論考

Thesis

命の格差を乗り越える~「日本国 命の三原則プラスワン」試案

医療崩壊が叫ばれて久しい。地域によって状況が異なり、それによって医療格差、命の格差という問題が生じている。同じ日本国にあって、地域によって命の重さが違うということはあってよいことなのだろうか。命の格差を無くすためにはシンプルで明確な指針が必要である。そのために、「日本国 命の三原則プラスワン」を提案する。

ひとつの国の中での医療格差

 松下政経塾に入塾する前、内科の中でも特に脳や神経細胞の病気を専門に診る神経内科医として千葉県の病院を中心に勤務していた。神経内科というのは脳梗塞や認知症、パーキンソン病など高齢者の病気が多いのが特徴だが、同時に非常にまれな病気も多い。

 多発性硬化症や重症筋無力症といった、自分の体の免疫システムが自分自身の神経を攻撃してしまう病気や、筋委縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis; ALS)や多系統委縮症(Multiple System Atrophy; MSA)などの脳や脊髄の神経細胞が徐々に変性していくもの、クロイツフェルト・ヤコブ病など感染経路などがまだまだ原因不明のものなど、まれであるがゆえに専門家でないと見落としてしまうものも多い。

 神経内科医として千葉県各地の病院に派遣されるなかで、とても考えさせられる事態に何度も直面させられた。

 認知症の疑いで近くの医院から紹介されてきた患者だが、典型的なアルツハイマー病に比べると発症年齢が若すぎ、経過も異なる。よく本人の話を聞いてみると「隣に住んでいる人が自分の悪口を言っていて、それが一日中聞こえてくる。あまりに悪口がひどいので、引っ越したが、引っ越した先でもその人の悪口がずっと聞こえる」というのだ。

 これは神経内科ではなく精神科領域の病気だと思い、精神科に紹介しようとしたら、患者でいっぱいで予約が入るのは数カ月も先だという。その病院は医療過疎の地域にあり、精神科の専門医はその病院にしかいないので、待ってもらうしかないのである。

 同じ県にありながら、住んでいる地域によってこんなにも受けられる医療に差があるのかとそのとき実感した。

 そうした目で改めて日本全国を見てみると、地域による医療格差は年々広がる一方である。

 厚生労働省の「平成19年度医療施設(動態)調査・病院報告の概況」によれば、人口10万人あたりの常勤換算医師数は、高知県が212.1人と最も多く、埼玉県は99.5人と、二倍以上の差がある(1)。

 また、同調査において人口10万人あたり病院の全ベッド数は、高知県が2445.5ベッドで、最も少ない神奈川県の834.1ベッドの2.9倍である(2)。

 それぞれの県の高齢化率を勘案しなければならないこと、大都市部周辺の県の患者は県境をまたいで大都市の病院にかかることなどを踏まえなければならないが、都道府県により医師数や病床数に大きな差があることは事実である。

 また、同じ都道府県内においても、住んでいる地域による医療格差は大きい。

 一般的に医師や病院も多く集まると考えられている東京都においても地域格差は大きい。東京大学医科学研究所の上昌広客員准教授(2008年当時)によれば、千代田区などの都心部では人口1000人あたり13.8人の医師がいるが、江戸川区や墨田区などの東部では人口1000人あたりの医師数は1.5人と10倍以上の格差がある(3)。

 上は、2008年の脳内出血の妊婦の搬送先がなかなか見つからなかったことの背景にこうした都内における医療格差があり、「東部地域では、高度医療機関である墨東病院と江戸川区医師会のような組織が有機的に連携しながら、何とか地域医療を守ってきたというのが実情で、言わば『ガダルカナルの日本軍』に近い状況」にあったと指摘している。

 こうした地域による医療格差は、どのように考えたらよいのだろうか。

健康で文化的な最低限度の生活-最低限度の健康な生活とは?

