論考

Thesis

日本の伝統精神とは

難題山積みの日本。時代や国際情勢に合わせ、「日本は変わらねばならぬ」のは間違いない。だが、己の価値観を忘れ、浮ついた目先の改革に終始すれば、この二十年間の過ちを繰り返す事になる。今こそ、先人から引き継いできた歴史的・経験的英知に学び、新たな一歩を踏み出す一助とする時ではないだろうか。

1.東日本大震災で感じた事

 東日本大震災から約1ケ月後。私は実家の宮城県の南部、亘理町で、津波で全壊した自宅の整理に追われていた。実は私自身がそこで過ごした時間はそれほど多くない。4年前に両親が、温暖な気候と美しい自然に惹かれ、仙台市内から引っ越した先であり、私は仕事の関係でずっと県外にいた。そんな私にとっても、思い知った風景がこれほどまでに破壊された光景には、喪失感が募った。そして、海沿いの自宅から南に60㌔下れば福島原発があった。もしかしたら、20年、30年と住めないかもしれない場所が出てくる。ここを故郷とする人々の気持ちを思えば、その気持ちは筆舌に尽くしがたいと思う。そこは単なる地域ではなく、その故郷において、それぞれの固有の役割があり、その立場に「誇り」と「承認」の感覚があったと思うからだ。そして、依然、漏れ出る放射能は、私たち日本人の心に暗い影を落とす。

 「想定外」。この言葉を何度聞いたことだろう。私は反原発論者ではない。だが、この言葉を言い放ち、責任を否定するかのごとき言論は、プロフェッショナルの仕事ではないだろう。それは、人間のおごり、過信が生み出した言葉であったのではないか。その時はっきりと感じた事がある。そもそも、人間の合理性や理性には限界があり、だからこそ完ぺきな安全などは存在しないはずであると。彼らが真のプロであったならば、常に懐疑的に、考えうる最悪の想定を何度も考えて、そして漸進的な安全対策を積み重ねていかねばならなかったはずだ。

 そして、この人間の合理性、理性に大きな信頼を置く進歩主義的な考えが、この失われた二十年間、日本社会の姿を「改革」し続けてきたのではないだろうか。

2.日本の転機と平成改革

 近代日本にとっての大きな時代の転機は、今回の震災を含まねば、大きく三つあったのではないだろうか。一つ目は明治維新、二つ目が太平洋戦争の敗戦、三つ目が東西冷戦終結に伴うグローバル競争と90年代半ば以降の市場原理主義的な平成改革だ。平成改革が、その前の二つと異なるのは、明治維新のときは「富国強兵」と「和魂洋才」、敗戦時も「日本の経済発展」という明確な国家ビジョン、方向性があり、その達成の際に、日本の伝統精神がうまく機能してきたことだ。日本人が大切にしてきた「公を大切にし、他者をいたわる惻隠の情」「多様性に対する寛容さ」「物事を突き詰める職人的な気質」などの価値観が、まだかろうじて守られていた時代だったのではないだろうか。

 だが、今回の平成改革においては、もともと揺らいでいた日本人の価値観は、さらに大きなショックを受け、傷つけられたのではないだろうか。この改革の根底にある合理性、理性への過信、適者生存のダ-ウィニズム的な思想は、後にも触れるが、「和の精神」での対立の中での調和など、健全な競争を可能にしていた「日本独特の仕掛け」を突き破ってしまい、ホッブスのいう「万人の万人による闘争」の状況となってしまった。まさに「人が人に対してオオカミになってしまった」のが今の日本ではないだろうか。その急進的な改革が掲げる理念、国家ビジョンは、外国からの借り物であり、本来ならば、自らの形に合うよう咀嚼すべきものを、そのまま「直輸入」してしまった。この結果、コミュニティや会社など、社会とのつながりを実感し、自らの存在意義を感じる「承認」の感覚を養える、様々な「場」が壊され、日本人の精神構造すらも変え始めているのではないだろうか。日本の強みだった「組織の力」「無形の力」もすっかり弱体化してしまった。

