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関西研修レポート

 和歌山県千旦。この地に松下電器の創業者であり、松下政経塾設立者の松下幸之助塾主が眠る。昭和54年、塾主は我が国の危機的状況、政治的リーダーの将来展望の欠如を憂い、将来に渡り、明確なる基本理念と長期的展望を兼ね備えたリーダーを育成したいとの想いで松下政経塾を設立した。設立後30年という時を経て、今、私達は塾主の想いを継承し、生涯を賭けて日本に希望を作ることを目指して、日夜、志を練磨している。だが塾主は、もはや歴史上の人物となった。直接、塾主の考えを聞き、指導を仰ぐことができない。そこで、塾主と関係の深かった人々と直接対話し、さらには、塾主のゆかりの地を訪ねることで、「松下幸之助」という人物の実像に迫り、塾主が塾生に託す想い、塾生としての使命を皮膚感覚で感じ取る。私は、この視点で、関西研修に臨むことを塾主の墓前に誓ったのである。

 大阪府福島区大開町。この地で塾主は二階建ての借家を手に入れて、松下電機製作所を立ち上げた。経営の神様として謳われる人生の出発点であり、世界に冠たる松下電器(現在パナソニック)のスタートであった。我々の関西研修も、松下電器創業の地からスタートしたのである。創業のこの地を訪れて、驚愕した事実があった。それは、塾主が松下電機製作所を立ち上げた時は23歳だったということであった。奇しくも、私も24歳という同年齢である。何の後ろ盾もない23歳が、自らの力と仲間を信じ、裸一貫で独立するという重い決断を下すことは、残念ながら今の私にはできない。この決断以降、「アタッチメントプラグ」や「二股ソケット」を開発し、従業員数も右肩上がりに増加を辿ったのである。ここに、塾主の経営者としてこれから後に発揮されるカリスマ性の萌芽を垣間見ることができる。

 次に、我々は、パナソニック本社で松下正治名誉会長、そして松下正幸副会長に御眼にかかり、塾主の人間性や経営者としての顔について非常に興味深い話を拝聴した。お二人の話に共通する塾主の姿は、絶えず、人の話に真摯に耳を傾け、不明な点があれば納得するまで聞き入ったというものだ。すなわち、聞き上手の名人であったということだった。この塾主の類い稀なる能力こそ、会社が最大の危機を迎えた時も、最良の決断を下し、難局を乗り越えることができたのであろう。松下政経塾の塾訓にある「素直な心で衆知を集め…」という思想潮流は、まさに、こういった塾主の経験からきているのである。塾主の人の話を真摯に聞くという態度が、多くの人々から信頼を得ることに繋がったのではないかという推測は、松下電器OBの松愛会の皆様とお会いすることで、私の中で確信に変わったのである。

 その後、「松下幸之助歴史館」や「松下資料館」を訪れ、塾主の発想の原点を垣間見ることができた。そして、兵庫県西宮市に建設されていた塾主の私邸を復元した「光雲荘」、PHPの研究活動の拠点として用いられた「真々庵」も訪れた。これらは、塾主が日本古来の伝統技術や文化を重視し、200年、300年という時が流れても、日本の良さを伝承していきたいという強い意志のもとに建造されたものである。また、「光雲荘」、「真々庵」は日本の伝統精神の一つでもある「おもてなしの精神」に即して運営されている。誇るべき日本の伝統技術や精神を、将来に渡って伝承したいとの塾主の想いが詰まったこれらの建造物であった。裏千家の「今日庵」も訪れたが、塾主は茶道もこよなく愛したという。日本の伝統文化や精神こそが、塾主の思想の原点となっているといっても過言ではないだろう。

 関西研修の5日間では、塾主の墓前で誓った「塾主が塾生に託した想い、塾生としての使命を知る」という課題に、自ら確信的な解を求めることはできなかった。むしろ、塾主が歩んだ生き様や発想の原点は奥が深く、一朝一夕では理解することは不可能だと思った。ただ、この関西研修を通じて、松下政経塾「塾是・塾訓・五誓」並びに「設立趣意書」に込められた塾主の想いの根底に流れる原点の入り口に、ようやく到達したかのように思える。これが本研修で私が得た最大の成果だ。

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丹下大輔の活動報告

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Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

Mission

「熟議の議会改革と地方政府の確立」

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