憲法の意味を考察しなければならない。憲法の意味には、大きく三つ挙げられる。第一に、憲法という名前で呼ばれる成文の法典を意味する「形式的意味の憲法」、第二に、成文・不文を問わず、ある特定の内容をもった法を憲法と呼ぶ場合の「実質的意味の憲法」で、国家の統治の基本を定めた法としての憲法たる「固有の意味の憲法」、第三に、同じく「実質的意味の憲法」で、国家権力を法的に制限して、国民の権利・自由を保障するために制定される「立憲的意味の憲法」である。本論で考察する日本国憲法とは、近代に制定された「立憲的意味の憲法」にあたる。

 この立憲的意味の憲法の淵源を探ると、中世の欧州に行き着く。とりわけ、イギリスの政治哲学者であるジョン・ロックの近代立憲主義思想は、現代の憲法の根本となる代表的な考え方となっている。この思想によれば、(1)人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)をもっている、(2)その自然権を確実なものとするために社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する、(3)政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。この立憲主義思想は、日本国憲法の源流となっており、憲法13条にも明記されている通りである。

 そのような日本国憲法の第一の特質は、自由の基礎法であるということである。近代の憲法は、個人に着目して、一人一人をかけがえのない存在として尊重する。すなわち、「個人の尊厳」「個人の尊重」こそ、日本国憲法の根底にある核心的価値である。そこで、個人の人権保障を目指し、その目的達成の手段として、憲法は国家の機関を定め、それぞれの機関に国家作用を授権する。つまり、「個人の尊厳」という核心的価値のもと、自由の規範である人権規範に奉仕するために、憲法の組織規範・授権規範が存在するのである。

 続いて、第二の特質は、制限規範であるということである。憲法が自由の基礎法であるということは、同時に憲法が国家権力を制限する基礎法であることを意味する。なぜなら、国民の権利・自由が侵されないようにするためには、国家権力の発動を制限して監視しなければならないからである。そこで、憲法は、国会・内閣・裁判所など国家機関の活動の内容とその権力の及ぶ範囲を限定する役割を果たすことになるのである。

 最後に、第三の特質は、最高法規であるということである。憲法が最高法規であって、国法秩序において最も強い形式的効力をもつということは、憲法98条で定める通りである。しかし、憲法の特質としての最高法規性は、憲法の内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心に構成されているからこそ、憲法が国家の最高法規となるのであるという、実質的最高法規性にあるとされる。つまり、最高法規性という特質も、個人の尊厳に基づく人権保障の観点から導出されている。

 以上の考察から、日本国憲法は、立憲主義に基づく国家の基本法であり、「個人の尊厳」を実現することを究極的な目的として、「自由の基礎法」「制限規範」「最高法規」という三つの特質をもつということを確認した。端的には、憲法は、個人の尊厳を実現するために、国家権力を制限して人権を保障するものであるといえる。それ故、国民主権・基本的人権の尊重・永久平和主義という基本原理をはじめ、あらゆる憲法の規定は全てその体系下に位置付けられる。つまり、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果がもたらした「個人の尊厳」に基づく「人権保障」は、それ程に重大な意味をもつものであり、日本国憲法の描く国家観の大前提となっていることを深く認識しなければならないと考える。

3. 日本国憲法制定の歴史的経緯

 憲法改正そのものを考察するためには、前項における日本国憲法の根幹的部分についての考察に加え、憲法制定の歴史的経緯を検討する必要がある。それでは、日本国憲法は、一体どのような経緯で制定されたのであろうか。ここで、明治時代に遡ることになる。

 日本では、初めての成文憲法として1889年に大日本帝国憲法(明治憲法)が成立した。この明治憲法は、君主が定めて国民に与える欽定憲法として制定され、天皇に強い権限を与える専制的なものであった点にその特色がある。天皇主権の考え方に基づき、国民の権利は天皇の恩恵によって与えられた「臣民権利」とされた。また、建前上では分立された国家権力も、その実体は天皇の絶対的な権力を前提とするものであった。

