論考

Thesis

天分を生かせる社会の為に ―起業の活性化を通じた職の拡大―

松下幸之助塾主の目指した「新しい人間観」に基づいた政治・経営の姿とはなにか。起業の活性化を通じた職の拡大がその達成手段の一つになることを本レポートで論じたい。

1.松下塾主の「新しい人間観」

 松下幸之助塾主は、人間社会に繁栄、幸福・平和をもたらすためには、まず人間とはどのような存在なのか、その使命、役割はどのようなものなのかということについての認識、つまり「人間観」の正しい認識をもたねばならない、と強く考えていた。政治を初めとした社会的分野でのリーダ育成を目指して設立した松下政経塾でも、政治経営の要諦は人間を理解すること、確りとした「人間観」を持つことである、と松下塾主は繰り返し塾生に述べている。

 松下塾主が持っていた人間観に関しては、塾主の主要な著書の一つである『人間を考える』で説明されている。『人間を考える』を書き上げた時松下塾主は「もう死んでもいい」と述べたといわれる程に、この著書は松下哲学の根幹をなしていると言える。松下塾主は生前、当時の塾生への講義の中で「塾生に頼んでおきたいことがある」として、政経塾の理念である「塾是・塾訓・五誓」を守ること、次に「人間の把握」に塾生お互いに取り組むこと、そしてこの『人間を考える』を繰り返し読んでほしい、という三つの願いを述べていた。

 本稿で松下塾主の「新しい人間観」を細かく読み解く事はしないが、「新しい人間観」の中で特に重要な概念が「天分」であるので、この「天分」について考察する。

「人間は(中略) 万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である」(松下幸之助『人間を考える』P13~14)

 以上は、「新しい人間観」の提唱文からの抜粋である。全ての人間には、身の回りにあるあらゆるものの特性を生かして、社会に物と心を満たすことが出来る力が、自然と備わっている。この万物を生かすことが、人間だけがもつ「天命」ということである。「万物に与えられたるそれぞれの本質」を人間だけが生かすことが出来、そうできた時に、物心一如の繁栄が生み出される。そのためには「万物に与えられたるそれぞれの本質」を見出して生かす事が必要で、塾主はこの万物がもつかけがえの無い「本質」を「天分」と呼んでいた。万物の中には人間も含まれるので、当然人間にもそれぞれ天分があるということになる。

「(前略)個々の人間には、そのそれぞれに異なった天分を発揮しつつ、みずからの人生を全うしていくという使命があると考えてもいいでしょう。しかし、そういった個々の人間すべてを包括した人間全体の使命というものは、ここにのべたような万物の王者としての天命を自覚実践していくというところにあるわけです。(中略)その人間全体の使命を全うしていくことに寄与貢献するというかたちにおいて、一人ひとりの使命があり、その使命を自分の天分個性に応じて果たすことにつとめねばなりません」。(松下幸之助『人間を考える』P76~77)

 つまり、人間ごとに、どのような役割、職業に就くかという違いや、その仕事に応じたある評価手法における評価の結果としての「能力」の違いはあっても、あらゆる人間にはかけがえのない「天分」(キリスト教での「天職」の考え方と類似する)が備わっており、それを生かすことで社会の発展がもたらされる、というものである。

2.新しい人間観に基づいた政治経営の姿

 前項で読んだとおり、松下塾主の「新しい人間観」の要諦は、人間を初めとするあらゆるものにはそれぞれ「天分」が備わっており、人間にはそれを生かす素質と使命が生まれながらにして備わっており、その使命を生かしてあらゆるものの天分を生かすことで、社会の物心両面の繁栄を達成できる、というものである。本レポートでは、特に人間それぞれの天分を生かす為にはどうすればいいか、という事を考えたいと思うが、それに対する松下塾主の一つの回答は非常にシンプルなものである。それは、一人ひとり違う「天分」を生かすためには、出来るだけ多くの職が世の中にあることが望ましい。極論を言えば、一人一人に特有の職が与えられるぐらいに無尽蔵ともいえる程の多種な職があることが望ましい、というものである。歴史の上で、文明が発展するにつれて新たな職業が作られていることからも分かる通り、経済及び文化が発展することで、より多くの職が生み出される。やがてはあらゆる人間が天分を生かせるほどの多様な職業がある状態になる。そして、政治には経済、文化を発展させて、世の中に多種多様な職が溢れるようにする、という使命があり、政治がその使命を果たせれば、社会により豊かな繁栄の姿を齎すことが出来る、という事になる。

