論考

Thesis

「日本になくてデンマークにはあるもの」後編

■医療はどのようになっているのか
デンマークの医療は、家庭医制度(ホームドクターシステム)が基本で、風邪をひいたり、ある日突然、急性虫垂炎になってしまったり、あるいはちょっとした疾病の手術などは、家庭医の所で診察や治療を受けることになっている。
診察料は基本的に無料。家庭医の身分は、公務員ではなく、一般開業医だ。
彼らの所得は、基本的には、クライエントの数の割合に応じた基本登録料と、診察や往診の報酬料に分かれ、県から支給される。平均年収は1000万くらいだそうだ。
市民は市に住民登録をした際に、国民保険に加入(国民背番号制)して、保険証をコミューン(基礎自治体:市)から支給される。千葉さんにお願いして国民保険証を見せてもらった。それは、日本のような紙で出来た保険証ではなく、Tadao/Chibaと書かれた名前、住所、電話番号、国民背番号と家庭医の名前、住所、連絡所などが記載された、銀行のキャッシュカードによく似たイエローカードだった。
平均して人口約1600人に対して、1人の基準で家庭医が配置されており、市民はコミューンに登録されたリストから、自由に家庭医を選ぶことになっている。国内の家庭医数は3200人だ。滞在した人口6000人のボーゲンセ市では、3人の家庭医が、町の中心地に共同で診察所を持ち診察に当っていた。診察時間は、朝8時から夕方4時までで予約が必要だ。
例えば、どうも家庭医と相性が合わないとか、適切な診察をしてもらえず、変更を望んだケースが起った場合、年に1度の割合で変えられることになっている。実際にこのようなケースはあるのかと関係者に尋ねたところ、「ほとんどなく、皆無に近い」とのこと。長年に亘って家族全員が同じ家庭医を主治医とするケースが多いようだ。
滞在年数が長い千葉さんの話しによれば、デンマークでは、風邪で医者に罹る習慣はなく、寝て治すのが普通とのことだ。以前、千葉さんの学校の生徒さん(日本人)に、風邪をひいたので診療所へ連れて行ってくれないかと強く頼まれ、止むを得ず、診察所に通院させたことがあったそうだ。その時、医師から、「チバ、なぜ風邪ぐらいで連れてきたんだ。薬などはない。寝て治しなさい」と言われて怒られてしまったそうだ。そのくらいにここの人達は、風邪は病気ではなく寝て治すものと考えていると、千葉さんから教わった。
また、保育園と幼稚園を見学した時、「外気温が晴れてマイナス15度まで下がらなければ、子ども達に防寒着を着せ乳母車に乗せて、外で昼寝をさせます。もちろん、晴れた日は、思いっきり外で遊ばせますよ」と説明を受けた。日本の保育園や幼稚園でマイナス気温になったら、風邪でもひかせたら大変だということで、外では遊ばせないないだろう。病気や健康に対する考え方の違いを大きくかんじた。
はっきりしたことは言えないが、医者に罹る回数(受診率・通院率)は、日本よりもずっと少ないのではないか。つまりそれが、潜在的な医療費の抑制に繋がっているのではないかとかんじた。
家庭医ではとても手に負えない癌や脳梗塞といった、より専門的で高度な治療を必要とされる病気を患った場合は、掛り付けの家庭医から専門医(開業専門医は、800人)を紹介してもらい、予約を取ってから診察と治療を受けることになる。
専門医療は、コミューンの診察所で行われるのではなく、アムト(県)に設置された病院で多くが行われる。民間病院は国内に数ケ所しかなく、その他は県立病院だ。
入院日数が日本に比べて遥かに短く、平均して7.5日だ。1993年のヘアレウ県立病院の実績では、内科で7.3日、外科では5日という結果を出している。 なぜこれだけの日数で退院出来るのかと言えば、一つには診察や治療は病院で行い、リハビリやケアーはリハビリ専門病院やリハビリセンターで実施しているからだ。つまり、医療とケアーを完全に分離されているから、この数字が可能となる。
ほとんどの疾病が家庭医の対処で済む制度をもつデンマークの医療制度は、過剰投薬や過剰医療行為(検査漬けなど)が成立しにくいため、日本で問題になっている無駄な医療が行われにくい。医療費高騰で悩んでいる我が国の医療の在り方を考える際に、参考になるのではないか。

