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1998年7月

丹邱日記(2) 「最果ての民主主義」
大串正樹/卒塾生
 

§1.はじめに

 今回は、先に行われた参議院選挙についてお話しします。と言っても、候補者側の立場ではなく有権者側の立場に立ってのお話です。

§2.みんなの選管

 選挙の公示後、私は多久市の選管で研修を行いました。選管というとそれなりのきちんとした組織があるように思えますが、実際は、2人しかいなくて、必要に応じて他課の職員がにわか選管として仕事をこなします。そして、投票日ともなると、市役所中の職員が総動員で対応にあたります。この時ばかりは全職員が選管になります。若い人から開票にあたり、疑問票の審査、有効票のカウントなど、流れ作業で次々と開票事務が進みます。今回からは夜8時まで投票が行われたこともあって、開票事務は深夜に及びます。しかし、立会人の方々、あるいは、選管委員の中には高齢の方もおられて、これらの方々にとっては、過酷な時間帯です。多久市では、最後の疑問票の審査が終わり、開票が無事終了したのは深夜の1時を過ぎるころでした。中には、朝7時前から投票所の事務にあたり、この時間まで働きづめの方も少なくはありません。
 確かに、多久市のような田舎では、投票時間を延長しなくとも投票率は高いので、そこまでやる必要があるのかという点では疑問が残りますが、民主主義と言う名の公平性を保つためには、こういったコストはやむを得ないと言うことでしょうか...安易に辞職される議員の方々には、選挙コストも含めて、こういった人々の努力によって民主主義が守られていると言うことを肝に銘じてもらいたいものです。

§3.不在者は不在か?

 さて、今回の選挙で忘れてはならないのが、不在者投票です。今回からは、不在の理由が大幅に緩和され、旅行はもちろん、たとえ市内にいても用事があれば不在と見なされ、誰もが簡単に投票を行えるようになりました。ちなみに私は、茅ヶ崎市に住民票がありながら、ここ多久市で研修を行っていたものですから、郵便で投票用紙を茅ヶ崎市から取り寄せて、不在者投票を行いました。とても、簡単に終わります。
 不在者投票の受付を行っていると、実にいろいろな方がやってきます。投票場所は、市役所のロビーに設けられたこともあって、皆さん気軽に立ち寄られるようです。田舎と言うこともあって、訪れる方々と職員の方々も顔見知りが多く、投票の後には、のどかに立ち話と言った光景も見られます。また、車で玄関までやってきて、みんなで力を合わせて車椅子を荷台からおろす光景も見られました。しかし、こうやって車椅子でも投票に来られる方、あるいは、連れてきてくれる人がまわりにいるということは実は幸せなのです。高齢化が叫ばれる中、寝たきり老人にはなんら投票権が保護されていません。身障者なら、郵便での投票も可能ですし、施設に入っておられる方は、後で触れますが出張不在者投票が行われます。ただ、一人暮らしで、寝たきりと言うだけでは、一切措置がないのが現状です。なんとしてでも、投票所に来なければ投票はできないと言うことです。

§4.出張不在者投票

 選管が指定する病院、老人ホーム、保養所、その他、船舶や監獄などでは、出張で不在者投票が認められています。私も、今回お許しを得て、養護老人ホーム(特別養護老人ホームよりは元気なお年寄りが暮らす施設)での、不在者投票に立ち会いました。ここでは、投票当日、職員が選管に成り代わり、お年寄りの投票の手助けをします。

 しかし、参議院選挙は選挙区と比例代表という二つの投票をしなければなりません。加えて、不在者投票であるから、投票用紙に候補者あるいは政党名を記入した後、第一の封筒に入れて、さらに、自分の名前を記した第二の封筒に入れるという二重、三重の手間がかかります。これは、お年寄りにとって、極めて難しい作業のようです。
 不在者投票の封筒に「ここに自分の名前を書いて」と言っても、「中に書いてしまった」...投票用紙に自分の名前を書いてしまったようです。これで無効票1票の出来上がりです。また、自由も利かず、乾ききったお年寄りの手では封筒のシールをはがすのも、一苦労のようです。しかし、自分で字を書けるならまだいい方で、ほとんどの人が記入を依頼する代理投票です。「誰に入れるの?」と聞いても、すぐに候補者の名前を言える人は少ないようです。加えて「どの政党にしますか?」と聞かれても、「政党って何?」と聞き返す光景も見られました。
 私は、終始この様子を見て、いろんな人々の努力によって守られる民主主義の実態を知ったと共に、今後増え続ける、寝たきり老人を含めた、このような社会的弱者の民意はどこに行くのだろうかと、不安になりました。少なくとも、各候補者の政策を吟味して、日本の行く末を託すという光景ではなかったと言うことです。

§5.疑問だらけの疑問票

 さて、投票日の夜、開票の最後まで残るのは、疑問票の審査です。大方の大勢は判明して、結果にさほど影響は及ばないとはいえ、一票一票きちんと審査しなければならず、立会人からクレームが出れば、選管はそれを再度審査しなければなりません。しかし、その中身は、誰の名前か判らないもの、とうてい字とは思えないもの、余計なことを書いているものなど様々でした。「民社党」などというものもたくさんありました。なぜ、名前を書くという、たったこれだけのことがきちんとできないのだろうかと思うと疑問だらけの疑問票ですが、先の老人ホームの様子を思い起こすと、いたしかたないと納得してしまいました。
 「政治は、説得過程であり、対話の場を提供するものである...」これは私の新しい行政システムの中で今後明らかにしていく重要なポイントでありますが、やはり、政策はもちろん、選挙自体も分かり易く、簡単なものにしていかないと本当の民意は等しく公平に政治へと反映されていかないのではないでしょうか。民主主義の最果てにそのような思いを持ちました。

つづく

1998年7月 執筆
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