 この使命を果たす為に、私は政治が起業の促進という政策により注力する事が必要だと考えている。

3.天分を生かせる社会に向けた、起業の活性化という手段

 日本は、戦前や戦後の産業が乏しく国民が貧しかった時期には、松下塾主(パナソニック)をはじめ、本田宗一郎氏(本田技研)、井深大氏(ソニー)といった世界的な起業家を輩出し、それらの起業家が設立した企業の成長と共に経済、社会の発展を成し遂げてきた。

 しかし、他の国でも一般的にそうであると考えられる通り、経済が成熟するにつれ企業の労働市場での役割が増大し、人々が安定的な雇用を求めるため起業活動は相対的に低調になり、近年では日本人の起業に対するモチベーションは世界的にも低いものになっている。国家の国際競争力の調査として有名な、国際経営開発研究所(IMD; International Institute for Management Development)が発表している「世界競争力年鑑」(WCY; World Competitiveness Yearbook)の2013年版において、日本は60か国中24位にランキングされているが、起業家精神の項目では56位という非常に低い評価となっている。また世界銀行が行なった起業環境に関する国際比較によれば、開業に要する手続き、時間、コストを総合的に評価した場合、日本の起業環境は総合順位で120 位であった。こうした調査結果が、日本において起業活動が低調になっている現状を表している。しかし、起業を促進し増やしていくことは成熟した経済においても、以下の大きく3つの理由から非常に大事である。

 第一に、新たに起業した企業の雇用創出効果が大きいことが挙げられる。『中小企業白書2011年版』によれば、2006年から2009年までの期間の新規開業事業所は、全事業所の8.5%に過ぎないが、その8.5%で全雇用創出の37.6%を生み出しているとされている。

 第二に、ベンチャー企業がイノベーションの源泉になり、経済・社会に新たな価値をもたらす役割を担っている点がある。『イノベーションのジレンマ』等の著作で知られるハーバード・ビジネススクールのClayton Christensen教授によれば、既存の技術体系と大幅に異なるものを生み出す「破壊的イノベーション」は、イノベーションによって失うものが多い大企業からは生まれにくく、失うものが殆どない新興企業などから多く生まれているとされている。

 第三に、生産性の高い新興企業が参入することで、生産性の低い既存の企業が退出する(あるいは既存の企業の生産性が高まる)という産業の新陳代謝の効果が挙げられる。

 このように、新しい職業や雇用を創出するのみならず、我が国産業のイノベーションを促進し、日本経済全体の成長と活性化を図る上では、新しい技術やビジネスモデルを有し、大きなビジネスリスクをとって新規事業に挑戦するベンチャー企業の創出・成長が非常に重要である。

4.日本の起業環境の現状

 過去十数年間、起業家教育の拡大、インキュベータの整備、ベンチャー企業向け人材市場の成長、最低資本金規制の撤廃、ベンチャーキャピタルの成長、新興株式市場の開設等、我が国においてもベンチャー企業を取り巻く制度的・社会的支援の枠組みが急速に整備され、我が国のベンチャー企業の創出・成長環境は、この間、飛躍的に向上してきた。しかしながら、米国等、ベンチャー企業が国家の経済成長やイノベーションに大きな役割を果たしている国と比較すると、前述のIMDと世界銀行の調査結果からもわかるとおり、我が国のベンチャー企業支援策や環境醸成策は一層の拡大が求められている。言い換えれば、起業活動の活性化による経済成長へのプラス効果の潜在能力はまだまだ発揮されていない。

5.有効な起業活性化策の検討に向けた取組課題

 では、起業活動の促進と新規企業の成長を実現する為に、政治はどのような取り組みに注力して行くことが必要だろうか。前述の通り、日本は近年、ベンチャー支援の制度を国が率先して作り、様々な税制優遇措置も取られており、制度面で諸外国に大きく後れをとっているという状態ではないと考えられる。また、税制優遇措置などの環境面の整備は重要ではあるが、潜在的な起業家が「税制が優遇されているから」あるいは「様々な支援制度があるから」起業しよう、という考え方になるかと言えば、必ずしもそうではないという事も想像に難くない。以上のような認識の下、私は、さらなる起業環境の向上のためには、下記の三点に今後はより注力していくことが必要だと考えている。

