論考

Thesis

グローバル社会で生きる「日本人と日本の伝統精神」

グローバル化する社会で、諸外国の人々と共存共栄していくために、どのように思想や価値観の違いを乗り越えていけばいいのだろうか。その鍵は、それぞれのコミュニティが持つ伝統や文化の上にしっかりした土台を築くこと、日本人であれば日本の伝統精神を学ぶことにあるのではないか。

はじめに-グローバル化の時代-

 20世紀の後半以降、ジェット旅客機の普及・大型化による海外旅行の大衆化、インターネットに代表される情報化の進展により、国境を越えた人や文化の交流は盛んになった。そして、格安航空会社(LCC)の出現に代表される航空運賃のさらなる低廉化や、インターネット関連技術の一層の発展に伴い、国境を越えた交流は今世紀において益々加速している。同様に、国境を越えた経済的な繋がりも強まっている。スターバックスやマクドナルド、トヨタなど、全世界どこにいっても目に付くようなブランドが今日はいくらでもある。国際化やグローバル化と呼ばれるこのような国境を越えた交流・繋がりが一般化した時代に生きる私たちにとって、世界は様々な素晴らしい出会いの機会に溢れている。

 一方で、価値観や文化的背景の異なる人々が一緒に暮らし、一緒に働く際には、単一の価値観を持つ人々だけのときよりも、大きなストレスを双方に生じさせる可能性もある。身近な問題で言えば、日本のような社会では時間をきっちり守ることが重視される事が一般的だが、海外には時間を数分単位で合わせることにそれほど重きを置かない社会も多く存在する。筆者も会社員時代にラテンアメリカの方と仕事をした際には、期日に対する考え方が異なることを感じた。もちろん、期日、時間を厳守する人も多くいるが、社会全体に「多少時間がずれたところで、重大な問題があるのか?」という空気が流れている。これは、私の父の祖国であるスペインで生活している時にも感じたことだ。一見すると些細なこのような類の軋轢も、積もり積もれば人間関係の上に大きな問題を生じかねない。

 しかし、異なる価値観や文化が出会うとき、その出会いは軋轢と呼べるような生易しいものに留まらないことがある。ナチスによるユダヤ人の虐殺、あるいは宗教が絡んだ紛争というものは、その最たるものである。価値観や生活様式が異なる人々が出会い、共に働き、生活する時に生じるジレンマを、我々はどのように乗り越えていくことが出来るのだろうか。多くの価値観が存在する中では、価値観の違いに基づいた衝突は避けられないのだろうか。それとも、多様な価値観を尊重しあう中で、共存共栄することが出来るのだろうか。

1.多様な価値観の共存のために

 様々な価値観の人々が共生しようとするとき、特定の方向に価値観や文化を統合する試みは、最も危険なものである。自国の価値観や文化を否定されることは、その文明の終焉に等しく、とてつもない紛争を招くだろう。多文化共生のためには、自分と異なる文化・価値観を許容するしかなく、また多様な価値観、文化に彩られてこそ世界の物心ともの繁栄が実現される。しかし、人間というものは得てして、自分が属する民族や国、文化圏の価値観を中心に捉え、異なる人々と過ごす際、ストレスを感じるあまり、そのような他者をコミュニティから排除しようとする傾向がある。日本人であれば、日本の風習や文化を共有する日本人同士で生活する方が安心出来、またそのような価値観を持つことが当然だと思ってしまう。そして、自分の属するコミュニティと異なる価値観を持った人々に対するストレスが、経済的な問題や政治的な問題と結びつくと、果ては迫害や戦争に繋がる。平和のうちに、多様な人々が国境を越えて交流し共に繁栄していく世界を目指す際に、自分と異なる価値観を許容し、共に生きていく姿勢が絶対的に必要である。

 私は、自分と異なる伝統、文化、宗教、価値観を持つ人々と共生するためには、諸外国に自分たちとは異なった価値観を持つコミュニティがあることを知る(実際にそのような国にいく経験も極めて有用)ことは当然として、まず自分の属するコミュニティの価値観とその土台となっている伝統、文化、宗教などについて学ぶ必要があると考えている。その理由は、大きく以下の2点である。

