論考

Thesis

「現代社会のバイブル」 ―宇宙の使命に基づく、新しい人間観―

企業人・松下幸之助の理念と生きざまを通じて、探求する人間観。我々が、今なぜ生かされ、ここに存在するか。そして、何をなすべきか―。宇宙の使命に基づく、松下幸之助の人間観につき考察する。

一、“人”を知るということ

 「若者は迷っているんや。正しい導きを求めている―。」

 経営を通じ、常に生身の人と向き合ってきた松下幸之助の言葉である。大阪・大開町にて三間の町工場から出発した幸之助は、大正末期~昭和初期頃から「松下電器は人を作っています。電気製品を作る前に人を作っています」と得意先に言うよう従業員を教育したというエピソードが残っている。その精神は創業後90年を経た今も、社会人の働きやすい企業ランキングの首位を続ける姿に反映されている。

 現代社会に目を移すと、何かを渇望した多くの“人”が存在する。そう、何か満たされず、何か足りない。その何かとは、自らの生きる使命、目的。何となく今が良ければいい、という現代社会の風潮に立ち向かい、我々の生きる指針となるべきものを考えたい。それはまさに、“人間とは何か”という、人間観である、と仮定する。ただ、一言でいうと、重い。人類永遠のテーマであるとも考えられる。しかし、それを自覚できれば、確固たる信念が生まれ、力強い活力を得られるのではないだろうか。

 企業人・松下幸之助の理念と生きざまを通じて、以下に探求していく。
我々が、今なぜ生かされ、ここに存在するか。そして、何をなすべきか―。

二、松下電器産業の成長の陰に

 ここに、筆書きで掲げられている、重厚な額縁がある。
“世界の松下”といわれる、松下電器産業株式会社の全事業所に掲げられ、昭和8年から現在まで、従業員が毎日唱和する「綱領・信条・七精神」のうちの遵奉すべき精神である。

一、産業報国の精神
一、公明正大の精神
一、和親一致の精神
一、力闘向上の精神
一、礼節謙譲の精神
一、順応同化の精神
一、感謝報恩の精神

 産業を以て国に貢献し、法を守り正しく行動する。人の和を絶やさず、全力で取り組む。礼節と謙譲をもって潤いある人間関係を構築する。ここまでは会社人としての指針として想像しうるが、最後の二項目は、少し異質であると感じるのは筆者だけだろうか。実は、七精神のうち最後の二精神は、追って昭和12年に追加されたものである。「順応同化」とは、「進歩発展は自然の摂理に順応同化」せねば成功は得られないとし、また「感謝報恩」については、「艱難をも克服」し「真の幸福を招来する根源」であるという。自然の摂理や真の幸福とは、現実社会を超越した風を感じさせる言葉である。この二精神が追加されるまでの4年間、松下電器はその社史の中でも、従業員、取扱製品が大幅に増加し、最も活気に満ちた時代であったという。そんな発展の中で、慢心に陥る社員を戒めたいという経営者としての思いと共に、何か人類全体の繁栄と幸福に視点を持った哲学者としての視点の変化がある。

三、人間観を支える人間道

 松下幸之助は著書『人間を考える』の中で「新しい人間観」を提唱し、「人間は、万物の王者としての偉大な特質が与えられている」と述べる。よって、「お互いにこの人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、衆知を高めつつ生成発展の大業を営まなければならない」と展開する。だからこそ人間は、宇宙の中で万物を支配し、宇宙に君臨し、宇宙に潜む力を開発し、万物の本質を見出し、物心一如の繁栄をすることが出来る、というのである。

 しかし幸之助の現実にあるのは、生きる目的・生きがいを別にした「万差億別」の従業員であり、逆に組織である企業体は、事業を通じて社会の発展に寄与する「社会の公器」である。その相反する二者を結ぶものが企業理念であり、その根本思想が、さらに同書において幸之助が唱える「新しい人間道」である。

 「人間道とは、人間の価値を真に生かし、同時に万物の価値を真に生かす道でもある」と指摘する。つまり、人間道とは、新しい人間観を実践するための具体的方策といえよう。

 ここで、幸之助の提唱する人間道の内容に着目すると、全体として二つの基本原理と、それを支える二つの基本精神で成る。その人間道の基本原理につき、以下考察を進める。

 基本原理の第一は、「いっさいを容認する」ことである。それは人間を含む万物を、まずはあるがままに受け入れ容認する意味である。「人間道は、人間同士なり天地自然のいっさいのものをすべてあるがままにみとめる、容認するというところから始めなければならない」という。したがって、いかなるものの存在も否定・排除しない。ただ、“いっさいをあるがままに認める”とは、事実を容認する意であって、決して現状の全肯定ではない。まず素直に受け入れる姿勢が求められるのである。

