論考

Thesis

海外の医療現場からの学び part1 豪州の医療制度

約120日間に渡って日本を離れ、海外の医療現場を視察して回った。今回のレポートでは視察した医療制度の概要報告から日本への提言を述べてみたいと思う。

序章  なぜ今海外なのか
第一章 豪州の医療制度
第二章 英国の医療制度
終章  そして日本は

序章 なぜ今海外なのか

 なぜ海外を研修先として選んだのか。まずはそこから始めようと思う。
 私が松下政経塾に入塾してから今回海外に渡るまで1年半の間、初めて現場から離れたところで日本の医療を客観的に観察し続けてきた。現場で感じてきたあの閉塞感の源泉はどこにあるのだろうか、それがその間の私のひとつの議題であった。現行の日本の医療制度が10年程前のような安定感を保ったまま今も存在しており、そしてこれからも機能し続けると認識している医療関係者はもはや少数派であろう。
 現場から離れたところで観察を続けるに従って、私の中でひとつの仮説に至った。今の日本の医療制度改革は各方面の言い分を聞きながら、調整と配分の方法を変えているだけに過ぎない。更には医療制度を支える国の財政も以前にも増して厳しく、いかに医療が大切だからといっても今後国家への経済的依存を更に強めていくことは困難だ。これから迎える人類未到の超高齢社会を前に釜底抽薪の解決策を練るべきではなかろうか。
 松下幸之助はある講演会でこう語ったという「30%の赤字を修正することはできる。しかし5%の赤字を修正することはできない」。これは至言である。経営の方式を抜本的に見直し、その構造にメスを入れることで30%の赤字は改善しうるが、むしろ微妙な調整に終始することで5%の赤字を改善しようとすることは徒労に終わるということである。
 私も今までと同じような屋上に屋を架すことはしたくない。臨床を離れ、与えられた貴重な時間を有効利用し、全く新しい知見を日本の医療に持ち込みたい。そのような思いに至った時、自ずと目線は海外へ向いていた。
 今回の視察先は豪州・英国そしてフランスの3カ国である。国の社会制度や文化風習などを含め、できるだけ広い視野で現場を眺めることを意識しての4ヶ月であった。

第一章 豪州の医療制度

第一部 豪州の概要

 豪州の人口は2220万人と日本の6分の1程でありながら、国土面積は日本の約20倍で世界でも6番目の広大な国土を有した国である。当然都市化が進んでおり、人口の約7割がシドニーやメルボルンなどの大都市圏に居住している。高齢化率は13.1%、合計特殊出生率は1.78であるが年間10数万人が他国から移民してくるため人口は増加傾向にある。
 また、国民の約1/4は他国で生まれた移民であり、その内訳は英国やニュージーランド、中国と続く。韓国や日本などアジア系の移民や滞在者も多く、大都市圏には各国の風土が滲む市街地を形成している。GDPは世界第14位である。歴史的には1901年に英国より独立したため医療制度も含め英国の影響が色濃く、また比較的新興国であるために各制度設計も他国を横目にみながら形作られてきた経緯がある。政体は連邦制をとっており、各州に首相を擁する内閣が形成され英国型の議会政治が行われている。
 日本と比較して言えば、良くも悪くも多文化の移民国家であり、それでいて全人口も少ないので制度設計もシンプルで小回りが利くという印象を受ける。

第二部 豪州医療について

1.国民の健康

 国民の平均寿命は日本、スイスに次いで世界第3位と高い水準である。とりわけ成人の喫煙率は過去20年間で35.4%から16.6%と半分以下に減少しており、OECD諸国の中では第3位の低喫煙率を達成している。ここには喫煙率低下を狙った政府の政策、具体的にはタバコ税の増加や政府広告、キャンペーンの効果が認められる。尚、豪州では室内での喫煙は全面的に禁止されており、よく建物の玄関外やベランダで喫煙する人の姿をみかける。これは乾燥した国土のため大規模化する火事災害の防止も関係している。
 一方、過去20年間で国民の肥満率は急激に増加し、現在既に世界有数の肥満国であり、それに伴う心疾患や糖尿病患者の数も右肩上がりと同国の医療においては無視できない状況になっている。
 豪州人の一人当たりの年間医療機関受診回数はOECD諸国の平均6.8回を下回る6.3回であり、OECD諸国内で最も受診回数の多い日本人の13.6回の半分以下である。

