論考

Thesis

フードリテラシーにより住みたい地域を創る

「食」がマスコミに取り上げられない日がないほど、わが国では食の問題についての議論が活発である。今回は、食品偽装等の観点ではなく、「食」によって地域と家庭を再生できるという観点で論文を書いた。

1、はじめに

 フードリテラシーという言葉を聞いたことはあるだろうか。私が大学生の頃(2000年頃)、新聞や文庫本ではメディアリテラシーの記事や書籍が増えたのでリテラシーという言葉には我々も多少は認識をしてきているようにも思う。リテラシーの意味は、簡単に表現すれば「読み解く力」ということである。

 最近、環境問題(リサイクル、省エネ)、食育、健康問題(医療、メタボリック対策)、農業再生の記事や番組を見ない日がないほど、我が国において大変注目されている分野である。これにはおそらく経済、財政などの本当に政治が解決したい問題の抜け道が見えないので、別の視点からの改革を促したいという思いと、もう一つは、改めて日本人の生活そのものの、幸せの在り方、価値観を根本から考え直さなければならないほど、我が国に閉塞感が漂っているからではないかと考えている。

 私は冒頭に記した「フードリテラシー」によって、我が国の問題を紐といていきたいと考えている。食べ物の食べ方が社会にどうつながるのか?食べ物の選び方が社会にどうつながるのか?食卓を豊かにすることで、長い意味で考えるとどれだけ一人一人が幸せなれるのか?現状を把握し、足元を見直すべき時に来ていると思う。しかし、我が国の問題といっても広いので、特に問題解決の糸口が見えない「地方を元気にする」という観点で書き進めていきたいと思う。

2、我が国は漂流している

 米国の金融危機以降、我が国にもその余波が大きく押し寄せている。超円高の影響でわがふるさとは戸惑っている。北米に依存していた過剰消費と急激な円高の影響で、日産自動車などの大手自動車メーカーでは、減産や人員削減が拡大している。具体的にいえば、日産九州工場が十万六千台減、トヨタ自動車九州が十四万四千台減、ダイハツ九州が一万台減産と米国発の金融危機を受けた深刻な消費不振によって日本経済全体を引っ張ってきた自動車産業の業績は総崩れとなってきている。

 福岡県はここ数年にわたり、自動車産業の誘致を進めてきた。長年雇用環境が大変厳しく若者の働く場所がなかっただけに大きなよいインパクトがあったが、今回の業績悪化によって、非正規雇用ゼロなど雇用情勢の悪化は地方経済に大きな影を落としている。地域の居酒屋でも閑古鳥が鳴いているのを見れば、どれだけ雇用環境が厳しくなってきたかがよくわかる。現在私は、地元行橋で来年の2月の卒塾フォーラムに向けて活動をしているが、その手伝いをしてくれている中学校の後輩も今回の日産自動車の非正規雇用ゼロによって、今年いっぱいで職場を離れなければならないようである。給料の手取りは住居費をひかれ11万であったが、大変働きやすかったと言っていた。いずれは正社員になり、今交際している女性と結婚したいと思っていた矢先であったので、夢を失ったというか、これからどうしようと悩んでいた。これから先のある若者が安心して前向きに生きることができる環境整備を急ぐべきだと感じている。

 今回の米国発による金融危機の影響は大きい。海を渡った米国でおこった事象ではあるが、経済の相互依存関係、特に我が国のように、米国の過剰消費によって製造業が成り立っているだけにその影響度は大きい。影響は、地方経済にも忍び寄り、確実に雇用の悪化、経済の不安定などの問題がおきてきている。私たちが今取り組むべきことは何か。どのような国、地域を目指すべきかを真剣に考えなければ、社会不安が広まっていくのでそれだけは何とか避けなければならないと感じている。

3、漂流の原因~その1~

 今回の金融危機は、我が国とって言葉が適切かはわからないが、プラスにとらえなければならないと思っている。サブプライムショックに端を発した今回の危機は、金融資本が支配する社会における資本主義の本質を考え、今後もこのような方向性で良いのかを考える上で良いきっかけになっている。

 今の経済は、経済を成長させるために金融資本が主役になっている。つまり経済と金融の主客が逆転しているのである。ここで考えなければならないのは、金融資本が自分で増殖していくためには本来は、増殖した金融資本以上に経済が拡大して投資機会や収益の機会が増えていないといけない。しかし実体経済の成長には限界があるというのが現実である。

