論考

Thesis

持続可能な活力に満ちた地域社会の実現に向けて

松下政経塾の三年千日の研修では、誰もが生きがいを持ち続けられる「持続可能な活力ある社会の実現」に向けて邁進してきた。たった3年間であったが、自らの研修を通じて持続可能な社会に向け歩み出すことができた。その軌跡と踏み出した第一歩を述べる。

1.松下政経塾の基礎研修

 松下政経塾の1年目の基礎研修は、志を持つ同期とともに日本各地に周り、林業、農業、漁業、製造業』など地方の現地現場に行き現場で働く多くの人々にお世話になり研修を行った。松下政経塾は志を持つ同年代の仲間が集う場所である。実現したい志は違うものの皆に共通するのは「世の中を良くしたい」という気持ちだ。個々の意識も高く志に向かって全力でぶつかるのが松下政経塾の特徴である。短い期間ではあったが、現場の一作業員として作業をさせていただくことで、それぞれの現場の大変さを実感した。現場で感じたことは、どの現場の方も、その仕事に誇りを持ち懸命に取り組んでいるにも関わらず、日本に対して明るい未来を抱いていないという事であった。昨今の金融危機の影響から、仕事が激減し、林業では、月給が十数万円の給与であるため、男の若手が全く集まらない現状、農業や漁業では、一生懸命工夫をしても、他業者との競争により、思うような価格を設定できずに、利益をあげられない現状、製造業では、数年前に大量リストラを行い、現場に働いている人の多くが40歳以下となってしまい営業や開発で働いていた人までも製造ラインで働いているという現状などの現場を目の当たりにした。企業は今、国内の価格競争をして足の引っ張り合いから抜け出せない。国内企業同士が、価格競争に疲弊を重ね終わりのない消耗戦をしている。良い素材を使い、手間をかけて作られたものは、ある一定の価格が設定されるべきであるにも関らず、他者より自分の商品を売りたいという気持ちを強く出すあまりに、価格を下げ、価格に敏感な消費者が、それに飛びつき、やがて利益を薄くする。他の業者も、それに追随して価格を下げざるを得なく、業界全体が価格を下げるといった『悪いスパイラル』が生まれている。国内の激化する競争の中で、日本企業は力を消耗し、国際競争で力を発揮できない状況となっている。国際競争力をつけるためにも国内企業の協力関係を作っていくことが求められる。政治の役割は、時代に即し、さらに先を見越して法整備を行う必要がある。それにもかかわらず、民間からの要望でようやく動き出すという後手の政策しかできていない。どの企業だけ、生き残ればいいという発想ではなく、官民一体となって産業育成をし、国内企業の水準を底上げし、国際競争していくという意識が大切である。

 さらに海外研修の場としてベトナムに行き、日本の海外進出の現場を見に行った。日本は海外進出において、政府のバックアップもなく、企業単独での国際競争にさらされ、海外企業になかなか太刀打ちできない現状があった。一方、韓国は、国策としての色合いが強く官民一体で海外進出をしているという事が聞かれた。今まさに日本に足りないのは、日本国内の力を集約して国際舞台に打って出るという一体感である。

 入塾当初の私の志は、「市民と自治体の協働による活力に満ちた地域社会の実現」であった。市民と自治体が一体となって活性化したいという志であったが、様々な研修を通して、日本人の誰もが協力し合い一体とならなければ、国難の今の時期に活性化することができないと感じるようになった。

 研修の中で、いくつもの著書を読んだが、その中で特に自分の考え方を変えたのが、ローマクラブの「成長の限界」であった。著書を読み終え、地球の有限性と地球の崩壊の危機を40年もの前から認識されているにもかかわらず、いまだ解決に至らない日本や世界の現状に憤りを覚え、「資源の有限性を考え、持続可能な社会を作らなければ、日本のみならず地球がこのままでは存続できないのでは」と思うようになった。さらに、持続可能な資源として言われている森林も日本国内では、行政の失策やずさんな管理により森が荒廃していることも目の当たりにし、自ら先頭になってやるべきことは、小さい範囲でもいいから、「自らが先頭に立ってやるべきだ」と感じるようになった。そして、志が徐々に確固としたものに変わり、次に「皆が力を合わせて持続可能な活力に満ちた地域社会を実現すること」が自分の志というものに昇華した。