2.医療提供者

 豪州では英国や同じ英連邦であるカナダ同様、GP (General Practitioner:一般医)がゲートキーパーとしての役割を果たしており、患者はまずGPに行って紹介状をもらわなければ何科であろうと専門医にかかることができない。一方、自由開業であるため開業の際の地域的な縛りはなく、そのために自由開業制度をとる国において往々にして問題となっている僻地医療は特に人口密度の低い同国では無視できない。また人口千人あたりの医師数もOECD諸国の平均である3.1人を下回る2.8人であり、同じ英語圏である英国やニュージーランドなど海外からの医師にも僻地医療を少なからず依存している状況である。実際に医師の22.8%は海外で研修を積んだ医師であるが、海外からの医師も僻地医療には耐えられず帰国するケースも多々あるようである。
 国全体におけるGPと専門医の割合はほぼ1:1であり、OECD諸国の中ではGPの割合はトップレベルである。これは同国のプライマリケアの充実を示すと同時に、僻地医療を担うGPが一定数必要であるという状況もみてとれる。
 医学部に関しては5~6年の通常の医学部を卒業する方法と学士入学後に4年間で卒業する方法がある。卒業後は1年間のインターンを終えてからそれまでの成績を加味されて、各学会の準備したコースに入っていく。学会毎に期間は異なるが専門医は医師として独り立ちできるコンサルタントになるまで4年以上はレジストラーという身分でコンサルタントの指導を受けながら学ぶ期間がある。コンサルタントになれば開業や民間保険医療に従事できる権利も与えられる。GPに関してはコンサルタントという身分がなく、開業も比較的早期から可能である。ただし、学会の正規認定コースを修了していなければvocational registrationという資格をもらうことができず、その場合はメディケアからの支払いが減少するという仕組みである。
 一方、看護師数はOECD諸国平均と同じく人口千人あたり9.7人と日本の9.35人より若干多い。看護師の養成機関は地方にも広く分布していることもあり、医師ほど地域偏在が深刻ではない。また日本と比して特に都市部の病院では看護師の専門分化が進んでおり、麻酔科専門Nsや小児科専門Ns等にも分かれている。加えて米国同様に州によって違いはあるが、特に地方ではNP(Nurse Practitioner:臨床看護師)の制度も定着しており、限られた検査や処方、紹介状なども扱えるようになっている。

3.豪州の病院

 豪州には大きく分けて公立病院と民間病院があるが、その意味合いは日本とは随分異なっている。基本的に皆保険であるメディケアに加入している国民は公立病院で無料の医療を受けることができる。一方民間病院では病室や食事が豪華であったり、入院時に医師を指定することができるなどの面が異なっている。実際は公立及び民間病院は敷地内に隣接していることが殆どで、同じ病院グループが運営している。どちらに入院するかは多くの場合患者の保険次第で、メディケアだけであれば公立病院へ、民間医療保険を所持している患者は民間病院を選ぶことが多い。民間医療保険がなくても民間病院に入院することも可能ではあるが、大抵は一般の患者には手の届かない医療費に跳ね上がるためである。公立病院では医師を選択できないため、一般にまだコンサルタントになる前の医師が経験を積む教育施設の意味合いも兼ねている。これは同時に、例えば日本の大学病院のように場合によっては高度先端医療を担う役割も公立病院にあることを意味する。また公立病院に民間医療保険を使用して入院することも可能である。その場合は個室が割り当てられ、医師の選択も民間病院と同じように可能となる。
 人口千人あたりの急性期病床の数はOECD諸国平均の3.8床を少し下回る3.5床である。病床数は他国と同様に近年の在院日数短縮や日帰り手術の増加といったトレンドも反映して減少傾向にある。逆に病院数は全国1314施設で近年微増傾向だが、内訳は公立病院58%に対して民間病院42%程度の割合で微増分は全て民間病院となっている。尚、病床数でみると67%が公立病院で残り33%が民間病院と、規模としては公立病院の方が平均的に大きいことが分かる。それでも公立病院と民間病院は並立しているため、国全体として病院へのアクセスは日本よりも悪く、別の言い方をすれば集約化している。
 また人口あたりのMRIやCTの数はこの20年程でそれぞれ約8.5倍、4倍と急増しており、近年の医療機器整備の国際的潮流に乗っているも。しかしながらOECD諸国平均を上回り日本に次いで世界第2位の人口当たりCT数に比べて、MRI数は未だOECD諸国平均の半数ほどしか整備されておらず、その点はいびつともとれる。