 人間が知覚認識する世界は、各々の経験を踏まえた主観がそこにあり、その利害得失の中で共同生活を営む。互いに気の合う人間もいれば、相容れない人間もあろう。ストレス社会と叫ばれるご時世の中で、ストレス発生の根源は、大半が人間関係を原因とするとも言われる。嫉妬、憎しみ、社内、家庭。もっと広く捉えると、宗教観や国家の利害関係等々。それでもなお、その主観に捉われず現状を受け入れることこそ、事の真実の姿が見え、正しい判断と行動を生む要因となるのである。私利追求ではなく、まずは全体を認めるという容認の姿勢こそ、人間道追求の一歩であると解せられる。

 第二は、「適切に処遇する」というものである。幸之助は、「人間同士の場合でも、自然や社会の事物でも、適切な処置・処遇を得てはじめてそれぞれに生き、全体としても生成発展がもたらされてくる」と述べる。つまり、万物にある天与の使命・特質を自然の理法に従って生かすことが、自他が調和し、共存共栄の道につながると指摘するのである。

 この基本原理を実践するためには、個々の特質を見極め、持てる特質を引き出し、生かすことが必要である。これをなすことは極めて高度な実践能力を要するといえる。そのためにも、まずはものの良さを探すことから始めてはいかがであろうか。どう生かすかとは、その良さを環境に適合させることともいえる。“帯に短し襷に長し”の紐はどこにも使えない不要物でなく、鉢巻に使い、二人三脚の足紐に使えばいいのである。万物の特質を見極めるというと難しいが、良さの側面にスポットを当てる、そういった目を絶えず持つという実践行為が肝要であろう。

 そして幸之助は、人間道をより円滑に歩むためには、「礼の精神」に根ざさなければならないと指摘する。日本人として社会に混迷に対しどう取り組むか。それは感謝から始めたい―。形式的な礼儀ではなく、感謝と喜びこそ混迷の世の中に必要とするのである。人間道の提唱文の中に、「かかる人間道は豊かな礼の精神と衆知に基づくことではじめて円滑により正しく実践される」とある。人間に対して、ものに対して、そして自然の理法に対しての礼。この豊かな人間の精神こそ、人間道を歩む上での潤滑油になると幸之助は説く。

 礼の精神を、いざ実践するには一歩上段に立った精神が必要である。近年、“他人に迷惑を掛けなければよい”という今日的な自己決定権を中心とした道徳観が蔓延している。まさに自他の世界に区切りを設け、自己主張の最大化を図る。しかし、人間社会は複雑に絡み合い、我々は互いに影響し合って生きている。まず、今生かされていることに感謝し、同様に他人も受け入れる。自然の営みが自らを生んだ。その意味において、幸之助の指摘する通り、感謝と喜びをもって万物を受け入れる礼の精神は、まさに人間道、人生を歩む上での基本になると考える。

 次に、「衆知」である。個々の知恵を超えた衆知を生かしてお互いの見識を高めていくことで、人間道をより正しくより力強く歩むことができるという。これは、多くの目線・価値観によることで、判断力が高まることにつながる。また幸之助は、古今東西諸々の学問についても衆知を集める一環として興隆させていかなければならないと指摘する。実際、現代社会の有り様は人類の英知の結晶であり、その学びをより深めることで、人間道が究められるというものである。

 衆知を集めることこそ、前項の礼の精神と並んで、一朝一夕にはならずとも絶えず実践していく心構えが必要であると考える。要は独善によらず、知恵を磨き、活用することである。このように、広く衆知を集めるという心構えは、いっさいを容認し、適切に処遇することにも強く結びついているともいえる。

四、人間観を生んだ宇宙観

 それでは、人間道に根ざす人間観と、それが生み出された背景について検討したい。

 幸之助は、経営は人づくりが肝要であると説いた。なぜそこまで強く人にこだわったか。丁稚奉公を経て、弱冠22歳にして大阪電灯株式会社を退社するのは、肺尖により療養を余儀なくされたことが影響する。やつれ、煩悶し、熱が出る。肉親とは幼くして死に別れる。そんな肉体的にバランスを欠く生活が影響を及ぼし、人の大切さと、宇宙の中で生かされているという“悟り”に至った要因であったと、筆者は推測するのである。

「その人間の発生を知るには、何よりもまず、人間を発生せしめ、人間と万物とを包んでいる、この宇宙というものについての考え方を明らかにしなくてはならない」

人間の使命を示す前提として、この世の総体である宇宙を考えた。その哲学的に推知した宇宙観の根源となるものが、生成発展論である。これは幸之助のいう「新しい人間観」の重要な柱を為す。

