論考

Thesis

人の力を信じること

3月11日におきた東日本大震災。岩手県でのボランティア活動を通じて感じた「人の力を信じること」の大切さについて述べたいと思う。

被災地で感じた無力感

 3月11日の東日本大震災後、私は宮城県、岩手県でボランティア活動に参加させていただいた。初めて被災沿岸地を目の当たりにしたときのことは忘れることができない。家屋は基礎を残して跡形もなく、道路はアスファルトさえも流され、そして防潮堤は無残にも破壊され、流されていた。火災があった地区では黒く焦げた建物がぽつぽつと並び、飛び火した山は茶色に変色していた。道路の両脇に積まれたがれきは堆く、これは本当に現実なのか、豊かだといわれているこの日本で起きたことなのか、俄かに理解することはできなかった。

 その後、私は岩手県のとある小学校でのボランティア活動に従事した。避難所として使われていたその小学校には発災直後は700名ほどの町民の方々が避難していた。私が訪れたのは4月、まだまだ雪がちらつく頃で、避難生活を余儀なくされている方々は校庭でたき火で暖をとっていた。当時はまだ入浴することもままならず、火を囲む被災者の方々の顔は煤で真っ黒になっていた。

 被災地に来た当初、自分の心を占めていたのは無力感だった。延々と続くがれきの山を目の前に、自分に何ができるのか分からなかった。被災された方々に、自分はどのように接するべきか、そもそも接することができるのか、どんな言葉をかければよいのか、皆目見当もつかなかった。町を破壊する自然の力の大きさに対する無力感もそうだが、むしろ自分に何ができるのか、人ひとりの力の弱さをしみじみと感じることのほうが多かった。

そして被災地で見た人の力

 しかし、悩んでばかりもいられなかった。食事をはじめとする生活物資の不足という喫緊の課題があったからだ。炊き出しを始め、日常物資の募集、搬送、提供。被災された方々が本当に何に困っているのか、何を望んでいるのかを聞くという、一番大切なこともなかなかできず、そして一週間先の計画すら定まらない中、とにかく眼前で求められることにひたすら答えを出していくのみだった。

 そうした毎日の中、私はある方との出会いに恵まれた。その方は造船業を営んでいらっしゃった。被災当初、その方は廃業を考えていたそうである。一般企業であれば定年を過ぎているお年でもあったため、震災を機に廃業はある意味自然な選択だったのではないだろうか。ましていわんや、町がなくなり、造船業に関連する会社もすべてなくなった場所でふたたびローンを組んで事業をするということを考えるだろうか。おそらくその方も発災直後はそういう気持ちだったのではないか。しかし、とその方は話してくれた。その町は漁業の町である。もし、漁業を中心としたその町で自分が事業を辞めたらどうなるか。造船業を廃業したらどうなるか。漁業に船は欠かせない。今回の津波で多くの船が被害にあった。沈んだもの、破壊されたものも多くある。しかしその中でも修理すれば再び海に戻ることができる船もあり、それをもとに漁業を再開することもできる。「もはや商売ではない」とその方はおっしゃっていた。私が初めてその造船所を訪れたときはがれきばかりの場所だった。しかし、一人がれき撤去をはじめたその人のもとには人が集まり、やがてがれきはなくなり、流されてまだ使えそうなものも集まり、三か月、四か月経った頃だろうか、ついに一艘の船を陸にあげ、修理ができるまでに復旧した。私がお話を伺ったときはまだ独力で復旧しているときであり、なかなか行政の支援を得られないという課題もあり、全てが順風満帆でもないようだった。ほかにもたくさんの困難があったに違いない。しかし、その困難な状況の中でも一人歩みを進めていく。その人のもとには徐々に協力者が集まり、更に大きな歩みになって復旧が進められていく姿を見た。その後、その造船所以外でも事業を独力ではじめていく、荒れた河川を独力で復興していく、といった人たちに巡り合うことができ、時間とともに人が集まり大きな力となって復興が進んでいく姿を目の当たりにした。

 被災地に初めて訪れた時は無力感ばかりだった。あのがれきの山を前にして、人ひとりの力はなんと小さなものかと。しかし、たとえ一人でも町を復旧するという強い意志と行動は、やがて大きな力を生み困難を少しずつ、しかし確実に切り開いていくことができることを教えていただいた。

塾主の教え

 今回の震災で、人は自然を前にして、どれほど力の弱い存在かを知らされた。いかに大きな堤防をつくろうともいつか自然はそれを乗り越えてくる。たしかにそれは事実だ。しかし、一方で人は力強い存在だということも多くの被災者の方々に教えていただいた。

 私は祖父母の故郷の過疎化に対して問題を感じ、そして今の道を選んだ。しかし、実際にその問題に向き合えば向き合うほど、いかに根が深く解決が困難であるか感じてきた。自分に何かできるのか。被災地に行った当時と同じ思いだ。政経塾も一年たち、どうやって過疎問題に取り組んでいこうか、悩んでいたとき3.11の大震災があり、現地に赴く機会をいただいた。

 はじめは少しでも力になればという思いというか願いに近いものだったが、蓋をあけてみれば逆に励まされ、力をいただく日々だった。そして何より心強く思ったのは、人は力強い存在だということを無言のうちに教えていただいたことだ。