■どのような教育が行われているのか
まず基礎教育といわれるものがある。これは3つに分かれ、5才・6才の児童を対象とした一年間の幼稚園クラスと、6才・7才から始まる日本の義務教育に相当する国民学校の9年間の一貫制教育と、生徒個人の精神的成熟度や学力の熟達度を加味しながら、生徒自身で自己決定する10年生クラスがある。
国民学校の9割は公立。授業料も無料だ。但し私立に通学する場合は、15%の費用負担が必要だ。国民学校法に基き、各学校は運営されている。
1クラスの生徒数は、28人を絶対超えてはならないと規定されている。いくつか学校を実際に見て回ったが、日本と比べれば生徒は随分少なく、16人から20人くらいが平均だ。
学校で宿題を出されることは全くない。夏休みや冬休みといった長期休暇にも課題学習といったものは一切ない。長期の休みになると、子ども達は家族と一緒に旅行に出掛けたり、海へ泳ぎに行ったり、ハイキングをしたりして遊んで過ごしているとのこと。少年期に一番必要とされる情操面が、この期間に大きく育まれている。
学期や進級の度に、担任から手渡される通信簿といったものは、8年生までない。9年生になって初めて通信簿がもらえる。それまでは、年に2回ほど開かれる保護者面談で、担任から成績ではなく、学力の熟達度を知らされるだけとのこと。千葉さんのお子さんの時もそうだったらしく、ほとんどの場合、「あなたのお子さんは、何も心配いりませんよ」とあっけなく言われて、終わってしまうそうだ。
例えば教科書は本人の学力の程度(熟達度)によって変わり、その子の学力にあった教科書を授業で使って指導している。同じ教科でも教室の子ども達の机には、何種類もの教科書が置かれてあった。全員で同じ教科書を使わないため、均一的な授業内容になりにくく、競争する必要がなくなってしまうとのことだ。
「このメリットは、このような教育を通して、彼らの中に『人間はみな対等だ』と言う福祉に一番必要な平等意識が、小さい時から培われること」と、千葉さんは語る。
「いじめはないのか」と訪問した学校の教師に質問してみた。返ってきた返事は、「喧嘩はちょくちょくあるけれど、いじめのようなものはない」とのこと。デンマークでは、千葉さんが語るように、この教育の効果がそれを物語っているのかも知れない。
対象となる児童すべてに教育を受ける義務があるが、学校に行って学ぶ就学の義務はない。極端に言えば、学校へ行きたくなければ、教師を雇って学んでも良いことになっている。しかしこのようなケースは、障害児を除いてほとんどないとのこと。
「不登校児童はいるのか」と続けて尋ねてみると、「いない」とあっさり言われてしまった。このような教育をすると、いじめはなくなるのだろうか。一考の余地がありそうだ。
各国民学校には、学校管理委員会の設置が義務づけられており、メンバーは選挙で選ばれた保護者、教師・職員の代表と生徒代表で構成されている。教科書の承認や校則の作成、あるいはクラスの編成、学校行事の準備などなど役割は多岐に亘る。メンバーの中に生徒も入っていて、大人と一緒になって学校運営に参加している取り組みは、注目に値する。
また、日本で見直されている文化の伝承や、道徳・宗教の教育がこの国では、国民教育法の中(1条・6条)にきちんと規定されている。これは、大いに参考になるところではないだろうか。
基礎教育を終えて、次に学ぶ場として第2次教育の高校がある。こちらでは「ジナジウム」と呼ばれている。費用負担は、国民学校と同じだ。県立高校は95%を占め、私立が圧倒的に少ない。
1992年の統計によれば、高校の進学率は約33%だ。さらにそこから上の大学や高等学校へ進む人の数は約15%とぐっと少なくなる。高校へ進学しなかった若者は、基礎職業訓練学校や高等商業・技術学校へと進む。
日本と大きく異なるのは、本当に勉強したい人が、あるいは必要とする人が進学する点だ。ここの若者達は、自分の関心のある学校や、能力に適した学校で学ぶシステムと文化があり、知識偏重型で学歴主義の私たちの社会とは全く異なる。
この他にも、国民高等学校や成人教育などいくつかの教育機関があり、だれもが何時でも学びたい時に学べるシステムが用意されている。これが、この国が、「ゆりかごから墓場までの教育」と言われる所以だ。

