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1998年8月

丹邱日記(3) 「NIMBY」
大串正樹/卒塾生

 
§1.はじめに

 今回は、ゴミ処理場(清掃センター)での研修の報告を中心に環境問題について少し触れてみます。ちなみに、研修は可燃・不燃ゴミの収集から不燃物の分別、缶のプレス、炉の運転と短い間にも盛りだくさんの内容で、現場の方々からも、親切にいろんなことを教わりました。改めて感謝したいと思います。

§2.ゴミを出すマナー

 多久市は早い時期からゴミ収集の有料化を行った自治体で、その考え方は正しいと思います。中には、ゴミの収集は地方自治法に定められる自治体の義務であるから、お金を取ることは間違っているという意見もあります。しかし、いずれにしても、結局はゴミ処理業務が税金で運営されること、さらには、自治体は最小限のコストで効率よい運営をすることもまたその義務でありますし、何より、有料化しなければゴミの減量化はあり得ないと言うことが大きいと思います。悲しいかな、いくらゴミを出してもタダであれば、誰もゴミを減らす努力はしないでしょう。
 実際、多久市の場合は指定のゴミ袋を購入してそれにゴミを分別して出すという方式をとっているため、袋にめいっぱい詰め込んで出しているのが現状です。従って、極端に重いものもあります。一日に何トンものゴミを収集車に詰め込むのですから、一つ一つの重さが徐々に体にこたえてきます。その多くは生ゴミの水をきちんと切っていないものです。そして、臭いも毎日の暑さの中すさまじいものがありました。また、これだけ言っても、いまだに、ビンと缶を分別できない人もたくさんいます。ガラスも危険な状態で出している人がまだまだたくさんいます。
 猛暑の中、ゴミ処理業務の大変さを実感したと共に、住民のマナーの悪さを痛感しました。ゴミの出し方を見ればその人の性格がよく分かるのです。税金やゴミ袋代を払っているのだから...と言ってしまえばそれまでなのですが、思いやりという美徳はどこに行ってしまったのでしょうか。

§3.分別の意味

 最近では、ようやくゴミの分別収集が当たり前になってきました。多久市の場合は、少し遅れていて、可燃物とガラス、金属の三種類の分類になっています。しかし、実際は処理場内で職員がガラスをビン意外のもの、そして、ビンは色別(白、緑、茶など)に分けています。加えて、金属は缶とそれ以外のもの、粗大ゴミは、さらに、分解して、金属(種別に分類)と可燃部分に分けられます。
 今後は、ペットボトルなども分類の対象にならざるを得ないでしょう。しかし、先にも触れましたように、未だに完全な分別がなされていないのが現状で、焼却灰の中から金属片が出てきたり、缶のプレスをする段でガラスビンが出てきたりもします。住民が完全に分別をできない以上、何らかの手段で最終分別の工程が必要です。すると、結局はこれ以上、分別を叫ぶよりも、効率よく分別できる設備の開発が必要となってくるでしょう。もちろんそのためのコストは高くつくことは明らかです。高くついても、分別できない住民が多くいる以上、仕方がないのです。
 その技術はと言うと、現段階では鉄とアルミは磁気で選別可能ですし、ガラスビンはセンサーで色別に分けることが可能です。しかし、最も、難しいとされているのが鉄と銅の分別です。モーターなどの鉄芯には銅線が巻き付けられており、これが結局最後(溶解段階)まで分別できず鉄スクラップから再生される最終製品の品質に大きく影響を及ぼします。もっとも、分別しても本当に採算が合うのはアルミぐらいで、そのほとんどが再利用によるコストダウンを分別コスト(特に人件費)が上回っています。総合的に環境を守るコストと割り切らねば分別の意味は見いだせないでしょう。

§4.最近のゴミ処理場の建設問題

 さて、多久市では老朽化するゴミ処理設備を新しくする計画があります。その辺について少しお話ししておきましょう。
 ご承知のように最近、ゴミ処理施設から排出されるダイオキシンが問題になっています。特に地方の老朽化したゴミ処理施設は早急にその対策を講じる必要があります。そこで厚生省は昨年8月、この事態を鑑み、ダイオキシンの段階的な排出量削減基準を設けたのに続き、今年4月、ゴミ処理の効率化と環境対策の充実を考慮して、新設処理施設に対しても、一日あたりの処理量が100トン未満の施設は国庫補助対象外としました。
 確かに、財源の乏しい地方自治体にとって、補助金交付規制によるゴミ処理施設集約化の促進策は有効に働くと予想されます。煤塵処理や焼却灰の溶融固化設備など、一自治体では導入不可能な設備も、広域処理で考えれば設置可能となり環境に対する影響はミニマムとなると予想されます。今後、多くの自治体間で一般廃棄物の広域処理が進むでしょうし、各々が環境対策も不十分な小さな処理施設を持つという現状の非効率さは改善されると考えられます。しかし、実際には、この広域化は思うように進んでいないのが現状です。このような場合、常に地元住民の反対があるからです。従って、一番の問題はゴミ処理施設をどこに設置するかということなのであります。
 誰しも他人のゴミを自分の家の近くで処分されるのは気持ちのいいものではないでしょう。ましてや広域処理の場合は、同じ市町村内ならともかく、他の市町村からのゴミまで持ち込まれてくるのです。加えて昨今のダイオキシンにまつわる様々なニュースを見聞きすれば、いくら最新の施設が十分に問題のないレベルであると言われても、感情的には納得行かないでしょう。地域エゴと言われればそれまでかも知れませんが、住民の気持ちも理解できなくはありません。その反面、自分の出すゴミも含めて、これはその地域のどこかで処理しなければならないことも判っているはずでしょう。ただ、最悪な事態は行政と住民が対立した状態が長く続くことによって、老朽化した施設が更なる環境汚染を続けていくことです。現状の施設でも、ダイオキシンの発生量はかなり抑制できるのですが、連続操業による焼却時の温度管理と、焼却灰の溶融固化などを行わなければ根本的な解決にはなりません。財源も含めて、処理量の少ない今の老朽化した施設にそこまで求めるのは不可能でしょう。もちろん、住民がゴミの分別を進め、ダイオキシンの発生原因となる物質を使用しないようにするなど総合的な対策も不可欠ではありますが、汚染の規模が拡大して手遅れになる前に、市町村の壁を越えて県や国が主導の実態に即したゴミ処理政策が必要なのではないでしょうか。