3.松下幸之助翁と考える日本の伝統精神とは

 松下幸之助翁は「日本とはどういう国であり、日本人とはどのような性質を持ち、どのような伝統を持った民族であるかを知った上で、それにふさわしい政治、経済、教育の在り方を考えていく事が大切だ」と話す。私も同感だ。経済や政治制度はあくまで社会の「土台」の上に乗っており、この「土台」は歴史的条件やその国の文化、人々の価値観とは切り離せないものだと考えるからだ。松下翁は、日本の伝統精神を三つ挙げている。「衆知を集める」「主座を保つ」「和の精神」だ。

 「衆知を集める」とは、何かを決める時、広く意見を集め、調整する過程を重視してきたという事だ。ただし、最終判断を行うトップ個人、あるいは国としても、あくまで「首座」を保って決定する。すなわち、極論を言えば、皆の意見を聞いた上で、それでも最後は、例えば衆知と真逆の意見でも、自身が信じる決断を行うという事でもある。それでも、様々な人たちを意思決定過程の段階から巻き込む事で、目標に対する「当事者意識」を持たせる効果があり、説得を含めた合意形成までは時間がかかるが、一度、合意が成されれば、一丸となって突き進める一体感こそが、日本の強みであった。「衆知を集める」事は、国内のみならず、海外からも積極的に様々な知識・文化を取り入れた。但し、「主座を保ち」、それらを日本に適合するように変え、わが物としてきた。しっかりと咀嚼し、かみ砕いた上で、自分の肉体の一部とするように。そもそも受け入れる段階で、日本に必要なもの、自らの精神的価値にあったものを選んで受けれてきた。逆に言えば、日本に合わないものは、「主座を保ち」、受け入れなかったという事だ。中国の科挙試験などはその良い例だろう。

4.「和の精神」

 そして「和の精神」。調和を求め、節度を求め、自己を抑制する事を知り、他人に配慮する。そもそも、日本には単一な思想の元に団結力があるわけではない。多様な思想が混在し、時には衝突寸前まで行きながら、調和点を見出し、国益などの「大きな目標」や「公」に対して意を等しくしていく。「和の精神」とは、調和と衝突による進歩を生み出し、ぎりぎりの所で組織や社会、民族の分裂を防ぐシステムだった。利他の精神や思いやり、惻隠の情なども、この和の精神に通じるものがある。この価値観のおかげで、「競争」のみならず、「共生」が広く可能となり、弱肉強食ではない、多様な価値観を認め合う伝統が出来、日本独自の文化を生み出したのではないだろうか。

 「和の精神」は、時に自分自身よりも、「公」に身を捧ぐ精神も生み出した。メルトダウンが起きた福島原発の冷却作業に携わった消防庁職員や自衛隊員たち、津波で崩壊した街で必死の救助・捜索作業を続けた陸上自衛隊員や警察官。彼らは単なる仕事を超えて、皆のために働いてくれた。

 健全な「自立」の精神も、この「和の精神」が根底にあるからこそ機能すると考える。「和の精神」がなければ、自立の先にあるべき大きな目標から「公」がごっそりと抜け落ちる可能性があり、拝金主義などの好ましくない状況に陥るのではないだろうか。明治の日本には、儒教の「修身、斉家、治国、平天下」(自分を磨けば、家庭を整えることができ、そうすれば国家は治まり、最終的には平和をもたらすことが出来る)があればこそ、「自分の努力が国家の発展につながる」との考えがあった。この忠公の精神がなければ、自立は単なる経済的自立に留まり、その範囲内では何をやっても良いのだという、いささかどの過ぎた自由と結びつきやすくなってしまう。「和の精神」こそが、自由に規律を与えてきたのだ。

 これらの三つのフレームワークのフィルターを通す事で、自然と日本が先人から引き継いできた制度、その根底にある思想等が引き継がれていく。そして、その根底には、人間の合理性、理性に対する健全な懐疑主義がある。合理性に従った過激な改革よりも、論理的、合理的でもないが、引き継がれた「目に見えない価値観」には、実は先人からの経験知が蓄積されている事を認め、「漸進的な改革」を進めていく事だと考える。もちろん有事の際、明治維新のような急激な改革が成された事がある。だが、この時は「和魂洋才」を掲げ、価値観の軸まではぶらさない事を掲げて臨んだからこそ、成功する事が出来たのではないだろうか。

