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1998年6月

丹邱日記(1) 「過疎のまち」
大串正樹/卒塾生
 

§1.はじめに

 今回からは、しばらく「新しい行政システム」はお休みして、筆者が6月より行っている多久市役所での研修についてお話しします。もちろん、研修の目的は「新しい行政システム」の構築にあるわけですから、まったく関係のないものではありません。研修を通じて、行政の現場が抱える様々な問題点を、少しずつお話ししていきたいと思います。

§2.炭坑のまち

 私が多久市にたどり着いたのは、少し汗ばむ陽気の5月の終わりでした。中多久というJR唐津線の無人駅をおりて、そののどかな空気に触れました。東京からは飛行機で福岡空港まで約一時間半、そこからはバスで小一時間ほど揺られて、佐賀駅に着きます。そこからさらに電車で揺られること30分、多久は山を越えた所にあります。駅を降りると、目の前には幼稚園、病院があります。そして、なだらかな坂道を登り切ったところに、多久市役所があります。その道の途中では、帰宅途中の高校生や病院から出てくるお年寄りに出会いました。住宅街とはいえ、店らしい店はほとんどなく、ひなびたスーパーとシャッターの降りた商店や飲み屋が数件あるのみです。実は、これが多久を象徴していることに後で気がつきます。
 多久という所は、観光の中心でもある孔子聖廟に代表されるように、古くから儒教が栄えたまちであり、孔子の里、文教の里、丹邱の里などとも呼ばれています。それ故に、少し地味な印象も拭えないのが現実です。やがて5町村合併によって市として生まれ変わったのが昭和29年のことでした。多久が最も栄えたのもそのころで、当時の時代背景を映して炭坑のまちとして隆盛を極めました。しかし、時代の流れには逆らえず、華やいだ炭坑のまちも相次ぐ閉山により、その人口は減少の一途をたどってきました。今では、最盛期の半分の2万4千人程度に落ち込んでいます。炭坑のまちは過疎のまちにかわってしまいました。

§3.過疎のまち

 図に示しましたように、ここ5年間を見ても、佐賀県下7市で群を抜いて人口が減少しています。過疎がいまだに進行していることを示しています。ただ、市制移行の合併時に財政状況が悪化して、「財政再建団体」となって以来、多久市の経営は極めて堅実で、経営状態はそれほど悪いとは言えません。これについては、改めてお話しすることにしますが、図にもありますように、歳出から公営事業への繰出率も極めて低いものとなっている所にも、それが端的に示されていると言えましょう。しかし、次の図にも示しましたが、一人当たりの歳出を投資的経費と人件費で見た場合、やはり、人口減少の影響は大きいようです。これは何を示しているかというと、この人口では、もはや市としての機能を維持するには余りにも負担が大きすぎると言うことです。このまま、過疎が進みますと、ますます、この負担は大きくなり、同時に税収も減少することが予想されますから、市にとっては、極めて重大な問題となってきます。怖いのは、過疎という現象が、単に人口減少にとどまらず、税収の減少に始まり、産業の衰退、行政の高コスト化、など、複合的に問題を生みだして、過疎がさらに加速されるという悪循環がうまれることです。しかし、昨今の少子化現象を見てみますと、今後、人口を増やすことは容易でないと考えられます。特に田舎では、無理に人を集めても、それは、またどこかで過疎を生み出すということになり、自分の市だけ人口が増えればいいと言うのでは、単なる地域エゴに過ぎません。

§4.未来を見据えて

 もう少し、今度は人口の構成を見てみましょう。図は全国の人口と多久市の人口構成を示したものです。比較のため佐賀市のデータも示しています。日本の人口構成は、ご承知のように二つのベビーブーマー世代をのぞいて減少傾向にあります。今後少子化を考えると、次のベビーブーマーの山は徐々に小さくなると共に、晩婚化も重なってピーク自体が分散していくことも予想されます。さて、まずは佐賀市の場合ですが、特徴的なのは50歳台の落ち込みと、子供が多いことです。この地域は高度経済成長時代に、多くの人々が職を求めて関西方面に移動しました。それ故に、50歳代は人口が少なくなっています。また、子供に関しては、田舎であることから都市部より出生率が高いと想像できます。次に、問題の多久市ですが、50歳代の落ち込みと、子供が多いことは佐賀市と同様と考えられますが、深刻なのは、10代後半から30代前半の人口が少ないこと、加えて、高齢者の比率が高いことが目に付きます。多久市には高校が多久工業高校しかなく、また、大学はありません。皆、学校を求めて市外に移っているのです。また、学校を卒業しても、主たる産業がないことから、職を求めて、そのまま市外に移り住むか、新たに都会を目指して流出していると見ることができます。したがって、相対的に高齢者の比率が高くなっているのです。私が初めて多久に来て目にした光景はまさに、このことだったのです。
 しかし、深刻な問題が、ここにあります。今後、流出した彼らが多久に戻ってこなければ、過疎とともに高齢化がますます加速して、市の経営は破綻してしまうでしょう。それが証拠に、乳幼児の比率は既に全国平均を下回っています。また、国の補助金を受ける際に産炭地域はかなり優遇を受けてきましたが、この産炭指定も昨年度でなくなって、今後は地方分権をにらんだ地域の自立が叫ばれている昨今でもあります。多久に残された時間も選択肢も限られていると言うことになりますが...

つづく

1998年6月 執筆
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