■この国が誇る福祉はどうなっているのか
道を歩いていて突然、後から来た車に跳ねられ、半身不随の身体障害者になってしまった。何らかの行政(福祉)サービスを受けたいと希望すれば、その際、障害者手帳が必要になり、市の障害福祉課で手続きをしなければならない。そして身体障害者福祉法に基づいて、サービスを受けることになる。
あるいは、自分の祖父母を自宅で面倒見られなくなり、老人ホームの入所を強く希望した場合も、先ほどと同じような手続きが必要だ。市の老人福祉課に出向き、手続きを取らなければいけない。申請後に老人福祉法に沿ったサービスを受けることになる。これは、福祉サービスを受ける時の、日本で行われている実態だ。
初めて福祉サービスを利用する人や、どのようなサービスがあるのか知らない本人とその家族などから、問題や年齢によって窓口が変わる今の制度に対して、「利用しにくい。窓口を一つしてほしい」という要望が強く聞かれるそうだ。これは、病院の診察状況にもよく似ているし、縦割り・縄張り行政の縮図がそこには見られる。
デンマークでも過去には日本と同じような問題を抱えていたが、1974年にこれまであった福祉関連の法律をすべて一本化し、2年後に「生活支援法/Bista-ndslov」を施行した。この法律によって、「すべての人が何らかの原因で日常生活に支障をきたす」ことがあっても、”一つの窓口で”今までより手間と時間をかけず、各種の福祉サービスが受けられるようになった。
我が国の福祉や医療分野(病院など)でも、細かくなり過ぎた組織や役割を見直す動きが出始め、インテグレーション(統合・総合化)への試みが行われているが、デンマークではすでに20年以上も前から取り組んでいる。
また、政府がこの法律のために大きな改革を進めたのも見逃せない。地方分権がそれだ。そして、それによりそれまで1300もあったコミューン(市)を275まで減らして、政治行政組織を再編した。コミューンの平均人口は約20000人になり、より効率よく・より素早くなった福祉サービスの提供が可能となった。
デンマークの福祉行政は、地方分権によっていたって簡単な構造となった。
国は、政策の方向性の決定および、法律の大まかなガイドラインの作成と予算の管理を担当するだけとなった。そして実際にそれを実行するのは、障害福祉(県が担当)以外は各市町村(コミューン)が担うことになった。
コミューンの予算は市町村税、固定資産税と国・県からの地方交付税で構成され、国のガイドラインに沿っていれば、予算をどう使おうが各コミューンが独自の判断で使って良いことにもなった。つまり、「国は金は出すが、使い道に関しては一切口出ししない」と言うことだ。どこかの国とは随分と違う。
デンマークの国家予算に占める社会福祉費の割合は約43%だ。各コミューンの場合では、もっと上がり大体60%位だ。そのうち高齢者福祉費は3分の1以上を占めている。
ボーゲンセ市の年間予算書を千葉さんから見せてもらった。それによると、1997年の社会福祉費は全国水準をやや下回る55%となっていた。
コミューンの高齢者福祉の方向性を決める際、その中心的な存在となっているのは、選挙で選ばれた高齢者達だけで構成された「高齢者委員会」だ。そこでは、行政や市議会に対して提言をしたり、高齢者住宅の建設要望書を出すなどの活動を行っている。1997年1月1日よりすべてのコミューンに設置義務され、役人や政治家達だけで、高齢者福祉の方針を決定していないところが大きな特色だ。
では実際にどのような福祉が行われているのか。この国が誇りにする高齢者福祉を紹介してみたい。
デンマークの高齢者福祉のサービスを受ける場合、費用は基本的に無料だ。そして3つの大原則に基づいてそれは行われている。
「継続性」がその一つ。体の機能が低下し普通に生活することが困難になった時、従来はナーシングホーム(老人ホームに相当)に入所することが考えられていた。しかし、「高齢者が環境を変える度に老化現象が進む」と関係者から指摘されるようになったことや、ホーム建設に伴う老人福祉費増大の問題などから、「できるだけ住み慣れた環境で長く生活する」を原則に、それを可能にするためのホームヘルプや住宅改造補助などのサービスを、社会が提供していくことに変えられた。