 現世代に生きる我々は、次世代の子供たちが我々と同じように生き続け世界を造る責務がある。その第一歩は、地球の中でも豊富な森林資源を立て直すこと、それが私を含め、日本人に課せられた使命であると感じ2年目、3年目の研修に入った。

2.共同研究からの気づき

 1年目から2年目には、同期の仲間とともに2030年の日本のあり方を提言する共同研究を行った。テーマは、「支えあいの国・ニッポン 生涯現役社会を目指して」とした。共同研究を通して、人はいくつになっても「生きがい」を持って人生を送ることが必要だということに気づかされた。人は、まず親と子といった家族の繋がりがあり、次に地域の住民との繋がりがあり、そして会社での繋がりがあるなど、常に人は社会の中で他者とのつながりを有するものである。そして、人はこれらの社会の中の繋がりを通じて人間は自己の価値を見出す生き物である。人は生まれた瞬間から他者のとの関わり合いがあり、他者との関わりによって自己の満足感を得る。例えば、人は自分の行った事に対して、他人に認められて初めて自分の行ったことの価値を見出すものである。

 また、人間社会は様々な交換を通じて構成されている。例えば、人間が生活を営むために労働と報酬、物と金などの交換が行われている。社会の中の交換が成り立つためには、それぞれに与えられた社会の役割に対して責任を持ち、責任を果たしてこそ社会の交換が成り立つ。支え合いの構造なくして社会は成り立たない。つまり、人が社会参加をして、何かしらの社会の役割を担うことで人間社会が構築されることになる。その意味でも、人が役割を持つことは人間社会において必要不可欠なことであり、社会が維持・安定することが出来る。

 しかし、仮に、皆が社会の役割に対して、「生きがい」を感じなかったらどうなのだろうか。与えられた役割に「生きがい」を感じず、今まで通りの与えられた事を単に行う。それでは、社会の発展は望めない。かつての社会の発展した歴史において、過去の人々は、自らの役割に誇りを持ち、やりがいを感じ、引いてはそれが生きがいになり、生きがいになることで人は与えられた役割に没頭し、新しいものや発想が生まれ、そして社会が発展してきたのである。つまり、人々が生きがいを感じることがなければ社会は発展することはなく、むしろ衰退の一途をたどる可能性が高い。ゆえに、未来に向かって世の中が生成発展するためにも、人が与えられた役割を活かし生きがいを感じられる社会の構築が求められる。

 今のままの制度を続けた場合には、働きたくても働けない高齢者は増え、年金による金銭的な余裕も期待できないことから、人生に生きがいを失った高齢者が日本で大量に生じることになる。

 人は社会での役割を見つけて生きがいを感じる。人々が社会の中で生きがいを感じられなければ未来への発展はない。つまり、2030年の日本が目指すべき姿は、いくつになっても社会に役割が持てる生涯現役社会を構築することである。共同研究を通して、日本は「誰もがいつまでも人生に生きがい(目標)を持つ社会」を目指していくべきだという結論に到達することができた。