4.豪州の診療所

 診療所は大別してGP診療所と上級専門医(コンサルタント)診療所とに分かれる。先述した通り救急を除いては紹介状なしに専門医を受診することができないため、患者はまずGP診療所を受診する。診療所も救急の場合や一部のGPを除いては基本的に予約制となっている。また患者は受診の度にGPを選択することも可能であるが、本来的なGPの役割からも患者が都度GPを変えることはむしろ少ない。尚、診療所の予約制は日本以上に厳格な患者のプライバシーを守るという意味でも一役買っている。
 また診療所の受診料(ドクターフィー)は医師が自由に価格を設定することができ、一般に診療所内外にはその大まかな価格が示されている。最終的にはメディケアで賄われる分は差し引かれるため、医師が設定した価格との差額がつまり患者の自己負担分となる。腕のいい医師は価格を上げることも可能であり、受診抑制効果にも繋がる。
紹介された専門医は基本的にどこかの病院にも籍を置いており、入院治療が必要な場合は籍のある病院に患者を入院させて治療を継続する。籍のある病院で週に数日外来を行っていることも多く、外来ブースや入院施設を専門医が「借りている」というイメージが相応しい。患者の医療費はドクターフィーとホスピタルフィーとで成立しており、医師と病院に分担される。尚、診療所もグループプラクティス化が進んでおり、開業医が主であるGPであっても単独での開業は1/3程度で、他のGPは例えば大規模な診療所の診察室を借りており、場合によっては週に数回ずつ幾つかの診療所を往き来することもある。
 尚、基本的に在宅医療も診療所のGPが担っているが、診療報酬が日本に比して低く、且つバルクビリングになりやすい患者が多いため、往診を行う医師の数は減っているようである。

5.医療保険制度

 総医療費の対GDP比はOECD諸国の平均値である8.9%を少し下回る8.7%であり、それに対して国民一人当たりの医療支出はOECD諸国平均値を若干上回る程度である。いずれにせよほぼOECD諸国の平均値に近い数字である。一方、一人当たり医療支出の中では民間支出の割合が32%と比較的高く、(OECD諸国平均27%)これがこの国の医療のひとつの特徴といえる。
 先述したように医療保険は国民皆保険であるメディケアによって公立病院での公的医療や救急医療は無料(救急搬送は有料で民間保険の対象となる)で賄われる。メディケアの対象は豪州国民及び永住権を持つ移住者である。診療所は医師による価格設定があるためメディケアを保持していても有料となるが、その分低所得者へのセーフティネットも充実している。具体的にはバルクビリングという制度で、患者は無料で診療所を受診することができる。つまり医師は患者から請求することはできず、メディケアからしか支払われない。主に生活保護の患者や年金生活者がこの制度の対象となるが、医師との相談でその他の患者が対象になる場合もあり、無料の公立病院と共に豪州医療におけるセーフティネットを担保している。ただし、歯科治療に関してはメディケアによってカバーされていないため、大きな所得格差が問題となっている。
 その他にもPBS(Pharmaceutical Benefits Scheme)という薬の処方に関する制度がある。これは処方箋薬の公的補助制度であり、給付対象者はメディケアと同様で患者は一定額の自己負担分のみを払うだけでよい。年間の自己負担額には上限が設けられており、特に生活保護の患者や年金生活者では上限が低く設定されており、セーフティネット機能としては大きな役割を果たしている。尚、新型インフルエンザやヒトパピローマウイルス(子宮頚癌)に対するワクチンも日本ではそれぞれ6千円程度、5万円程度であるが、豪州では年齢制限が異なるなど細かい違いもあるが基本的に全て無料である。

第三部 豪州の医療現場を視察して

 2009年10月から2010年1月にかけてシドニー市内近郊の数か所の診療所と病院の視察を行った。ここからは診療所と病院において視察した内容を述べてみたい。尚、訪問先は以下である。

診療所
・George Street Medical Center
・Northbridge Family Clinic
・Pec City Clinic
病院
・St. Vincent Hospital
・St. George Hospital

