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神道から見る日本の伝統精神

<はじめに>

 入塾して以来この1年間、伊勢神宮、熊野三社、明治神宮、また古典の授業を通じて神道に触れる機会が多くあった。神道は古代から現在にいたるまで、様々な変化や影響を受け紆余曲折してきた。特にこの半世紀余りにわたっては、極端に言えばあたかも危険思想の温床であるかのような扱いを受けてきた。しかし本当にそうなのだろうか。

 今回は縄文・弥生時代から古事記・日本書紀の頃までの古代日本の宗教観から、日本の伝統精神について考察してみたい。

<古代日本の宗教観>

 神道はきわめて古い時代に発生したと考えられる。古代において日本人は、砂漠などの自然環境の厳しい民とは違い、自然とは対峙するものではなく、共生するものとしていた。狩猟や漁猟・果実採取等、自然から多くの恵みを享受し、そうした自然に感謝していく中で、あらゆる自然物に神が宿るとする自然信仰が生まれたと考えられる。

 縄文人は多くの精霊の中でも、自然界を構成する「地・水・火・風」の四大精霊を尊敬していたようだ。古くは平等であった精霊の間に序列が導入されていき、それが古代の神道へと発展する。弥生時代から水稲耕作による生活が始まると、稲を育てる太陽と水の恵みを重んじるようになっていく。それと共に、農耕地を開墾してくれた祖先の霊に対する祖霊信仰も高まる。次第に国家が形成され統治者が出現すると、今度は集団の首長の霊を重んじる首長霊信仰が現れる。

 このように神道はきわめて多くの神々をもつ宗教であり、これを「八百万の神」と称す。日本人は古代より、あらゆる自然物を崇拝し世の中のあらゆるものに神を見出し敬っていた。他の国なら、後から来た民族が先住民の祀る神を廃することが普通だが、日本の場合は、先にあった狩猟採集民の「神」を撲滅することなく、むしろ共存させてきた。日本には、たとえ自分の祀る神とは異なっても、それを受け入れる共存共栄の心、共生感があったのである。

<『古事記』と『日本書紀』>

 古代日本の様子を知る書物としては、『古事記』と『日本書記』が挙げられる。

 『古事記』は元明天皇の712年、太安万侶が撰上し、神々の誕生から7世紀初頭のトヨミケカシキヤヒメ(後の呼称では推古天皇)に至るまでの神話と歴史を伝える書物である。もともとは壬申の乱を制圧して即位した天武天皇が、乱れた歴史の伝えを自らの手で正そうと、稗田阿礼に「誦み習は」せたものである。天武天皇が正当な後継者であることを証明する神話(歴史)は、力としての法(律令)とともに、国家を支える両輪の一つとして必要だった。しかしまだ神道という語は見られない。

 一方、『日本書紀』は元正天皇の720年成立。天武天皇の皇子、舎人親王を総裁として編修し、日本の正史として位置づけられている。この日本書紀で「神道」という言葉が初めて登場する。

 これら『記紀』では、天皇の祖先が天照大神の命令を受けて日本を統治するようになったと説く。これを受けて、ニニギノミコトが皇位を象徴する三種の神器をたずさえ、日向国の高千穂の峰に降りるのである(天孫降臨)。そしてその曾孫が初代の天皇である神武天皇とされる。この話によって、皇室の全国支配は正当化された。

 もともと王家は祖霊信仰の上に立つ大国主命をまつっていたが、6世紀に中央集権化を志向したとき、自分達と同列の大国主命をまつる地方の豪族の上位に立とうとした。日本神話の前半部分は天津神が国津神の上位にくる理由を説明することを中心に構成されている。

<天照大神が現す日本の精神>

 ところで、天照大神に関する話は、南方系の神話を日本に取り込んだものとも言われている。それゆえ、日本の神話にはフィリピン、インドネシア、南太平洋の島々を中心とする範囲の神話と共通する要素が多い。しかしその一方で、他の地域の神話にはほとんど見られない特色がある。

 それは天照大神が女神であり、徹底して寛仁で慈悲深く、殺害に対して激しい怒りと嫌悪の情をむき出しにする点である。彼女は殺害者を厳しく罰するのではなく、自分がその前から姿を隠すという、どこまでも温和な態度を示す。

 また、他国の神話の最高神たちと比べ、生まれるとすぐ何の暴力も使わず、当然のごとくとして平和的に天上の王位に即かせられたことになっている点も、際立って異色な存在である。

