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「100km」から学んだこと

「命だけは奪わんといてや」

 担当者が塾主・松下幸之助に伺ったところ、この一言だけを言い渡されたという塾生全員が関わるこの一大行事の日がついに来た。

 8月29日の夜、この日しか得られないという機会に、我が「イ」チーム(大谷・高橋・冨岡)全員による最初で最後のの練習は執り行われた。夜中0時に京急三浦海岸駅を出発、朝の7時にJR鎌倉駅に到着。7時間で約40kmを歩いたのであるが、足は見事にボロボロになった。一歩歩くのにも悲鳴が出る程である。40kmでこれでは100kmなんか到底歩ける筈がない、そう思うに十分な惨状であった。

 しかしここに最大のヒントがあった。この練習ではとにかく先を急ぎ、時速6km近いハイペースで歩いたことになる。それで足が酷い状況になるのであれば、100kmは寧ろ反対に、極力緩やかなペースで歩くべきではないか。―――この反省を生かしたことが結局は我がチームの躍進を支えるのであった。

 本番当日になる。昨夜眠れないことを懸念し、睡眠薬を飲みすぎたせいで少し朝はふらついたが、睡眠量としては申し分ない。天気をみて全ての雨具を置き、極力必要な物だけを集めたが、必要なものは2枚のタオルや靴下と極僅かの物品のみであった。

 ―――準備万端。この言葉がまさに相応しい。一抹の不安もなかった。

 恒例行事らしい山本閉留巳塾員の勇ましい塾是塾訓・五誓に加え、これも伝統になりそうな黄川田塾生のエールが順当に執り行われ、出発を待つだけとなる。塾主像に挨拶に行く。この行事を通して塾主が私たち塾生に何を望んでいたのか、それが知りたかった。

 10時の出発の合図と共に、4チームが颯爽と歩き出した。今年は海外からも参加者があり、また5年連続の参加者や過去最高齢者など、29期以外にも愉快な面子が揃っていた。早速29期の2チームが飛び出した。両チームとも現役塾生ということもあり、他チームに比べて練習をこなしていたため計画性をもっていた。

 我々のチームは当初から速度を抑えた。特にタイムキーパー役であった私はとり憑かれたように口を酸っぱくし、頻繁に「速過ぎる」と注意を促した。そしてその度にチームメイトが耳を傾け速度を落としてくれた。「速度には拘るまい。とにかく歩き切ればいいんだから」そう言い続け、その度にチーム内で方針を確認した。

 下り坂は駆け降りた。その方が筋肉が解れる上に、短い時間で距離も進んだ。「同じ筋肉を使い続けることが負担になる」そう思っていたために駆け降り、時には平道でも(ビデオカメラの前では)走った。

 40km地点で初めて、先を行く「ロ」チームと休憩地点で遭遇した。すぐに出発しようとする「ロ」チームを見て、余計なお世話と言われそうだが、その先行きを案じたのを覚えている。この100km行軍は先を急ぐものではない、自分にまたそう言い聞かせた。

 その後も10km毎の休憩地点で「ロ」チームとは遭遇した。私はチーム内で時間管理の役割を担っていたので、「5分休憩の監視人」となっていた。休憩では、先輩や塾スタッフの手厚いおもてなしを受けた。そして先輩達に見送られ、また同じようなペースで歩き続け、時に横を通り過ぎる車から声援を受け、その度に力をもらった。辺りはすっかり暗くなり、ただ歩くことにますます集中していった。

 65km地点で初めて、「ロ」チームよりも先に出発することになる。まだ体は動く、いや走ることもできる。この時点で完歩は可能と確信した。完歩さえできれば。後に残した「イ」チームに後ろ髪を引かれつつ、まず自分達の責任分担を果たすことに集中すべきと前を向いた。実際、大谷塾生は60kmの休憩で足が固まり、前に出にくいと訴えていた。少しずつ自分達の体の変調に気付き始めたのもこの辺りからであった。

 70km地点では理事長・塾長含め、多くの方々のお迎えを受けた。心配をよそに、まだ体は元気だったので、固まる前にと短い休憩で切り上げて先を急ぐことにした。緩やかな歩調を保持するためにも、短い休憩にならざるをえなかった。時は既に夜中2時を回っていた。

 その後の行程は実に苦しんだ。75km地点までの間、足の裏の痛みが酷くなり、75km地点では、堪らず靴を脱いだ。少しの時間でも足の裏を休めたい。80km、85kmも同様にした。足の裏の痛みは歩いていても立っていても同様で、座って靴を脱いで揉み解すしか和らげる方法はなかった。その苦痛はとてつもなく大きかったが、おそらく一日で70km以上歩いた者でなければ理解はできないだろう。

 そうして歩きながらも塾主の思いを噛み締めようとした。リーダーを志す者に、塾主はこれほどの厳しい教育を施そうとされたのか。日本の明日を背負うリーダーを志す者として、その時、大きな覚悟が要求された。普段からこれだけの苦痛にも堪える塾生としての走り方をしないといけない。痛みを恐れずに、前へ前へ、進まないといけない。唾を呑み、普段の自分を反省する。

 入塾して半年。頭では分かっていたつもりであったが、今になって初めて実感する自分が―――少し悔しい。

 最速記録を意識し始めたのは95km地点を過ぎてからであった。

 ただ完歩さえできればと考えていたので、それまで全く頭にはなかった。しかし、この最後の5kmが長い。この頃には、5kmの中で2度は休憩を挟まないと前には進めなくなっていた。最速記録と、休憩を取らないともたない足と、ふたつの相反するベクトルに引っ張られ、最後の5kmはまさに「行軍」となった。一足一足に悲鳴を上げる思いで、しかし100km中、最も急いで前へ進んだ。1km1kmを数える思いでカウントダウンする。土谷副塾頭や山本事務局長が自転車で前から迎えてくれたので、終着点が近いことを実感した。

 最後は走った。政経塾の正門が見えると、足の痛みは消えた。すぐに正門を越えてアーチ門が近付く。多くの人達が温かく迎えてくれる中で、手を繋いで走りながらテープを切った。22時間29分。最速記録だった。

 喜びも束の間、「ロ」チームのことばかりが気になった。本当のゴールテープは、全員で切りたかった。最速記録と、同期全員で一緒にゴールすることと、ふたつの望みがあったからだ。

 しばらくして、「ロ」チームが理事長と一緒に辿り着く。本当に気がかりだっただけに、余計に嬉しく感じた。お互いの健闘を讃えあい、喜びに包まれた。

 全員完歩を果たした今年の100km行軍は、自分達の力というよりも様々な環境に恵まれたという側面がより強いと思う。やはり大きな流れには逆らえないな、そう思った。人間は逆らえないほどの大きな流れの表面で、小さなことに思いを巡らせて生きている。その小さなことは人間にとってはそれでも大切で、しかし大きな流れを無視していては結局徒労に終わるのである。

 秋晴れの清々しい天候に始まり、人の優しさも全ての恵まれた環境も、神様からのプレゼントだと素直に感じ、この政経塾にいられることに、誰よりも塾主に再び心から感謝した100kmの長く短い道のりであった。

 90km地点を前にし、由比ヶ浜の浜辺から見渡した三浦半島の美しい朝焼けは、どうやら一生忘れられそうにない。

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冨岡慎一の活動報告

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Shinichi Tomioka

冨岡慎一

第29期

冨岡 慎一

とみおか・しんいち

WHOコンサルタント/広島大学客員准教授/ことのはコラボレーションクリニック代表

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