論考

Thesis

意識の広がりと時代の転換 ~基礎自治体の生きる道~

先週末一泊二日で、糸川英夫氏の主宰するアースクラブへ参加したときのことである。懇親会も終わり、各自三々五々寝に入ろうとしていたとき、愛知県高浜市からの参加者に市町村合併についての質問を受けた。
 高浜市では、今周辺4市との合併話が進んでいる。高浜市を含む5市とも財源的にはそれほど厳しくなく、今回の合併話は、いわば地方分権時代へ向けてさらなる行政の合理化を図ろうとする動きなのだそうだ。高浜市にとって、この合併話は是か非かという議論をつづけるうちに、問題をどのレベルで捉えるかによって、結論がかわってくる、という話になった。

 当初、問題になったのは、5市の中で一番小さい高浜市が、合併によって、地域のアイデンティティを失ったり、行政上の不利益を被ったりしないだろうか、ということだった。他の合併例を見ても、地域コミュニティの特質が薄れたり、役場が遠くなったりの不利益がでる可能性は確かに考えられる。

 では、合併はしないほうがよいのかというと、そうは一概には言えない。これからの地方分権に耐えられる基礎体力をつけるという観点で考えれば、中堅どころの市が合併することは、自治体の生き残りの策として、むしろ奨励されることであろう。
 さらに別の観点、国や、県レベルでみれば、中堅どころの市だけが合併することが、逆に過疎の山村を切り捨てることになり、望ましくないという結論に達する。
 どのレベルで最大の利益を上げられるか、どのレベルから問題を捉えるかによって、議論の結論がまったく変わってしまった。

 今は時代の転換点だといわれ、価値観の変化が叫ばれる。競争の時代から共生の時代への転換期だといわれる。この、競争と共生は、一枚のコインの裏表のように互いに背反するものではない。人間の自意識をガスの入った風船に例えて話をしてみる。
 しぼんだ風船に、密度の濃いガスが入っている。自分とか、家族とかの比較的狭い範囲のことを考えているときには、自分が自分が、という「自我」「自意識」がひじょうに濃密になっている。この風船を手で広げてみると、ガスは薄くなり、全体に均一に広がるようになる。意識を地域とか国とかまで広げると、自然と「自分が」も薄くなる。公の大義と私の目的の差が小さくなる。情報化、環境問題、経済のグローバル化は、全て人間に「個」の概念の変革を迫るものであり、競争の時代から共生の時代への転換とは、意識をいまよりも広げて持つことへの挑戦である。

 当然の話だが、ある問題に対するとき、あらゆる角度、レベルから、その問題を検証しなければならない。しかし、現実的には、その問題の持つ領域に対して、適正な意識の広がり、サイズを持って行動することは難しい(議論するのは簡単だが)。地方分権論議で自治体側が陥りやすい罠もそこにある。

 地方分権が進む中、多くの基礎自治体がまず考えるのが、例えば交付金制度がなくなった場合財源はどうしたらいいか、自分たちはどうやって生き残れば良いかということである。そのとき、周辺自治体の中での自分たちの位置付けとか、県や国の中で自分たちの果たす役割は何かということを念頭において動ける自治体はあまりにも少ない。

 地方分権を推進させる一番のきっかけとなったのは、国の財政赤字である。国の赤字を解消するために、規制緩和と地方分権が叫ばれている。よくいわれるように地方の多様性、地方の自立を保つのは確かにひじょうに大切なことである。しかし、第一義的な意味は財政赤字の解消にある。

 私も細胞になぞらえて地域の自立を提唱している。しかし、人間の細胞は、人間の体内環境でしか生きられない。そして、その体内環境は、細胞の一つ一つが協力して造り上げていくものである。地方分権時代における本当の地域づくりとは、それがそのまままっすぐ国造りに結び付いているものでなければならない。白血球のようにわが身を犠牲にして国を守る自治体も必要になるかもしれない。そう考えてくると、共生の時代への転換期において、大競争時代に入ろうとしている基礎自治体にとって、「自立」と「寄生—寄りそって生きる」のバランスをとって生きる道を模索するのが重要に思えてくる。

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

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