論考

Thesis

民主主義チックな日本

現代日本の政治体制は民主主義ではなく、「民主主義チック」である。なぜ日本に民主主義は根付かないのだろうか。今日の政治の混迷の原因を、日本が近代国家として発展してゆくプロセスの中で「民主主義の本質」を掴み取る機会に遭遇しえなかったことだと説く。

1 民主主義が合わない日本人

(1)日本の政治腐敗の根底にあるもの

 最近のニュースを見ていると、「このままだと国が潰れてはしまわないだろうか」というような社会問題が少なくありません。特に「官のやることは信用できない」といった政治不信の声は、ここ最近集中して聞こえてきます。政府も各不祥事の火消しに忙しく肝腎な議題は後回しにされ、政治家や役人のスキャンダルの方がさも重要課題のように紙面をにぎわしています。マスコミはこぞって「日本政治の腐敗」を書き立てますが、何処かに違和感を感じるのは私だけでしょうか。 確かに、日本を上手に先導できていない現職政治家の責任は重いと思います。しかし、その政治家を選んだ有権者の責任は、いったい何処に行ったのでしょう?

 私は、一連の批判記事の背景に「政治は官がするもの。民である私達市民は、政治なんてよく解らないし、直接携わっていないから責任なんて知らないよ。」というような、他人任せの感覚が透けて見えるのが気になります。日本人は何故だか、社会という舞台の登場人物を『官』か『民』かのどちらかに分けたがる。このことは日本人が近代の政治システムを理解していないことを如実に表しています。このお上頼み・役人任せの姿勢こそが日本政治にとっての癌なのです。つまり、市民が統治権を放棄しているところに、日本政治の腐敗の元があるのです。

(2)政治を難しく考えていませんか

 「そう言われても、政治は政治家がするものでしょう?」と思われる方もいるでしょう。では、質問いたしますが、「政治」とは何でしょうか。議会に出たり、法案を作成したり、外国と交渉したりする政治家の姿を思い浮かべて、政治を必要以上に難しく考えてはいないでしょうか。

 政治は一般市民の普段の生活の中にも存在し、皆さんもちゃんとそれに参画しているはずです。たとえば、ある週末に、家族で外食をすることになったとします。何を食べに行くかを皆で話し合います。そこで、何らかの手段を用いて一つの選択肢を選ぶはずです。その方法は多数決であったり、あるいは父親の意見が重要視されたりするかもしれません。選択の手段はともかく、
「数ある選択肢の中から、一つを選び取る決断を下し、希望を現実化させる。」
この行為こそが政治の本質であるのです。そして、この選択により拘束される人の範囲が、家族から社会全体へというふうに拡大されると、さすがに全員で会議するわけにも行かないので、政治家という代理人にその決定を依頼し、対価としての税金を払うのです。

 これが大まかではありますが、政治の基本的概念です。よって、本来自分達で意思決定しなければならない事柄を、専門的知識や高度な判断力を備えたプロに委託しているだけであって、より自分達の意見に近い決断をしてくれる代理人を選ぶのは勿論のこと、その代理人が下した決断に対して、オーナーである有権者自身も責任を負うのは当然のことだと言えます。

(3)民主主義チックな日本

 そこで、重要なのは民主主義という政治制度です。私は、日本に民主主義は存在していないと思っています。何故ならば、日本人の多くは民主主義の原則である『多数決の原理』を理解していないからです。

 あるグループにおいて、複数の選択肢から一つを選ぶ決断をした時、別の選択肢を希望していた者が、反対を強硬に主張したら、物事は決まりません。そこで、昔の社会では反対者が出ないように全員一致が原則でした。しかし、全員一致という制度の問題は、討論ができないという点にあります。それは、反対意見がある以上何も決まらなくなってしまうからで、そうならない前に根回しをし、実際の話し合いは形式的なものにならざるを得なくなるのです。よって、全員一致という制度は、決断の質を下げてしまう欠点をはらむため、基本的には政治機能を弱めてしまいます。そこで、多数決という比較的新しい概念が誕生するのです。

 多数決の原則は、
「多数の意見を勝ち取った選択肢が正統性を獲得し、全員がこれに従う」
というものです。少数の意見が優れている場合があったとしても、そこは割り切ることが必要です。そして決断がなされた後は、反対意見であった者も、意見としては反対を保持し続けても構わないが、行動としては従う義務を有するのです。反対意見の存在を認めることは、失敗した時の担保にもなるし、議論が活発になる分、決断の質を向上させる効果があるのです。

