論考

Thesis

地理的条件に見る日本人の国民性

日本人はどのように形成されてきたのであろうか。今回は国家観レポートの第一弾として、その形成過程を地理的要因から考察する。

1.はじめに

 松下幸之助塾主は著作『人間を考える 第二巻』の中で日本人の国民性について次のように述べている。「歴史と気候風土によって育まれ培われてきた日本の国民性はどういうものであるかを考えていくことが大切」と。今回、国家観レポートの第一弾として書くにあたって、日本人の国民性について論じたい。

 塾主は「人間を知る」ことの重要性を繰り返し説いている。いい羊飼いの条件は、羊のことをよく知っているかどうかにある。これと同じように、リーダーも人間をよく理解していなければならない。人間を理解し、人情の機微を知ることでより良い政策が生まれてくるのである。これがなければ、政策を論ずるに値しないのではないだろうか。松下政経塾が全寮制なのも、カリキュラムにおいて人間観が重視されているのも、こういった背景がある。とりわけ、日本のリーダーには確固とした「日本人観」がなければならない。諸外国の事例を研究するだけではなく、日本人にあった施策を研究するには、日本人を深く理解する必要がある。このテーマこそ国家観レポートの第一弾としてふさわしいと私は考える。

 さて、国民性に話を戻す。国民性を規定する上で、歴史と気候風土を考察することは非常に大事なことである。坂本多加雄氏は著書『国家学のすすめ』で「日本の国家像は、日本人がそのなかで生活を送り、文化を育んできた歴史的・地理的環境を基本において構想される」と述べている。つまり、日本人が日本人たる由縁を「歴史」と「気候風土」に由来するものだと言っているのである。その全てを論じるには短い紙面では無理があるため、今回は地理的条件に絞って論ずる。

2.日本人の特徴

 前述した『人間を考える 第二巻』の中で、塾主は日本人の特徴を以下の三つと述べている。

(1) 衆知を集める
 第一は「衆知を集める」ことである。日本の神話には、様々な神が出てくるが、専断専行する姿はない。必ず衆議によって、知恵を集めて、物事を行なっている。また、十七条の憲法の第十七条には「それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし」とある。古くから、日本人は衆知を集めることを特徴としていた。

(2) 主座を保つ
 第二は「主座を保つ」ことである。日本はこれまで様々な宗教がやってきて、取り入れてきているが、そうした宗教のいずれかを国教とすることはなかった。もちろん代々の天皇の中には、仏教などに進んで帰依した天皇もいた。しかし、あくまでも個人的に帰依したのであって、国家として帰依したことは一度もなかった。天皇が跪いて祈るのは、皇祖皇宗の霊に対してだけであって、主体性をもっていたのである。また、日本は各時代を通じて、様々な思想や文化を海外から取り入れてきたが、その場合もしっかりと主座を保ってきた。漢字だけではなく、平仮名と片仮名があるのも一例である。しっかりと主座を保ちながら、消化吸収していったのである。

(3) 和を貴ぶ
 第三は「和を貴ぶ」ことである。十七条の憲法の第一条に「和をもって貴しとなす」という言葉が端的に表している。古代社会から、日本は和を大切にしてきた。時に戦をすることもあったが、朝鮮との戦いのあと島津義弘が高野山に、双方の戦死者の霊をまつったように、一視同仁の姿が多くみられる。和を貴ぶ精神が日本人の中に力強く生きているのである。

 以上、3点を日本人の特徴と塾主はおっしゃっている。これを踏まえて地理的に分析したい。

3.立地条件が与えた日本の国民性

 我々の国民性を考えたとき、言うまでもなく日本列島が置かれた位置が大きく関係している。注目したいのは我が国と大陸との距離である。対馬海峡が約170キロ、九州と大陸の間の東シナ海が約500キロある。これが自立しながらも、交流を保てる絶妙な距離であったのである。この距離が長くなると、大陸からの自立はむしろ孤立となり、原始状態に留まったであろう。一方、この距離が短くなると、今度は大陸からの軍事的制圧や民族の移動を経験しなければならなくなったであろう。自立と交流の双方が可能な絶妙な距離に日本列島が浮かんでいたのである。

