論考

Thesis

2030年の就学前教育のかたち ~全ての家庭に最良の保育・教育環境を~

私の志は、すべての子供達が自身の持ち味を育み、将来その持ち味を活かして生きていくことができる社会である。このレポートでは、日本の貧困の現状とそのような家庭・子育ての状況を踏まえた上で、子供たちが持ち味を育むために必要な就学前教育の在り方について提示する。

1.私の志 ~2030年の就学前教育のかたち~

 私は、2030年の就学前教育の在り方として次の3点を提唱する。

(1)時代に応じた専門的知識を持つ保育者の育成

(2)乳幼児保育・教育の専門家の研究成果の活用

(3)チーム保育の徹底と就学前教育ネットワークの形成の3点である。

以下に、2030年の時代を想定して上記3点が機能している社会を描写する。

 2030年の日本における就学前教育の現場は、すべての家庭にとって、特に、シングルマザーなどの低所得層の家庭にとって、家庭の問題や悩み事を相談できる居場所となっている。すべての保育者は小学校のスクールソーシャルワーカーのように家庭が抱える問題に適切に対応する知識を研修の中で身に着けている。そのため、現場では「どんな行為にも必ず理由があるはず」という認識を共有している。例えば、提出物の期限を守らない家庭がある場合に、問題のある家庭であると即座に捉えるのではなく、提出物の期限に気が回らないくらいに親がくたくたになるまで働いているのかもしれないと思いを馳せる。子どもの言動や親の対応に関して、家庭がどのような問題を抱えているのかを考え、支援する。これまで保育者の仕事は、日々の子どもの保育の業務に追われていたが、2030年の保育は、最良の就学前環境を整えるために、保育者が子供・保護者と共に何が出来るかを考え続けること、と捉えられている。

 また、2020年頃までは核家族化やコミュニティの衰退により、母親が子育てに孤立感や不安感を感じていたが、2030年の日本では母親は安心して子育てに関わっている。なぜならば、保育者が最良の保育の知識・知恵を持ち合わせており、悩める母親に適切なアドバイスをしているからである。アドバイスの内容には2種類あり、1つ目は、基礎的な保育知識の提供である。2020年頃までは、保育に関する情報が世の中に溢れており、親が各自で情報の信ぴょう性を判断することが難しく、また、核家族やひとり親家庭が増えていることもあり、それぞれの親が自己流で子育てをおこなう家庭が多かった。そのために、基礎的な保育知識に関しては保育者が親に的確かつ適切に提供するという体制が整えられたのである。基礎的な保育知識とは、例えば、子供にとって親との強い愛情の絆である愛着を形成することは非常に重要であるが、この愛着形成には親がほほえみかけたり、声をかけたり、触れ合うというコミュニケーションが大切であるというような基本的な知識を指す。愛着形成の重要性、そして愛着形成に効果的な方法を保育者は保護者に適切に伝える。

 また、2つ目として、最新の就学前教育情報の提供である。特に、乳幼児期における非認知能力を育む重要性と育み方を伝える。学習意欲・集中力・忍耐力といった非認知能力は高校進学率・大学卒業率・平均所得などに大きな影響を与え、また、この能力は就学前に身につけるのが最も効果的であることが、米国ワシントン大学のヘックマン教授の研究注1により明らかにされたが、これらの知識はすべての保育者が把握している。非認知能力の育み方に関して国内外の研究成果を前提に、それぞれの園で試行錯誤を繰り返し考え続けている。非認知能力の中でも特に、自制心を育むことに注力している。ここでの自制心とは、2つの意味があり、1つは感情をコントロールする力であり、2つ目が様々な障害に関わらず目標に向かい続ける力である。他の非認知能力ももちろん重要であるが、人生においてこの2つの意味を含む自制心を育むことは最優先事項である。なぜならば、一時の感情に左右されずに、また障害にぶつかっても意欲をコントロールする力を備えていれば、道を踏み外す危険性も少なく、物事を達成できる可能性が高いと推測されるからである。この自制心を中心に非認知能力を効果的に育むプログラムを各園が実行している。

 そして、2030年の就学前教育においては、専門家の研究成果を活用しやすい環境が整っている。例えば、表1を参考に見てみる。

表1 教育と学習のツールキット

(出所)The Education Endowment Foundationウェブサイト

 表1は、イギリスで用いられているが、学力向上に効果があるとされている施策がリスト化され、それぞれについて、費用とエビデンスとしての確かさ、そして効果が一目で分かるものである。2030年の日本においても、この表1のような資料を活用し、現場の保育関係者が就学前教育の方法を考える仕組みが出来上がっている。