 このような権力体制下で第二次世界大戦に臨んだ日本は、1945年8月、連合国の示した降伏条件であるポツダム宣言を受け入れ、敗戦を迎えた。このポツダム宣言の内容は、日本の政治が戦前の状態を改め、軍隊の武装解除、民主主義の復活・強化、基本的人権の確立、平和的かつ責任ある政府の樹立を実現するよう要求するものであった。ここで、日本はこの要求を忠実に果たすため、天皇主権の明治憲法を改正せざるを得なくなった。

 その後10月、日本政府はGHQ(連合国軍総司令部)の指示によって憲法改正の作業に着手し、翌1946年2月、政府は松本草案といわれる改正案を準備した。しかし、明治憲法の原則を受け継いだ内容であったため、GHQは日本の民主化のために不適当であるとした。そこで、GHQ最高司令官マッカーサーは、総司令部独自の憲法草案を起草し、これを日本政府に示して採用を求めた。これに応じた日本政府は、3月、マッカーサー草案に基づく憲法改正案を起草し、発表した。この憲法改正案が、6月20日、第90回帝国議会に提出され、審議と若干の修正を経て10月6日に可決された。そして、11月3日に「日本国憲法」として国民に公布、翌1947年5月3日に施行され、現在に至るものである。

 以上の通り、日本国憲法は、実質的にはGHQの指導によって制定された。但し、手続的には、明治憲法73条に基づき、帝国議会の議決を経て天皇の承認によって公布され、施行されたという経緯をもつ。しかしながら、日本国憲法は、明治憲法の天皇主権を廃止し、国民主権を宣言することによって、憲法の性格を根本的に変更しているのは事実である。ここに矛盾が生じ、日本国憲法は明治憲法の改正憲法であるとする「旧憲法73条説」と、新制定憲法であるとする「8月革命説」とが生まれ、意見の対立を招いた。

 本論は、旧憲法73条説と8月革命説を議論するものではなく、GHQ主導の憲法制定の是非を問うものでもない。ただ、実質的な意味において、日本国憲法が、敗戦に伴うポツダム宣言受諾に基づき、GHQ主導によって成立したものであるという事実、そして、これによって、個人の尊厳を核心的価値とする近代立憲主義の思想体系が日本国憲法にもたらされたという事実は、憲法改正議論に際して、認識する必要があると考えるものである。

4. 憲法改正とは何か

 前項までにおいて、日本国憲法が、「個人の尊厳」を実現することを究極的な目的とした国家の基本法であることを確認し、それが敗戦に伴うポツダム宣言受諾に基づいて、GHQによる主導で制定されたという歴史的経緯をみた。これにより、本論の考察対象たる日本国憲法が何たるかについて、その本質的部分を概観して全体像を明らかにした。

 それでは、憲法改正とは一体何であるか。端的に言えば、それは、「個人の尊厳」を中核とする日本国憲法の価値体系を再考し、それに応じて条文を加筆・修正するということである。条文の加筆・修正とは、具体的には、(1)新しい条文を加筆すること、(2)条文を整理・統合すること、(3)文言を改めて条文の意味を明確化すること等が考えられる。ただ、ここで肝要なのは、それらは、日本という国家のあり方を拠り所として、初めて導き出されるものであるということである。つまり、国家観なくして条文の加筆・修正はあり得ない。したがって、憲法改正の本質とは、国家観を再構築する行為に他ならないといえる。

 一方、憲法改正議論の結果、新しい日本の国家観が提唱され、それに基づいて憲法改正が行われたとしても、それによって、直ちに日本社会が変わるということにはならない。法学者の川島武宜博士が指摘するように、「法律を作っても、それが現実に行われるだけの地盤が社会の中にない場合には、法律というものは現実にはわずかしか、時には全く、行われない」のである。つまり、たとえ憲法改正がなされても、それが作動するための基盤がなければ、全く意味をなさない。したがって、本質的な憲法改正とは、憲法の作動基盤となる日本の慣習に根ざした国家観を構築することであるといえるだろう。