現在では、「生活の継続性」を重視する立場をとるため、自宅と環境が大きく変わるナーシングホームの建設は、どこのコミューンでも行っていない。つまり、「在宅福祉」が基本だ。
仮にナーシングホームで生活することになった場合は、家具、電話、テレビ、衣類、日用品など、自宅で長く使っていたものをホームの中に持ち込むことが出来、2DKとお年寄りの機能(ADL)に合せて改良されたバス・トイレ付きの個室に入居(入所とは言わない)することになる。これがこの国のナーシングホームのスタンダードモデルだ。
ボーゲンセ市のあるナーシングホームでは、ホーム内の廊下を市が正式に一般の公道として認め、各部屋の入口の壁にはそれぞれの番地を表す番号と氏名が表示されいる。しかも入口ドアには、郵便ポスト受けが付き、配達員が手紙を差出人まで届けに来てくれることになっていた。また、家族や友人に手紙を書いた時は、ホーム内に設置されているポストに投函さえすればそれで済む施設の作り方がされていた。まるでナーシングホームの中に「自宅」があるといった印象を持った。4人部屋が当たり前とされ、私物もあまり持ち込めない日本の老人ホームとのギャップにカルチャーショックを受けてしまい、閉口してしまった。
「高齢者は今までと同じ場所で生活を継続できる」ことを、しっかりと保障している取り組みに、人間の尊厳を重んじる文化をかんじた。
2つ目が「自己決定」だ。お年寄りの人権や立場を尊重し、お年寄りの問題は、あくまでもその本人が自分自身の考えや希望に応じて、主体的にサービスを決定することに変えた。
これに伴い老人ホームに入居する場合は、たとえ本人が痴呆症でも承諾とサインが必要になった。またそこでかかる食事、クリーニング、娯楽代といった費用の支払いは、すべてそこに勤めるスタッフが代行していたが、それを改め本人が自らが行うようにもした。朝食を摂る摂らないを選択するのも、映画を見る見ないを決めるのも、すべて本人次第だ。各々が自分の予算内で決めればいいことになったのだ。日本の老人ホームでは、お金や日中の過ごし方は施設で管理しているのが多いのではないだろうか。
そして、この国のどの老人ホームへ行っても、必ずと言っていいほどあるのが、そこに入居している人達だけで構成する「利用者委員会」だ。自分達だけのパーティーを企画したり、生活環境の見直しを討議するなど、活発な活動をしている。
私はそこに「自分達の生活は自分達で考えて自分達で快適性を自主的に作り出していこう」とする積極的な姿勢とデンマーク人の力強さをかんじた。
コミューンに設置されている「高齢者委員会」と言い、施設にある「利用者委員会」と言い、当事者達の立場や意見を尊重する文化をデンマークは持っている。
3つ目が「自己資源の開発」。デンマーク人は「何らかの能力や機能がある限りは、それを開発して活用していく」考えを持っている。アンデルセンが生まれた町として知られるオデンセ市のあるデイセンターを訪れた時、傍から見れば動きもゆっくりで、何となく危なっかしく廊下を歩いているお年寄りを見かけたが、スタッフは、手を貸さずちょっと距離を置いたところから見守っているだけだ。もし、私がスタッフだったらすぐ手を差し延べてしまっただろう。
「あのお年寄りは大丈夫ですか」とそのスタッフに質問をぶつけると、「何でもしてあげることは、その人の持っている歩こうとする能力(残存能力)の目を摘んでしまうことになってしまいます。本人には害になっても益にはなりません。手を貸さないことも大切な仕事の一つです」と説明してくれた。食事の時でも、移動の時でもスタッフはあまり手を出さない姿が、とても印象深く残っている。
同行した千葉さんが、「自分で出来ることは自分でする。自立支援のための援助を、この国ではモットーとしています」と教えてくれた。
「デンマークには寝たきり老人はいない」と噂では聞いていたが、正直なところ半信半疑だった。施設やデイセンターなどでは、車イスをよく見かけたが、どこへ行っても最後まで寝たきり老人を見かけることはなかった。
日本では、寝たきり老人の介護が大きな社会問題の一つになっている現状と比べると、違いは雲泥の差だ。