A) 起業家精神の醸成・・・現在の日本では大企業志向が強く、自らリスクを取って起業するという起業家精神が、世界の先進国と比較しても低いというのは前述の調査結果のとおりである。このような起業家精神の低さが起業の活性化における根本的な阻害要因の一つであるので、起業家精神を養う事が必要である。短期的なプログラムとして、国は、如何に自ら事業を興して経営を行う事が尊いかを訴えるキャンペーンを行う事などが考えられるが、これは根本的な解決にはならない。

 起業家精神の醸成に当たっては、教育現場での「自ら考え、行動する」能力作りと、社会における自らの役割等を考えさせる教育プログラムに注力することが最も重要になる。いわゆる「ゆとり教育」の下で重視された「生きる力」というものに類似するが、「ゆとり教育」の目指したもの、コンセプト自体は優れたものであるので、こういった能力を教育現場で養わせる事を諦めずに、「自ら考え、行動する」能力を重視する教育改革の方向性を維持することが、起業の促進にも繋がって行くと考える。

B) 起業家をサポートする人材の育成・紹介・・・起業に当たっての問題点として、アイデア、あるいは技術はあるが、それを実際に事業化することに困難を感じている起業家が多い事が上げられる。私が過去に参加したベンチャー支援のイベントで、ある著名なベンチャーキャピタリスト(ベンチャー企業への投資を専門に行う投資家)が、投資先のベンチャー企業を選定するにあたってまずは事業のアイデアを見るが、最終的に大事になってくるのはexecutionの能力、つまりアイデアをビジネス化する実務能力と話していたことは印象的だった。松下塾主には高橋荒太郎、本田宗一郎には藤沢武夫、また井深大には盛田昭夫、というように、優れた起業家の脇には女房役とも番頭役とも言える名パートナーがいるものだ。現代の起業家にも、顧客開拓やマーケティング、資金調達などの実務面を頼ることが出来る専門家が必要になることは間違いない。このような人材を育成し、あるいは既存の企業で働いているそのようなスキルを持つ人材を如何にベンチャー雇用市場に流動させるかが重要である。

C) ベンチャーキャピタル(VC)の振興・・・新規起業に際して、資金調達は避けては通れない関門だが、ベンチャー企業の資金調達の重要な引き受け手であるVCが日本ではまだまだ低調であるとされている。ベンチャー企業にとっての資金調達の余地を拡充することも、起業の活性化にとって重要な要素である。

6.最後に

 以上、本稿では、我が国の起業環境を向上させて、起業を促進することで、新規雇用を創出し、より多くの職を社会に供給することで、松下塾主の目指した「天分」を生かせる社会を実現する、という事を考えてみた。既に述べてきたように、人間が持っている天分を生かせる環境を作ることが、人間と社会の繁栄の為に必要な事である。政治には、より多くの人間が天分を自由に何の妨げなく発揮できるように、自由・公正で機会に溢れた経済・雇用環境を作り出す政策が求められている。このような、天分を生かせる環境づくりが、人間観に基づいた政治経営の要諦であると私は考えている。

 我が国でも近年はベンチャー育成が注目され様々な支援策が講じられているが、まだまだ十分な結果を出すまでには至っていない。この起業の促進という分野は、私の政経塾での最大の研究テーマであり、上述の三点の起業促進のポイントは、今後私自身が研究を行いたい点でもある。税制面などの制度的な観点に留まらず、教育分野を含めた広い視点で研究を行い、効果的な起業促進策を研究して行きたい。起業を促進することは、雇用の創出やイノベーションにとどまらず、日本の就職に対する考え方が新卒一括採用、大手企業志向、安定志向へと一層凝り固まり若者を苦しめている現状を打破する力も持っていると考えている。今後研究を進め、またその研究成果を国策に反映し21世紀の松下幸之助の出現を支援することで、日本経済を立て直すという私の志を達成して行きたい。

参考資料:

松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年

IMD『World Competitiveness Yearbook 2013』 2013年

中小企業庁『中小企業白書2011年版』 2011年

世界銀行・IFC『Doing Business 2014』 2013年(URL: http://www.doingbusiness.org/data/exploreeconomies/japan#starting-a-business)

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斎藤勇士アレックスの論考

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Alex Yushi Saito

斎藤勇士アレックス

第34期

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