1.豪州の診療所現場

 診療所の設備は日本と比して極めてシンプルである。私も最初に診療所の敷居を跨いだ時には、これで医療ができるのかと思わず声を上げそうになった。レントゲンや超音波など日本の診療所には当たり前に備わっている設備も大抵は放射線科医が在籍して読影までしてくれる近所の画像検査センターにアウトソーシングされているからやむを得ない。(また検査を行ったところで当然診療所の稼ぎにはならないので、過剰な検査を避けられるメリットもある。)では逆に何が診療所にはあるのだろうか。もちろん地域や診療科にも依るであろうが、一般に都市部の小さな診療所には受付と待合室、そして診察室だけというのも珍しくはない。診察室の中も机と電子端末、そしてベッドがあり、検査器具としては血圧計とせいぜい心電図があればいい方であろうか。日本と比べれば極めて簡素な印象を受ける。また完全予約制であるため患者も自分の予約時間前に来るだけなので、日本とは比較にならないほど待合室も閑散としている。医師が1~2名の診療所では看護師を雇っていないことも多いそうだ。総じて日本人の目から見れば診療所というよりも「オフィス」に近い。もちろん大規模なグループプラクティスを行う診療所はもっと賑やかである。私が訪れた診療所のひとつは14人のGPが所属しており、入れ替わりで在宅や別の診療所でも診療を行ったりしながら協働していた。彼らはその診療所に所属しているというよりも、診療所の場所を借りている独立した医師なのである。事業主はパートナーと呼ばれる数人の医師の場合もあれば個人の医師の場合もあり、その他にも企業が経営している診療所チェーンもある。
 GPと専門医との情報共有はスムーズである。GPや専門医が出した検査結果は必要に応じて検査センターから各々の元へ送られる。基本的にGPの下には患者の情報が全て集まるシステムになっており、机上の電子システムを通してそれらの情報を把握することが可能である。紹介先の専門医は患者との相談の上でGPの判断により決められ、予約も主に診療所が取って患者に伝えられるが、患者の都合で後に変わることもある。患者のために適切な専門医を紹介することもGPの腕のひとつとなるが、評判のいい専門医は常に予約が入りにくい状態にある。
 診療所で料金表を見せて頂いた。四つの料金段階に分かれており、基本料金である「診療報酬点数+医師による設定価格」から、最低ランクの「診療報酬点数のみ」までの間に2つのランクが用意されていた。ディスカントになる場合、患者がどの価格になるのかは医師と患者の交渉になるそうだ。診療報酬点数のみを請求するバルクビリングを全ての患者に採用していた医師も近年はそれだけでは経営が困難なようである。医師が診療報酬点数に加えて自由に価格設定をすれば、その価格差に応じて患者の受療行動が変わるようにも思えるが、実際には医師毎の価格差は患者がそれを主な理由に受療先を検討するほど大きなものではないようである。
 全体にGPができる医療行為は限られているが、ゲートキーパーとして患者に寄り添い、その健康状態のみならず家族や社会背景までを把握する役割を担っていると感じた。専門医に関しては後述する。