 最後に、2030年の就学前教育は、チーム保育が徹底しており、また、保育者や就学前保育・教育の研究者が非認知能力を育むための情報を交換することができる密なネットワークが確立している。チーム保育とは、各クラス担当の保育者だけがその年齢の子供達に関わるだけではなく、すべての保育者がすべての子供達と向き合う体制のことである。先ほど述べた提出期限を守ることが難しい状況に置かれている親の例を挙げると、提出期限を守りたくても守ることができないという情報を保育関係者間で共有し、多くの保育関係者の様々な視点から問題の原因を探る。さらに、親への最良の働きかけをチームで考える。簡単でない問題だからこそ一人で判断せず、全員の知恵を活用し、適切に対処する。また、非認知能力の育み方についても、研究者の研究成果を下に保育関係者がチームで話し合い、最良の就学前教育を提供する。

 また、保育者と研究者との密なネットワークに関してであるが、2020年頃までは、保育園や幼稚園などの保育者と研究者は共通の理念がなく、それぞれの場所で活動し、これからの保育教育について話し合う機会はあまり多くはなかった。しかし、2030年には、「これからの時代を生き抜く人材を育成する」という理念を共有しており、互いの分野にフィードバックをおこなう。例えば、現場の保育者から「こういうデータを取ってほしい」「こういうデータがあれば、園での取り組みに活かせる」と言うことを研究者に伝える。また逆に研究者も「こういうデータがあるが、現場ではどうですか。何か現場で活かせそうですか。」と保育者に問いかける。国が教育に関して、特に乳幼児期の保育教育に関して明確な理念を掲げており、これが保育者と研究者が連携する基盤となっている。もちろん、それぞれの地域性もあるために、基本的には各地域にある大学の研究者と現場の保育者が集い、定期的に話し合いながら、最良の就学前教育を探求している。

 以上のように2030年の就学前教育の体制は、どのような家庭の子供も最良の就学前教育を享受できる仕組みになっている。子ども達は物事に取り組む意欲や自制心を育み、これらの力を基礎として、その後の学校教育でそれぞれの持ち味を育むことができ、そして持ち味を活かして人々は生涯を送ることができる。

2.日本の家庭と子育ての現状~データとインタビューから見えてきたもの~

 この章では、日本における貧困の現状をデータで確認した上で、実際の貧困の家庭と子育てに関するヒアリングの結果から、どのような対策が求められているかを示したい。

 昨今、子どもの貧困という言葉を紙面で見かけるようになった。これは、発展途上国の子供達の貧困という話ではなく、日本で起こっている問題である。子どもの貧困とは、相対的貧困状態にある17歳以下の子供の割合を指す。相対的貧困とは、貧困ライン(国民の可処分所得の真ん中の50%)に満たない状態である。日本においては、2012年の日本の貧困ラインは1人当たり122万円であり、親1人子供2人のような3人家庭の場合は、約207万円、月額で約17万円である。つまり、日本における相対的貧困ラインとは、生活をするのが精一杯であり、教育への投資や将来の貯蓄をする余裕がない状態である。図2が示すように、この相対的貧困率も子どもの貧困率も上昇傾向にある。2012年には子どもの貧困率は16.3%、子供6人に1人が貧困状態にある。

図1 相対的貧困率と子どもの貧困の推移

(出所)厚生労働省(2013)「国民生活基礎調査」

 また、日本は国際的にみてもこの子どもの貧困率は高い。図2はOECD諸国における子どもの貧困率を比較したものである。子供の貧困率はOECD加盟国の平均を下回っており、34か国中ワースト10に入っている。さらにひとり親家庭の貧困に限って言えば、表2が示すように、日本はOECD諸国の中で最下位である。

図2 OECD諸国の子どもの貧困率(2010年)

