論考

Thesis

【施設出身者として感じた自立への課題】後編

■失敗は成功の母

 「施設坊ちゃん」という言葉がある。これは、この業界特有の言葉だ。私自身、在園中に職員から何度か言われたことがあるし、指導員をしていた時に何回か使ったこともある。確か「井の中の蛙」や「ホスピタリズム」と言う意味で使っていた様な気がする。
 施設で「あの子はいい子だ」と言う場合、職員はどこに基準を置いているのだろうか。私の場合はこうだった。「その子がどれだけ施設生活に順応しているか」だった様に思う。具体的に言えば、起床はきちんと毎朝起きて来るか、声掛けには反抗せず素直に反応するか、職員には協力的か、行事には積極的か、帰園時間は守れているかなどがそうだ。つまり、その子の人間関係能力や社会性、考え方、親への思い、自立心、適性など多面的に捉えるよりも、むしろ子どもが如何に施設に適応しているか、”適応評価”で「いい子」を判断していたように思う。
 もし、このように職員から見られていたら、子どもはどう感じるであろうか。私だったら、プレッシャーを感じてしまうだろう。「いい子でいなきゃ」と。私は施設で生活していた時、学年が上がるにつれ、職員が私に求める期待がひしひしと伝わって来た。そこで感じたのは、「学園のリーダーとしてしっかりしなきゃ」だった様に思う。
 それが、結構プレッシャーになったりもした。「リーダーだから失敗出来ない。職員に迷惑掛けられない」という焦りがかなりあった様に記憶している。しかし、そんな経験をしてきたにも関わらず、指導員をしていた頃は、「失敗してはいけないぞ。いい子にしていなきゃいけないぞ」といった見方を無意識に子ども達にしていた様に思う。
 養護施設の問題の一つに、「施設内で解決されることが多く、なかなか外に広がって行かない」ことが挙げられている。それでは、子どもを捉える視点は、社会の一個人としてより施設の一児童として見がちになってしまうのではないだろうか。
 施設にいる間は、失敗しても指導員や保母さんが必ず庇ってくれる。しかし、そこを出た後は、全部自分の責任で対処していかなければならない。人は様々な経験を通して年を重ねて行く。別な表現をすれば、失敗を通して人間として一回りも二回りも成長して行くとも言える。失敗した分だけ人は大きくなれるチャンスがあるのだ。
 子ども達が社会に出た時につまずかない様、施設にいる間にいろいろな経験ができる環境を用意してあげ、多くの失敗(もちろん成功も)をさせてあげることは、とても大切なことではないだろうか。少なくとも、施設で沢山そのような経験をした子ども程、苦難に強いはずだ。

■私は私、あの人はあの人

 どんな子どもでも何れは、施設を巣立っていかなければならない。その時どのように飛び立って(自立)行くかは、個々の課題でもあるし施設の役割だ。自立は、いろいろな角度で捉えることが出来る。自律、日常的自立、社会的自立、経済的自立、精神的自立などだ。このなかでも特に重要なものは、最後の精神的自立だと私は思っている。
 私は、家族とはどんなものなのか、具体的なイメージが浮かんでこない。「あなたから家庭像を聞いたことがないね」と妻からも言われる程だ。昨年10月には、一児の父となった。「父親としてどう接すればいいのか」、「母親とは子どもにとってどんな存在であるべきか」と考えてみるのだが、困ったことにイメージが浮かんでこないのだ。
 入院していた母に初めて会ったのが中2の夏休みだったこと、家庭で育った経験が3日しかない私には、考えること自体に無理があるのかも知れない。お盆やお正月が近づく時に、必ず思い浮かべたのは、顔も見たことのない母。「お母さん、いるなら迎えに来て」と何度も心の中で呟いたことか。
 彼女に会うまでの私の母親像は、なぜか「マリア様」だった。今思えば、そこに救いを求めていたからかも知れない。とにかく、会いたくても会えない母。思えば思うほどイメージが膨らんで行くのだ。
 加えて、私生児なので父親も全く知らない。「自分は父親がいない」と何となく知ったのは、小学校低学年の時だったと思う。父親のイメージも私にはない。ただ救いなのは、長く私のことを面倒見てくれた指導員が、私のぼんやりとした「父親像」のモデルとなっていることだ。
 厚生省の実態調査によれば、私の様なケースで入所してくる児童は、今では1割弱だそうだ。しかし、全ての子ども達に共通していることは、何らかの形で家庭が崩壊していると言うことだ。
 世間一般で言うところの父親・母親とは、どこかが明らかに違っているのだ。そのことを子ども達は、どれくらい正確に受け止められているのか、私には疑問だ。私の経験で言えば、意外と受け止められていない子が多かった様に感じた。家庭や子どもによって、それは変わるだろうが、大まかに言えば2つに分かれる。過大評価か過小評価のどちらで親を見ている印象を受けた。
 親に対して過大評価を抱く子には、同じよう行動が見られる。例えば、このようなことが時々起こる。それは、滅多に来たことの無い親が急に面会に訪れてくるケースのことだ。その子はうれしくて、極端に言えば親の言う通りの行動を示してしまう。それが、退所間近であればある程、子どもはその親元に走って行ってしまう傾向が見られる。そして、一緒に生活を始めるが、自分が抱いた親と現実の親の姿のギャップを知り、傷いてしまった卒園生や子ども達を、私は幾度見てきたか分からない。
 私がそこで感じたのは、親を一人の人間として受け止められていれば、このような悲劇は起こらなかったのではないかと言うことだ。 「私は私、あの人はあの人」と思えていれば、もう少し違っていたかも知れない。子どもが、ある程度自分のなかで親を受け止められる様になった頃に、その子の家庭状況(児童票)の事実を伝えて行く(テリング)ことが、施設として求められるのではないだろうか。
 親を客観的に見つめられてこそ、初めて精神的自立が可能になると私は信じている。これは施設で育ったすべての人に通じる大事な課題だと思う。

■俺が付いているよ

 「施設出身者は精神的に脆く、弱い」とよく言われる。転職率や離職率が高いのはそのせいなのだろうか。私も決して強くない。むしろ弱い人間だと思っている。そんな私でもここまでやって来れたのは、常に温かく私を受け入れてくれ、絶えず励まして下さった方が側にいてくれたからだ。4年前に亡くなった遠藤光静老師(臨海学園創設者)がその人だ。私が最も尊敬する人である。
 老師には、自分のやりたいことを、自由に好きにさせてもらった印象しか残っていない。思い切って打ち込めたのは、何かあった時には、「大丈夫。俺が付いているよ」と思わせる絶対的な安心感があったからだ。脆く弱い人間ほど、支える人が必要だ。

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草間吉夫の論考

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Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

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福祉。専門は児童福祉。

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