 結局、新規需要がなければ経済成長はないので、最後は行き詰る。そしてこの難しい問題を解決したのが、高度な金融手法である、金融工学や証券化である。どのような仕組かといえば、自己増殖した金融資本が以前の金融資本を購入することで成り立つのである。増殖したお金が、増殖する前の金融資本を証券化することによって、以前より高い価格で購入することになり、価値が増大したかのように見えるようにしているのである。つまり、金融資本の投資先が実体経済である以上、実体経済が拡大していないのに資本の価値が増えるように見えることである。それによって過度に金融市場において、金融資本は成長し続けてきたのである。

 本来はこれが続けば、国民一人当たりの所得も増加していくのかもしれないが、そのようなわけにはいかない。金融資本の膨張は、多くの投資家が今は高いから安くなってから買えばよいと思い始めたら終わりである。これは1929年の世界恐慌の時もそうであった。最終的にバブルははじけるのである。今回、我が国はあらためて学んだのである。我々が生活する21世紀バブルは、20世紀までの中央銀行が通貨をコントロールするような手法では解決できない。我々が考えなければならないことは、実体経済の投資機会と金融資本の増殖のアンバランス感を是正することにある。

 今後、私は実体経済が相対的に大きな力を持つようになると思うし、そうでなければ人間はお金に振り回され、安心して働くこと、生活することさえできなくなると思う。現在の状況は、私は不健全であると思うし、持続可能ではないと考えている。まさに、お金の価値が下がっている今こそ、基本である実体経済の強化に我が国として努めるべきだと考えている。

4、漂流の原因~その2~

 実体経済の強化など、我々は足元もしっかりと見直すことをしなければならない。なぜならば、このことが住みたいと思えるような地域づくりにつながっていくと考えているからである。私が考える、住みたいと思う地域の定義そして、地域再生に欠かせない要件を書きたいと思う。抽象的にいえば、くらしに豊かさの実感を住民が持てる状態にすることだと思っている。そのためには、根底に自助と支えあいの絆の人間関係のインフラがあるべきであり、更に具体的なキーワードをあげるとすれば、健康、教育(子育て)、環境(農業)、雇用だと考えている。住みたいと思えるような地域づくりをし、4つのキーワードに対して力を入れていけば必ず魅力的なまちができあがると信じている。

 以下食を切り口として問題を明らかにし、解決策を考えてみたい。

5、価値観の変化

 最近、特に若い世代の間で食べることへの関心、生活の中での優位性が低くなっているようだ。仕事の合間に食事をする、空腹時はカップ麺やスナック菓子で満たし、栄養はサプリメントで済ます、という人も少なくない。また、それ以上にお金と時間をかけることを避けたい、という価値観がうかがえる。ある調査では「今後積極的にお金をかけたいもの」という質問に対しての答えは「貯金」「国内旅行」「洋服・ファッション」「趣味」「海外旅行」を大きく下回り、「外食」は7位ということだった。

 食べることへの関心は、味や料理だけではなく食べ方にもつながっている。最近は一人で食べる「孤食」が増えているが、食を通じて譲り合いや分かち合いの気持ち、持ちつ持たれつの関係ができ、社会性、支えあいの心が生まれるように思う。食は生命を維持するための栄養補給、味わうという感覚的な楽しみ、人と食卓を共にする喜びなどが、複雑に絡み合っており、大切な文化でもあると考えている。その多様性を保ちつつ、次世代に伝えていくことは大人の責任、社会の責任であるはずだ。

6、深夜の子連れ族

 たまには家事や育児の息抜きがしたいという考えから、居酒屋に子供を連れていく母親が増えている。今の居酒屋はお酒のつまみのメニューだけではなく、レストランのように豊富なメニューがあり、家族が夕飯を取るには十分な内容になっている。そのニーズに応えてか、ここ数年で子連れでも利用しやすく、家族でも気軽に入れる店が増えている。ある企業の四歳までの子を持つ母親を対象とした調査によると、四人に一人が「午後九時以降に赤ちゃんを商業施設に連れ出した」と回答した。一位はコンビニエンスストア、続いてスーパー、レンタルビデオ店、レストラン、居酒屋、カラオケ店などが続く。