3.誰もが生きがいを持つ地域に向けて

 共同研究を通して、私は、誰もが「生きがいを持つ社会の実現」を「地域」から始めたいと思うようになった。東京でも生産年齢人口の減少が始まっており、「地域」がいかに自らの力を持って、今後の成長に自律的、内発的成長を行っていこうという意思に立たない限り、日本の地域社会に希望ある未来はない。地域経済の再生なくして内需の拡大はなく、内需の拡大なくして今の日本経済の再生はない。今の大企業の進出先は、地域ではなく海外である。これからの地方は、外部の力ではく内部の力で活性化することが求められる。そのためにも地域の資源である「自然、風土、環境、歴史、文化、伝統」などを活かし、環境に配慮した新たな地域経済を「ないものねだり」から「あるもの探し」をし、自立ができる社会を目指すことが必要である。持続的に内需を生まれるようにするには、一時しのぎの政策ではなく、日本経済の構造を変えるような根本的な政策が求められる。

 日本全国には、まだまだ元気のある町があることを知り、私は広島県の「甲山いきいき村」に足を運び、その秘訣についてお話を伺った。その秘訣とは、「女性の潜在能力を引き出すことで、地域が活性化するという」ことであった。今まで家の中で働きたいのに働けなかった女性達が社会に出ることで、女性自身が生き生きとし、その活力が他の人に伝播するという好循環を生んでいた。男だけの職場に女性が参加することにより、今までなかったような新しいアイデアが次々に生まれているという現場を目の当たりにした。今まで社会で能力を発揮できなかった人たちが社会参加することで、地域は活力を取り戻すということだった。日本には社会参加したくてもできないという人たちがまだまだ多くいる。人口が減少し、労働力不足が予測される日本において、社会参加したい人が参加しやすい場を作ることが求められる。多くの人がサポートにより社会参加しやすい形をとり、彼ら彼女らの潜在能力を引き出すことで、新たな活性化のアイデアが生まれるのではないかと考える。「甲山いきいき村」の例はあくまで女性であるが、他の研修を通して、障がい者や高齢者にも同じことを感じた。NPO神戸西助け合いネットワークにおいては、高齢者の方とともに働く中で、高齢者の方にとって、人から必要とされることが生きがいにつながるということを。また、浜松市の障がい者継続支援施設・かがやき、神戸市のNPO法人おけーすとら・ぴっと、秦野市のNPO法人パソボラサークルなどの障がい就労施設に伺い障がい者の皆さんも一人一人が社会で役割を見つけその中で人に必要とされるということで生きがいを感じるということを実感した。身近な例では、一生懸命に人の役に立とうとする兄の背中を見て、人間には役割があり、その役割に責任を持って果たすことが、人間本来の姿ではないかという思いを強くした。

 地域の研修を通して、障がい者や高齢者を含めた地域住民が皆で、地域の経済活動や環境保全活動に寄与し、地域資源を活かした地域住民に優しい社会を構築する必要があると感じた。一方、日本には、経済と福祉と環境をバランスさせることのできる政策が欠けている。実現には、財源と権限を持たせるなど、地域が自立できる環境を整備し、地域の大切な人材である障がい者、高齢者、女性等、今現在も働く能力を持っているのに働けない人々の能力を社会が引き出し、行政と一体となって地域活性化のために活動が必要である。まずは経済と環境と福祉がバランスをとれた産業が生みだされるのではないかという考えに至った。

4.松下政経塾の実践活動

 1年目の基礎研修、2年目の共同研究を通して、経済と環境と福祉がバランスをとれた産業を生み出し、誰もが生きがいを持って、「持続可能な活力に満ちた地域社会を実現する」にはどうすればいいかという思いを持って3年目の実践活動にあたった。第一歩を踏み出す地域として、大学生時代、浜松市職員時代として過ごした浜松市を選んだ。

