論考

Thesis

日本のビジョンを議論せよ!!~憲法前文の改正に向けて~

日本人は、いつも思想は外からくるものだと思っている。・・・この場合の思想とは、他の文化圏に入りうる-つまり普遍的な-思想をさす。古くは仏教や儒教、あるいはカトリシズム、回教、あたらしくはマルキシズムや実存主義などを念頭においていい。(司馬遼太郎『この国のかたち』冒頭文)

1.日本の国家ビジョンが語られるべきではないか

 憲法改正議論の歴史は古い。憲法改正の議論が出てくるたびに、憲法擁護という名の憲法改正阻止派が、時期尚早だとか軍国主義への逆戻りなどという極めて稚拙な理屈を持ち出して反対してくるが、もはや改正か否かを論議をする段階ではなく、いかにして憲法改正を実現していくかという段階にきている。具体的にどの部分がどのように改正されるべきかなどの意見も出尽くした。我々に必要とされているのは、もはや議論することではなく、改正を実行することである。

 しかしながら今一度憲法改正議論を振り返り、各憲法改正の論点ごとの論争をつぶさに見ていくと、日本の将来像を語らないままに各論点の政策的な議論がなされていて、一体何のために改正を実現していくのかが分からないものもある。例えば憲法9条の議論は、現状に即して憲法を改正すべきであるという意見が多く、日本の国家ビジョンが語られることは稀である。憲法改正にはこの国家ビジョンを議論していくことが重要だ。

 日本の国家ビジョンは日本の骨格である。日本という国家の骨格は何か。それは憲法前文である。日本国憲法成立後60年が経過した現在、時代認識と国家の歴史観を踏まえて、憲法前文の改正を議論していくことが憲法改正論議において最も重要なことなのではないだろうか。これまでに中曽根康弘元首相や小沢一郎氏などの政治家や堺屋太一氏や松下幸之助松下政経塾塾主などの論壇、実業界の重鎮がそれぞれ日本の将来像について優れたビジョンの提起と啓蒙を行ってきたが、日本国全体で共通して語られた国家ビジョンというものがないように感じる。

 本稿ではまず、憲法改正の一番重要なこととして国家ビジョンを議論していくべきであることを提起することを目的とする。その議論の前提となる日本国憲法前文や大日本帝国憲法の発布勅語などを再検討し、日本の国家ビジョンというものがいかに憲法前文の中に集約されているかを検討する。そして、日本の国家ビジョンを語るために我々が囚われてはならないものを考察する。

2.日本国憲法前文における問題の所在

 日本国憲法の前文はそれ自体、先の大戦をそのまま背負っている。あらゆる国の憲法、政治システムなどは必ずその国の発生形態、歴史が反映されているが、日本国憲法の全文は先の大戦の戦後直後の時代認識が極めて強調的な表現の中に込められている。

 例えば「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という一文は、なぜ国民主権という国家ビジョンが提起されたのかという極めて明確な根拠を提示している。

 さらに「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という文章によって、先の大戦の戦前にだされた特別法令によって戦争を招いたという解釈がこめられている。

 次に日本の国家ビジョンの一つである“平和主義”に関する記述においても同様のことが見受けられる。第二段落冒頭で「日本国民は、恒久の平和を祈願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと自覚した」という平和主義の原則論をのべるだけにとどまらず、「われらは平和を維持し、専制と服従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と国際社会への配慮を憲法の中で明記しているのである。

 一般的に日本国憲法の三大理念として、“国民主権”、“平和主義”、“基本的人権の尊重”が掲げられているが、この憲法前文の記載を見る限り、実は三大理念より最も重要な理念が明記されている。それは“国際社会との強調”である。第一段落と第二段落で、三大理念を記述した上で、第三段落をすべて使って、「われらはいずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と先の大戦での反省を十分に行い他国との協調を重要視することを国際社会に向かってを発信しているのである。

 このように憲法前文は、我々国民に向けて発信されたものというよりも、戦後直後の国際社会、とりわけ連合国に向けて発信された要素がある。私はこの憲法前文では、少なくとも我々が“理想の国家像とはどのようなものか”、“日本の国家とは何か”という理念やビジョンを語り、我々日本国民に向けて発信されるべきものでなければならないのと考える。

