論考

Thesis

日英行革の明暗

「副大臣制度を導入して政府委員を国会から駆逐したら、今以上に族議員が増える。」という自民党議員の談話を読んで、思わず吹き出してしまった。
自民党代議士で、族議員ではない政治家など存在するのだろうか?もし、存在すると言いきれる自民党員がいたらその人は自分の党について大切な知識が欠落していると言わざるを得ない。
何度もこの場で主張してきたことなのでもう繰り返すのも面倒だが、自民党の中に何人かの族議員が蠢いているのではなく、大小様々な族議員の連合体として自由民主党は構成されているのである。だからこそ自民党は与党でなければならないし、予算配分の全権を握っている必要がある。もし野党に転落したらそれは既に自民党とは言えないのだ。
自民党が野党に転落したら3年は絶対にもたないであろう。何故なら議席を保持するために多くの自民党議員は与党にくら替えしなければならないからだ。
自民党を指して包括政党(キャッチオール・パーティー)と定義する人もいる。
自社さ連立政権を維持できる柔軟性や党内に急進的な新保守主義からリベラル派(これは定義に異議があるが、)まで雑居している状態をさしているのであろう。
しかし別の視点(というか利権に程遠い一般の有権者の視点)だと最悪の政党内コーポラティズムであろう。
大小の利権グループ、網の眼に張り巡らされた予算配分構造が互いに協力しあって政策を思うままに立案・実施しているのだ。
その力たるや首相など目ではない。というか首相になるにはそれらのコーポラティズムの洗礼をうけなくてはならないからだ。自由民主党総裁であるということは必然的に利権構造の有力な選手たらざるを得ない。(首相の心意気は別として)
首相の諮問機関である政府の行政改革会議が出した答申に与党が真っ向から反対するという異常事態が進んでいるが、当然の結果であろう。
世論は冷たいが、彼らは族議員としてまじめにその職分を果たしているに過ぎない。誠に同情にたえない話である。
特に今回貧乏クジを引きそうな建設、郵政の族議員は半端な覚悟ではないであろう。橋本首相の個人的人気取りのためにあろうことか自分達の美味しいご馳走が今取り上げられようとしているのだ。奮起すべきである。憤慨すべきである。
「ダメなものはダメ!」とかつて言い切った土井社民党もちゃんと反対してくれる。官公労もしっかり応援してくれる。断固たる信念を持って日本の金権腐敗を守って欲しいものだ。
尚、建設族の中には我が政経塾先輩議員もいると聞く(噂にて詳細は分からず)。後輩として心強い限りである。

ワシントンポスト紙に「ここ数年で最強の首相」とおだてられた橋本首相が何故ここまで指導力を発揮できないのであろう。
たかが中央省庁の統廃合でしょ?しかも公務員数はほとんど削減しないんでしょ?省庁再編が6大改革の重要なポイントだとわざわざ公言しているのも恥ずかしいが、それすらできないというのは日本の政府機能が国際基準から見ても相当深刻な統治上の障害を抱えている証左である。
ジョン・メージャー首相(当時)は、橋本首相とは逆に「最弱の首相」と言われ在任約6年間ついに指導力らしい指導力を発揮できずに、97年5月首相の座を去った。
すでに総選挙前年の地方議会選挙で保守党の金城湯池と言われたイングランドの南部でも歴史的惨敗を喫しており、多くの自治体では英自民党にすら負けて第三党に転落していたので今回の結果は事前に充分予測していたようだ。「労働党の地滑り的勝利」という選挙の大勢が判明した時点で、責任を取って保守党党首を辞任すると発表した。
余談であるが、イギリスの政治家は(もちろん例外はあるが)多くの場合引き際が実に潔い。
かつて英領フォークランド島が突如アルゼンチン軍によって占拠された時、外相であったピーター・キャリントン卿は外遊中で全く情報を受け取っていなかったにも関わらず、責任を取ってただちに辞任した。一触即発であったローデシア問題で卓絶した外交手腕を振るい歴代外相中最も博覧強記な人物と賞賛されていたキャリントン卿であったので野党労働党(当時)の中でさえ卿の辞任を惜しむ声が上がったほである。
また多くの閣僚がよく首相と衝突して辞任するが信念を曲げて、ポストにしがみつくということを余りしない。サッチャー内閣は辞任・更迭の嵐だったが、「弱小首相」のメージャー内閣でも欧州金融政策を巡って首相と激突したノーマン・ラモント蔵相が辞任している。大臣ポストと利権はほとんど関係ないので政策信条を曲げてまで閣内に留まる意味はないのであろう。以上余談まで。
就任早々、景気の激しい後退に襲われたメージャー政権はその後支持率を落とし続け、その事に動揺した下院議員たちの反乱で政権の権威は燃料切れの飛行機の様にゆっくりと弧を描きながら落ちていった。
メージャー首相が政権運営に必要以上に苦しまざるを得なかったのは、保守党のもはや覆い隠しようのない分裂に原因があった。
伝統的な温情的保守主義を標榜するウェット派(左派)とサッチャリズムを信奉するドライ派(右派、サッチャー派)の間は党勢の後退で対立が顕在化、危険水域に達しておりメージャー首相は保守党の大分裂を避けるためサッチャーの後継でありながら徐々に左派と連携をせざるをえない状況にあった。

イギリス人はユーモア好きであるが、特に毒のあるユーモアがこの上なく好きだ。
いろんな閣僚や政治家にあだ名を付けるが、ジョン・メージャー蔵相が付けられたあだ名が「プードル」。サッチャーの犬という意味らしい。ちなみにサッチャー首相に党首選挙で挑戦し、同女史を保守党党首の座から引き降ろすことに成功したマイケル・ヘーゼルタイン元国防相(当時、その後環境相、通産相、副首相を歴任)のあだ名は「ターザン」。その風貌と正義漢ぶりを揶揄したものだろう。
そのジョン・メージャー政権がサッチャー首相の辞任にともない発足した
。しかし政権発足に伴いサッチャー派の助力を得たことがメージャー首相を在任中苦しめることになる。

その後1994年にはジョージ・ソロス氏らの投機資金が欧州通貨市場に襲いかかり、英国政府はポンドの浴びせ売りを受けて、ついにEMSからの離脱を余儀なくされた。
また同年の財政改革のためのVAT(付加価値税)の増税に端を発する保守党議員団の反乱はついにその年の予算案を否決に追い込むという事態に発展した。

しかし目を見張るべきはさまざまな問題に直面しつつも行政改革には一定の成果をこのメージャー政権はあげてきたということである。
例えば戦後、もっとも有力な官庁であった雇用省を「解体」の一言でつぶし、教育省と合併させて「教育雇用省」とし労働市場政策と教育改革を連結させて一体の政策ビジョンを打ち出してきたことである。
これは膨大な数に登る若年失業者に雇用を創出するのは、教育しかないという信念からである。
この試みは同氏の在任中には成果をあげることがなかったが、ブレア政権の登場後、「ウェルフェア トゥ ワーク(職業への福祉)」計画として実を結ぶことになる。
既得権益を解体することはどこの国でも決して容易なことではない。
しかしながら橋本政権の行革の躓きを見るにつけ、イギリスの議会政治は根本のところでその国の未来に大きく根を張った存在であるといえよう。

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平島廣志の論考

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Koji Hirashima

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第15期

平島 廣志

ひらしま・こうじ

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