塾生レポート 一覧へ戻る
1998年4月

第2部 新しい行政システム ~ 第1報 「幸せについて」
大串正樹/卒塾生
 

§1.はじめに

 今回からは「新しい行政システム」について述べていきたいと思います。システムという言葉に嫌悪感を示される方がいらっしゃるかとは思いますが、簡単に言うと国民が幸せな生活を営んでいくためには、行政はいかにあるべきかということです。そこで、今回はとりわけ根本的な問題である「幸せ」とはいかなるものかを、この行政システムの中で考えていきたいと思います。

§2.幸せとは

 「幸せですか?」と聞かれて、堂々と「はい、幸せです」と答えられる方は極めて少ないと思います。日本人特有の国民性から来るものなのか、はたまた、謙虚さの現れか、その根拠は計りかねますが、(本当に不幸のどん底にいる人は別として)大方の普通に暮らす方々が、そのように答えられなくても不思議ではないでしょう。では、なぜ幸せ感がそんなに薄いのでしょうか。その前に幸せとはいったい何なのか、あるいは幸せとは一体どういう状態を指すのかを明らかにしておかないといけません。かっちりとした尺度はありませんが、普通に考えれば、幸せとは今までよりいい状態になったときと考えられましょう。あるいは、他の人よりいい状態であるときも、やはり幸せな気持ちを味わうことができる場合もあります。もっと謙虚な方なら、何事もなく過ごせるとか、他の人と同じ状態であることを幸せと感じる場合もあります。このように考えると、幸せはその前後の状態や、回りの状況、さらに幸せを感じる、その人の気持ちの状態によって大きく左右されるものであることがわかりますから、幸せ自体を定義することは困難を極めます。
 それでは逆に、不幸せについて考えてみましょう。幸せとは不幸せの状態が極力少ない状態と言い換えることができますから、これは何となく考えてみる価値があるようにも思えます。不幸せ、それは簡単にいうと、思い描いた状況からかけ離れた場合と言えないでしょうか。誰しも理想は持つものですし、それに向かって何らかの努力はするでしょう。しかし、そのすべてが実現するはずはなく、たいていは理想と現実の間で妥協点を見つけて、これをよしとする状態がほとんどではないでしょうか。この妥協点や理想以上に良い結果がもたらされた場合は、とても幸せな気分になれるわけですから、理想を低く持てば幸せ感は味わいやすいことでしょう。しかし、現実には、それぞれの経験や状況から、ある一定の理想の目安が存在していて、簡単にこれを変更することはできないと思います。従って、不幸せの原因である理想と現実のギャップをいかに縮めるかが、幸せ感を高める鍵となるでしょう。

§3.理想と現実のギャップ

 話が少しそれましたが、今回は行政システムにおける幸せの定義をお話しすることが目的でしたから、その辺をもう少し考えてみましょう。これまでにお話したように、幸せとは不幸せの状態が極力少なく、さらにこのことは、理想と現実のギャップが小さい状態を指すわけです。従って、本来あるべき国民を幸せにする行政システムは、この理想と現実のギャップを極力小さくするように働くことが望まれます。しかし、今の状態からいきなりそのレベルに到達することは、何とも無茶な話で、さしあたっては、理想と現実のギャップがあってもそれが納得のいくものであること、これを目標としましょう。少なくとも今の国民が腹を立てているのは、官僚の汚職や、縦割り行政でなかなか事が進まないという、理想を歪めるような納得のいかない状況に対してであります。

§4.社会の中の個人

 ここまでの話の中で重要な点が抜けています。それは社会という考え方です。人は社会的動物であるという考えからすると、個々人がそれぞれに幸せを求めていては決して皆が幸せになることはありません。俗な例えですが、ある人がお金持ちになりたいと思えば、その反面では誰かがお金を失わなければなりません。つまり、誰かの幸せは、別の誰かの不幸せの上に成り立つとも考えられる訳です。そこで、必要になるのが利害調整であり、これによってもたらされた均衡状態が、先の理想と現実のギャップにおける妥協点と言えないでしょうか。しかし、誰もが納得のいく妥協点を見つけるのは極めて困難なことのようにも思えます。そこで必要な考え方が、他人を思いやる気持ち、すなわち愛情です。これについては次回に譲るものとして、ここでは、もう少し、その背景について触れることとしましょう。

§5.対話の中から

 幸せとは不幸せの少ない状態、そして、その状態とは理想と現実のギャップが小さいか、あるいは、理想と現実との間の妥協点が納得のいくものであることと述べてきました。そして、行政システムに求められるものは、その妥協点を皆が納得行くように導き出すことではないでしょうか。そのために必要なものは、第一に個々人の理想や現実の状況を行政に正確に伝えるということです。それでは、どうやってこれを行政に伝えるかですが、現実には「お役人」とか「官僚的」という言葉の裏側に、個々人の気持ちを理解できない鈍感さに対する皮肉が込められているように思います。加えて、個々人の間でも私利私欲に走って、社会というものをまったく無視している方々も見受けられるようです。結論をいうと、個々人の間で、さらには、個人と行政との間でまったく対話がなくなってしまったからであると考えられます。このことは新しい行政システムの構築において最も中心的なテーマであるので、回を改めて述べていきたいと思います。

つづく


◆[補足説明]

 本報では、新しい行政システムにおける目的として、国民の幸せについて述べた。行政システムを論じる場合、よくされる質問に、「それで本当に国民が幸せになれるのですか?」というのがある。得てして理論に偏って、本筋を忘れられることが多いこの種の議論であるが、ここで求めていく行政システムとは、あくまで国民が主役で、彼らの幸せを実現するシステムであることをここに断っておきたい。
 さて、本報前半では幸せの決定不能性について言及している。先の「幸せはその前後の状態や、回りの状況、さらに幸せを感じる、その人の気持ちの状態によって大きく左右されるものであること」という表現に関しては、以下のように数式でその概念を示すほうが分かり易いかと思う。まず、前後の状態、すなわち幸せの時間依存性についてであるが、幸せを示す関数(後述)をHとすると、時間項は(∂H/∂t)で示される。次に回りの状態、すなわち他人の状態に対する依存項は、同様に、(∂H/∂x)で示される。但し、回りの状態は一つとは限らないため、正確には、その総和で示す必要がある。故に、Σ(∂H/∂xi)となる。問題は、個々人の気持ちによって左右されるという点で、Hは時間tや回りの状態xi以外に感情の関数になっているということであり、この感情の項はさらに、その時点での幸せの状態にもよることから、この非定常非線形の偏微分方程式は、パラメータの特定以前に解を求めることが不可能であることは容易に想像がつく。
 本報後半では、少なからずオートポイエーシス・システムの概念に触れている。オートポイエーシスとは換言すれば「自己創出システム」でマトゥラーナとバレーラという生物学者が提案した生物系の社会システムである。これは細胞単体を自己創出システムと捉えて、その集合体である生物を更なるメタシステムとして捉えることによって、全く新しいシステム論を展開している。その特徴は一言でいうと、閉ざされた開放システムという一見自己矛盾する概念であり、システムは作動によってのみその境界を決定しうるという興味深いものである。しかし、彼らの業績は未だそのシステムの概念の提唱にとどまっており、これを社会に応用するという域には至っていない。ここで提唱する、新しい行政システムとはまさに国民一人一人をオートポイエーシス・システムとして考え、新しい国家観を提唱する事を究極の目標としている。これについては、少しずつ、報を重ねるごとに触れていきたいと考えている。

次報は「愛情について」を記していく。

 

1998年4月 執筆
ページの先頭へ