活動報告

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100キロ行軍レポート

 「体重84キロ」
今から遡ること半年前、私は生活習慣病一歩手前の体となっていた。
長年の運動不足で弛んだ体、毎日日課のように吸うタバコ…

 「入塾するまでに、5キロ減量を目標とし、禁酒、禁煙。毎朝3キロ走る」
私は入塾前の目標として堂々と掲げていた。しかし、人間たるもの、どうしても惰性に走る。
「今日はいいや。明日にしよう。」 「まあ、何とかなる。」
結局、入塾までにこの目標を達成することはできなかった。

 そして、今年4月入塾後、毎朝早朝研修でジョギングをするのだが、やはり、走れなかった。ちょっと走って、また歩く。だらしのない私の姿を、自分自身自覚していたが、それ以上に、同期、そして先輩方を含め、誰もが危機感を募らせていた。

 「運動する前にアミノ酸を飲むといいですよ」
同期で同部屋の千葉塾生からの助言であった。助言だけでなく、何と私の為にアミノ酸一箱買ってきてくれたのだ。

 「同期が心配している。本格的に肉体改造しなきゃいかん。」
100キロ行軍を同期全員完歩しなければ、来年も歩かねばならない。誰か一人でもリタイヤすれば、来年も歩くというノルマがあるのだ。ようやく、私の中で強い危機感が湧き、その翌日より、アミノ酸を飲み、毎朝のジョギングや運動を通じて減量に向けて始動した。同時に、なかなか止めることのできなかったタバコも徐々に本数を減らしていった。ようやく100キロ行軍に向けた挑戦への道を一歩踏み出したのである。

 自衛隊研修、熊野古道歩行、塾内での剣道研修、そして富士チャリティ駅伝出場…。気がつけば、毎朝走ることのできなかったジョギングも余裕で完走すると同時に、体重も10キロ近く減量していた。

 100キロ行軍完歩に向けた準備は整った。そして、いよいよ本番当日。
100キロ行軍のチーム編成は、くじ引きで決定したのであるが、イ組には添田、丸山両塾生、ドマイインターン生、ロ組が石井塾生と私、そして、同部屋であり、私の肉体改造に大きな影響を与えた千葉塾生が同じチームとなった。

 「いざ、100キロ行軍へ!」
身の引き締まる思いで本番当日を迎えたのだが、様々な不安要素が私を取り巻いていた。100キロ行軍の一週間前よりこじらせた風邪の影響による微熱、巨大台風上陸前の雨の中の悪天候…。

 まさに、「悪環境下の中で自分の限界に挑戦しろ」という天の意思が働いたかのような状況下に置かれていた。しかし、この半年間に渡る体力作り、私の体力の無さを危惧して、様々な面でサポートしてくれた同期の力。私は、これらの不安要素をふっ飛ばすかの如く、10月6日10時、100キロ行軍スタートの一歩を踏み出した。

 1か月前、ロ組は100キロ行軍の事前練習として30キロ、50キロを歩いた経験があるが、50キロ歩いた時は、もうヘトヘトになり、足が動かない状況であった。絶えず不安が付きまとう。しかし、本番当日は、50キロ地点に到達するまでは、笑顔を見せられる状況であり、軽やかに歩を進められていた。1か月前の練習と比較すると、まだ余裕があった。

 「まだまだ余裕だ!以外と100キロも余裕で完歩できるのでは…」
しかし、この楽観的な思考は、ものの見事に打ち砕かれていく。55キロ、60キロと歩を進めていくにつれて、足の裏にできた豆の影響で、ぎこちない歩き方になっていた。雨が吹き荒み、寒い。微熱があるせいか、頭痛が止まらない。私は、自然と歩くペースが落ち、寡黙になっていた。

 「大丈夫?」、「頑張れ!」
同じチームの仲間が必死に声をかけてくれる。2人とも痛みをこらえ、辛い状況に置かれていたにもかかわらず、温かい声援を投げかけてくれる。この言葉が、私を奮い立たせ、支えとなっていた。

 「辛いのは自分だけではない」
自分に言い聞かせながら、歩を進めていった。

 70キロから90キロまでの間、頭痛と足の痛みは極限に達していた。幾度となく足が止まる。その都度、仲間からの温かい声援。必死になって歩いた。決して日常生活において、人には見せない表情で歩いた。この辛い表情や弱音を吐くことで、チーム内の雰囲気は一挙に士気が下がる。だから、絶対に抑えなければならなかった。

 2人のメンバーには、何度も「言葉」という形で助けられた。「言葉」によって、こんなにも勇気を与えてくれる。人間が有する「言葉」の力を身をもって実感した瞬間でもあった。

 限界に達していた私に勇気と挫けそうな心を奮い立たせたもう一つの大きな要因があった。それは、先輩や職員の皆様方のサポート体制である。ぐじゃぐじゃになった足裏の豆のケアをして下さったり、寒さに震える中での温かいスープ、おにぎり、ギョーザを提供して下さったり、そして、献身的なマッサージ…。夜中の真っ暗な夜道をただひたすら3人で孤独の歩行を続ける中での、先輩や職員の皆様方の24時間体制のサポートに、多くの人々によって支えられ歩いているのだと思うと、体の限界とは別に元気と勇気が戻ってきたのである。改めて、人間の温かみを身に染みて感じた瞬間であった。

 そして、夜が明け、いよいよ90キロ地点まで辿り着いた。残り10キロ地点まで来た瞬間、私の24年間の人生を支えてくれた人々の顔が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。両親、先輩、同期、友人、そして私の人生を大きく変えた人々…。急に目頭が熱くなった。止めどなく涙が出てくる。まだまだ辛い道程が続く中で自分でも訳が分からなかった。しかし、こんなにも多くの人々に支えられてきたからこそ、今、自分は100キロという長い道程を歩き、そして、これからも道なき道に挑戦をすることができるのだ。チームメイトに気付かれぬよう、一番後ろを歩き、ひたすら泣いた。

 残り5キロ。チームリーダの千葉塾生から「丹ちゃんペースに合わせるから、自分のペースで歩いていい」という言葉をもらった。石井塾生も頷いている。皆、本当は痛みが極限に近い中で、早くゴールしたいと思っているはずだ。もっといえば、私のペースで歩き、時間内に歩ききれない可能性もある。2人のチームメイトの期待を裏切るわけにはいかないと思った瞬間、急に力がみなぎってきた。同時に、私達の前を歩いていたイ組の3人の背中が見えてきた。この時、イ組の添田塾生は体調を崩し、ボロボロになっていたが、必死に歩く姿を見て、極限に達していた足が急に軽やかになったのである。そして、また涙が出てきた。

 そこから、6人で黙々と歩いた。お互い声をかけながらひたすら一歩ずつ噛みしめながら歩いた。そして、念願の同期全員でのゴール!

 私の24年間は、一つの物事を達成した経験も無く、また限界にも挑戦せず、誰かに依存し続け、自分自身に自信を持てない人生を歩んできた。しかし、100キロ行軍完歩という偉業を同期と達成し、自分の中で自信が生まれた。そして、これから自分自身、道なき道を探求し、志を実現していくためのスタート地点にようやく立った気がする。

 いよいよ、「泣き虫丹下」の志を達成する挑戦が始まった。

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丹下大輔の活動報告

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Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

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「熟議の議会改革と地方政府の確立」

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