 当然日本国憲法前文の理念やビジョンは、素晴らしいものであり踏襲していくべきものであると思う。しかしながら、60年が経過した現在の時代認識を踏まえて、戦後50年間日本が国際社会に果たしてきた役割、さらに21世紀のあるべき日本の国家像、さらに日本の良き伝統的精神を加味して前文を新たに創っていく必要があるのではないか。

 なぜなら、憲法9条の改正論議をするにしても、大統領制や議院内閣制などの政治システム、経済政策の議論をするにしても、まず“日本という国家の将来像をどのようにしていくべきなのか”という、まさに日本の骨格となるべきものが欠けているからである。憲法前文において、日本が目指す国家ビジョンが提示されてこそ、我々日本人は各政策議論の過程で建設的な議論ができてくるのではなかろうか。

3.大日本帝国憲法発布勅語を読む

 大日本帝国憲法には前文がない。そのかわりに『大日本憲法発布勅語』が明治憲法の名において発布されている。大日本帝国の国家ビジョンは何だったのか、この発布勅語を読むとよくわかる。大日本国憲法は先の大戦の体制を可能にするなどの問題点が指摘されるが、ここではこの『大日本国憲法発布勅語』を読むことによって、その精神を考察するにとどめる。

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨の大典ヲ宣布ス」

 国家の主権である天皇は、「国家の隆昌と臣民の慶福」を実現することを目標とし、国家の大権を将来の臣民に対し、永久になくなることのない大典として宣布している。

 さらに次に日本の歴史観を明確にしている。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国を愛し公に殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史の成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民は即ち祖宗ノ忠良ナル臣民の子孫ナルヲ回想し其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷共同し益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外に宣揚し祖宗ノ遺業ヲ永久に鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ワサルナリ」

 当時の歴史観として、日本は古代より天皇が“徳”を持って徳治統治を行ってきた。そしてその威徳と“忠実勇武”、“国を愛し公に殉う”などの臣民の協力輔翼によって歴史を築いてきたということが説明されている。

「朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ與ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治14年10月12日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ」

 上記の「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ與ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ」の部分は、当時の日本国家とは何かという問い立てに、明確に答えていると思う。大意は、「天皇が親愛するところの臣民は、天皇と天皇の祖先の情をかけていつくしみ大切に育ててきたことを念い、その幸福を増進し麗しい立派な徳と優れた才能を発達させる願い、その協力によりともに国家の進運を扶持させることを望み」となる。つまりこれまでの日本の歴史上続いてきた天皇と、臣民の関係を鑑みて、“臣民の幸福と立派な徳、優れた才能”の向上を願うことが国家の臣民に対する役割なのである。

 さらに当然のこととして、臣民の権利と財産の安全を保障することも明記されている。

「朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス」

 大日本帝国憲法を起草した伊藤博文は、1882年の3月から1883年8月にかけて、欧米諸国の憲法を調査するため訪欧し、ドイツのグナイストやシュタインらの教えを受け,プロシア国憲法などについて学んでいる。したがって大日本帝国憲法は、確かにプロシア憲法の影響を受けている。

 しかしながら、当時の日本の歴史観、国家観の認識を明確にし、さらに当時の日本の国家ビジョンや将来像を提示しているという点では見習うべきものなのではないだろうか。歴史観や国家観をこれからの日本国憲法に反映させよということではなく、すくなくとも現在の我々の時代認識から導かれた歴史観や国家観を明確にし、日本の国家ビジョンや将来像を憲法前文の中に明示していくことが必要だとあらためて強調したい。

4.日本の国家ビジョンを語るために~自由な精神の回復~

 日本の国家ビジョンや将来像を議論していくうえで必要なことは、何事にも囚われず議論し、自由な精神を回復することである。現在の日本では、未だに先の大戦に囚われている。二度と同じ過ちを繰り返してはならず、アジア諸国との関係において歴史問題に配慮していくことは当然のことであるが、日本の歴史や伝統精神すべてにおいて先の大戦に囚われるようなことがあってはならない。

