論考

Thesis

障がいは一つの個性

「私が死んだら、この子はどうなるんだろう?」と兄を案じて零れ出た母の言葉を思い出す。母の思いを察したのか、幼子ながら「自分は、母や兄よりも先に死ぬことができない」と自然に心に留めていた。振り返ると「人間とは何か?」「人間はなぜ差別をするのだろう?」という疑問と常に向き合ってきた30年間でもあった。

兄と私

 私の兄は障がい者である。彼を通して自分の人間観を述べたいと思う。1977年私の兄謙介は、静岡の地に生まれる。その翌年1978年に私が生まれた。幼い頃は大きな差はなく、若干ものを覚えるのが人よりも遅いことが兄の特徴であった。

 しかし、兄は高校生の頃にPWS(プラダウイリー症候群)と診断される。当時は、あまり知られていない病気であった。これは、染色体の異常のためにいくら食べても満腹と感じない病気であり、満腹中枢が機能せず食欲を抑えられない。親が肥満を懸念し、無理に食べ物を控え、痩せる努力を子供に強要してしまうと子供の心は荒んでいく。そのこととは反対に、食べる喜びを感じたいという子供の声に耳を傾けると、次第に子供の心は穏やかになるが体が太ってしまう。兄の病気の難点は心と健康が反比例してしまう点である。兄が中学生になると、二次性徴のない兄と二次性徴の盛りの私では体格が変わり、身長は彼よりも私の方が大きくなっていった。周りの人から「似てない兄弟だね」とよく言われていた。兄と私は似ていないと分かっていたが、そう言われる度にとても悲しい気持ちになる自分があったのを思い出す。

 兄と私の間には常に母がいた。母は日頃から「謙介が一番大切」と家族の中で言い続け、体を張って兄を愛していた。そしてある時のこと、母はテスト結果に対して私に告げる。「あなたよりも兄の方が素晴らしい」。私は満点近くの成績で、兄は30点ほどの成績だった。点数を見れば高い方が良いとされるけれど、この時に母が発した言葉は、テスト勉強に自分ができる最大限の努力をもって臨んだ兄を褒めた言葉だった。「あなたのように、努力をせずに良い成績を取っても褒める必要がない」。このように毅然と言い放った母の姿を今も覚えている。その姿が時に淋しい気持ちや嫉妬の感情を私にもたらした。今はその気持ちとは裏腹に、母に心から感謝している。健常者の自分よりも、障がいを持つ兄を愛しているという母の気持ちが痛いほど嬉しい。

 障がいのある子供を持った親たちは、とても明るくて元気である。無理に装っているのではなく、自分の子供の障がいを受け入れ、普通の親以上に子供が人として生きることを深く考えているからだ。障がいを持つ人は、当事者本人は苦しい。しかし周りにいる人は幸せかもしれない。障がいを持った兄がいるお陰で、兄を通して私は多くの人に出会うことができた。そして兄の病気と係わることで様々な経験ができた。また「障がいとは何か?」「どうしてみんな障がい者を避けてしまうのか?」という疑問を抱きつつ、日常生活を共にしながら兄の障がいは彼の一部として自然に受け入れられていた。塾主・松下幸之助(以下 塾主)の言葉を借りれば、私は兄の弟で「運がいい」のだと思う。

 兄が高校時代に書いた詩集「グラウンド」の中に、私のことを綴る詩がある。

 「弟」

 弟は バカにする
 僕が寝ようとすると 弟が来る
 生意気な性格をしている
 お前の家は 天竜病院だと言う
 病気で家に 居られないことが
 残念だねと 言ってくれるし
 病気が 重くって かわいそうだねと
 言ってくれる
 弟・・・・・・・・
 そういう弟が大好きです