 このことが、和を貴ぶ奥ゆかしい日本人には、生理的・感覚的に納得しがたい部分なのです。要するに、現代の日本の政治制度は『民主主義チック』のレベルに留まっていると言わざるを得ません。

2 日本政治の譜系

(1)江戸時代における『村社会の政治原理』

 それでは、このような日本の政治体質はどのような過程を経て構築されてきたのかを、歴史から読み解くことにしましょう。

 日本人は、古代から米を作って生活してきました。長年の米作りを通して、日本人は土地依存度が高く、土地を媒体にした集落への帰属意識が強い性質を身につけてゆきます。集落への帰属意識が高いということは、逆に集落の中における閉鎖性を生み出します。「村八分」という言葉は、葬式と火事以外は関係を断つことを差しますが、村社会においては、相互の協力無くては生きていけないし、特に米作りは水の管理やあぜ道の管理を含めて、単独でやれる事業ではありません。このような村社会では、独創性や自己主張よりも、同調性や協調性といった仲間の信頼を高めることが重要視されます。また、村社会における意思決定に関しても、全員一致が原則。会議では、なんとなく全員の意見が集約され、責任の所在を意図的にあいまいにしてしまう。これが、日本人が米という食文化に根ざして、長年培ってきた唯一の政治原理でした。

 またこれは、農民だけに限りません。武家社会にあっても、戦争を禁じられた江戸時代の約260年の間には、武士もまた、同様の村社会の政治原理にどっぷりと浸かっていったのです。

(2)明治維新と天皇

 その太平の眠りを妨げる大変革が起こりました。明治維新です。

 近代国家への変身を遂げた明治維新において活躍したのは、このぬるま湯に浸かる恩恵に与れなかった下級武士達でした。その彼らを、革命という強大な渦へと巻き込んでゆく思想を世に放ったのが、吉田松陰などの幕末革命家とも言うべき思想家達です。

 松陰らは、江戸幕府の正学である朱子学(儒学)における「君主への絶対忠誠」を捉え、「日本の土地は元々天皇のものであって、将軍は現在においてその政治実務を司っているに過ぎないのだから、武士は将軍でなく天皇にこそ忠誠を尽くすべきである。」という論理で尊王思想を生み出します。この論理は武家が誕生した歴史的変遷から言って、儒学とは何の因果もないデタラメでありましたが、時代の流行に合致し、開国へと突き進むための爆発的なイデオロギーとして確立されていくのです。

 ここで、明治維新と欧州の市民革命を比べると、明らかな違いがあります。

 まず第一に、欧州の革命は圧制への反発が動機である内乱的なものであったのに対し、明治維新は外圧に対する防衛的な動機から発したこと。

 第二に、欧州が革命後に宗教と分離した近代国家を作り上げたのに対し、明治維新は天皇という統治のシンボルを利用したことです。

 市民革命というのは、虐げられた人民が立ち上がり、自分達の権利や行動を律する法律を、自らで制定する形で終焉するのが通常です。しかし、我が国は近代国家への改造に急を要したため、誰もが説明抜きに納得できる神輿を担ぐ必要があった。それが天皇でした。

 しかし、侵蝕不可侵である神聖な天皇を国家の頂点に位置づけた関係により、人民が自分達の手で国家を統治するという、近代民主主義における政治のダイナミズムを失ってしまう。このことは憲法制定の際にも尾を引き、天皇を国家機関として憲法の下に置くこと(天皇機関説)をはばかったため、憲法と天皇の権威の上下があいまいになり、これが後に、天皇の統帥権を盾に軍部が暴走する元となるのです。

(3)戦後の政治体制の悲劇

 では、大東亜戦争に敗戦して天皇が国家の象徴となり、憲法も改正された後は問題が解消されたかといえば、そうではなく逆に問題だらけになりました。繰り返し述べているように、民主主義の要諦は、人民が自らの手で選択し決断するというプロセスが重要になります。ましてや近代法治国家における最高法規である憲法を決めるとなればなおさらです。

 まず第一に、現行の日本国憲法は、選択肢を奪われた状況でGHQにより与えられた憲法です。よって、いわゆる「お仕着せの憲法」であります。また、その内容にも問題が山積しています。特に安全保障の問題がそうです。国家の存続に関わるような緊急事態における規定が一切記載されていないというのは、国家の最高法規としては欠陥品であると言わざるを得ません。戦後日本の昭和史を追ってゆけば、政治、経済、外交、軍事、金融、産業、食糧等、一つの分野とて、米国の意志が関わっていないものはなく、これではもう独立国家としての体面まで怪しくなっていると言えるのではないでしょうか。