 夜に光を浴びると生体計に狂いが生じると言われているが、当然子どもの健康への影響が懸念される。「早寝、早起き、朝ごはん」という言葉が推奨されるくらい、発達途中の子どもたちにとって、規則正しい生活は重要であると考えられている。実際に保育の現場では朝から眠そうな子が目立ち、そんな子どもたちは集中力がなく、他の子より作業も遅れがちであるという。商業施設の側も、小さな子ども夜更かしするのは良くないとわかっていても、時間によって子連れを断る決まりはないとし、今後もその対応は難しいと言える。

 ただ、現代の共働きの夫婦にとっては、夜遅くに帰宅し、夕飯を作り家族で食卓を囲むことは難しく、居酒屋や深夜営業しているファミリーレストランが、家族の食卓になることも仕方のないことかもしれない。大変危機感をもっている。

7、米食べない(築上町循環農業)

 日本人の主食と言えばご飯、つまり「米」であるが、米の生産量に失敗した昭和30年代以降、皮肉にも日本人はあまり米を食べなくなった。現代では、一汁三菜の食事内容を知らない若者もいるほどだ。米が主役のこの構造から香のものが無くなり、汁ものも減った。ゆくゆくはご飯がなくなり、お菜だけが残るかもしれない。

 戦後、日本人の体格を良くするため栄養改善施策が進められ、パン給食もその一つである。パン給食は、栄養的にはバランスが取れているが、日本の食の構造を壊した面もあるといえる。パンを主食にすると、その副菜は必然的にパンに合う内容のものになるので、マーガリンやバターはもちろんのこと、油を多く使ったおかずが増える。小さい頃から油を多く摂取しているとどうなるか。一回の量は少なくとも、毎日毎日積み重ねられれば、体に油は蓄積し、成人病にもつながるといえる。

 そのような中で、最近和食の良さが見直されているが、単に成人病予防などという大人に対してのことではない。子どもたちの体にとっても、米を中心として野菜、魚をバランスよく取り入れることができる、まさに昭和30年代の和食が好ましいといわれている。しかし、地域によっては小学校からセンター方式の給食を食べている子どもたちもたくさんいる。家庭内の食事内容も時代とともに変化しているなかで、学校給食も現状のままで良いのだろうか。

 私の地元行橋市の隣町である築上町では、町内産の米で完全米飯給食を実現している。そもそものきっかけは液肥の利用を推進するため、循環型農業という名称のもと、液肥利用した農産物の販売強化の方針を打ち出した。その、農産物の出口の一つが学校給食の米で、「シャンシャン米 環」というネーミングの米を子どもたちは食べている。また、子どもたちは循環型農業についての授業をうけ、地域内の資源を循環させる農業への理解も深めている。週3回のパン給食はなくなり、週5日完全米飯給食になるのにあわせて、献立委員会を組織した。脂質を抑え、旬の地場産物を取り入れた献立への改善に努め、脂質の少ない健康的な献立の実現につながっている。

 米を中心に据えた食事の見直しから、地域の農業、教育、健康、地域経済の貢献と様々な方面への働きかけができるという好事例を体験した。

8、食をとおして、楽しみを見つける

 「家庭料理=愛情」という考え方は、主婦の専業化が進んだ大正末期から昭和初期に生まれたという説がある。料理に愛情を込めるのは良いのだが、主婦にとってこうでなければならないという制約や規範にもつながったように思える。国の生活基本調査によると、既婚者が買い物や育児などを含めた家事に費やす時間は、一日あたり夫42分に対し、妻は5時間4分とまだまだ大きな差がある。時代が変わって、男女かかわらず働くようになっているにもかかわらず、このような状況の中で、食事作りに楽しさや遊びの要素を付与することは、主婦に課せられた心理的な負担の軽減になるのではないだろうか。

 幼稚園に通っている子どもの毎日のお弁当づくりが大変、という声も多く聞かれる中で、反対にお弁当づくりに楽しさを見出している主婦もいる。絵を描くようにかまぼこやのりなどの食材を配置し、弁当箱の中に動物やアニメのキャラクターを作り上げる。「キャラ弁」と呼ばれるこうした弁当は、毎日写真に撮り、インターネットでブログに掲載しているという。精細なアート風作品も登場し、作品集が本になり講座を開くキャラ弁作家も現れた。

