論考

Thesis

オランダの小学校教育(1)

1997年年明け早々、オランダへ1ヵ月間行って参りました。
 オランダでは19世紀、小学校教育が国民教育として始まって以来、当然の権利として教育を受ける側に選択の自由を認めています。それは、様々な宗教的な集団、また、特別な教育思想(シュタイナー哲学など)をもって子どもたちを教育したい、という集団にも学校設立の自由を与え、財政面も政府が負担する、という私学設立の自由も含み、また家の周囲に行きたい学校がなければ遠距離の学校に通う交通費をも政府が負担する、という徹底したものです。
 その反面、学校選択の自由があれば必ず学校間格差も問題になるであろう、という予想もしていました。実際のところ、色々な問題点に対応すべく現在オランダの教育はダイナミックに動いています。

 日本でも現在、規制緩和の流れで学校選択の自由が焦点になりつつありますが、果たして日本にこの制度を導入することは可能なのか、導入するとすればどういう条件をクリアしなければならないのか、実際に現地に行って色々なタイプの小学校を見て歩くことによって検証しよう、と考えました。
 一ヵ月の間に八校、田舎の学校に都会の学校、普通の公立小学校にシュタイナー学校、とさまざまなタイプの小学校を訪ねました。教育文化科学省や市役所の教育部、学校監査官などの方のお話を伺い、小学校の先生を養成する専門の学校も見学させていただくことができました。また、現地の普通の市民の方々にも、可能な限りそれぞれの方の教育論を伺いました。
 今月と来月の二回にわたってその内容をご報告します。1月分ではオランダの学校と教育政策についてレポートし、2月分ではこれを日本の教育改革にどう生かすか、ということを考えたいと思います。

1、独自の感性教育を行うシュタイナー学校

「日本の人口は何人?」
「あなたはあの地震を体験したの?」
「日本では、オランダについてのニュースはどれくらい流れているの?」
「ぼくの名前を日本語で書いてくれない?」

 教室に足を踏み入れて自己紹介をした途端、20人の子どもたちがぐるっと私を取り囲み、決して上手とは言えない英語を必死に絞り出すようにして質問を浴びせかけてきた。工芸の授業が完全にストップしてしまったにも関わらず、先生もニコニコして見守っているだけ。聖徳太子さながらにそれぞれの質問をさばきながら内心、11~12歳の子どもたちの尽きることない好奇心と初対面の外国人に対するコミュニケーションの巧みさに舌を巻いていた。

 大手家電会社フィリップスの本社があるアイントーヴェン市郊外にあるシュタイナー学校。小学校から高校まで同じ敷地内にあるが、小学校には約100人の子どもが通う。
  子どもの感性に対する働きかけに重きを置き、教室は六角形、低学年の部屋は保護を表わすピンク色に塗られ、高学年になるに従って寒色に変わっていく。
 前述のようにオランダではこうした私的なセクターがつくった学校であっても公立小学校と同様に国の予算で運営されるが、シュタイナー学校ではこうした特別な設備やインストラクター等、教育自体に金がかかるため、親の収入の4%の寄付を「お願いしている」という。強制ではないので納めなくても先生方は関知しない。

 公立と私立の一番の違いは、私立では正当な理由があれば、それが差別にあたらない限り生徒の入学に制限を設けることができる、という点だ。公立小学校では、入りたいという児童全てを受け入れる義務がある。
 シュタイナー学校では、親が「どうしてもシュタイナー教育を受けさせたい」という強い意思がなければ子どもの入学を許可しない。裏を返せば、それだけ特殊な教育であるということだ。
 10歳までは読み書き算盤の類の所謂「認識的な訓練」は一切行わない。オイリュトミーをはじめ、アルファベットを飛んだり跳ねたりしながら覚える、チョークを足の指で挟んで黒板に円を描く等々、身体と脳と心のつながりに着目した教育を行っている。
 「幼い子どもが足をギュッと丸めると手も一緒にギュッと握ってしまうのは、未発達な証拠なのです。手足自体を、脳の働きとは独立して動かせるように訓練します。」と先生。試しに足をギュッとさせてみたら、24歳の私も思わず手をギュッと握ってしまって赤面した。