5.私たちが目指す社会とは

 当然ながら、時代も国際情勢も常に動いている。昔に立ち返るだけでは、単なる懐古主義となってしまう。私たちが成すべきは、日本の伝統精神に学び、蓄積された英知に学び、揺るぎない軸を作った上で、新たな時代に即した挑戦を大胆に、だが成熟した態度で行う事である。着実な改革は、私たちが生きる社会の歴史と現状から出発するべきものであり、また漸進的であるべきだ。私たちの国の制度に問題点があれば、それを是正しながら、発展させていく発想こそが重要だと考える。三つの日本の伝統精神に即して考える事で、私たちが目指す社会のヒントが生まれてくるのだと思う。

 少なくとも、私たちの社会が今、取り戻さねばならないものは何か。それは生活の基盤となる、血が通う人間同士の居場所と交流の場だ。「共生」の部分を作り直す事で、「社会的包摂」を実現していくのだ。

 自殺、幼児虐待、無縁死、引きこもり。近年、日本社会で噴出している問題は、その多くが、家族や地域コミュニティ、あるいは会社等の共同体の空洞化とつながっているのではないだろうか。今の「格差社会」「派遣労働問題」の本質も、経済的な問題にとどまらず、「格差感」「断絶感」「排除感」という、社会に自らの役割を見いだせない「社会的排除」の要素が本質にある。

 保守の思想家、福田恒存は『人間、この劇的なるもの』の中で次のように言う。

私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。そして、その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する。ほしいのは、そいういう実感だ。

 自分が与えられた職分を全うする事で、社会の秩序が保たれる。個人の生き方と社会の在り方が混然一体となった生き方が、日本人らしい生き方なのではないだろうか。つまり、生きがいとは、人間社会において「役割」を見つけ、「承認」の感覚を得られる「居場所」を得ることなのだと考える。逆に言えば、人は、その役割が奪われた時、アイデンティティを見失う。新自由主義に伴い、極端な自由を疑いもなく取り入れ、伝統的なコミュニティや会社などでの不自由さを疎んじてきた結果、自らの居場所を壊してきた。

 この点で、私たちは、もう一度、調和を求め、節度を求め、自己を抑制する事を知り、他人に配慮する「和の精神」から学ぶことが出来る。私たちは、多少のコストがかかろうとも、他者との有機的な繋がりやきずなを回復し、社会的包摂を達成するべく努力するべきではないだろうか。家族や地域コミュニティのような伝統的な繋がりを強化する一方で、NPOやボランティア等で、新たな形の繋がりを支援する事で、双方を交えた形で、他者とのきずなを回復する事が出来る。また、「承認」の感覚では、働く場が重要な場所をしめるが、やりがいを重視したNPO等での労働も一つの方向になるはずだ。そして、これらのコミュニティにおいて、「衆知を集める」「主座を保つ」形で参加をしていく事で、自分たちがこの共同体を支えている実感がわき、承認の感覚を得る事が出来るのではないだろうか。ひいては、この感覚が、「公」を目標に据えた健全な自立へとつながっていくのではないだろうか。

 アランは幸福論で「幸せに生きているから国家のために尽くせる」と述べる。

 繰り返しになるが、昔に戻れと言っているのではない。何が国民にとって幸せなのか、そして何が社会を、国家を作り上げているのかをもう一度、私たちは問い直さねばならない。この軸があってこそ、私たちは初めて本当の意味での進歩が出来るのではないだろうか。この二十年間は、己の価値観を忘れ、あるいは市場に多くを任せすぎ、社会や国家に対する日本人の価値観を急速に崩壊させた。私たちは、そもそも国の、国民の何を守ろうとしているのか。今一度、変わるための守るべき軸を見直さねばならない。その意味で、私たちは日本の伝統文化に息づく歴史的・経験的英知に学び、新たな一歩を踏み出す一助とする時だと考える。過剰な進歩主義には健全な懐疑的精神で対峙し、果敢に、だが成熟した智慧をもって、これからの日本を再創造せねばならない。

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千葉修平の論考

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Shuhei Chiba

千葉修平

第30期

千葉 修平

ちば・しゅうへい

仙台市議会議員(太白区)/自民党

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