 他者を許容して、他者と共生する第一歩は、他者を理解することであるが、他者を理解するためには、その比較対象となる自己を知ることが必要になる。19世紀の著名なドイツの比較宗教学者であるマックス・ミューラーが「一つしか知らぬ者は一つをも知らぬ(He who knows one, knows none)」と述べたことが有名なように、物事は比較して、初めて真に理解出来る。日本人であれば、日本の文化、伝統、宗教などを学び、それがどのように現在のわれわれの生活様式、価値観の形成に繋がっているかを理解して初めて、他の文化、伝統、宗教、そしてそこから生み出される価値観を理解する事が出来るようになる。

 もう一つの理由としては、自国の伝統、文化、宗教、価値観を学ぶことで、自分の属するコミュニティ対して自信を持つようになり、それが自分と異なる人々やコミュニティを尊重する姿勢に繋がることがあげられる。諸外国と同様に、日本にも様々な文化や類まれな伝統精神が息づいている。自らのコミュニティの伝統精神、文化、宗教などの素晴らしさを知り尊重するようになれば、同様に素晴らしいものである諸外国の伝統精神、文化、宗教などに対する敬意も自然と湧いてくる。また、アイデンティティを、その属するコミュニティの伝統精神の理解を通じて肯定的に確立することで、自信を持って海外の人と交流したり、海外の人をコミュニティに迎えたり出来るようになる。しっかりとした自己を持っていれば、自分と異なる人を脅威と感じて排除しようとする気持ちも生まれなくなり、価値観が多様化する世界に平和と調和をもたらす人間になれるだろう。

2.日本の伝統精神とは何か

 我々日本人が学ぶべき日本の伝統精神というものは、どういうものだろうか。一言に伝統精神といっても、それを特定の概念で捉えることは不可能だと、私は考えている。そもそも、日本は2000年以上の歴史を持つ国であるし、そこに時代時代によって様々な文化や価値観が生まれてきた。また日本の特性として、古くから海外の文化などに影響を受け、それを取り入れ変化してきたことがあり、このことも日本の伝統精神を捉えにくくしている。しかし、多様にある日本の伝統精神の中から、「これからの日本人は特にこの部分を大事に受け継いでいくのだ」、「この考え方は世界的にみても必要とされている考え方だから、これを受け継ぎ、世界に広めていこう」などと思える、それぞれの最も誇れる伝統精神を取り出して、自らの、そしてこれからの日本人の営みに生かしていくことは出来る。

 では、日本の伝統精神とはどのように捉える事が出来るのか。松下政経塾の塾主(設立者)である松下幸之助翁は、日本の伝統精神は、「和を貴ぶ」「衆知を集める」「主座を保つ」の3点であるとした。

 「和を貴ぶ」というのは、他者との争いを避け、調和を求める生き方のことであり、自分よりも社会や他者の利益を優先する姿勢となって現れる。阪神淡路大震災や東日本大震災という極限状態において被災者の方々が見せた、落ち着きや他者への配慮に溢れた言動は、和を貴ぶ伝統精神が確かに日本人の中に生きていることを示した。

 「衆知を集める」というのは、物事を決めるときに合議を経たり、他者の意見をすすんで取り入れたりすることである。たとえば、10月の異称である神無月の由来として、出雲大社に全国の神が一年分の話し合いをするために集まり、全国から神々がいなくなるので神“無”月となった、と説明されることがあるが、この話からも、日本では古くから合議が重視されていたことが想像出来る。また、幕末・明治維新期の歴史からも同様に、日本が広く意見を募る精神を持っていたことが分かる。黒船来航時、その後の対応策を決めるために、幕府が広く諸大名や世間に意見を聞いたりしたことや、あるいは明治の始まりに政府の基本方針として布告された五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と示されていたことが、日本人の「衆知を集める」精神を示している。日本が海外の文化や技術を取り入れ(近世以前には主に中国・朝鮮から、近代以降は主に欧米から)、独自の文明を発展させてきたことも、「衆知を集める」精神が発揮された結果だ。

 「主座を保つ」というのは松下幸之助塾主独自の言葉であり、自らの考え、意見をしっかり持ち、主体性を持った生き方をすることである。衆知を集めて、進んで他者の意見を聞いたり、海外から文化や技術を取り入れたりする際も、日本として守っていくべきものは守るという姿勢であり、こうした精神があったからこそ、日本人は海外から様々な影響を受けながらも、日本文明とも呼べるような独自の社会を築くに至った。

 以上が松下幸之助塾主の考えた日本の伝統精神であるが、諸外国と共存共栄していく上で非常に適した精神が抽出されていると私は感じる。もちろん、日本人が他の国の人に比べて和を貴んだり、衆知を集めたりする資質が高いかは分からないが、優劣が問題ではなく、そういった優れた精神が存在すること自体が重要なのだ。