 こうして、近代日本史を見ていくと、日本人は今日までは残念ながら、真の民主主義を獲得する機会に遭遇し得なかったことが解るでしょう。しかし今こそ、民主主義を獲得する絶好の機会であると思われるのです。その具体的な展開を次の項にて説明します。

3 民主主義チックから真の民主主義へ

(1)選挙制度改革を

 前回の参議院選挙では、民主党が圧勝しました。これを受け、現在の国会では衆議院は自民党が、参議院は民主党が多数を占め、いずれにしても法案が通りにくいというネジレ現象が起きているといいます。しかし、これは異常なことではなく、むしろ民主主義国家にとってはありうる当然の範疇であって、私はこれは日本の政治が二大政党化へ向かう大きな流れの序曲であると信じています。

 政治の質を向上させるためには、競争原理を働かせ、常に政権交代能力を備えた本格的な二大政党が必要です。戦後の自民党政治は、その結果がどうであったかは別として、政権を担わせうる政党の選択肢が奪われていた(自民党のみ)という点からすれば、不幸な時代であったと言わざるを得ません。二大政党がそれぞれの主張に基づいて、選挙公約とそのプランを国民に明示し、きっちりと比較しながら選択ができるようになると、政治の質は飛躍的に向上し、また政治に対する参画意識も向上するでしょう。

 それに、は抜本的に選挙制度を変えることが必要です。現行の選挙制度では、候補者は2週間だけしか選挙活動を実施できない。しかも公開討論などはなく、有権者はイメージや知名度で投票せざるを得ません。これでは政治が人民にとって面白かろうはずがない。

 本来政治は自分達のことを自分達で決めてゆくのですから、とてもダイナミックで人間の社会行動の中において最も知的で刺激に溢れた活動であるはずなのです。そんな最高の楽しみを、自らの意志とは関係のないところで放棄させられてしまっているということは、国民にとって何物にも変えがたい大きな損失であるのです。

(2)憲法改正について

 民主主義を健全に機能させるためには、人民が多数決の原理をしっかりと理解し、徹底したリアリズムの精神を持って意思決定を行う必要があります。そしてこの最たるものは憲法改正のための国民投票ではないでしょうか。

 憲法は、不磨の大典であってはなりません。もし不磨の大典などにしたら、それこそ民主主義の尊厳を失墜させ、国民の政治参画意欲を失わせます。改正賛成意見、改悪反対意見、両方あって良いと思います。大切なのは、どちらの結果になろうと『多数決の原則』に従い、少数派はサボタージュなどせずに従うこと。その踏み絵をしっかりと踏むことが真の民主主義を構築するための第一歩であると思います。もちろん、どのような内容を盛り込むかということは重要なことではありますが、国家の最高法規に対して人民が直接投票を行って決断するというプロセスこそ、新たな歴史の扉を開く鍵となるでしょう。

(3)地域主導型道州制の導入

 もう一つは、制度的な必要性からよりも、財政的・行政的な必要性から、日本は早急に地域主導型の道州制を導入せざるを得なくなるという点です。

 中央集権体制がその役割を終えた今、新たな時代を泳ぎ生き残っていくには、国家の体制を大きく変える必要があります。その核を成すのが『人民の自主独立性』であることは言うまでもありません。これまでのように、中央政府に頼んでさえいればお金が入って来る時代ではありません。「自分達の町は自分達の手で自治をする。」それが地域主導型道州制の基本です。

4 政治に関心を

 近年、若者の政治離れが目立ち、ある調査によれば、最近の20代から30代前半までの若者達の投票率は、40%前後であるということです。

 自分達の将来を決めるという行為に関心がないというのは、由々しき問題です。日本の政治史に、『真の民主主義体制の確立』という新たなページを加えることができるかどうか。我々若い世代が、「今が日本の未来にとっての分水嶺である」という自覚を持つことが肝要です。

参考文献

『人間にとって法とは何か』 橋爪大三郎 PHP新書
『政治の教室』 橋爪大三郎 PHP新書

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宇都隆史の論考

Thesis

Takashi Uto

松下政経塾 本館

第28期

宇都 隆史

うと・たかし

前参議院議員

Mission

「日本独自の政治理念に基づく、外交・安全保障体制の確立」

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