■違いは一体何なのか
医療・教育・福祉の視察を終えて、まずかんじたことは、「すべてにおいて日本とデンマークは違い過ぎる」ということだ。しかし、これは歴史も違えば文化、宗教、言語などなどが両国はまるで異なるので、社会システムが違って当然だし、自然な成り行きだ。
ただ、私にはデンマークは遠くて違う国だからと、簡単に片づけられないものをかんじている。つまり、「日本になくてデンマークにはあるもの」が存在するのではないか、そんな気がしてならない。それは、何なのかまだはっきりとしないが、一つだけ述べるならば、「どのような国家像にするのか」という価値観を社会全体の合意として、この国は持っているとかんじたことだ。
それは「高福祉高負担」に象徴されている。国民は高い税金を払ってでもいいから、「その恩恵として生活に関することすべてを社会から保障してもらう」ことを良しとしていることだ。
向こうへ行くまでは、「高福祉高負担」を果たして本当に皆んなが賛成しているのか、とても懐疑的だった。いろんな人に「負担感をかんじますか」と何度となく聞いてみたが、返ってきたのは「負担をかんじないと言えばウソになるが、保障されているから何ともない」という言葉が一番多かった。「今のままでいい」と言う合意形成が、社会一般に定着していたのが驚きだった。
では日本はどうだろうか。福祉の在り方一つとってみても社会的合意はされていないだろう。
日本政府は2025年に想定する国民負担率を50%を超えない範囲に抑えると発表した。しかし少子・高齢化がさらに加速する中、有効な手立てが打てていない現状では、近い将来経済力が低下し、国民負担率50%を超えてしまうのは必至だと見る専門家は多い。 国民負担率50%を中福祉中負担として考えた場合、国民の中にはいや高福祉高負担で行くべきだと主張する人もいれば、低福祉低負担の自助努力を信条とする人もいる。
私が問題だと思っていることは、仮に今挙げた3つのうちのどれかを選択したとしても、それは一向に構わない。ただその前に前提となる「どのような国家像にしていくか」という価値観が確立されているのかどうかが大きな問題だと思っている。すばらしい制度を作ってみても、価値観が確立されていなければ、所詮”仏作って魂入れず”と同じではないかと思う。
「どのような国家像にしていくのか」という前に実は、「どのような人間観を持つか」ということの方が、もっと重要な価値観だと私は思っている。
デンマークにはそれがあったかんじがする。「ヒューマニゼーション」がそれだ。どのような人間であってもすべて同じだとする考え方だ。だからたとえ障害者だろうがお年寄りだろうが、普通の人と可能な限り同じように生活するのは当然だする考えを持っている。そんな価値観を彼らは持っている。それを前提として「高福祉高負担」があるのだ。
日本はどうであろうか。福祉の在り方を考える前に、まずその辺の所を深く考え、確立して社会的合意をつくっていかなければならないとかんじる。
日本にいま必要なことは、外国の福祉制度の取り入れることでも、ニューゴールドプランを実現することでもない。「人間をどうとらえていくか」という価値観作りこそが何よりまして大切だ。
ここが、「日本になくてデンマークにはあるもの」を、私が強くかんじたところだ。同時に今回の視察で一番大きな収穫となったものは、このことをかんじられたことだと思っている。

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草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

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福祉。専門は児童福祉。

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