 憲法25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。

 果たして、医療においての最低限度とは何だろうか。そして今、国民は「最低限度の健康な生活」を営めているだろうか。

 我が国における最低限度の健康な生活の具体像ははっきりしない。ただ現実からいえば、同じ国内であっても住んでいる地域によって受けられる医療のレベルは大きく異なり、その結果、地域によって「最低限度」が異なっているおそれは非常に大きい。

 こうした健康の格差、命の格差というものは放置されていてよいのであろうか。

電気事業、電波事業にみるユニバーサルサービスの考え方

 以前、離島医療の現状を調査するために沖縄県のある離島を訪れた。本島から数十キロ離れたその島では、約800人の住民の命と健康を一人の医師と看護師が守っている。

 こうした離島では十分な医療を提供するのに、使命感のある自治体、病院、診療所、医師に頼っているのが現状だ。

 その島で海水から天然塩を作る工場を訪ねた際、海を見ながら歩いていてあることに気がついた。本土から遠く離れたこの島でも、当たり前のように電気も使うことが出来、携帯電話も通じる。実際に遠く離れたその島で歩きながら、その晩、東京で行われる飲み会のお誘いの電話がかかってきたくらいだ。

 一見、当たり前のように見える、どんな離島やへき地でも電話が使え、電気が使えるということはどういうことなのか考えてたい。

 電気事業について、電気事業法は第一章総則の第一条でこう述べている(4)。

第一条 この法律は、電気事業の運営を適正かつ合理的ならしめることによつて、電気の使用者の利益を保護し、及び電気事業の健全な発達を図るとともに、電気工作物の工事、維持及び運用を規制することによつて、公共の安全を確保し、及び環境の保全を図ることを目的とする。

 また、第二章第二節第十八条においては供給義務についてこう述べる(4)。

第十八条 一般電気事業者は、正当な理由がなければ、その供給区域における一般の需要(事業開始地点における需要及び特定規模需要を除く。)に応ずる電気の供給を拒んではならない。

 それを単純に医療に適用して、医療者に医療供給の義務を課そうというのでない。そうではなくて、電気事業法の設計思想について述べたいのである。

 すなわち電気事業法の設計思想には「電気というものは日本国民にとってなくてはならないものである。それゆえ、この必要不可欠の電気を安定して供給するのは国家にとって義務である」という考えがある。

 また、離島でも携帯電話が通じることについては電気通信事業法にその設計思想を見ることが出来る。

 電気通信事業法は第二章第一節総則の第七条にこう述べている(5)。

第七条 基礎的電気通信役務(国民生活に不可欠であるためあまねく日本全国における提供が確保されるべきものとして総務省令で定める電気通信役務をいう。以下同じ。)を提供する電気通信事業者は、その適切、公平かつ安定的な提供に努めなければならない。

 すなわち、電気通信事業法は、携帯電話を含む電気通信は、「国民生活に不可欠であるためあまねく日本全国における提供が確保されるべき」であると考えているのだ。

 それでは、市場の論理では「割りにあわない」地域に電気や電気通信をあまねく行き渡らせるためにかかるコストはどうなっているのだろうか。

 電気通信事業を全国に行き渡らせるためにユニバーサルサービス制度がある。これは不採算地域の運営をカバーするために事業者がコストを薄く広く負担し、不採算部門の運営を成立させるものである。負担業者が負担するお金は利用者から徴収されており、携帯電話を例にとれば一番号あたり月額8円を利用者が負担している(6)。

 これは見方を変えれば、電話をはじめとする電気通信事業は全国どこででも受けられるべきであり、その負担は国民がみなで負担することに同意しているとも言える。

 このように、電気や電話は国民にとって必要不可欠で、誰もがどこでもいつでも利用できるようにすべきであるという考えがその背景にあることを述べた。この考え方は、医療においては成り立たないであろうか。

 確かに電気や電話なしに現代人の生活を成り立たせるのは難しい。しかしそれ以上に、命と健康というものがなければ生活は成り立たない。そのために必要なもののひとつが医療サービスであるならば、なぜ医療において「ユニバーサルサービス制度」は存在しないのだろうか。