 さらに先の大戦直後の時代認識のまま、さらには現実の国際関係を無視したまま空虚な理想像のみを追求していくこともあってはならない。人類の歴史をみてもなお、闘争の歴史であり、戦争や紛争の歴史といっても過言ではない。人類が真に繁栄を通じて幸福や平和な世界を実現していくには、理想を追求しつつ、より現実主義的でなくてはならない。

5.日本の国家ビジョン

 本稿では、日本の憲法改正の一番重要なこととして、憲法前文の改正を念頭に日本の国家ビジョンを議論していくことが重要であると提起することが目的である。これまで日本国憲法前文や大日本帝国憲法を検討し、さらには日本の国家ビジョンを語るために自由な精神の回復が必要であると説いてきた。しかしながらそれで終わってしまっては、憲法改正論議の傍観者で終わってしまう可能性がある。したがって、ここでは私の考える現在の日本の時代認識、さらには日本の将来像に基づいた国家ビジョンを簡潔に明示していく。

 まず日本の現在の時代認識としては、一つに、2006年をピークに人口減少時代が到来することを認識しなくてはならない。したがって二つ目に、右肩あがりの経済成長の時代は終わったということが言える。経済成長の三大要因の一つに、労働人口の増加があり、人口減少時代においては、これまでのような経済成長は見込むことができないということが言える。三つ目に、様々な局面で先の大戦に未だに囚われているということである。

 次に、日本の将来像、国家ビジョンに関して何を考えていくべきか。第一に、日本は日本の首座を保っていく必要があるであろう。これは松下幸之助塾主の言葉でもあるが、グローバリゼーションの時代だからこそ、日本の伝統精神や文化の重要性を認識し、国際的な感覚を養っていく必要がある。日本というボーダーを薄くしていくことが国際化ではない。日本を十分に認識し、日本人としての首座を保ってこそ真のグローバリゼーションが実現するのである。 第二に、一人一人が幸福を追求していくだけの自己選択とそれにともなう自己責任の生き方を浸透させることである。つまり、国家による国民の“私”の部分の確保と、個人による国家への“公”の意識を育成していく必要がある。

 上記に記載した時代認識や国家ビジョンを考える上で必要なことを鑑みた上で、日本の国家としてのビジョンを語っていきたい。普遍的な国家ビジョンとは、現在生存する日本人の、ひいては世界人類の、繁栄を通じた幸福と平和を恒久的に実現していくことである。しかし、“繁栄”や“平和”、“幸福”をどのように捉えていくかは時代によって若干異なってくるのではないか。現在の日本においては、“繁栄”という言葉の意味合いが戦後直後と比べて、随分と異なってきていると思う。戦後直後の発想においては、物質的な豊かさが最優先されてきた。そのため松下幸之助塾主は“物心一如”という言葉を用いて真の“繁栄”を説いてきた。これからの日本は経済的にも成熟した安定時代になる。その安定した成熟した日本に私は、心の豊かさを追求していく姿があっても良いのではないかと思う。

 憲法前文に話を戻すと、現在の基本的人権の尊重、平和主義、国民主権、国際協調というビジョンのほかに、日本国として“徳”のある国にしていくものがこめられれば良いのではないかと私は考えている。

 本稿の中で、国家ビジョンを語ることは主目的ではなかったため、簡潔に現時点での国家ビジョンをまとめたが、この議論は今後もより多くの方々と語っていきたい。国家とは何かという問い立てに対して、“家族への愛、他者への愛、自分への愛。その集合体が国家である”という意見もある。我々塾生は、日々の研修の中で、日常的に上記のような会話をしている。「議論するべきである」とか、「現在の憲法は問題がある」というのはいとも簡単であるが、私は議論さえ行われていない現状を指摘した上で、我々塾生自身が、塾内だけでなくより多くの人々に国家ビジョンとは何かという議論を巻き起こしていきたいと考えている。

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小野貴樹の論考

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Takaki Ono

松下政経塾 本館

第23期

小野 貴樹

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