論考

Thesis

立ち去ることをやめ、踏み出し、歩み続けるために~医療崩壊からの医療再生へ/素志レポート

地域の中核病院・自治体立病院から次々と医師が辞め、地域の医療が崩壊していく現象が、日本中で起こっている。こうした「医療崩壊」はなぜ起こり、それに対してどう解決策を打ち出していくのか。現地現場主義のもと、解決策を探る。

 現在の医療、特に地域中核病院・自治体立病院が置かれている環境として、医師不足、労働環境の悪さ、経営難の「負のトライアングル」がある。新臨床研修医制度導入による大学病院からの派遣医師の引き上げにより医師不足が起こり、このために病院の医療収入が減少する。収入が減少するため補充の医師を雇えず、その結果残された医師の負担が増え、労働環境が悪化する。悪化した労働環境がさらなる医師の辞職を引き起こす。こうした負のトライアングルの中で、中核病院・自治体立病院はその業務を縮小せざるを得なくなり、最悪の場合、閉鎖に追い込まれている。

 千葉県の銚子市民病院では2006年4月から2008年6月末までに26人の医師が退職した。その多くは大学病院への引き上げであったが、その背景には財政難による病院職員の給与削減もあるという(1)。こうしたなか、同病院は2008年9月30日付で全面休止となった。これはまさに「負のトライアングル」の構図である。

 この中核病院・自治体立病院が陥っている「負のトライアングル」の構図をどうやって断ち切るか。マクロの政策面では医療費増額、医師数増加、医療訴訟リスクの軽減が挙げられる。しかしこうした問題が解決に至らないそもそもの根本原因はなにか。またその根本原因に対し、どう立ち向かっていくべきだろうか。

 医療崩壊の根本原因として、医療行政が現場の状況を反映することなく場当たり的に行われていることがある。

 以前にいわゆる「救急車たらい回し」に関する報道で、心底驚いたことがあった。テレビの報道で舛添厚生労働大臣が現場の病院を視察している映像が流れたのだが、その際、アナウンサーがこう言ったのだ。「厚生労働大臣が実際に医療現場に足を運ぶのは極めて異例」。日本の医療行政を司る官庁の長が日本の医療現場を視察しヒアリングする、このことが「極めて異例」と報道されてしまうのが、今までの医療行政であった。噂に過ぎないが、大臣がこうした現場を視察することをできるだけ阻止しようとする動きが役所の中にあるとも聞く。

 現場の状況を行政に反映させるため、厚生労働省には医師を医系技官として採用する仕組みもあるが、実際には採用は医療従事の経験年数の短い者に限られる。様々な現場の状況を広く反映するはずの審議会も、第一線での勤務から離れて久しい、高名だが高齢の医師ばかりを集めて審議会を作ることが多いのではないか。

 それに対し、どのような対策を取ることができるだろうか。ただ漫然と、何のアクションもとらずに待っているだけでは状況は変わらない。臨床現場の声を集約し、行政に届け、政策を変えさせなければならない。このため現場の医師の声を集約し、社会や行政に情報発信し、時に提言する仕組みが必要と考えた。

 一般的には、日本医師会がその役割を果たすと思われている。しかしながら、日本全体の約27万人の医師のうち日本医師会に加入しているのは16万人と約6割であり、その上勤務医よりも開業医の意向を強く反映する、メンバーが高齢で若い世代の医師の意見がとりいれられないとの批判もある。

 そのほかの医師の組織としては、大学医学部学部長病院長会議や各種学会があるが、これらの組織は自らの大学医学部の問題や、それぞれの学問的成果が興味の中心で、社会の中で医療はどうあるべきか、現状はどうかについて社会的な情報発信や政策提言活動は十分とは言えない。

 これに対し、大学医学部などのアカデミックな組織と日本医師会に加えて「第三の基軸」を目指し、世代・地域・診療科・医局の枠を超えた連携を掲げ、長崎県の黒川衛医師により全国医師連盟が2008年6月に発足した(1、2)が、当初期待されていたほどの影響力は今のところ持ち得ていない。

 どうしたらもっと臨床現場の声が社会や行政に届き、政策に反映されるようになるだろうか。

 キーワードは「衆知」と「周知」である。

 医療現場の問題については、ここ数年でだいぶ知られるようになってきた。しかしながら、医療者の個人的な問題だけではなく、日本の医療の構造的問題であるということはまだ一部の意識の高い国民にしか理解されておらず、政策決定者はまだ理解していないのではないだろうか。なにしろ、一国の総理が「医者は常識に欠ける」と言い、「だらだら飲み食いして、病気になったからって、なんで私が負担しなきゃならないんだ」と公言してはばからないのが日本の現状である。

 私は、若手医師・中堅医師からできるだけ多くの問題意識を引き出し、臨床現場の知恵、すなわち衆知を集めたい。仕事の上で社会の矛盾や人間の生死に日常的に触れ、想いを巡らせているだけに、医師の問題意識は強く、深い。しかしながらなぜ、医師は自らの主張を述べることなく、ただ「立ち去る」のだろうか。

 医師の習性として、がんばれるだけがんばってしまうというストイックな面があり、弱音を吐かないことを美徳とし、弱音を吐くくらいなら潔く「立ち去る」ことを選ぶ傾向にあるのではないか。同時に、個人主義的考えから、職業集団としてまとまることを難しくしている。

 私は、臨床現場で実際に診療行為を行っている若手・中堅医師の声を集め、社会や行政に対して発信、すなわち周知するなんらかの組織が必要だと考える。黙って「立ち去る」だけでは決して状況はかわらない。そして現場が変わらなければ「負のトライアングル」はさらに強固なものとなってしまう。