医療における大理念の不在

 医療法は第一章総則の第一条において、「第一条 この法律は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項、病院、診療所及び助産所の開設及び管理に関し必要な事項並びにこれらの施設の整備並びに医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携を推進するために必要な事項を定めること等により、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もつて国民の健康の保持に寄与することを目的とする。」と謳っている(7)。しかしながら、何をもって「良質かつ適切な医療」とするかは定められていない。同法は第二十一条において、病院は手術室や処置室、エックス線装置などを備えていなければならないと定めるが、それを用いてどのような医療を提供するのかは明示されていない。

 同様に医師法においては試験や臨床研修、業務について規定し(8)、健康保険法は保険給付について定めているが、病院や医師、健康保険はいずれも国民の健康と命を守るという大目標へのいわば道具である。そうした道具についての法律は存在するものの、それらは一体どんな目標を達成するためにあるのか、言葉を変えれば日本の医療の大理念ということが不透明なのが現状ではないだろうか。

 こうした日本の医療の大理念の不在を反映して、様々なタテ割り行政が存在する。医療行政全般をつかさどる厚生労働省、自治体病院を管轄する総務省、また、救急隊は総務省消防庁として総務省の医学・看護学教育を監督する文部科学省。税金の使い道という意味で財務省の関与は外せない。また、ドクターヘリは運送事業として国土交通省の認可を得ている。医療訴訟は法務省の管轄である。また近年は医療を成長分野とみて、経済産業省がメディカル・ツーリズムの研究会を発足させている。

 しかし個々がバラバラに動いていて、トータルとしてどんな医療体制をめざしているのかはやはり不明確である。

 トータルコンセプトがないために、ある問題では医療に対する支出を削り、またある問題では支出を増やすということが行われている。このため日本の医療はギリシャ神話に出てくる頭はライオンで胴はヤギ、尻尾は蛇のキメラ(ギリシャ神話)や顔はサルで胴はタヌキ、手足は蛇の鵺(平家物語など)のような存在になってはいないだろうか。これらを統合するような明確な指針が必要であろう。それは国民一人一人が「日本の医療というものはこういうものです」とソラで言えるくらいシンプルでなくてはならない。漠然とした不安を晴らすには、明確な指針が一番であるから。

 また一方でその指針は実現可能なものでなければならない。例えば離島に巨大な病院を建設するといったことは現実的でない。財政的、マンパワー的に実現可能で理にかなったものでなければならない。

 さらに、医療の世界において、クオリティ、コスト、アクセスの三つは並びたたないとされるが、そのことを踏まえながらも国民に受け入れられるような大原則がなければならない。

 筆者はある勉強会で1970年代に医療基本法を制定しようという考えがあったことを知った。2008年に東京大学医療政策人材養成講座などを中心に注目が集まった。また2009年5月には患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会が自民党、共産党、公明党、民主党に医療基本法制定を呼び掛けている(9)。しかしながら政局の混乱もあり、2010年3月現在、医療基本法は制定に至っていない。

医療の最低保証、大原則をどうつくるか

 こうした原則というものはできるだけシンプルであるのが望ましい。五箇条の御誓文や非核三原則のように、シンプルで覚えやすく、力強い原則が必要だ。

 そうした中で、参考になる事例が存在する。ドクターヘリの配備を進めるHEM-netによれば、ドイツの各州には救急法があり、そのなかで、15分前後に救急治療に着手すべきと定めているという(10)。同HEM-netによれば、15分前後で治療が開始されるためには移動手段は問わず、その結果、距離が遠い場合や山間地に患者がいる場合などを中心にヘリコプターが活用される法的根拠になっているという。

 ドイツの州法の「15分ルール」で注目すべき点は、このルールが、「人口何人あたりいくつの病院をつくる」とか、「各都道府県に病院を設置する」とった形式や目標を達成するまでの過程を規定するものではなく、どのような方法を使ってもよいので「15分以内に救急搬送する」という結果や目標を規定している点だ。