 「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」。

これが幸之助の思想・哲学の根幹を為す生成発展論である。それでは、生成発展とは一体何か。一般的に、生命あるものはいずれ死に絶える。宇宙に浮かぶ星でさえ変化する。ただそれは単に衰退死滅するものではない。生あるものが死を迎え、形あるものが滅びても、次に新しいものを生む根源となる。つまり、日に新たに形を変える進歩の姿、それこそが生成発展であると説いている。

 それでは、生成発展が自然の理法たる論拠はどこにあるのだろうか。

 幸之助の意識が朦朧とする中で、私心に捉われない、素直な心で見た宇宙観。それはまさに大局的観点にたっている。まず地球の営みを検証する。そもそも地球は宇宙の多くの星と同様、生命の存在を許さない、空気も水もない、過酷な状況であったという。そこに自然条件が整い、生物を発生せしめた。この変化こそ、全宇宙に稀少な生命を育む地球での、生成発展の根拠となる。次に宇宙の営みとは何か。科学的には人間自身が、規模の拡大・縮小、生命の有無などと考察してきた。しかしそれらを概すると、幸之助の述べるように、一切は常に変化し、たえず新しい形を生み出す。つまり宇宙全体の大意思に基づき営まれ、生命を育む地球を生み、万物の王者とする人間を生んだ。つまりそれは“生成して発展”している状況である。そうした生成発展こそ、この宇宙の根底に流れる自然の理法であると、幸之助は説くのである。

 そこで疑問を持つとすれば、その変化が全て“発展的”であるかと考えると、その判断は難しい。人間が犯した戦争、汚染、自然破壊、紛争…。どうしても現実の姿が目に浮かぶ。成長、発展といったものの捉え方自体が言葉の事実認識の違いであり、主観的であるとも考えられる。しかし、古きものが変化し、新しきものが生まれる、その姿が生成発展であるという定義からするならば、長期的観点にたった世界の様相は、まさに生成発展と呼べるであろう。

 筆者は、むしろまずこれに気づき、自らを存在せしめた万物の営みに感謝すると同時に、その偉大な力を生かし生成発展させねばならない使命を認識する必要がある、と考える。この現状の肯定的な認識こそ、自らの存在理由を探求し、日々活動し、成長する根源の力になると考えるからである。この事実認識に基づいて、宇宙に与えられた目標(つまり、生成発展のあるべき姿)を探求していくことこそ、人間の、一つの使命であると考えるからである。

五、人生の探求

 ここまで、幸之助の産業人としての出発に始まり、人間の道を究める在り方、それを形成する宇宙観につき検討してきた。その根底に流れるのは、人間を愛するがゆえの、積極的な人間肯定論である。それは単なる性善説に基づいたものではない。自ら病弱であり、肉親を失い、最愛の息子をも幼くして亡くす。そういった生命の存続を揺るがす状況が常に根底にあったからこそ、人の尊さを十二分に実感し、人と共に生きる共存共栄精神が生まれたと考える。

 現代社会においては、その末端の諸問題を捉え、人間は愚かで手のほどこしようのない、性悪的観点で捉えられることが多い。だが一歩立ち止まって考えると、それさえも人間自身が定義づけている、人間否定なのである。そこから、現代社会の風潮である人間不信が導かれているのではないか。我々は、人間の積極的な価値の側面に視点を置き、まさに“王者”であるためには、何をなさねばならないか、探求するべきである。人間は根源的に、全てを兼ね備えた存在であり、存在すべくして存在すると自覚する。結果、その存在意義を各々が認識し、認めあい、生かさねばならない。逆にその認識を持つことができるのも、この世の中で唯一、人間だけなのである。

 我々は今、社会生活に忙殺され、自分の生きがいを見失っている場合ではない。今生かされ、生きることで宇宙の発展に寄与する。そんな思いで生活に臨むと、自らを蘇生させ、日々発展的なエネルギーを我々の中に呼び起こすことができるのではないだろうか。

 「新しい人間観」は、「長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある」と結ぶ。まさに我々が、自らの価値を素直に認め、それを行動に移さねばならない。それこそ、人間の使命である。精神の拠り所のない、心の混迷が続く現代社会のバイブルとして、引き続き人間観の考察を継続していきたい。

参考図書:

『人間を考える』 松下幸之助著 PHP文庫
『私の行き方 考え方』 松下幸之助著 PHP文庫
『松下幸之助の哲学』 松下幸之助著 PHP研究所
『仕事の思想』 田坂広志著 PHP文庫
松下政経塾塾主研究資料 PHP総合研究所

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中西祐介の論考

Thesis

Yusuke Nakanishi

中西祐介

第28期

中西 祐介

なかにし・ゆうすけ

参議院議員/徳島・高知選挙区/自民党

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