 遊び感覚の食事作りが、家族の食事参加を促すきっかけになることもあるのではないだろうか。また、自ら情報発信することで、家族という枠を超えたコミュニケーションも可能になり、食事作りが「義務」から「楽しみ」になる。親子で継承してきた家庭料理が、互いに教えあうものに変わり、主婦だから作るのではなく好きだから作る時代へと変化するかもしれない。その流れには、男女かかわらず子どものうちから食べること、作ること、に興味・関心を持たせるきっかけがあるかもしれない。また、それは日本の食文化を絶やさないことにもつながると考える。人口減少が進んでいる今、女性の労働力も、そして将来に向けてお子さんをしっかり育ててもらうことが、日本の繁栄につながると考える。仏教でも人生は苦だといわれ、楽しいことばかりではないと思うが、毎日の日々の暮らしの中に工夫をこらし、楽しみを作っていく工夫をすることも大切ではないだろうか。

9、ともに食べともに育む家庭環境の減少

 若者のニートの数が増えている。その背景には様々な問題があるとは思うが、ひとつには、食事の問題があるように思う。本来ならば、食卓を囲んでの家族団らんのひと時である食事の際に、悩み事を話せないにしても、家族が向き合うことで自分は一人ではないという思いや、その安心から自分で努力して前に進もうといった気持を育んだり、家族と様々な思いを共有したりできるのではないだろうか。

 「働くとはどういうことか」という質問をした時に、答えられない若者たち。働かないと食べてはいけないという感覚が欠落している。しかし、そんな若者たちを責めるだけでは問題解決にはならない。本当の意味での生きる力を育むことを考えたいと思うが、そのヒントはやはり食卓にあるのではないだろうか。何度も繰り返すようだが、人間の発達段階を考えると、年齢が低ければ低いほど人間は発達途中であるということで、つまり幼少期の生活習慣(早寝・早起き・食事など)の内容は、その後の発達に大きく影響を及ぼすといっても過言ではない。たとえば、食事の内容や質についてまで細かく言うつもりはないが、毎日必ず食べること、しっかり睡眠をとること、十分遊ぶことなどは子供たちに絶対必要なことで、親の責任であると言える。それらを放棄しておいて、こどもたちの学力低下を憂いても仕方がないと思える。もちろん、生活習慣の内容や質の高さを求めれば、その質が良いにこしたことはないのだが、最低限子どもたちのためにしてやるべきことではないか。

10、一次産業による地域づくり~地方産業振興は複業と農商工連携にあり

 縷々、食と家庭というミクロの視点で我が国の問題を明らかにしてきた。それを元に、これから地方を元気にしていくために大切であると思われる問題の解決策を考えてみたいと思う。切り口は、雇用、農業、環境、健康、教育の視点で書きたいと思う。

 住民が生まれたまちで育ち、生活するには働く場所が必要である。つまり、民間の力で補助金に依存しないような自立型産業を作ることにあると考えている。今までは地方の雇用先といえば、農林水産業、建設業、地元の自治体などであった。自治体は今でも確かに地方の働き場所としては高い人気を誇っているが、農林水産業と建設業は時代の流れとともに産業として縮小してきており、また、若者の多くは誘致された工場か近隣の都心部に流れている。

 本質的に地方を住みたいと思わせるには、地方特有のビジネスモデルが求められる。まさにこのような時代であるからこそ、生命産業である農林水産業を見直す時期に来ているのではないだろうか。とはいえ、地方のような市場の小さなところで単一業態だけで勝負をする従来のやり方では、費用対収入が見合わない。年間通して継続して仕事を確保するために、今必要なことは「複業化」ではないかと思う。

 具体例として、先日新聞でも掲載されていたが、地方の建設会社が農作業を代行する仕事を請け負ったり、介護対応のリフォーム、デイサービスなどに取り組み、高齢者の暮らしを支える複業化に取り組んでいるといった事例も出てきているようである。

 また、複業化とともに今後地域の産業振興の切り札となるものに、農商工連携に代表される複数の業種の連携がある。従来の農林水産業の枠組みに商工業やIT産業、建設業の技術のノウハウを加えれば新たな仕事を生み出すことにもつながっていくものと思われる。青森県ではリンゴの国際ブランド構築の海外展開をしている商社などのノウハウを取り入れることで実現している。