 浜松市は、天竜川本流とその支流、都田川流域に天竜林業と呼ばれる先進林業地帯をかかえる。天竜林業地は「天竜美林」とも呼ばれ、奈良県の吉野林業地、三重県の尾鷲林業地とともに日本三大人工美林の一つに数えられ、その美しさとともに、良質な木材の産地として全 国に知られている。浜松市の森林面積は、約10万3千haで、市域面積の68%を占めている。そのうち民有林は8万1千ha(79%)、国有林は2万1千ha(21%)である。森林は天竜、引佐、春野、佐久間、水窪や龍山地域の上流域に集中し、上流域の森林と下流域の農地や市街地とが共生する特色ある都市と言える。これらの人工林と天然林とが織り成す森林は、長い歴史の中で育まれ、良質な木材の供給による地域の活性化と、森林の水源かん養などの働きによる安全・安心を共存させてきた大切な資源となっている。しかし、林業での主な収入は、木材価格(収入)の低迷と木材生産経費(支出)高で、木を伐って販売しても十分な採算が得られない状態が続いている。さらに、再造林(再投資)には1ha あたり250 万円の費用がかかるため、林業収入だけでは再造林を行うことが極めて困難となっている。林業収入の減少は、経営意欲の減退や経営放棄を生んでいるのが現状である。

 また、浜松市は、私が職員であった2005年7月1日に周辺の11市町村が合併し、2007年に政令指定都市となった。そのため、今までは都市部しかなかった浜松は、現在人口は、現在82万5千人余で静岡県の中では県都である静岡市を抑えて第1位となった。また、面積は、1,500㎢余と岐阜県高山市に次いで全国で2番目の広大な面積を有している。自然は、四方を山・川・海・湖の異なる環境に囲まれ、1年を通じて温暖な気候と、自然環境には非常に恵まれた都市と言える。また、交通においては、東京と大阪のほぼ中間に位置し、古くから交通の要衝として栄えてきたまちであり、この恵まれた自然環境と交通の利便性が、浜松市のこれまでの発展に大きく寄与してきたと言える。 さらに、限界集落とよばれる、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難な集落が、平成18年4月現在国土交通省調査によると、46集落が限界集落(春野4、佐久間16、水窪7、龍山19)となっている。合併により浜松は、天竜区の森林地帯を抱えることにより、都市と自然が共存する町となった。 浜松の税収は、スズキやヤマハといった世界に冠たる輸送機器メーカーに税収の多くを依存している。そのため、金融恐慌により大幅な打撃により、多くの雇用を生み出していた、輸送機企業がダメージを受け、有効求人倍率が大幅に落ち込んでいる。また、税収面でも、大幅に減収となり世界的な不況のダメージを大きく受け、「優良自治体」から一気に「問題自治体」へとなった。 久しぶりに浜松の街中を歩くと、以前に比べ町に人通りと活気がなくなっているのを感じた。

 浜松市は、モノづくりの町で知られ、過去から現在においてモノづくり中心で税収を得ていた町であった。今後の浜松の将来を考える上で、おそらくインドや中国、韓国などでも輸送機器が作られるなかで、以前のように輸送機器だけで浜松が再び財政上潤沢になるには難しい。しかし、浜松はモノづくりの町として従来から培った技術力がある。この技術力と自然が地域の有力な資産である。この地域資源を活用していくことが浜松の産業の再生につながるのではという思いがある。

 まさしく浜松は日本の縮図である。浜松はかつて林業で栄え、そして、ものづくりに変遷し、今行き詰まりを感じている。日本と全く同じ状況である。山、川、海など自然も豊富で、環境面でも日本と同じである。しかも、浜松は森林率68%であり、日本の森林率の66%とほぼ同じ状況であり、一つの市が消費能力のある都市部を持ち、限界集落を抱えている。全国にも珍しい都市でありまさに日本そのものを表している。だから私は、浜ま松を研修の地に選び、浜松の現状を立て直すことが日本の森林解決策への第一歩となるという気概を持って研修に臨んだ。

