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1998年5月

第2部 新しい行政システム ~ 第2報 「愛情について」
大串正樹/卒塾生

 

§1.はじめに

 前回は、「新しい行政システム」の基本的な考えとしての「幸せについて」を述べてみました。その中で、少し触れましたように、今回は他人を思いやる気持ち、すなわち、愛情についてをお話ししていきたいと思います。従いまして、ここで言う愛情とは男女間の恋愛と言うよりは、むしろ広く一般に他人に対する思いやりであることを念頭において読み進めていただければ分かり易いと思います。実は、これが行政システム、あるいは、もう少し広い概念である、人間の社会システムを考える上でとても重要な概念であることに気付かれることと思います。

§2.孟子の性善説

 中国の古典の四書と呼ばれるものの一つに、「孟子」というのがあります。この根本的な思想の中に、性善説があります。人は生まれながらにして「善」であるということを言っているのでありますが、この根拠として次のような例を引用しています。井戸に落ちそうな赤子を助けない人はいない。つまり、どんな悪人でも、目の前で井戸に赤ん坊が落ちそうな危険な状況を見れば、迷うことなく助けるでしょう、ということであります。重要なのは、考えるまでもなく本能的に、これを助けようという意識が働くことでありまして、ここから、人は生まれながらにして、「善」であるということを示しています。これは中国から朝鮮半島を経て、日本に伝わってきた儒教の考え方の根本思想とも言えるでしょう。東洋を語る上で、この儒教的な考え方を無視できないのは、これが一つの文化として、連綿と人々の心の中に流れ続けているということに他なりません。乱暴ないい方をすれば、キリスト教、すなわち性悪説を根本にもつ欧米とは社会の成り立ちが基本的に異なるということであります。

§3.群れる動物

 中国の古典から、もう少し、さかのぼって考えてみましょう。今度は、人間の時間的なレベルから、生物の時間的レベルで考えてみます。人間と同様に猿や、鳥など群をなす動物はたくさんいます。もちろん、群のレベルは生物によって異なり、昆虫のように個体数の多い群から、哺乳類のように数匹の群まで、まちまちです。人間はある意味では家族という群、社会という群を形成しているとみることができましょう。このように考えると、弱い動物ほど、多くの数で群れて助け合って生きているように見えます。しかし、お話はそれほど単純ではないようです。つまり、群れることがそのまま助け合っているということではないということです。もちろん、危険が迫ると、仲間に鳴き声で知らせて、逃げる行動を促すものもあるでしょう。しかし、声を発することができない昆虫や魚などは、敵におそわれる以上に子孫を残そうとするものや、他の生き物に食料を与える代わりに、助けてもらう「共生」という生き方もあります。いずれにしても、ここでお話ししたいのは、強いものが生き残るという、いわゆる個体の適者生存という単純な考え方から、最近は社会的行動による集団的な適者生存という考え方が必要であるということです。つまり、ここまでのお話は、人が互いに思いやるという愛情は、後天的な意識的行動のみならず、生物として生き残るための一つの先天的な知恵でもあるということです。戦争を肯定するつもりはありませんが、国と国とが争う場合も、これは集団がお互いに助け合いながら社会を守っていこうとする本能的な現れです。

§4.社会の形成

 さて、本論に戻りましょう。今回は新しい行政システムを考える上で、他人を思いやる気持ち、すなわち愛情の必要性をお話ししています。これは、行政システムというよりはむしろ、社会システムの構築に必要なことかも知れません。ともかく、愛情がなくては、社会というものが成り立たなく、人々の幸福というものもあり得ないということです。もちろん、システムの効率化や改革もないことは言うまでもありません。そして、愛情は先にも触れたように、そして前回もお話ししたとおり対話がなければ成り立ちません。この対話とは言葉による意志の疎通のみならず、ちょっとした表情や、行動がその意を示す場合も含めます。この辺については、次回、詳しくお話しすることにします。
 いずれにせよ、愛情は先天的なものであると同時に、学習によっても培われる後天的な一面も持っています。こう言うと、教育が重要であるように感じますが、それが全てではありません。むしろ、その人が育ってきた文化的背景による影響が大きいのです。すさんだ世の中では、愛情ははぐくまれません。社会と文化の好ましい循環が人を創っていくといえましょう。

つづく


◆[補足説明]

 本報では、新しい行政システムに必要不可欠な愛情について述べた。これは人間という生物が本来的に利己的であるか、あるいは、利他的であるかに関する議論である。つまり、ドーキンスの「利己的な遺伝子」という概念では説明しきれない利他の行動について示したものである。ここに、適者生存という「適応」から、包括的「適合」という概念を提唱している。単純に遺伝子の数を最大化することを考えても、利己的に適応して行くよりは、集団で環境に適合していくことのほうが有利であることを示している。このとき、個体数が多くなれば、集団内の相互作用を強め、急速な文化的進化においては、広い視野での強調と広い競争の場が必要となってくる。つまり、利他主義とは遺伝的な、すなわち先天的なものとは言い切れず、文化状況に依存しているということにも本文では触れている。そして、今日の巨大社会ではその不安定さが、利己主義と利他主義のバランスを崩していると言える。ルソーの言葉に「人は生まれながらにして自由であるが、しがらみの中で生きる」とあるが、初めから明確な社会慣習はなく、すべては人為的な物であるということを表しているのである。
 このように、新しい行政システムは、その主役である人間を生物として純粋に捉え直して考察を進めていく。そして、報を進めるごとにその、根幹である生命モデルをメタファーとしたオートポイエーシス・システムとしての行政システムを明らかにしていく。

次報は「言葉について」を記していく。

1998年5月 執筆
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