論考

Thesis

宇宙観に基づく人間観

生成発展論に基づいて人間の本質が何たるかを明示した、松下幸之助塾主の『新しい人間観の提唱』。それは、宇宙観に基づく人間観。そもそも宇宙とは何か、存在とは何か。塾主の哲学を紐解きつつ、人間観論を展開する上での根源的部分について考察する。人間観レポート書き下ろし第一弾。

1. はじめに

本レポートは、松下幸之助塾主の人間観を考察しながら「人間とは何か」について各自がテーマを設定し、それに基づいて自分の考えを述べるという「人間観レポート」である。前提として、私自身は、塾主に謁見したこともなければ、直接的に御話を拝聴したこともない。したがって、本レポートを作成するにあたり、塾主の人間観を考察する素材となるのは、塾主が直接執筆した書籍もしくは塾主の講演映像資料等に限られる。そこで、ここでは、松下幸之助塾主ご自身が人間観について説かれた書籍『人間を考える』及び『松下幸之助の哲学』を主な考察素材として取り上げる。以って、塾主の人間観を紐解きつつ、それに対する理解を示し、その上で私の考えを述べていくことにする。人間観レポートのシリーズ初回となる今回は、とりわけ「宇宙観に基づく人間観」というテーマで考察してみたい。そもそも宇宙とは何か、存在とは何かといった命題から掘り下げることによって、人間観論を展開する上での根源的部分について考察することができれば幸いである。

2. 松下幸之助塾主の宇宙観の考察

松下幸之助塾主の提唱する人間観において着目すべきは、それが宇宙観に基づいたものであるということである。人間を考えるにあたっては、人間がいかにして発生し、どのような過程を経て現在に至ったのかについて理解を深めるのは至極当然であるが、塾主は、『その人間の発生を知るには、何よりもまず、人間を発生せしめ、人間と万物とを包んでいる、この宇宙というものについての考え方を明らかにしなくてはならない』とし、宇宙の本質に遡って考察している。その宇宙観というべきものが、いわゆる生成発展論である。

松下幸之助著『新しい人間観の提唱』に曰く、『宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である』。これが塾主の思想・哲学の根幹をなす宇宙観「生成発展論」である。では、生成発展とは、一体何なのか。それは、ただ変化しているのでもなければ、衰退死滅でもない。命あるものが死を迎え、形あるものが滅びても、その滅びたものも、それだけにとどまるのではなく、それがまた次に新しいものを生んでいく。つまり、古きものが滅び、それによって次々と新たなものが生まれ育っていくという日に新たな進歩の姿、それこそが生成発展であると説いている。それでは、生成発展が自然の理法たる論拠はどこにあるのだろうか。

結論から言えば、松下幸之助塾主の宇宙観たる生成発展論は、長久なる地球及び宇宙の営みを概観して得られる一般理論から成り立っている。ここでは、その論拠を確認する。まず、地球の営みを考える。人間をはじめとする生物は、それぞれ多少の違いこそあれ、この世に生を受け、成長し、子を産み、親となり、寿命に達して死んでいく。また、石をはじめとする無生物も、長い歳月でみれば、摩滅するなり苔むすなり変化を遂げている。つまり、地球上においては、人間をはじめ一切のものが生成発展していると、塾主は指摘する。次に、宇宙の営みを考える。科学的には諸説あるものの、長い時間をとってみれば、まさに雲散霧消といった変化・流転が起こって現在の宇宙を構成していることに変わりはない。その意味において、やはり宇宙一切は常に変化し、たえず流転し、生成発展していると、塾主は指摘する。以上の通り、長久なる地球及び宇宙の営みを概観して考察するに、生成発展こそ宇宙に流れる自然の理法であると、松下幸之助塾主は説くのである。ここで明らかなように、その理論構成は帰納的且つ演繹的であり、極めて抽象的である。実のところ、この生成発展論の理論的支柱は、それ以上でも、それ以下でもない。