 このように、平和的で情け深く、殺害を何よりも嫌う女神を最高神として据えることで、生命と平和が他の何よりも大切だということを、神話ははっきりと主張している。敵を殺して争いに勝つことで相手を征服するのではなく、命を尊重し、むやみな殺し合いをせず平和的に解決することに、大きな価値があるとしているのだ。

<松下幸之助塾主の考える日本の精神>

 松下幸之助塾主は、日本の伝統精神として、神話でも描かれてきた「和」という平和愛好の精神を第一に挙げている。ただし、塾主が面白いのは、「和」の反対とも思える「対立」を頭から否定し排除するのではなく、「対立もよし」と受け入れた上で、「和」を持てと考えている点だ。それは塾主の自然観・宇宙観といった根源的な考えから来るものである。塾主はこう述べている。

 「この宇宙のいっさいのものはすべて対立しつつ調和している。それぞれのものがそれぞれの個性、特質をもって、いわば自己を主張し合っている」「対立と調和は、いわば1つの自然の理法であり、社会のあるべき姿だ」

 これを例えば労使の関係についてもあてはめており、「常に“対立しつつ調和”するという姿が望ましい」と言い切っている。

 「一方でお互いに言うべきは言い、主張すべきは主張するというように対立するわけです。しかし、同時にそのように対立しつつも、単にそれに終始するのではなく、一方では、受け入れるべきは受け入れる。そして常に調和をめざしていくということです。このように、調和を前提として対立し、対立を前提として調和してゆくという考えを基本に持つことがまず肝要だと思います。そういう態度からは必ず、よりよきもの、より進歩した姿というものが生まれてくるにちがいありません。」

 こうして見ると、塾主が考える「和」の精神は、一般的に言われる日本人の「和」のあり様とは異なる。自分の主張をしないことでもなければ、相手の顔色を伺うことでもない。角が立たないようにすることでもなく、物事をなぁなぁに済ませることとも全く異なる。よく言われる「談合」や「護送船団方式」の温床といわれる「和」への解釈とはちょっと違うニュアンスを感じる。

 「一人ひとりの人が、それぞれに自分の考え、自分の主張を持つということは、民主主義のもとではきわめて大事なことである。が、同時に相手の言い分もよく聞いて、是を是とし、非を非としながら、話し合いのうちに他と調和して事を進めていくということも、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。もしもこの調和の精神が失われ、それぞれの人が自分の主張のみにとらわれたら、そこには個人的我執だけが残って争いが起こり、平和を乱すことになる。今日のわが国の現状、世界の情勢をみるとき、今少し、話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが、いかがなものであろう。」>

 「和」の精神とは、言うならば、自分の意見だけに偏ることなく、対立するかもしれない相手の主張も聞き入れ、よりよい解決策へと練磨させるための人間の知恵と言ってよい。人は誰しも自分が正しい、そうした自分を守りたいという気持ちが働くものである。しかしそこから離れ、もしかすると相手が正しく、自分が間違っているかもしれないという気持ちを持つことが大切だ。そういう人間の心構えが、より良い道を開かせる。それが「和」の精神を持つ目的なのではないだろうか。

<終わりに>

 松下幸之助塾主は、一番尊敬する政治家に、「和を以って貴し」を憲法の第一条に掲げた聖徳太子を挙げている。聖徳太子は日本古来の風習や神話等から、日本人として一番大切な精神を「和」とし、それに則った国の統治のあるべき姿を目指した人である。

 塾主は「長い歴史を通じて培われ、いつの時代の人びとの心の中にあったと思われる日本精神や国民性」を受け止めた上で、それに基づく政治や経営のあり方を探求するべきだとしている。神道を1年かけて学んできたが、私も今後はその学びを、日本人の精神性を見極め、それに根ざした人間、国のあり方を考える礎としていきたい。

参考文献

『古事記』
『日本書紀』
PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室『松下幸之助発言集 全45巻』 PHP研究所 1993年
古田敦彦・古川のり子『日本の神話伝説』 1996年 青土社
三浦佑之『古事記を読む』 2008年 吉川弘文館
川副武胤『古事記の世界』 1978年 教育社
森博達『日本書紀の謎を解く』 1999年 中央公論新社
林屋辰三郎『日本の古代文化』 1971年 岩波書店
三橋健『わが家の宗教 神道』 1995年 大法輪閣
武光誠『日本人なら知っておきたい神道』 2003年 河出書房
P.Rハーツ/山内春光訳『神道』 2004年 青土社

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