 松下幸之助塾主はさまざまな場面で人間は本質として力強い存在である、そしてそのことを自覚しなさいと説いている。しかし、どうすればその本質を発揮することができるだろうか。以下は塾主著書の『社員稼業』からの抜粋である。

「今日まで松下電器の四十年の歴史の上には、相当困難なこともありました。技術の面にもありますし、また経営の面にも、資金の面にもあったわけです。けれども、電気器具の将来というものを考え、その発展性というものを考えて、またそこに一つの大きな使命を感じている以上は、それがためによろめくようなことは絶対考えられない。困難があれば困難があるだけ、それにぶつかって、そしてそこに運命を開拓していく、というようにやってきたわけです。」

 使命の有無。その存在がやはり大きいのではないか。造船所の方の「もはや商売ではない」という言葉を思い出す。金銭的なことだけを考えれば、被害を受けた町で事業を再開することは大変リスクを伴い、途中で気持ちも衰えてしまうかもしれない。しかし、「商売でない」ということは、漁師のため、町の漁業のためを思い、事業を再開したに違いない。自分のためではない思い。そこには使命ともいえる思いがあったのではないか。

 学んだことがもうひとつある。それは、人とはそういう存在であると信じることの大切さだ。人は所詮弱い存在だから、という見方で接するのではなく、人とは熱意と意志で行動できる存在であり、その行動が大きな結果を生み出すということを信じることである。疑ってかからず、まずは信じること。疑うことと信じることで互いの行動も、結果も大きく異なってくると思う。信じれば互いに、互いの力を引き出しあえるのではないか。

人の力を信じるということ

 今回のボランティアを通じて、支援とは何かということが常に頭にあった。人が人を助けることが支援だとして、支援とはどうあるべきだろうか。何を以てすればその人を助けたことになるだろうか。

 人は本質として力強い存在である。力強いというからには、人に頼らず、自らの足で立ち、前に進んでいく存在であるはずだ。つまり人とは本質的に「自立」を望む存在なのではないかということである。そのうえで人が人を助けるということを考えると、両脇を抱え、ただやみくもに全ての行為を代わって行うことは助けを受けるその人の自立を妨げるものであり、本質の発揮の妨げにすぎなくなる。人としての本質を発揮することが生きがいであり、幸せに通じることであるならば、「自立」を妨げる行為はかえって助けを受ける人から生きがいや幸せを奪うことになる。

 このことを考えると、教育も、医療も、介護も、人が人にかかわることは同じことのように思えてくる。大切なのは、人の力、自立する力を信じることではないだろうか。その人の力を信じずに助けることは本当の助けにならないのではないだろうか。信じることは大変である。信じるということは待つということにもなるので根気も必要になる。つい手を出して結果を求めたくなる。しかし、それが本当にその人のためになっているかというと、必ずしもそうでないことが多い気がしてならない。大切なのは結果ではなく、その過程ではないか。自立を求めて立とうとする行為をできる限り見守る。その人の力を信じて見守る。まずはこのことが大切なのではないか、と思うのである。

 国と地方の関係も同じことが言えるのではないか。国も地方もその実体は人である。人が人を支えるという構図がある限り、人の力を信じることを大前提にすべきではないだろうか。補助金は自立の妨げになっていないだろうか。あれこれと指図することで自立の妨げになっていないだろうか。

 いつまでも自立できなければ、かえって互いの身を滅ぼすことになりかねない。互いの存在が負担に感じられて仕方がない。

 当然、与えられた環境は個々に異なる。赤ん坊に自立せよといってもそれは無理である。しかし、時間を経るなかで、人は成長して自立を求め、自立する力を発揮しようとすることを信じることが大切なのではないだろうか。それを陰ながらに支え、見守ること。支援、教育、医療、介護、政治、全てにおいて共通していえることではないだろうか。

今後に向けて

 今回のボランティア活動を通じて現地で大変お世話になった方から諭されたことがある。それは、なぜ今回のような人と人の支えあいが震災前からなかったのか、ということである。たとえば、震災前から日本全国過疎化が進行していた。高齢化が進んだ田舎ではお年寄りが日常生活を送るうえで困難なことをたくさん抱えていた。今回の震災では全国からさまざまな支援を受けたが、引き続きその支援の心を絶やさず、そして今度は自分の故郷を振り返り、故郷に困っている人がいるはずだから、その人たちの支えになってほしいと。

 半年前は不安ばかりだった。自分に何ができるのかという不安である。しかし、被災地で会った人たちから、たとえ一人でも思いを、志を貫く覚悟で行動すれば、それはいずれ大きな力を生むことを教えていただいた。そして、その力こそが人間が本質的に備えているものであり、それを発揮することが人間の生きがいであり、幸せなのではないかと思うようになった。一人でもやること、それこそ自立の道であり、人間が本質的に望む生き方なのではないか。そして、人は自立を望み、自立する力を備えていることを信じて見守り、必要なときにそっと支えることが、本当の支えあい、助け合いなのではいか。それは政治をはじめとする全ての人間の行為について言えることではないか。これらの学び、いやまだ仮説にすぎないこれらの考えをもって、これからの活動に臨み、私なりの人間観を養っていきたいと思う。

Back

内田直志の論考

Thesis

Tadashi Uchida

内田直志

第31期

内田 直志

うちだ・ただし

福岡県みやこ町長/無所属

Mission

過疎対策および地方経済の活性化策の研究

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門