2.豪州の病院現場

 病院は大きく分けて公立部門と民間部門に分かれている。基本的には同じ敷地内に公立病院と民間病院があり、その間に救急部門や専門外来があるといった格好だ。
 患者は入院する際に専門医を通して入院する場合と救急部門を通して入院する場合がある。場合によっては専門医の集合体になりかねない日本の救急とは異なり、豪州の救急部は確立した印象を受ける。基本的にはER制度であり、Walk-inの患者から三次救急まで広く取り扱っている。(広いフロアに多くのベッドが並べられているERの印象は米国のそれに近い。)救急部を歩いていると精神科ブースや眼科ブース、妊産婦用ブース、小児救急を扱う病院は小児救急用のフロアなどもあり、基本的に救急の医師が初療に使用する。この点は眼科となればすぐに眼科医を呼ぼうとする日本とは異なる点である。
 患者はERにやってくるとまず必ずトリアージナースの問診を受ける。トリアージされた患者は5段階に分けられ、段階に応じて診察までの時間が変わってくる。このトリアージのカテゴライズは豪州全体で統一されていて、カテゴリー1は即時、2から5まではそれぞれ10分、30分、1時間、2時間以内と診察までの目標時間が定められている。目標時間の達成率は国により定期的にチェックされており、達成率が基準に達していないと原因の分析や報告が求められるため各救急部は目標を満たすためにも努力することになる。
 救急搬送は有料であるが、救急部は公立部門に属するため患者の払う医療費は無料である。そのため軽症と分類された場合2~3時間待ちということも覚悟しなければならないようだ。往々にして患者からは医療に対する不満の中に挙げられる点であるが、これは救急が無料である以上避けられないと思われる。
 病棟の雰囲気は公立病院が日本の病院とほぼ同じような無機質な雰囲気である一方、民間病院はホテルのように豪勢であると言える。完全個室に床絨毯、廊下の額縁には奇麗な絵も飾ってあり、表玄関や受付もまるでホテルのようで「入院したくなる」雰囲気である。ただ、民間病院はビジネスのために行っている部門でもあるため、人件費を過剰に抑えようとするなど外見の豪華さとは裏腹に医療内容が貧困であることもあるという声も聞かれた。これらはトップの考え方や経営手腕次第でもあるようである。尚、病院の外来部門も主に上級専門医による診療が行われているが、専門医は完全予約制であるため日本のような「混雑した大病院の外来」にはなり得ない。(そもそも先述したように豪州人の一人当たりの年間受診回数は日本人の半分以下である。)
 社会の至るところに認められる分業体質は病棟でも顕著である。病棟には患者の食事を運ぶだけのスタッフもいれば、毎回回診に付き添って患者のデータをコンピューターに入力するデータ管理の係りまでいる。データ管理係りは医師が患者データを症例発表などで使用する際にはきちんとまとめてくれるそうである。
 一日手術室に入りこんで見学をさせて頂いた。手術室は非常に効率化されており、日本では一日2件ほどしかできない心臓手術も4件程行われる。前の患者が手術の後半に差し掛かった時には手術室のすぐ隣の麻酔室で麻酔科医や麻酔専門ナースにより患者の動静脈路確保や鎮静剤投与が既に行われている。手術後の患者は心臓外科手術であれば気管内挿管、全身麻酔の状態のままICUに移される。その際には患者移動専門の男性要員が呼ばれ、手術台からストレッチャーへ、そして術後回復室へと運ばれていく。術後回復室へ移ってしまえば後はその場の担当者達の出番である。執刀医は術後に患者の状態を見に行くことも、その家族と顔を合わせることもなく次の手術に集中するのである。患者は手術の日の朝に入院することも普通にあり、術後も問題がなければ1週間以内には退院し自宅療養となる。(国の平均在院日数は5.9日である。)遠隔地から来ている患者などは退院後地域のGPが経過をみることになり、専門医は入院治療に特化している。ICUに入室した後はICUの専門医が担当することになるため執刀医の手を離れる。ICU専門医はどの科の患者であろうとICUに入室すれば完全に裁量権を握ることになる。日本のように各科の医師が不慣れな手つきで人工呼吸器を設定するよりは心強く感じられる。
また、病院全体に看護師やその他の職種も勤務時間がきちんと守られており、どのような臨床状況であれ時間になるときちんと帰っていくし、それが当然という雰囲気である。これらは国全体として日本より職業組合が強いことも影響していると思われる。

第四部 豪州医療の総括と課題

 GPがゲートキーパーとなり、専門医は診療所でも病院でも専門医療のみに特化することができている。明らかに眼科疾患であってもGPを受診しなければならないというのは手間でもあるが、自分の健康状態から家族や社会背景まですべてを把握している医師がいるのは安心感にも繋がる。また皆保険であるため患者は安価な医療費で必要な医療を受けることが可能で、特に手厚いセーフティネットも用意されているため、生活保護や年金の受給者は非常に低いコストで必要な医療を全て受けることができる。ただし、民間保険や民間医療部門も発達しており、保険により入院治療の待ち時間や医療内容にまで差が生まれるのは事実のようで、OECDの統計でも収入による医療格差が生まれる国のひとつに挙げられている。医師にとっては診療所や民間病院での自由な価格設定は臨床能力向上や診療行為それ自体に対する強いインセンティブになっていると言えるだろう。ただ、先進国の中でも比較的普及している民間保険による医療は、発達する程限られた医療資源を占有することにもなるため、この国では常に議論の的のようである。また、近年GPのグループプラクティス化も進んでおり、診療所内で診察するGPが度々変わることもあり、かかりつけ医としての機能には疑問の声もある。

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冨岡慎一の論考

Thesis

Shinichi Tomioka

冨岡慎一

第29期

冨岡 慎一

とみおか・しんいち

WHOコンサルタント・広島大学 客員准教授/ことのはコラボレーションクリニック 代表(医師)

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