それでは、この生成発展という考え方をいかに捉えるか。私自身の考えは、概ね賛成であるといえる。世の中に目を向けると、全てが常に変化している。この世界において不変のものは何かといえば、それは万物が絶えず変化し続けることであるともいえる。人も、モノも、地球も、宇宙も、時間の経過に伴って常に変化しているというのは、事実であると思う。但し、その変化が全て発展的かと考えると、その判断は難しい。有史以来の人間の歴史をみれば、確かに物心両面において成長・発展を遂げてきたように思われるが、成長や発展といったもの自体が曖昧さを含んでいるため、断定し難いのである。しかしながら、古きものが滅び、新しきものが生まれる、その日の新たな姿が生成発展であるという定義からするならば、この世界の変化の様相は、まさに生成発展と呼ぶに相応しく思う。それゆえ、この世の自然の理法としての生成発展論に、私は一定の理解を示したい。

ただ、この生成発展論は、あくまで宇宙の理法を説いたものであって、宇宙とは何か、万物の存在とは何かを説くものではない。すなわち、確かに生成発展の理法はこの宇宙の基本原理であるとしても、何故この宇宙は生まれたのか、生成発展した先に何があるのか、それらを明らかにするものではないのである。考え方によっては、生成発展した先に何があるのか分からないけれどもその理法に従うしかないというのは、ある意味、残酷であるともいえよう。それは、ゴールが分からないが、ルールだけあるようなものである。故に、この生成発展論は、ルールの解明であって、ゴールの解明ではない。勿論、ルールに従うこと自体がゴールなのであるという解釈や、そもそもゴールなどないのであるという解釈もあり得るだろうが、私としては、ゴールの存在を想定し、それを究明したいのである。

さはさりながら、私は、この世の自然の理法としての生成発展論を基調に物事を考えることには賛成である。先述の通り、生成発展という考え方には共感することができるだけでなく、それを思想・哲学の根底に位置付けることにより、人間の活動に一定のビジョンを与えることができると考えるからである。確かに、生成発展の先に何があるのかは分からない。ゴールがあるか否かも分からない。しかしながら、それは、我々が生成発展していく過程において次第に明らかになってくるものではないかと、現段階では考えている。さすれば、自然の理法に従いつつ、且つ、その根源を究明していくこともできよう。以上のような観点から、私は、松下幸之助塾主の宇宙観「生成発展論」には賛同している。

3. 松下幸之助塾主の人間観の考察

前項で考察した通り、松下幸之助塾主は、宇宙を貫く自然の理法として生成発展という概念を提唱した。それでは、その宇宙観において、人間はどのように位置付けられるのであろうか。その基本的考えは、まさに、『新しい人間観の提唱』において明示されている。塾主曰く、『人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である』。塾主の人間観の真髄は、ここにある。

詳細なる解説は書籍に譲るとして、その趣旨を要約するならば、人間は、「生成発展する宇宙に君臨し、万物それぞれの特質を明らかにしながら、それらを生かし、支配活用できる王者としての本質を与えられている」ということである。「君臨」「支配」「王者」という言葉だけ見ると、ややもすれば横柄に感じ取られるが、塾主の解説を紐解けば、それらは逆に敬虔さを伴った表現であることが分かる。つまり、地球上における他の生物のように、本能のみにしたがって生来単調な営みを続けているものに比べ、人間には万物を活用して創造的活動を営むことのできる本質が備わっているのであるから、その重みを受け止め、その責務を認識し、自然の理法に則ってその本質を活用すべきであると、松下幸之助塾主は提唱しているのである。

それでは、その人間の天命ともいうべきものは、どのようにして実践することができるのだろうか。これについて、塾主は二つの重要な指摘をなしている。第一に、人間自身がその「天命を知る」ということである。すなわち、人間自らがその本質を正しく知らなければならないと指摘する。第二に、「衆知を集める」ということである。これは、多くの人々の知恵を集め、個々の知恵を超えた衆知の蓄積というものを実現するということであり、そのための心構えとして「素直な心」の重要性を強く指摘する。以上を総括すると、松下幸之助塾主の人間観というものは、「生成発展する宇宙において、人間が万物の特質を生かして物心一如の真の繁栄幸福を生み出すという天命を全うすべく、人間自身がその天命を認識し、素直な心で衆知を集めるべし」と集約できるであろう。