 なお、冒頭で考察した通り、日本国憲法の描く国家観の根底に存在するのは、一人一人の自由を最大限に尊重するという「個人の尊厳」に基づく人権保障である。一方で、憲法13条に「公共の福祉に反しない限り」という留保があるように、実社会においては、全てが自由というわけにはいかない。しかしながら、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、… 最大限の尊重を必要とする」のが、日本の国家観の根底的価値である。ここで着目すべきは、国家観を構築する上で、「国家として」どうするかということを考えることは、いきおい、「個人の自由」と逆行する可能性をもち得るということである。現行の根底的価値を踏襲するのであれば、それを踏まえた国家観構築が必要なのである。

 以上を総括するに、憲法を改正するということは、端的には、条文の加筆・修正を意味するが、本質的には、日本の国家観を構築することであるといえる。そして、それを実質的な意味において具現化するために、憲法の作動基盤となる日本の慣習に根ざした国家観を構築することが必要となることを考察した。その上で、個人の尊厳に基づく人権保障という現行憲法の核心的価値を尊重するのであれば、国家としていかにあるべきかを考えることが、一人一人の自由をかえって束縛・制限するものにならないかという整合性を視野に入れつつ、新たなる国家観を描くことが強く求められるものと考えるのである。

5. 憲法改正に対する基本的考え方

 以上の考察を踏まえ、ここで、憲法改正に対する基本的考え方を示したい。前提として、私自身は、日本国憲法がGHQの主導によって制定された歴史的経緯をもつにせよ、「個人の尊厳」に基づく「人権保障」が日本にもたらされたことは、大いに尊重すべきであろうと考える。確かに、欧米では国民が自ら革命によって能動的に人権を獲得していったことに比較すると、日本では外圧的な要因によって国民が受動的に人権を獲得したことになるのであるが、「個人の尊厳」に基づく「人権保障」が、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果として行き着いたものであることに変わりはないと考えるからである。

 一方で、私自身は、「全体として学び成長していくことを志向した、活力のある社会」を目指したいと考えている(個別レポート参照)。勿論、人の価値観は実に多様であり、この私の価値観を強要するつもりは毛頭ない。ただ、憲法改正に対する基本的考え方を示すにあたり、私が考える日本の国家観というものが、この思想を基調として導出されることになることを確認するものである。次回以降における個別論点の考察を通して、その国家観の骨子を示していくことにしたい。その際、前項で考察した通り、憲法の作動基盤としての日本の慣習、個人の自由と国家の強制との整合性に着目することを重視する。

 最後に、時代的観点から憲法改正そのものを考察するに、時代の推移と共に社会の価値観も変化していくことを考えると、時勢の変遷に適応して国家観を再構築し、憲法の条文を加筆・修正していくという可変性は必要であろうと考える。一方で、時代を越えて変わらぬ普遍的価値観というべきものも存在し、それは最大限に尊重されるべきものと考える。本論で繰り返し強調した「個人の尊厳」とは、まさにそれに他ならない。今、憲法改正が現実のものとなろうとするときこそ、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果がもたらした「個人の尊厳」の重みを再認識することの重要性を指摘し、本論の結びとしたい。

参考文献
『憲法』芦部信喜(岩波書店)
『憲法入門』伊藤真(日本評論社)
『憲法概観』小嶋和司・大石眞(有斐閣双書)
『日本国憲法の問題点』小室直樹(集英社)
『痛快!憲法学』小室直樹(集英社)
『図解雑学 憲法』後藤光男(ナツメ社)
『松下幸之助の哲学』松下幸之助(PHP研究所)
2004年6月 執筆
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