§5.時代は変わって

 この辺で、より良い設備を長く使えば良いのではないかと思われるかも知れません。確かに、設備の計画段階では先を見越した設計を行うのは当然と言えましょう。しかし、ライフスタイルの変化は著しいものがあります。例えばペットボトルの普及はここ数年で大きくのびました。このことは炉の設計に大きな影響を及ぼします。
 昔は、炉内温度を上げるために助燃バーナーを用いました。それだけ炉温を高くすることが必要だったのですが、今は、プラスチックの燃焼によって炉温が上がりすぎて、これをいかに下げるかが課題です。多久市の焼却炉も炉温を下げるために、冷却空気の導入や、マンホールを開放してエアーの取り込みで制御しているのが実態です。炉温の制御はダイオキシンの発生に大きな影響を与えるのです。そして、日々増え続けるゴミに対して、焼却効率を向上する技術は日進月歩で進んでいます。
 多久市は古いタイプのバッチ炉ですが、最近は揺動ストーカーや流動床(いずれも、ゴミの撹拌方式の違い)、さらには最新のガス化溶融設備など、様々な技術が開発されています。また、燃焼炉だけでなく、周辺設備の進歩もあります。前段階での分別設備や、後段階での灰の処理(灰溶融炉など)、集塵設備等々、環境問題がクローズアップされてきた背景もあって、技術は加速度的に進歩しています。ゴミという人類の宿命的な問題に対して、我々はもっと柔軟に対応すると共に、そこにかかるコストは当然負担しなければならないと思います。また、このような技術をもって世界に貢献することも日本の役割ではないでしょうか。

§6.「行政」対「NIMBY」

 さて、話は少し戻りますが、ゴミ処理場を建設する場合、最も大切なのは住民に理解を求める手続きでしょう。行政は住民の税金でゴミ処理場を建設して、住民のゴミを処理する責任があります。と同時に住民にきちんと説明してその理解を求めることも必要でしょう。しかし、得てして、このような施設建設はスムーズに進みません。
 先日、私が参加したゴミ処理場の地元説明会でも、かなり住民から不満がでました。住民からの反対の理由は大別して三つあります。一つは、危険性の問題。先にも触れたような有害物質を排出することへの不安です。これは、イメージや誤解によるものが多く、冷静に、客観的に設備の危険度を把握している人はほとんどいません。とにかく、少しでも、危険な物質が発生するとなると、完全に否定してしまいます。この世に「絶対安全」と言うことはあり得ないのですが、いったん反対の立場に立つと、もはや冷静に話ができる状態ではなくなります。
 次に、感情的な問題。ほとんどがイメージによるのですが、ゴミ処理という嫌われ者の設備が近くにできることを歓迎する人はいないでしょう。この二つの要因が混同されて反対論が出来上がってきます。そして、最後は行政への不信感から来る反発です。計画を進めていく過程が不透明であることから、「だまされた」とか、「押しつけられた」と言う印象を持ってしまうと、対話は進まなくなります。一方、行政の立場から反論をすれば、住民のゴミは行政で責任を持って処理しなければならず、安全については現状で出来る限りのことはするのは当然であります。安全の妥当性を理解してもらうには、技術的な勉強を相当してもらわないと難しいという事情もあります。計画の公開性にしても、行政と住民の対話の場が少ないこと、さらに、なにより、計画の過程で候補地に具体的な地名が上がる度に、それを公開していたら、その都度住民からの反対が起こってくるという悪循環が生まれます。従って、候補地を絞りながら、その妥当性をきちんと示しつつ、その都度、地元の住民たちに根気強く理解を求める作業を繰り返す以外にないのです。また、敢えて、行政の問題点を付け加えるなら、ゴミ処理場建設のようなスパンの長い業務に対して、首長、議員や助役を始め、担当者たちが、計画の過程において変わっていくという点にもあります。これにより、前任者の無責任な発言が、後々の話し合いの中で問題になったり、その責任を組織でとろうとすることから、住民の不信感は、個人の軽率な発言から、行政全体へと変わるのです。
 さて、アメリカにNIMBYと言う言葉があります。「Not in my backyard」の頭文字をとった造語で、ゴミ処理場のように、必要な施設であることは判っていても、私の家の側には持ってこないで...という人々を皮肉った言葉です。洋の東西を問わず状況はどこも同じようです。

§7.環境オタクを責めないで

 私は環境オタクが嫌いです。小さな事柄を、わずかな因果関係でクローズアップして、それだけで地球が危ないと騒ぎ立てる...本来、環境問題はもっと広い見地からの政策形成が必要なのではないでしょうか。経済や社会的コストも無視できませんが、何より、住民の意識改革が一番重要であると思います。とすれば、やはり教育の問題に帰着すると言うことでしょうか。特に、家庭でのしつけが大切なことのように思えます。

つづく

1998年8月 執筆
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