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八百万の価値観‐価値観の複線化と社会の安定について

 格差社会や二極化が言われて久しい。格差はいけない、いやそうではなくて格差が競争を生みだし社会に活力を産む、という議論がしきりに交わされるが、そこで見落とされているのは日本古来の知恵、すなわち価値観の複線化である。

 古来より、日本には複数の価値観が存在した。意識的か無意識的か、権威と権力を分立させ、それが並存し互いに補いあう世の中を成立させた。

 江戸時代を考えると、朝廷や公家衆は伝統や文化的権威を持つ一方で、権力は限定され、禁中並公家諸法度などにより幕府による規制を受けながらも保護されていた。一方の幕府は、権力をつかさどりながらも自らの権力の源泉を朝廷からの「征夷大将軍」の肩書に求め、朝廷の権威に従うという構造になっていた。権威を朝廷や公家衆が、権力を武家が持つという構造である。朝廷が弱体化したからといって、幕府が朝廷を打ち倒し、唯一の絶対権力兼権威にならないところに私は知恵を感じる。

 こうした価値観の複線化と序列の並存は江戸時代の武士と商人の関係にも見られる。下級武士は支配階級の一員として存在していながらも、経済的には困窮し、士農工商の下位に位置づけられる商人階級に経済的援助を求めていた。一方で、裕福な商人階級は金銭的な豊かさでは飽き足らず、自らの息子を貧乏武家の養子に出し、身分を手に入れようとした。身分と経済力が別々に存在し、それぞれをうらやむ構図である

 裏世界と表世界との並存というものもある。会田雄次著「日本人の意識構造」によれば、日本人には、「表」の文化は立派だがしょせんタテマエの世界で、「裏」の世界にこそ人生の真実を見出す意識があるという。一例が松尾芭蕉の「奥の細道」で、裏道をとぼとぼと歩いたことによって人生の真実に到達しえたとされている。

 こうした価値観の複線化がいつからか無くなってしまった。そして実はそのこと、すなわち価値観の単線化が日本の現代社会に閉塞感と停滞をもたらしているのではないだろうか。

 価値観が単線である社会における競争では、絶対的な勝者と絶対的な敗者が生まれる。「Winner takes all」の言葉通り、勝者は全てを持ちさり、ゲームのルールを都合のよいように変え、自らの優位が未来永劫揺らがないように盤石の態勢を固める。それゆえに敗者は永遠に這い上がれず、自分ではどうしようもないというあきらめの気分と自己否定が蔓延する。格差や二極化は、単線化した価値観のモノサシの上での話であろう。

 複数の価値観と序列を持ち、どこかのレールでは自分が優位になれるが、別のモノサシでは上には上がいる、という仕組みを日本社会は作りあげてきた。これは、島国という閉鎖された社会で、絶対的な勝者と絶対的な敗者を作りだすことを避け、誰しもがある程度自己肯定できつつ、傲慢にもなり過ぎないようにして社会の安定をもたらすという知恵だったのではないかと思う。そして絶対的権力兼権威を作らないことは、社会の固定化を避ける作用もあった。

 ITバブル華やかかりし頃、「金を稼げなければ何の意味もない」という価値観が世間を席巻した。かつては、金銭第一主義に対し、学問を重んじる価値観や品位や教養といった価値観がともに存在していた。このためもし金銭的成功を勝ち得ず、金銭第一主義のレースでは敗者となったとしても、複数ある競争のレールを乗り換え、学歴獲得競争でそれなりの勝利をおさめて自己肯定することも可能であった。個人的な能力では競争に勝てない場合でも、家柄や品位の序列化の中で、自分を上位に位置付け満足することも可能だった。あるいは「お金にならなくても、ひとの役に立つ仕事をしている」ということに価値を置くこともできた。

 ところが不幸なことに、現在は金銭第一主義という単線の価値観しか残っていない。「稼ぐが勝ち」とうそぶきながら金銭獲得競争に勝利するわずかな者たちと、その競争には勝利できなかった多くの敗者が社会に存在する。価値観が単線化したため、以前であれば他の競争にレールを移し、自分で自分を敗者とみなくて済む方向に切り替えられた人たちの行き場がなくなってしまったのだ。このため一握りの人々以外は、自らを「負け組」であり価値の無い存在とみなさざるを得なくなっている。そしてその「自分は負け組」というこの意識が、日本に閉塞感と停滞ムードを生んでしまっているのではないだろうか。

 現代日本を覆う閉塞感と停滞ムードを打破するには、金銭第一主義だけが唯一絶対、という価値観の単線化をやめなければならない。日本を再び活性化させるには、社会安定化かつ固定化回避の知恵である価値観の複線化、八百万の価値観を取り戻すことから始めたらどうだろうか。

 世の中には億差万別の人間がいて、億差万別に複線化した価値観が必要なのである。

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