(出所)内閣府(2014)「子ども・若者白書」

表2 OECD諸国のひとり親家庭の貧困

(出所)内閣府(2014)「子ども・若者白書」

 多くの日本人にとって、6人に1人の子供が貧困状態にあること、国際的にみてもひとり親家庭の貧困状態は悪く、ひとり親家庭の貧困率が最悪であるというデータは信じにくいことかもしれない。しかし、私にとっては至極納得のいくものであった。私の地元である大阪府は貧困率が全国ワースト2位であり、また、私が通った小学校や中学校では、生活に苦しい家庭が多く、ひとり親家庭も多かった。そして何よりも、私自身が母子家庭で育ち、まさしく貧困ライン以下の収入で、親子3人で生活してきた実体験がある。そのために、肌感覚として上記のデータは納得のいくデータであった。

 では、貧困家庭で子育てをおこなう親やその子どもはどのようなサポートを求めているのだろうか。それを調査するために、様々な貧困家庭の方々にヒアリングをしてきた。多くのシングルマザーの家庭では1人で働きながら1人で子育てをしている。彼女たちの生活はハードであり、2つ3つの仕事を掛け持ちしているケースも珍しくない。しかし、彼女たちの収入は低いのが現状である。2011年の全国母子世帯等調査によれば、母子世帯の平均年間就労収入は正規職員で207万円、父子世帯の場合は426万円という結果がある。仕事に追われながら休みなくはたらく母親にとって、子育てに関して行き届かない場面も出てくる。その結果、上記で記述した「提出物の期限を守らない家庭」につながる。このような状況で、保育園が「提出物の期限を守らない家庭」との烙印を押し、親や子供に接することは保育園・親・子供の三者にとって望ましいものとは言えない。子供の貧困率が増加傾向にある中、早い段階において家庭や子育てのケアをすることが重要である。そのために、保育者は保護者に寄り添いながら家庭や子育ての課題と向き合うソーシャルワーカーの考え方を理解し、親や子供の行動の裏にどのような家庭の問題が控えているのかに目を向ける。親の声に耳を傾け、寄り添う。あるシングルマザーからは「働いて疲れた体で子供を引き取りに来て、保育者さんから「お母さん子供のためにもっと頑張って下さい」と言われた。私はもう頑張れません。」という御話を聞いた。ソーシャルワーカーの考え方を身に着けることが保育者に求められている。

 また、乳幼児期においては子供との愛着形成が非常に重要であるが、そのための時間を十分に取る余裕が持てない、もしくは愛着形成が重要であるなどの知識がない場合がある。18歳で子供を産み、シングルマザーとなった方からは「基本的な子供の育ての仕方を誰も教えてくれなかった。分からないことだらけだった」と伺った。祖父祖母の世代が近くに住んでいたり、コミュニティーが強い地域は子育てに関して誰かがアドバイスをくれたり、見よう見まねで習っていくことができるかもしれない。しかし、東京や大阪などの都心部の核家族世帯では、子育てに関して頼りになる人はいない。保育園は子供を一時的に預ける場所ではなく子育ての専門機関であり、子育てに関して悩んだことがあればまずは保育園に行ってみようと気軽に思える場所になるべきである。保育園において保育者が基礎的な保育知識を提供することで、家庭の保育の質の向上にもつながる。

 また、基礎的な保育知識だけでなく、最新の就学前教育情報を提供することは、生活に困っている家庭や子育ての仕方が分からない家庭だけでなく、すべての家庭にとって有益である。様々な家庭へのインタビューで私が感じたことは、子供にとって良い保育・就学前教育とは何かということに関する興味関心の高さであった。ヘックマン教授の研究成果のように、就学前における取り組みが非常に重要であるが、この就学前の取り組みを行っているのがまさに保育園・幼稚園である。そのために、保育者は最新の研究成果を学びながら、また、上述した教育と学習のためのツールキットなどの資料を踏まえて、就学前における保育・教育のより専門家である必要がある。

 真の保育とは、親・子供・保育関係者が連携し、子供にとって最良の保育環境を整えることである。そのために、保育園は子育ての悩み、さらには家庭の問題などいつでも相談できる駆け込み寺的な存在となり、就学前における保育・教育を探求し続ける専門機関である必要がある。この役割を担うためには、保育関係者が個々に奮闘するのではなく、チームとして対応することが全ての家庭の親・子供にとって望ましい姿である。

3.志の実現に向けて

 1章では私の2030年の就学前教育の在り方の私案について示し、第2章では日本の現状を踏まえた上で、どのような就学前教育のかたちが望まれているかを探った。この3章では、2030年の就学前教育の在り方の私案を実現する上で今後考慮しなければならない課題点を挙げつつ、実践者としての自身の役割を述べる。