 帰り道、奇妙な乗り物に遭遇した。三角牛乳に車輪がついたようなビニール製の物体の中に子どもが乗り、親の乗る自転車に繋がれて曳かれている。
 「あれは、この手の学校に通わせる親独特の乗り物なの。環境にやさしい生活、とかってね。」同行の婦人が少し嘲笑を含んだ口調で解説してくれた。
 徹底した学校選択の自由があるとは言え、子どもが近所の学校に通わせて地域のコミュニティの中で育てるのが一番、と考える親が殆どだ。こうした特別な教育を行う学校に通わせる家庭はまだ少数派であり、地域のコミュニティーの中で浮いてしまう傾向にあることは否定できないようだ。

2、人種のるつぼ、ブラックスクール ~子どもの発達度に合わせた教育~

 スポーヴェグ、という地名を聞くと、オランダ人の誰もが眉をひそめる。官庁や大使館の立ち並ぶハーグの一角に位置するこの地域は、移民が多く、犯罪の絶えない場所として、国中にその名を知られる。
 この地域の子ども達が通うJ小学校は、生徒の約90%がトルコ、モロッコ等々から移り住んできた家庭の子どもたちだ。こうした学校は子どもたちの肌の色から「ブラックスクール」と呼ばれる。白人の家庭の殆どは、わざわざ遠くの「ホワイトスクール」に通わせる。
 生徒たちの親の殆どは無職だが、見るからに貧しそうな生徒は一人もいない。オランダ人に言わせれば、「社会福祉制度がよすぎるから」だという。ただ、そうした親の背中を見て育つ子ども達には、模範となる存在がいない、と教頭のスーザンは嘆く。「子ども達に将来何になりたい?って訊いても、何にもなりたくない、っていう答えしか返ってこないのよ。」

 親達に子どもの教育への関心を払ってもらうのも容易なことではない。先生達は家庭を訪問したり、親が学校に来る機会を増やしたりして懸命に親を教育に巻き込もうとしているが、「子どもの社会的発達?それがどうした?って調子よ。」とある先生。
 子どもたちを取り巻く環境は必ずしも良くない。しかし、それをシステムによってカバーしようとする懸命な努力が行われている。

 例えば、ブラックスクール独特の「特権」がある。子ども達は知らされていないが、彼等は育つ環境によって、それぞれの“gewicht”つまり、「ウエイト」を計られる。住環境、母国語、家庭の状態等に応じてそれぞれ1~1、9までのウエイトがつく。全校生徒の平均が1、5以上の学校には予算が余分に配分され、より多くの教員を雇うことができる。
 現在、中流家庭の住む地域の学校では40人学級が当り前で、どこの学校でも混成クラスをつくったり、マクドナルドに施設費を助成してもらったり、と四苦八苦している。このJ小学校では、各クラス15人程度で余裕をもってそれぞれの生徒の抱える問題や能力に合わせたケアすることができる、とスーザンは胸を張る。
 例えばトルコ語圏、アラブ語圏出身の子ども達は、週に一回、7~8人のクラスで特別の母国語指導を受けることができる。

 10歳のシャナリは、オランダ語は達者だが、算数の足し算の繰り上げが苦手だ。彼女のクラスには週に2回、補習のための特別な先生が迎えに来る。先生の部屋で一回20分ずつ週に40分、特殊な器具やコンピュータを使ったマンツーマン指導を受ける。こうした指導は必ず親の同意を受けた上で施される。
 こうした子ども達は特別指導を受けていることを恥ずかしがるどころか、自分のところにも来てくれ、と願い出る生徒が後を絶たない、と補習教員は言う。ここに通えば、徐々に勉強がわかるようになるということを子ども達が身をもって体験するからだという。
 実際、クラスで授業を受けているときには虚ろな目をしていたシャナリだが、補習授業を受けているときは生き生きして先生に質問をぶつけていた。
 この学校に限らず、どの学校でもこうした能力に合わせた特別指導に真剣に取り組んでいる。所謂「できない子ども」の原因を徹底的に解明し、補習を受けさせるのは勿論のこと。「できすぎる子ども」には同年代のクラスの中で一人だけ違う学習プログラムを与える場合もある。飛び級も可能だが、その決定に際しては、両親と教師とで話し合いが持たれ、学習面での発達だけでなく、社会的感情的な発達度も熟慮される。
 各学校によって教育哲学はかなり異なるとはいえ、それぞれの子どもの発達の度合いが異なることを無視するべきではない、という考え方はオランダのどの学校でも根本方針として持っている。