 私は、松下政経塾に入塾して以降、非常に多くの日本の伝統精神に触れる機会に恵まれた。松下政経塾の塾生は、その全4年の課程の前半2年の間、茶道、剣道、書道といった、日本の伝統精神を現代に伝える芸道のお稽古を付けて頂く機会がある。このような松下政経塾での研修を通じて、現代日本の生活ではあまり考えなくなった日本の伝統精神というものに、改めて触れて、考えることが出来た。そして、日本には素晴らしい伝統精神が存在することを知った。茶道であれば、「相客に心せよ」という教えがあるように、お互いに尊重しあうことを説いているし、剣道でも礼を大事にし、お互いに敬意を払うことを教えている。このように、日本は素晴らしい伝統精神に恵まれており、そうした優れた伝統精神を強調して受け継いでいくことが、先に述べたように、自分と異なる価値観への理解、許容と共生に繋がっていく。

さいごに -海外に出る人にこそ伝統精神が必要-

 日本には素晴らしい伝統精神が根付いており、それを引き継いでいくことは重要である。しかし、ここで私が強調したいことは、何が日本の伝統精神であるか、という分析ではなく、また日本の伝統精神が他国と比べて優れているかどうか、ということでもない。グローバル化する今日の社会では、異なる価値観を持つ人々が互いに理解し、許容し合い、平和裏に共生していくことが極めて重要であり、そのために、まず自らの属するコミュニティの一員としてアイデンティティを確立する必要がある、ということだ。日本人であれば、日本の文化や伝統精神などを理解して、他国の価値観などの比較理解を可能とし、また日本の培ってきた価値観に自信を持てれば、海外の価値観と出会うときに感じる不安、排外的な感情を解消し、真の意味での共生が可能となる。

 日本を訪れる外国人旅行客の数が急激に増え、あるいは日本で働き暮らす外国人の数も増え続けている中で、日本にいながらにして価値観の違う人と共生する環境は、今後さらに増えることが予想される。また、現在はそもそも日本人の間だけを見てみても価値観が多様化している。今日の世界で生きていくために、自分の属する社会の価値観を知り、そして海外の価値観と共生する素養を身に付けることは益々その重要性を増している。

 このことは、海外に出て活躍しようとしている日本人にとって、さらに強調されるべき点である。松下幸之助塾主は1975年の著書『若い君たちに伝えたい』の中で以下のように述べている。

 国際化時代ということは、一国一民族という垣根をはなれて、多くの国、多くの民族、あるいは多くの言語や習慣のちがう人びとと交わり、共同作業をすることが多くなる時代だと思う。そのときにもっとも大事なのは、世界人類がともどもにもっている人間としての本質とともに、国や民族、あるいは時代によってちがっている面というものを、正しく見つめ、理解し、これを生かし合っていくことであろう。(中略) 

 つまり国際化時代は、世界人類が、ともに教え、ともに学び、それぞれの知恵と体験を生かし合っていく時代なのである。それだけに、お互い日本人は、世界全体を見つめるとともに、まず自分自身なり、自分たちの国家社会そのものを、しっかりと把握しておくことが先決であるといえよう。

 そのことは、もちろん日本人全体が考え、また実践しなければならないことであるが、私はとくに日本の青年諸君に訴えたいと思う。つまり次代を背負って立つ世代、本格的な国際化時代のなかで活躍しなければならない世代、そういう若い人びとに、その点の理解を十分に深めていただきたいと切望するのである。(松下幸之助『若い君たちに伝えたい』P11~13)

 私は、本年9月からワシントンDCで1年間の研修を積む機会を頂いている。松下幸之助塾主が願っていたように、私もしっかりと日本の社会の在り方、価値観、伝統精神というものを見つめなおし、そこに立脚した自らの考え方・生き方を定めた上で、諸外国の人々と交流していきたい。そうすることで、お互いに得るものの多い関係性を築くと共に、日本人に対する前向きな感情を諸外国の人々に広めることに少しでも貢献していきたい。

【参考文献】

新渡戸 稲造(著) 矢内原忠雄(訳)『武士道』岩波文庫 1938年

松下幸之助(著)『人間を考える』PHP文庫 1995年

松下幸之助(著)『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年

松下幸之助(著)『若い君たちに伝えたい―明日の日本を拓くために』講談社 1975年

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斎藤勇士アレックスの論考

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Alex Yushi Saito

斎藤勇士アレックス

第34期

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