 形式や過程を規定するのではなく、目標や成果を規定する考え方はPrivate Finance Initiative (PFI)事業の手法に似ているかもしれない。

 通常の公共事業の発注では、施設の仕様やどのような材料を使ってどんな工法で建てるかというプロセスの部分を規定して役所が発注する「仕様発注」であるのに比べ、PFI事業では、その施設がどんな性能を持ち、どのようなサービスをどんな水準で行うかという成果、アウトカムの部分を役所が規定し、そのアウトカムをどんな手段で達成するかは業者が考える。PFI事業は、そのことによって効率化が図られるという考えである。(11.ただし著者の伊関氏の全体の文意としては病院のPFI事業について疑問を呈している)。

 病院事業におけるPFI手法の良しあしはともかく、こうした仕様ではなく性能、アウトカムに重点をおいた原則が医療の最低保証を考える上でも必要なのではないだろうか。

 それではその性能、アウトカムにはどのようなものが望ましいだろうか。私は、病気や生活に根差したものがよいと考える。なぜなら病院の機能というものは医学の発展によってどんどん変化し、人口動態によっても左右されるが、人間の病気や生活というものは時代が変化してもそうそう変わらないからだ。

 また一方で考慮しなければならないのは実現可能性や優先順位である。日本に無数にある離島のどこにいてもその土地で臓器移植を受けられるようにする、といった目標では明らかに達成不可能である。

 無数にある病気の全てをカバーするというのも困難であり、そこにはなんらかの優先順位がなければならない。

 それではどんな病気に対しての備えを優先させるべきか。

 戦前の厚生行政は、富国強兵の国策のさまたげになる結核などの感染症を克服することが目標にされてきた。

 新村拓は『日本医療史』で、1938年の厚生省誕生の背景についてこう述べる(12)。

 国民の体力低下を如実に示したのは、徴兵壮丁検査の結果である。徴兵免除の不合格者は、大正末期の1920年代後半には、壮丁1000人につき約250人であったが、1930年代には350人から400人に増加している。検査を受ける青年たちの中に、筋骨薄弱者や結核患者が急増し、合格者のうち、甲種合格者は年々減少していった。1936年頃には、農村だけでなく都市部でも体位低下が目立つようになった。
 軍隊内部でも、明治年間から結核患者が徐々に増加しており、傷痍軍人結核療養所を開設するなどの対策が始まっていた。とまらない体力低下に危機感を感じた軍部は、組織的に国民体力の向上や結核対策に取り組む組織として、新しい省の設立構想を打ち出した。
  新村拓『日本医療史』

 戦前の厚生行政のターゲットは低栄養や感染症であったのは国家としても大きな課題だったからだ。これを踏まえると現在の国家的課題は加齢による病気とそれにともなう老後の健康への漠然とした不安の克服ではないだろうか。

「日本国 命の三原則」~三大疾病にどう向き合うか

 日本人の三大死因は悪性新生物(がん)、心疾患(心筋梗塞など)、脳血管疾患である(13)。問題解決にあたっては、最も頻度の多いものから対処していくことが肝要である。

 がんに関してはすでにがん対策基本法において「がん患者がその居住する地域にかかわらず等しく科学的知見に基づく適切ながんに係る医療を受けることができるようにすること」が定められている(第一章総則、第二条の二)(14)。個々の治療については日進月歩で変化していくのが現状だが、国民の不安を払拭するという観点からは、がんになっても最期まで自宅で過ごせるのかということがあるのではなかろうか。また、実現可能性という点からも、がんに対する最新の治療をどの市町村でもおこなえるようにするというのは非現実的であるが、在宅医療や在宅看護などを通じて、がんでも最期まで自宅で時を過ごせるようにするということは実現可能と思われる。