 まず今後の課題点を主に3点あげる。まず1点目として、時代に応じた専門的知識を持つ保育者の育成に関してである。2030年の保育者には様々な知識を求めているが、そのような保育者を育成していくプロセスや体制について考える必要がある。また、現在、都市部の保育所を中心に深刻な保育者不足が叫ばれているが、様々な知識を保育者に求めることで更なる保育者不足を引き起こすかもしれない。そのために保育者の給与など待遇面の向上を図る必要がある。

 2点目として、私案の中では非認知能力の中でも特に、自制心を取り上げているが、この自制心を育む教育を構築する必要がある。マシュマロテストを考案したウォルター・ミシェル教授注2は、自制心を発揮する訓練として日常で応用できる具体的な手法をいくつか述べている。これら先行研究や先進事例を参考に、日本の保育園でどのように活用することが出来るかを考える。

 3点目としては、私案を進めていくために必要な財源の確保である。特に、上述した保育者の待遇面の改善や就学前教育ネットワークの確立に費用が掛かる。財源をどのように確保するかという点に関して、消費税増税、資産税の累進化、相続税の拡大など様々な方法がある。その中で具体的なプランを作成していく。
 最後に、将来そして現在、実践者として自身がどのような役割を担うかを述べる。私は将来政治家として、1章で掲げた就学前教育の体制を実現したいと考えている。国民に私案の重要性を訴えて共感を得つつ、政策を実行していく。現在の塾生としての立場では、3章で取り上げた課題点を考察しつつ、専門家、保育園・幼稚園の現場のヒアリングを重ね、1章の私案を練り上げていく。また、レポートや講演を通して、就学前教育の重要さを認識してもらい、非認知能力を育むことに関して関心をもってもらう活動を続ける。なぜならば、親が関心をもてば、親は保育園にとってはお客であるので、保育園での保育教育内容も変わることにつながるからである。また保護者は有権者でもあるので、政治家、さらには行政が就学前教育改革に関心をもつきっかけになる。筆者の数少ない講演経験でも講演後の保護者の反響は大きく、世論を喚起できるテーマであると認識している。一方、保育園など現場の先生の反応は様々である。もちろん、現場の先生に訴え共感して頂くことも重要であるが、各園の裁量で園の運営をしている現状を踏まえると、園に訴えるだけでは効果は薄い印象である。保護者の興味関心を喚起する地道な活動を行う。さらに、非認知能力、特に自制心を育む教育を国内外の研究機関や専門家、現場との議論を踏まえて考察を続ける。

 まだまだ検討する事項は数多い。しかし、今後の日本にとって就学前教育は重要なテーマの一つであることは間違いない。引き続き、就学前教育の在り方を考察していく。

【注】

注1 Heckman,J.J.,& Krueger,A.B.(2005).Inequality in America: What role for human capital policies. MIT Press Books.

注2 Walter Mischel (2014).The Marshmallow Test: Mastering Self-Control. Little, Brown and Company.

【参考文献】

[1]秋田喜代美監修(2016) 『あらゆる学問は保育につながる 発達保育実践政策学の挑
戦』東京大学出版会

[2]秋田喜代美・小西祐真・菅原ますみ編著(2016)『貧困と保育』かもがわ出版

[3]阿部彩(2008)『子どもの貧困 ‐日本の不公平を考える』岩波新書

[4]阿部彩(2014)『子どもの貧困Ⅱ ‐解決策を考える』岩波新書

[5]ウォルター・ミシェル(2015)『マシュマロ・テスト 成功する子・しない子』早川書房

[6]公益財団法人 日本教材文化研究財団(2016)『子どもの挑戦的意欲を育てる保育環境保育材のあり方』公益財団法人 日本教材文化研究財団

[7]ジェームズ・J・ヘックマン(2015)『幼児教育の経済学』東洋経済新報社

[8]柴田悠(2016)『子育て支援が日本を救う』勁草書房

[9]中室牧子(2015)『学力の経済学』ディスカバートゥエンティワン

[10]日本財団 子どもの貧困対策チーム(2016)『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす会的損失40兆円の衝撃』文春新書

[11]古市憲寿 (2015)『保育園義務教育化』小学館

[12]松下幸之助(1994)『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』PHP文庫

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山本将の論考

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山本 将

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