 我が国と対照的な例がイギリスとスペインであろう。イギリスはドーバー海峡を隔ててヨーロッパ大陸と50キロしか離れていない。このため、古くはローマ帝国に支配され、アングロサクソンやデーン人が侵入を繰り返して歴史が形成されてきた。またスペインもアフリカ大陸との間にあるジブラルタル海峡が14キロという距離のため、北アフリカの民族やイスラム勢力による侵攻を繰り返し経験した。

 我が国はこれとは違う。遣唐使の船が一カ月以上かけて唐に渡ったように、容易に交流することはできないが、苦労すれば大陸に行ける距離にあった。付かず離れずの奇跡の位置に日本列島が浮かんでいたのである。塾主の言葉を借りれば、「衆知を集める」のも「主座を保つ」のも可能であった位置にあったのだ。この地政学的な位置は重要である。

4.四季が与えた日本の国民性

 我が国はアジアのモンスーン地域の一部であり、春夏秋冬の四季があるのが特徴である。四季それぞれに風景が違い、それに合わせて人も喜びや悲しみがある。春になれば花が咲き、命の喜びを感じ、秋になれば落ち葉が散り、もの悲しくなる。いかんともしがたい自然の力によって、感情豊かになった民族なのである。四季折々の自然が影響した文化として「俳句」が挙げられるであろう。俳句は季語を必要とする。日本人独特の文化である。季節の情景を十七音という世界最短の詩で表現する芸術にまで至った。

 食糧となる自然物が少ない乾燥地帯や砂漠で生活する人々の思考は、一般的に目的意識や自己主張が強くなる。自然は人間の征服する対象となるのである。日本人の自然観はこれとは対照的だ。四季折々の自然は、我々日本人の生きるために必要な食糧を恵んでくれる畏敬の対象となった。まさに自然がもたらす恵みによって我々の国民性は育まれていったのである。

5.稲作が与えた日本の国民性

 日本人を語るうえで稲作も外せない。前章で見たように、日本はモンスーン地域に属し、四季がある。これは米の安定した収穫を可能にする気候である。日本人は千数百年もの長い間にわたって稲作をしてきた。稲が日本人を束ね、文化を育み、食文化を豊かにしてきた。日本人が日本人たらしめているのは稲作だと言っても過言ではない。単に主食というだけではなく、食生活、風習、価値観など生活の隅々まで稲作が影響している。ここに日本人の国民性の特徴があるのである。

 日本の「村社会」は稲作により形成されたと言われる。稲作は狩猟採集とは異なり、集落ごとの土地で共同作業を必要とするためだ。土地を改良し、灌漑を整備しなければ稲作はできない。それが終わっても、毎年の水路の管理や修理を必要とする。このことが「村社会」を成立させたのである。こうしたことの積み重ねが「和を貴ぶ」国民性を育んだのだろう。

 京都大学の渡部忠世名誉教授によれば、日本の稲作文化は、「稲の栽培にかかわる農法あるいは技術、米の食文化、そして豊穣の祭りや信仰などに象徴される民族と儀礼あるいは宗教、さらには社会組織から国家の体制にまで及ぶ、私たちの日常の営為とその周辺の大方の総体に関わる一つの文化の体系に他ならない」ものであると言う。稲作が日本人の生活様式の隅々に影響してきたのである。

6.おわりに

 以上見てきたように、日本人は「気候風土によって育まれ培われてきた」と言える。塾主は我々日本人の特徴を「衆知を集める」、「主座を保つ」、「和を貴ぶ」と論じた。日本ならではの地理的条件が我々に影響を及ぼし、「衆知を集め」、「主座を保ち」、「和を貴ぶ」ことができるよう為さしめたのである。我々はこうした日本人の国民性をしっかり認識した上で、他のどの国にもない「日本型」の政策を議論しなければならないだろう。

<参考文献>

松下幸之助著『人間を考える 第二巻』(PHP研究所、1982年)
坂本多加雄著『国家学のすすめ』(ちくま新書、2001年)
和辻哲郎著『風土』(岩波新書、1979年)
安田喜憲著『環境考古学のすすめ』(丸善ライブラリー、2001年)
公益財団法人松下政経塾31期生共同研究報告書「結いの国日本~2030年日本農業の再生を目指して~」

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江口元気の論考

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Genki Eguchi

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第32期

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