 私は兄に対し決して優しい弟ではなく、逆に生意気な弟であった。それは私自身が、兄を障がい者と思っていなかったからだ。だから、兄弟として違和感なく接することができていた。兄が病気と分かり、自分で兄の障がいを認識できるようになってからも、それまでと変わらずに接してきた。障がい者を特別扱いすることは、時には必要である。しかし、その特別扱いが差別を生む。だから私は、「障がいは一つの個性」と考える。背が高い人、低い人、声の大きい人、小さい人等、人は十人十色の個性を持っている。兄が人よりも小さくて太っていることは、彼の個性だ。私は今後も兄に飾らず、相変わらずの生意気性分な弟でいるだろう。このように私は自分の人間観を生まれた環境の中で培った。これから出会う様々な個性ときちんと向き合い、受け入れる心を持って、お互いに分り合いたい。これは兄から学んだ人との接し方であり、繋がり方だ。

塾主の考える人間観

 塾主は、新しい人間観を提唱した。塾主の提唱する新しい人間観とは、ややもすれば弱いものと考えられている人間を“万物の王者”として認識することに始まる。人間には王者としての権能と責務がある。なぜならば、人間は自然界で唯一無二の存在であり、感情を制御し、修得した知識を活用できる素晴らしい心と頭脳を持ち合わせているからだ。これらは他の生命に与えられていないために、人間以外はなしえない。万物の存在を生かすも殺すも人間次第なのだ。そのことを自覚し、人間の心と頭脳を正しく行使していくことが人間としての責務であるとしている。

 しかし人は自己の感情、欲望、愛情などに囚われやすい。それによって正しい価値判断を誤ることは誰もが経験しているだろう。ここに人間の弱さが垣間見られる。世界で起こる貧困や戦争の繰り返しは、人間の本質に対する自覚の欠如と、個々の利害に翻弄された結果と見なす。塾主の言葉にある「かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない」とはこのことだ。

 また塾主は、「真の人間道」を提唱した。「新しい人間観」が人間の本質であるのに対して、「人間道」は、その人間の本質を表現させていく道であり、万物の王者としての人間の歩むべき道である。現実の共同生活の中で、より具体的にどのような道を歩んでいくことが、繁栄、平和、幸福の実現に結びつくのかを見極める。塾主は、天地の恵みはすでに限りなく与えられ、繁栄、平和、幸福を得るために必要な条件はすでにそろっているが、その与えられ方は人によって異なると説いておられた。

 私は新しい人間観や人間道を提唱した塾主は、人間の存在意義を宇宙的空間から捉えているように感じた。本質を究めるには、特徴や性質を認識することが原点となる。人間の本質とは何かを問い続け、この地球で生きていくために人間の役割を見つけることだ。人間としての本質を自覚し、多くの人の衆知を集めることができれば、人間は自らの天命を認識し実現していくのだろう。そのために、万物いっさいをあるがままに認め、容認する必要がある。人も物も森羅万象すべては、自然の摂理によって存在しているのであって、一人一物たりとも否認も、排除もできない。この世の中に存在するものには無用のものは一つもない。その中に新しい人間観に基づく人間道があると唱えたのだ。

 二つの説の土台には、塾主の経験が少なからず影響していると思われる。塾主の学歴は、時に差別の対象や働く上で障がいになったであろう。また、若い20代の時に肺尖カタルを患い、自分の体を思うように動かせない病気を経験した。身体的な不便を感じる毎日に苦痛を感じていただろう。これらの逆境を悲観することなく容認し、自分の生きるべき道を探すことは、人間の本質を知る上で大切な過程だったのかもしれない。塾主は、おそらく自分が病気を患ったことも「運がいい」と思っていたに違いない。

私の願い

 私は「障がいは一つの個性」と考えるが、唐突にその考えに至ったわけではない。幼少の頃から家族の中に障がいを持つ兄と共に生活した30年間の経験を通して、その考えに至った。子供の社会には、子供同士の言葉があり、一緒に遊んでいるうちに互いを知り仲良くなる。もし障がいを持つ子供が一緒にいたら、障がいを含めて友だちになるだろう。幼少期から様々な人と交流を持つと、特別な壁を持たずして相手を受け入れることができ、曲がった偏見は減る。このような偏見や先入観を持たない子供がそのまま大きくなり、互いを認め合う大人社会はあるのだろうか。