5.林業は地方経済復興の切り札

 林業を立て直すうえで、一つのカギとなるのが人材の育成である。林業が収益性をあげるためには、木材生産効率の向上が必要であり、高度なマネジメント能力と技術力が要求される。その理由は、木材生産は複数の工程からなっており、その工程間の生産性に格差があると、その分、無駄が生じ生産性は落ちてしまうことから、単に機械を運転する技術のみならず、工程管理などのマネジメント能力も要求される。しかも林業はどれ1つとして同じ現場はなく、それぞれの現場ごとに判断を迫られることになる。しかし、林業の現場では、生産管理とは無縁の世界であり、戦前からほとんど変わっていない状態である。また、海外の林業を見てみるとその多くは地産地消を行っている。林業の商品である木材の費用の多くは輸送費であり、今後石油価格の高騰も懸念され輸送費を抑えることを考える、ロジスティックスの面を踏まえ、新しい林業の在り方を検討する時期に来ている。
林業に携わる若者に話を聞くと、疲弊した現状について悲観する一方で、新たな打ち手を模索している。彼らに対して、林業に関する生産管理や人事管理など、浜松のモノづくり企業が培ってきたノウハウを活用できれば新しい林業の形が生み出される可能性が高い。林業は、裾野も広く、木材を加工し利用するため、多くの人が関わりを持つ産業であるため、日本の資源を活かせる林業の再生ができれば、浜松の再生のみならず、疲弊が激しくなる地方経済復興の切り札となる。

 経済の発展には必ず資本の投下が必要であり、資本を投下し始めて経済活動が生みさされる。過去のように大量生産・大量消費の時代のように、資源は無限にあって消費し続けてもいいという考え方は続かない。石油や食料の価格は高騰の兆しを見せ、今後もその勢いはさらに加速すると思われる。そのような状況下において、資源の消耗コストを念頭に入れ、消耗した分だけ生産できる森林資源を使う林業は魅力的な産業である。さらに、世界が、地球環境保全へ向け大きく舵を取っている現在において、これからの経済は地球環境と一体に関係に立つ林業はカギとなる。

6.KIZARAプロジェクトの設立

 現在の日本において自動車や電機産業などの製造業で雇用を創出してきたが、景気悪化により雇用の大幅な減少が問題となっている。製造業で失われた雇用を林業のような地方の地域資源を活かした産業を生むことで雇用を吸収できるのではないか。そして、自然に近い産業なら障がい者や高齢者も活躍できる現場があるのではと考えて、林業を実践活動の場とした。そこで自ら踏み出したのがKIZARAプロジェクト(http://kizara.org/)である。KIZARAプロジェクトは、日本に眠る地域資源の森に目を向け、そして、森を大切に守る林業家と地域社会の役に立ちたいと思う地元の企業や障がい者・高齢者に焦点を当てたプロジェクトである。国産材の収益の大半は建材利用である。しかし住宅着工件数の下落によって今は国産材の利用が低下し、外材の輸入によってさらに需要が縮小している。そんな中で、新たに森に利益を還元するには、新たな需要の開拓と製品の開発必要と考え、KIZARAプロジェクトを立ち上げた。以下にKIZARAプロジェクトの設立趣意書を記載する。

【KIZARAプロジェクト設立趣意書】

森は川を綺麗にし豊かな栄養分を与えます。その川が畑や田んぼ、海を潤し、日本の豊富な食材を生み出します。すなわち、森の恵みは、食材の恵みと一体です。しかし、かつて豊かであった森もその多くが今や瀕死寸前なのです。外材に押され、国内木材市場は大きく衰退しました。そのため、管理のされていない森林が増加してしまったからです。

そこで私達は考えました。木と文化(食、伝統技術等)のコラボレーションがもっと有効にできれば、木材の消費量も増えるのではないかと。林業関係者がいくら、日本の杉やヒノキなどの木材を売ろうと思ってもなかなか単独で売っていくのは難しいのが現状です。

そこで立ち上げたのが、KIZARAプロジェクトです。

KIZARAは森林資源をしっかり活用し木と文化を結び付ける事ができます。さらに、森の健全利用に資するプロダクトです。KIZARAを普及することが、森を救う事となり、日本の農業・林業・漁業の助けになると強く確信しています。