思うに、塾主の人間観の意義は、人間を偉大な存在として捉えた上で、その責務の重みや課された使命を説いたところにある。それは、人間に与えられた本質を真摯に受け止め、それを自然の理法に従って活用すべきであるという、実に素直な姿勢であるといえよう。世界に目を向けたとき、人間独自に備わる特質というものを考えてみると、確かに、人間のように、叡智を高め、万物を活用し、創造的活動を展開するような存在は、他に見当たらないように思われる。帰するところ、それは、人間固有に備わった天与の本質であるということができるのかもしれない。そのような観点からするに、松下幸之助塾主の人間観は、極めて的を射たものであると感じるとともに、生成発展という宇宙観において人間が目指すべきビジョンを示したものでもあると感じるのである。

4. 宇宙観に基づく人間観

前項までにおいて、松下幸之助塾主の宇宙観及び人間観の考察を行ってきた。ここでは、それらを踏まえて、私自身の宇宙観に基づく人間観を展開してみたい。

宇宙とは何か、存在とは何か。それは、古今東西、人類が追究してきた大命題である。これまで様々な宇宙観や世界観が唱えられてきたが、思想的・哲学的な分野である性質上、その正しさを証明することは極めて難しい。証明するというよりも、むしろ人それぞれが感じ取るべきものかもしれない。しかしながら、人間とは何かを本質的に考えようとするとき、宇宙とは何か、存在とは何かについて考えないわけにはいかない。なぜなら、人間自身が宇宙に内包される存在であることに変わりはないからである。

私自身の宇宙観・世界観は、「宇宙は、全体として成長していくことを志向している」というものである。その根拠はあくまで私の直感にすぎないが、万物は常によりよいものへと進化することを目指しているように感じる。だからこそ、日に新たという生成発展論には、極めて共感する部分が大きい。勿論、生成発展した先に果たして何があるのかは分からない。しかしながら、そのような自然の理法たるものに従う流れに、万物の繁栄・幸福というものがあるように思われるだけでなく、万物の存在理由を解く鍵も潜んでいるように感じる。それ故、「成長していくこと」「生成発展」といった概念を世界の進む先としてのベクトルに据えたいと考えるのである。

一方、私自身は、万物にはそれぞれの特質があると思う。人間には人間としての特質がある。人には人それぞれの特質がある。その人それぞれの才能・能力・長所がある。それらを包括する概念として行き着いたのが、「天分」である。私は、人にはそれぞれの天分というものがあると思う。これは、私自身の哲学・価値観であり、証明することはできない。しかしながら、人それぞれの才能・能力・長所といったものを発揮することは、純粋に、素晴らしいことであると思うのである。そして、日に新たな成長・生成発展を志向する中、一人ひとりがそのような天分を発揮したとき、そこに人間としての特質も実現されていくのではないかと、私は考えている。

これに関して、松下幸之助塾主の鋭い指摘を発見した。『個々の人間には、そのそれぞれに異なった天分を発揮しつつ、みずからの人生を全うしていくという使命がある…。そういった個々の人間すべてを包括した人間全体の使命というものは、…万物の王者としての天命を自覚実践していくというところにある…。その意味では、個々の人間の使命は、この長久な人間の使命からはずれるものであってはならない…。その人間全体の使命を全うしていくことに寄与貢献するというかたちにおいて、一人ひとりの使命があり、その使命を自分の天分個性に応じて果たすということにつとめねばなりません。』

それでは、現実世界において、人間はいかにしてその特質を実践していくことができるのか、人間はいかにしてその天分を発揮していくことができるのか。次回以降の著述にてその真相に迫る。

[参考文献]
『人間を考える』松下幸之助(PHP文庫)
『松下幸之助の哲学』松下幸之助(PHP研究所)

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谷中修吾の論考

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Shugo Yanaka

谷中修吾

第24期

谷中 修吾

やなか・しゅうご

ビジネスプロデューサー/BBT大学 経営学部 教授/BBT大学大学院 経営学研究科 MBA 教授

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