 心疾患のうち最も重症な心筋梗塞の発作について考える。心筋梗塞は心臓自身に血液を送る血管(冠動脈)が詰まってしまうことで心臓の筋肉が死んでしまう状態である。世界で最も広く読まれる医学テキストであるメルクマニュアルは、「心臓発作による死亡の半数は、症状が現れてから3~4時間以内に亡くなっています。治療を始めるのが早いほど、生き残る可能性が高くなります。」と述べている(15)。出来るだけ早く治療が開始されるべきだが、まずは全国民が三時間以内に治療を開始される体制づくりを目指す。

 脳血管障害は脳出血、脳梗塞、くも膜下出血からなる。いずれも出来るだけ早い診断治療が望ましいのは言うまでもないが、特に脳の血管がつまり、脳細胞が壊死する脳梗塞の場合には、三時間以内に血栓溶解薬が投与されると著明に症状が改善し、社会復帰できる割合も増える。脳卒中の場合には三時間以内に治療が開始できる体制をつくることをめざす。

 以上をまとめると、日本の命の三原則とは、
「全国民が、がんでも最期まで自宅で過ごせ、脳卒中は三時間以内、心筋梗塞も三時間以内に治療開始される体制をつくる」
ということになる。

どのようにして医療最低保証はなし遂げられるべきか

 この日本国の命の三原則はプロセス基準ではなくアウトカムの基準であり、その基準を達成する手法は複合的である。すなわち、この場合、たった一つの特効薬を探すのは大きな間違いである。がんという病気に対して、外科治療があり、投薬治療があり、放射線治療があり、緩和ケアがあるように、様々な方法や手段を駆使してこの命の三原則を達成するように国を挙げて取り組むのである。

 脳梗塞を発症して半身不随になっても「様子を見て」しまって、発症してから何日もたってから病院を受診する高齢者も実際に存在する。そうした地域では、こんなときには脳梗塞を疑いましょう、という啓蒙活動が威力を発揮するだろう。

 また、救急車では最寄りの病院まで何十分もかかるような山間部においては、ドクターヘリを用いて搬送の時間を短縮することができる。

 こうしたシンプルな命の三原則に「チルドレン・ファースト、子供を最優先に考えた医療福祉」のルールを加えた「日本国 命の三原則プラスワン」を達成することで、国民の医療に対する漠然とした不安が払拭されるのではないだろうか。

 啓蒙活動やドクターヘリなど、複合的に取り組むことが肝要ではあるが、地方部における医師不足という問題もやはり避けては通れない。

 この問題に対し、読売新聞は2008年10月に「医師を全国に計画配置すべき」という提言を行った。このなかで「医師の研修先を自由選択に任せるのではなく、地域・診療科ごとに定員を定め、計画的に配置するよう制度を改める。対象は、義務研修を終えた後、専門医を目指して3~5年間の後期研修を受ける若手医師とする。そのため、地域の病院に医師を派遣してきた大学医局に代わり、医師配置を行う公的機関を創設する」と述べたため、現場の医師からは国家による強制配置であると猛反発を受けた。また、これに対し、当時の厚生労働大臣枡添要一は規制ではなくインセンティブを考慮すべきだと指摘している(16)。

 また、現在の医師はその教育課程や医師免許取得過程において、国家による計画配置を前提にしていない。法律の不遡及という観点からも安易に医師の計画配置を論じるのは慎むべきであろう。

 「群星沖縄(むりぶし おきなわ)」という医療研修教育機関では、離島やへき地に赴任する医師に対して感謝状を贈り、表彰するという。そして同様に離島やへき地に赴任する医師に感謝状を贈るよう、県知事にも働きかけているとのことだ。離島やへき地への赴任が、なにかのペナルティや強制的な義務ではなく、医師としての誇りであり名誉であるような風潮を作りだすことこそが望ましいと考える。

 この命の三原則プラスワンを実現する事業について、財源をどうするべきだろうか。

 財源としては税金、保険料、利用者負担、その他が考えられるが、利用者負担だけでは採算に乗らない地域についての問題であるため、税金ないし保険料が主となるであろう。

 まず税金から賄う考えに関しては、最低限の医療サービスを警察や自衛隊と同じものと位置付け、安心して生活を送るための社会的インフラと考えると、直接利用していない国民も安心のためにいくばくかの負担をするということになる。

