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1997年12月

第1部 財政再建序論としての行政改革 ~ 第10報 「財政投融資の改革(2)」
大串正樹/卒塾生
 

§1.行革の入口

 前報で述べた要点をもう一度振り返ると,財投はあくまで「借金」であるため返済が必要な資金であること。さらにその融資先,あるいは目的は,あくまで限定されたものでなければならないことであった。すなわち道路建設など受益者負担を求めるべき政策分野や,各種の金融公庫のように自助努力を求める分野,あるいは市場のメカニズムになじまない分野への融資,さらに住宅金融など民間の補完分野など原則的にはそれなりに財投の必要性を訴える上での意味は通じる。しかし,ここに矛盾がある。「借金」であるということは,いわば,赤字を出してはいけないということであるが,逆に,黒字を出せるなら敢えて政府が口を出さなくとも民間で運営可能であるということである。従って,借金でありながら赤字を出す可能性が十分にあり,それでも,政策的に行っていかなければならないというのが「財投」であるという認識が必要である。突き詰めれば,このような行政の本質的な部分で,これまでの常識(あるいは愚行)に疑問を投げかけて,本来の意味を正確に把握し,そのために何をすべきかを議論していくことこそ,まさに行革の入口であろう。

§2.一般会計と財投

 借金でありながら赤字を出す可能性がある。先に述べた金融的手法による財政政策としての財投が,これからも有効に機能していくためには,根本的な認識を変える必要がある。しかし,確実に赤字がでていいという意味ではない。利益を度外視してでもやらねばならないこと(すべてではないが社会保障,教育,国防など),それはもはや一般会計で取り扱うべき案件である。従って,本来,財投はより厳しいコスト意識が要求されるはずである。ましてや,その資金が広く国民からの借金であればなおさらである。そのためには,言い古された言葉ではあるが,徹底的な情報公開と,そのチェックが必要不可欠である。そして,もし,厳しいコスト管理と合理化によって政策的に財投を運用していったにもかかわらず,赤字がでたならば,それは堂々と一般会計で補うべきである。逆に,その場合,一般会計すなわち国民の税金で補うに十分な理解が得られるような,経営努力と情報の公開による公平性が求められるのである。

§3.失敗の本質~国鉄債務と林野事業

 それでは一体,財投の失敗の本質は何だったのであろうか。結果として,財投では対処しきれなくなった旧国鉄債務を抱える国鉄精算事業団や,毎年赤字を垂れ流し続ける国有林野事業に,それは顕著に見られる。赤字体質をひた隠しにして,財投,すなわちシステムの維持のために資金集めに奔走してきた,つまり,借金を返すためにさらに借金を重ねてきたからである。本来ならば経営情報を公開して,その存在意義を議論すべきであったのに,いわゆる「隠れ借金」として先送りの処理を続けてきた結果と言える。既得権益の保護,縦割り行政,族議員の利権等々今の政治の悪い部分がすべて現れた象徴的存在であったのかも知れない。資金運用審議会(蔵相と郵政相の諮問機関)は,その提言のなかで財投機関への「コスト分析手法」の導入を提言しているが,これは逆に,なぜ今までなかったのか疑問になるぐらいである。失敗の本質は経営感覚の欠如と言ってしまえばそれまでであるが,行政の効率化を迫られる今,遅かったと言われようとも,断固として進めていく改革の中心課題であることは自明である。もちろん,政治そのものも襟を正す時期はとっくにに過ぎている。

§4.財投債と財投機関債

 さてここで,もう少し具体的な財投改革の議論に触れてみる。財投改革の議論で忘れてはいけないのが財投債と財投機関債の議論である。郵貯や年金資金がこれまでの大蔵省資金運用部への完全預託を廃止し全額自主運用が決まると,今後,財投資金は独自で調達しなければならない。その方法として,以下の2つの債券発行が考えられる。
①財投債
 国が一括して債券を発行して市場から資金を集める方法。メリットとしては低い資金調達コスト,政策的に低い利潤の事業にも資金供給が可能,国会議決が必要で肥大化を防ぐなどがあげられる。一方,問題点としては市場の評価を受けないため,効率化や情報公開が進まないなどがあげられる。本来,財投は民間が手がけない利潤の低いものも対象とするため,市場から資金を調達することが難しい事業も多分にある。従って,財投債のメリットが強調されるが,本質的に国債と変わらず「第二の国債」となることが懸念されている。
②財投機関債
 財投機関が独自に資金を集める方法。メリットは市場原理にさらされるため効率の悪い財投機関が淘汰される,情報公開が進む,従って,財政負担が軽減するなどがあげられる。また,問題点は収益性の低い事業は資金調達コストが上昇(利率の高い債券が必要),政府機関が倒産することは考えにくいから市場原理は完全には働かない。従って,財投機関債の発行は,その最大のメリットである市場原理がどこまで働くかであるが,一般会計から出資金や利子補給を受けるため,暗黙の政府保証があるとみなされあまり期待できない。つまり,安易に考えれば中途半端な情報公開にとどまる可能性がある。

結局は,財投債も財投機関債も一長一短である。資金運用審議会はそれぞれのメリットを生かせるような,折衷案(両方の発行をにらんだ二本立て案)を提言しているが,具体的にそのどちらを主体とするかで様相は大きく変わる。特に大蔵省の権限を維持しようとする動きや政治家たちのなわばり意識が今後の議論を歪んだものにすることは間違いない。

§5.財投の必要性

 前報で財投の必要性はなくならないと述べたが,その意味はやはり原則に立ち返って考える必要がある。冒頭にも述べたような,受益者負担を求めるべき政策分野・自助努力を求める分野・市場のメカニズムになじまない分野への融資・民間の補完分野などまだまだ財投が必要な場面は多々ある。97年度財投の主な内訳は,住宅27.0%,生活環境整備14.2%,中小企業10.0%,道路7.4%などであり,国民生活に欠かせない項目が並んでいる。しかしそれが,必要であることと,必要であり続けることは全く別である。結局,財投とは上記の原則に基づいて,民営化できる事業は民営化し,明らかに採算が合わない事業は国民のコンセンサスを得て,一般会計に組み込むことが前提となってもいいのではないだろうか。あるいは,十分な国民のコンセンサスが得られれば,特定財源(目的税)を設けて特別会計に移管することも可能である。すなわち,財投というシステムは国民生活に必要で,かつ,すぐに採算が合わない事業を育てていくプロセスで活用すべきであって,それが永遠に続く政府事業という認識を捨てることが肝要であると考える。その認識に立って厳しい目で見つめてこそ,財投の必要性を唱える説得力が生まれるのである。

§6.おわりに

 財投の肥大化に端を発した行政改革は,結局,財投そのものには抜本的改革のメスを入れられないまま,単なる数あわせの省庁再編に終始して,その幕を閉じようとしている。そして申し訳程度に,昨年末決まった98年度予算の大蔵原案,政府案で一般財投が前年比-6.8%と減額となった。今後,郵貯資金の完全自主運用が実施されていく中で,財投改革がどのように進んでいくかは予断を許さない状況であるが,病める日本に必要なのは,西洋医学的な外科的治療よりも東洋医学的な体質改善であることを,もう一度認識してもらいたい。その願いを込めて,次報より,本テーマである「第1部 財政再建序論としての行政改革」の総括を論じていきたい。


次回,第11報は「総括:本来の行革とは(1)」

1997年12月 執筆
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