2010年8月1日

 製造業で培った技術を使って新しい国産材の商品を生み出すことができれば、日本にとっても新しい未来が開ける。1次産業、2次産業、そして第3次産業のコラボレーションによる新しい6次産業をKIZARAプロジェクトを通して実現しようと思う。

 最初に取り組んでいるは、建材では活用できない、間伐材や林地残材を昔ながらの木をスライスする「経木の技術」を用いて製品を作ることである。経木はかつて食品を包む容器に用いられていた。しかし、プラスチックをはじめとして、経木に代わる商品が生まれ、産業は衰退の一途をたどった。経木には、大きな木は必要としない。山で捨てられてしまうような端材も活用できる。そもそも、経木に用いている木は、節が一定間隔にある松である。松を細かく刻み薄くスライスして製造している。この技術を応用し、松以外にも杉やヒノキをスライスして消費財として活用する方法はないかと経木製造の方々と検討を開始した。

 最初の実践として、木を薄くスライスする技術と、金型プレスで培ったモノづくりの技術を融合し、現在、浜松市の小掠プレスにおいて製造を開始した。薄くスライスした木から木製のお皿(KIZARA)や木のうちわを作ることに成功した。木のうちわは、取っ手の部分と仰ぐ部分に分かれるため、その張り合わせを障がい者就労施設のかがやきに製造協力を頂いた。KIZARAプロジェクトとして初めて、地域の森林を生かし、地域の人たちが力を合わせて完成する商品が生まれた。

 昨今、農業では生産者の顔が見えるようになってきている。消費者と生産者をつなぐことで、中間コストの削減等の経済的なメリットだけでなく、今まで消費者の声を聴くことができなかった生産者にとっても働く生きがいを生み出した。

 今私は、林業でも同じことができるのではないか。そう思い、顔の見える林業を実現しようと試みている。林業の生産者にとって、自分が切り出した木が、自分が作った製品がどのような人にどのような形で渡り喜ばれているのか。その声を聴くことが、何よりもの喜びではないだろうか。確かに、お金という対価も必要だろうが。私は、森を通じて多くの人に喜びを感じていただきたい。木を切りだしてから、製品にするまで多くの人が関わる。木材は、他の工業製品と違い木という生き物を扱う。そのため、機械化できる部分もあるが、どうしても人間がかかわらないと難しい部分も多い。そういう多くの人の力が必要な生きた製品だからこそ多くの人の顔が見える産業としたい。

7.最後に

 KIZARAプロジェクトとして、林業を顔の見える産業に育て、それにかかわる人に生きがいを感じ、最後は林業に関わるすべての人が働くことに誇りを感じる産業に育てたい。林業を皆が「かっこいい」と思う産業に育てたい。そうすることが、誰もが生きがいを持つ「持続可能な活力に満ちた地域社会」に近づくのではと考えている。

 松下政経塾の研修を通じて、多くの方に出会った。出会いが私を成長させてくれた。今、日本は閉塞感に漂う世の中になってしまった。そんな時代に松下政経塾で研修ができ、多くのことを考えることになった。今後日本がどうあるべきかということに明確な解がでていない。閉塞感を打開するため我々松下政経塾生は、今こそ「今やらねばいつできる、わしがやらねばだれがやる」の気持ちを持ってこの難局に取り組まなければならない。私は、KIZARAプロジェクトという小さな一歩を踏み出すことを始めた。小さな一歩を踏み出すにも多くの支えがあった。この場を借りて感謝を申し上げたい。本当の恩返しはここからである。今まで皆様から頂いた好意に報いるためにも卒塾後も引き続き、森林の再生を通じ、私の志である誰もが生きがいを持てる「持続可能な活力の満ちた地域社会実現」に向け邁進する。

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石井真人の論考

Thesis

Masato Ishii

石井真人

第30期

石井 真人

いしい・まさと

Mission

持続可能な活力に満ちた地域社会の実現

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