 日本では生徒の発達度に合わせた教育を、と意気込んでいる先生もおられるものの、所謂「落ちこぼれ」の原因の解明や指導には殆どエネルギーもお金もさかれていないのが現実だ。それどころか、カリキュラム自体さえも科学的に研究され、考えられているとは言い難い。
 子どもの発達に合わせた教育内容を科学的に研究する機関を政府としてつくることは、今後是非とも実現すべき大きな課題だと考えている。

 3、教育理念をめぐる対立

 先月分の報告で述べた通り、オランダには学校選択の自由と私学設立の自由とを反映して多種多様な小学校が整備されている。
 従来、学校選択の自由、私学設立の自由は、カトリック対プロテスタントの宗教対立を背景とした考え方であった。しかし、現在は異宗派の学校を統合しようという動きが盛んで、それとひきかえに教育哲学や理念をめぐる考え方の違いの方が大きくなっている。
 例えば、前述のようなシュタイナー学校は、普通の小学校の教師や親たちには、「アホをつくる学校」とうつる。逆にシュタイナー学校側では普通の学校は人間存在そのものや子どもの発達についての理解がなっていない、と批判的だ。
 ヨーロッパ各国と同様オランダでも、最近のあまりに自由すぎる教育が学力の低下や無秩序な社会を生んでしまった、と考えるゆりもどしの時期がきているように見受けられた。
 認識的発達VS感情的、社会的発達。自由VS規律。それぞれを対置するのではなく、上手にバランスをとって教育を行うのでなければ、そのツケは後で必ずやって来ることを痛感した。

4、教員の養成

 オランダの小学校教員の養成は全て、PABOと呼ばれる教員養成専門学校で行われる。大学は研究の場、という認識が徹底しており、PABOを卒業した生徒がさらなる研究のために大学に進学することはあるが、PABOに通わずに教員の資格をとることはできない。
 ハーグのPABOを訪ね、生徒達とディスカッションする機会をいただいた。
 生徒達はここに4年間通い、学年に応じて徹底的な教育実習を行う。学校生活の約半分は現場での実習だ。それでも足りない、と現在も実習期間の延長が検討されている。
 日本では大学の4年目に2週間実習するだけだ、と説明すると、生徒たちは一様に「それは、悲惨だ。アンビリーバブル!!」と首を横に振る。
 卒業すると、教育新聞の求人広告を見て各学校の校長、運営委員会などの面接試験を受け、採用される。ここの卒業生の90%は三カ月以内に就職先をみつけることができるという。

 本文でも述べたように現在オランダではさまざまな異なる教育哲学による学校が林立しているが、それぞれの学校が自校に合う人材を探す、この求職システムがあるからこそ各校の独自の経営が維持されていると言っても過言ではない。
 実際、先生のタマゴ達の声をきいていても、「子どもの個性に合わせてそれぞれの能力をひきだせるようにしたい」という人もいれば、少数ながら「教育の根本は読み書き算盤を叩き込むことよ!」という考え方の人もいるのだ。
 しかし、「どんな先生になりたい?」と聞くと、どの生徒からも一様に「明るくてポジティブな先生!」という答えが返ってきて、頼もしく感じた。
「歳をとってもその気持ちを忘れないでほしいね。」という教官のタメ息まじりのつぶやきが心に残った。

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白井智子の論考

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Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

NPO法人新公益連盟代表理事

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