 私は積極的に障がい者を雇用する日本理化学工業株式会社を知る機会に恵まれた。その大山社長は、人間にとって“生きる”とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することだと述べた。だからこそ働く場を提供することが企業の存在価値であり、社会的使命として雇用の幅を広げているのだそうだ。さらに従業員は、障がいを持つ人々と一緒の現場がとても楽しく、彼らの一生懸命な姿を見ると働く気力が増すと言う。そのような職場は、従業員同士が切磋琢磨できる良い環境であろう。また、障がいを持つ娘の母親である竹中ナミさんは、障がい者を「4つ葉のクローバー」に喩えている。クローバーは普通、3つ葉。しかし、4つ葉のクローバーは幸せのシンボルということで、人は皆4つ葉のクローバーを一生懸命探そうとする。4つ葉のクローバーは自然界の中では異端である。しかし、その4つ葉のクローバーを“幸せのシンボル”として大事にするのは、人間の想像力の賜物だ。「標準からずれている」と思うのではなく、「これはラッキー、運がいい」と考える発想の転換である。

 しかし現実に障がいを持つ者が家族と離れ社会に出る時、大きな壁にぶつかる。彼らは障がいを持っているだけで、差別を受ける。現代は結果を求められる社会だ。人として最大限努力をしても、人より劣る結果しか出せない人もいる。優秀な人間だけが、住みよい社会でいいのか。私はそうは思わない。皆が最大限に力を発揮できる世の中を構築する必要がある。

 差別は、どちらが多いか少ないかの比率で起こることが大半だ。比率が高い人たちが優位に感じ、比率の少ない人たちへの想像力を欠いて不平等の行動に移る。また比較からも差別は生まれる。同じであれば安心し、違いを見つけると不安になる。差異が明らかになると心理的に差別が起こるのだ。しかし人間は理性があり、考えることができる。違いを認識し、容認する頭脳がある。相手の違いを受け入ようとする意識と脳回路があれば、差別は減る。そのためにはやはり、幼少期からの教育が重要となる。そして塾主のように繰り返し人間観や人間道を唱え、普段から意識する環境が大切である。その環境が企業や地域へと広がり、国や世界が大きな一つの人間観を持った時、一人一人の人間観も変わっているだろう。異なった特質、個性、持ち味がそれぞれに発揮され、百花繚乱のごとき彩り豊かな世界が実現できる。自然があり、人が生き、人が物を作る。互いが作用して共存共栄の姿が生まれることを願う。

 そして塾主の唱えた“万物は日に新たである”という観点に立って、現時点の障がいに対する認識は完全なものではなく、日々生成発展していくものと理解する。私の人間観もまた、家族や環境の変化、あらゆる出会いとともに今までの軸を据えながらも常々変化を遂げるだろう。

参考文献

『人間を考える』 松下幸之助 1995年 PHP文庫
『わが半生の記録 私の行き方 考え方』 松下幸之助 1986年 PHP文庫
『新しい人間観について』 財団法人松下政経塾 1981年 政経研究所編
『福祉を変える経営』 小倉昌男 2003年 日経BP社
『ラッキーウーマン』 竹中ナミ 2003年 飛鳥新社
『日本でいちばん大切にしたい会社』 坂本光司 2008年 あさ出版
『グラウンド』 石井謙介 2007年 共栄印刷(株)
『プラダー・ウイリー症候群(PWS)児を育てて』母親38人の記録集 2005年 竹の子の会
『特捜エキスプレス 無限の食欲と闘う人々』 とくダネ!(2008.10.24 放送)フジテレビ

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