 この若手・中堅医師の意見を集約し、発信・提言していく組織(仮にドクターネットワークとする)、は誰がどのように運営していくべきだろうか。

 松下幸之助は、人間社会をよりよく運営していくためには、社会の構成員である人間自身の性質を知らなければならないと言っている。同様に、ドクターネットワークを運営するにあたっては、構成員である医師の性質というものをよく知らないといけない。一般的に思い浮かぶ医師のイメージとしては、プライドの高さがあるだろう。プライドとは、言いかえれば職業意識に基づく誇りということである。

 職業意識に基づく誇りは、裏を返すと排他的、自律的であるということを意味する。私の個人的な実感では、極端に言えば、医師は医師の言うことにしか耳を傾けない。さらに言えば、外科医は外科医の言うことしか聞かないし、循環器科医は循環器科医しか信じない。であるならば、非医療者がこの組織を運営していくには限界があるだろう。

 また、現代の医師の性質として、組織というものに対する不信感や警戒感がある。これが独立自尊の気風によるものか、60年代の学生運動への失望によるものかなどは検証が必要だが、現役の医師たちの多くは「組織アレルギー」を持つ。ただ、「組織アレルギー」は医師に限ったものではなく、若い世代全体に、固定化した組織にからめとられることを嫌う傾向があり、旧来の労働組合が組織率を下げていることは広く知られている。

 この「組織アレルギー」を考えると、ドクターネットワークの形態としては束縛力の低い「ゆるい」ネットワーク型であることが望ましい。
「ゆるい」ネットワーク型であることにはプラス面とマイナス面がある。プラス面としては間口の広さがあり、参加しやすい仕組みになることだ。マイナス面としては、組織としてのまとまりがなくなり、団体として交渉力を持つのが難しくなることである。広く衆知を集めるという目的を考えると、プラス面のほうがマイナス面よりも大きいだろう。

 また、ドクターネットワークでは、メンバーの新陳代謝が行われることが望ましい。組織というものは、できたときから腐敗をはじめる。特にメンバーが固定した場合、固定メンバーが組織を私物化することも恐れなければならない。ここで参考にしたいのは日本青年会議所(Junior Chamber Internal Japan, JC)である(3)。JCは会員の資格を20歳から40歳と制限しており、これにより常に組織が新陳代謝している。このJCの在り方に学び、この組織ではメンバーを24歳~45歳までとしたい。年齢制限を設けることでメンバー、特に幹部が固定化するのを避けられる。上限を45歳としたのは、JCが20~40歳までなのに対し、医師は医学部卒業後、臨床現場に出るのが最短でも24歳であるためだ。また、45歳を超えるころには病院で主要な地位を得るようになったり、開業して医師会の中で発言力を持つことが出来るようになったりして、問題意識を持った際に別の発言・情報発信の場を得られるようになるのではないだろうか。

 このドクターネットワークができたとして、いったいどのような提言がなされていくだろうか。単に勤務医の給与アップなどを要求するだけの団体にならないだろうか。私は決してそうはならないと思う。身もふたもない話をすれば、個々の医師にとって給与アップなどをわざわざ団体交渉するより、医師不足を背景に条件の良い他の職場に移ってしまったほうが手っとり早いからである。

 現在、第一線の中核病院・自治体立病院で問題意識を持ちながら働き続けている医師たちは、労働環境の悪化などに悩みながらも、使命感と責任感をもってその場で戦っている。そうした医師たちから出てくる提言というものは、決して自分自身のためだけでなく、地域の医療や後に続く世代のためのものになるだろう。

 私は、医療費の適正化などとともに、労働環境の改善、訴訟リスクの軽減や悪質なクレームへの対策といったものが提言として出てくるのではないかと考える。具体的には、過労による医療事故を防ぐために研修医の労働時間を週80時間以内と制限するリビー・ザイオン法(Libby Zion law)に類する法律の制定や、急病の人に善意に基づいて適切な対処をした場合、結果が悪くても罪に問われないとする善きサマリア人法(good Samaritan law)の制定、自治体立病院での医業を公務ととらえ、近年急増している悪質な暴力・暴言による嫌がらせなどを公務執行妨害として対処することなどが提言されるのではないだろうか。

 この仮説を検証し、実際にドクターネットワークを作っていくために、私はまず、100人の若手~中堅医師からフェイス・トゥ・フェイスで意見を聞き、彼らの問題意識、社会や患者、行政に対しての意見を集約し、衆知を集めることから始めたい。100人の医師と意見を交わす中で共通するものが現れ、それが社会にとって有益であれば書籍などの形で世に問い、社会に周知し、それをもって議論を喚起する。議論が十分意味のあるものであれば、厚生労働行政をも動かすことができるのではないだろうか。

 この医師の衆知を集める試みが成功し、医師が医療現場を立ち去ることをやめ、地域医療が再生へ踏み出し、医療と行政、社会がともに未来へ向かって歩み続けられる日が来ることを、私は心より願っている。

(1)東洋経済2008年11月1日号『医療破壊』
(2)全国医師連盟 http://www.doctor2007.com/menu1.html
(3)日本青年会議所ホームページ http://www.jaycee.or.jp/

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高橋宏和の論考

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Hirokatsu Takahashi

高橋宏和

第29期

高橋 宏和

たかはし・ひろかつ

医療法人理事長

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医療体制の再生 科学技術による高齢化社会の克服

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