 これらを進めていくには、まだまだ多くの問題がある。大きな可能性を秘めているにも関わらず、大変残念だと感じる。これはまさに、小泉前総理ができなかった地方活性化に向けての規制緩和であると思われる。特に、日本の農業は規制改革でしか再生できないと思う時すらある。全国の農業の最大の問題は、農業生産の脆弱化とそれに付随する後継者の問題に尽きると感じている。最大の原因は、農地法が耕作者主義をとっているため、(実際は所有者が耕作していない事例が多い。)株式会社の農地所有が禁じられている。この結果、農業経営ができる経営能力を持った人々が自由に参入できない、これが農地の集約や経営の効率の阻害原因になっている。

 まず、現状の問題を解決するには、株式会社による農地の賃借を完全自由化することが必要であると考えている。現在は限定的に賃借できる。たとえば、農家から直接借りられず、借りるには市町村を通じなければならない、しかし実際には、市町村は耕作放棄地などしか貸出しをしない。これを改めて、農地所有者の合意があれば利用可能となるようにすべきだろう。

 次に、株式会社の農業生産法人への出資割合を90%まで認めることだ。現在株式会社には農地所有は認められていないが、現行制度でも株式会社が出資している農業生産法人には農地所有が認められている。ただしこの場合、農業生産法人に対しての株式会社の出資は、一社当たり十分の一以下に制限されている。このような農業における規制緩和と、農林系、商工系の縦割り融資などによって、地域の活性化が阻害されている地方再生のためには、業種ごとの成長戦略ではなくて、地方産業をどうするのかの視点で制度を構築し、活力を取り戻せると考えている。

11、解決策~フードマイレージによる地産地消の拡大

 食べ物の重さと運ぶ距離をかけ合わせた「フードマイレージ」という考え方が、今から15年ほど前にイギリスで生まれた。運ぶ距離が長いほど、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を出し、温暖化を進めることになるが、どのような食べ物でどれだけCO2が出ているかはわかりにくいので、その標記としてフードマイレージが考案された。

 フードマイレージが少ないほど、環境にやさしいということになるが、多くの食べ物を輸入に頼っている日本は、アメリカや韓国の3倍、イギリスやドイツの5倍、フランスの9倍にもなり他の国に比べフードマイレージが高い。国産の有機野菜などを宅配している「大地を守る会」は食べ物の種類ごとのフードマイレージを計算している。また、フードマイレージと車の使用などで出るCO2を比べやすいよう、CO2 100gを1ポコという単位で表している。

12、解決策~教育、子育ての再生は家庭の食育力にあり

 地元行橋の卒塾フォーラムでも述べさせて頂いたが、教育、子育ての再生は家庭の食育力にかかっていると考えている。昭和30年代を境に、日本人の生活は大きく変化した。家族で囲む食卓は少なくなり、食べるものの内容も様変わりした。成長発達途中の子どもたちにとって、食べることは生きることに直結しており、その心と身体を育むものとして、食育がどれほど重要であるかは言うまでもない。しかし、学校や保育園などでの食育活動には限界があり、一番重要視されなければならないのは、家庭の食育力ではないかと考える。

 食事は毎日繰り返される。人が80年生きた場合、単純に計算すると87,600回の食事を取る。その食事の一回でも多く、家族とともに食べ、同じ時を共有・共感し、ともに育む家庭環境を作ることが人々の生きる力につながり、それは社会全体の生きる力、元気につながるのではないだろうか。そのように考えた時に、昨今の家庭の食育力、教育力を見直す必要があるように思う。

 「食育」という言葉を使うと、食べる物の内容や栄養素についてなど表面的な問題のように捉えられてしまいがちだが、食は子育て、教育、健康、働き方、環境、農業など多岐にわたって人々の生活とつながっており、生活の基盤となっている。各家庭がその重要性について知り、考え、自らを顧みることで、日常の生活の中に幸せを感じることができるのではないだろうか。そして、人々が幸せを感じ、元気であるならば、その地域は元気な地域、住みたいまちになると信じている。

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仁戸田元氣の論考

Thesis

Genki Nieda

仁戸田元氣

第27期

仁戸田 元氣

にえだ・げんき

福岡県議(福岡市西区)/立憲民主党

Mission

中小企業振興、規制改革、健康と医療

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