 消費税を目的税化する議論に関しては、社会保障税の存在が、本体からの拠出を減らす理由付けになりうることを踏まえて考えなければならない。

 ある医師は、講演会で、有価証券取引税の復活を提唱していた。興味深い考えであるため以下に述べる。

 1999年に廃止された有価証券取引税、万分の1から万分の30程度の税率が掛けられていた(17)。こうした税は日本独自のものであり、有価証券取引を活発にさせる目的もあって廃止された。この有価証券取引税の廃止により、株式市場は活発化されたというが、廃止後10年あまりが経った今、状況は異なるのではないだろうか。

 すなわち、実体経済の何倍もの資金が投機に回り、その投機マネーが実態経済を苦しめることがわかったこの10年であったならば、そのマネーゲームの熱を冷ますことが経済の健全化のために必要であろう。そのマネーゲームを冷ます働きがこの有価証券取引税にはあるかもしれない。

 一日の間に頻繁に取引を繰り返すデイトレーダーが社会に何かを生み出していないとするならば、その取引ごとに薄い税を課すことでブレーキをかけることができるだろう。そして日本国だけでなく、国際的に有価証券取引税設立を呼び掛けることで、行き過ぎたマネーゲームをスローダウンさせ、国際的なヘルスケアへの財源とすることも出来るかも知れない。

 現在、日本国内には地域による医療格差が確かに存在する。だがしかし、それをやむをえないことだとして放置しておくのであるならば、いったい国家とは何のために存在するのだろうか。一つの国家のなかにおいて、命と健康の最低保証すらされないのであれば、国民を一つにまとめるということすら困難になっていくのではないだろうか。

 そんな事態を避ける第一歩として、「日本国 命の三原則」を提唱し、今後も衆知を集めていきたい。

引用文献

(1)厚生労働省 平成19年度医療施設(動態)調査・病院報告の概況 都道府県別にみた病院における人口10万対常勤換算医師数
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/07/kekka03.html#kekka2-4-3
(2)同上 人口10万対病院病床数
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/07/kekka02.html#kekka1-2-3
(3)Japan Mail Media 2008年11月5日配信 「絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート 第17回」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1446.html
(4)総務省行政管理局 法令データ提供システムホームページより 『電気事業法』
http://law.e-gov.go.jp/
(5)同上 『電気通信事業法』
http://law.e-gov.go.jp/
(6)総務省 『ユニバーサルサービス制度』
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/universalservice/index.html
(7)総務省行政管理局 法令データ提供システムホームページより 『医療法』
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO205.html
(8)総務省行政管理局 『医師法』
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO201.html
(9)ロハス・メディカル 2009年5月24日 「医療基本法制定に4党議員前向き」
http://lohasmedical.jp/news/2009/05/24150348.php
(10)HEM-net <現状・課題・提言(2)>アメリカとドイツ 第1章 世界のヘリコプター救急
http://business3.plala.or.jp/hem-net/sougou02.html
(11)伊関友伸『まちの病院がなくなる!? 地域医療の崩壊と再生』時事通信社 2007年
(12)新村拓『日本医療史』吉川弘文館 2006年
(13)厚生労働省 死因分析
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life04/4.html
(14)総務省行政管理局 『がん対策基本法』
http://law.e-gov.go.jp/announce/H18HO098.html
(15)メルクマニュアル医学百科
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/index.html
(16)Japan Mail Media 2008年10月22日配信 「絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート 第16回」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1432.html
(17)法庫 有価証券取引税法
http://www.houko.com/00/01/S28/102.HTM

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高橋宏和の論考

Thesis

Hirokatsu Takahashi

高橋宏和

第29期

高橋 宏和

たかはし・ひろかつ

医療法人理事長

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