論考

Thesis

強い国家とは何か

日本にはビジョンが必要であるといわれる。なぜ、日本の外交はビジョンを持ちにくいのだろうか。自立したビジョンを持ち、真に強い国家になるために日本はどうして行くべきなのかを、強い国家とは何かという視点から考察する。

1.はじめに

 私の志は、「自立した世界観を持った真に強い日本の創造」にある。私はこれまで、海外から日本を見る機会に恵まれ、また日本の外交の「現場」で仕事をさせていただいてきた。その経験のなかで、これまで日本国内からは見ることのできなかった日本の姿、特に日本という国の他国とのかかわり方について問題意識を抱くようになったからだ。

 私が携わってきたODAの分野に限ってみても、われわれが必要だと考え計画したODAプロジェクトが他国の類似したプロジェクトと競合するからという理由でプロジェクト地域を変更したこともあった。また、国際会議の場では、「日本はプロジェクトを行なわなくてもいいから、われわれのプロジェクトに資金を提供してほしい」などとあからさまに言われることも少なからずあった。日本が比較的優位性を保っているといわれてきた援助の分野においてもこれが現実だった。本来であれば、日本国民の税金を使うODA政策は日本が国益のために自ら決定し、それを国際社会の場でも主張していけるようにならなくてはならない。何が原因で他国の言動にここまで影響されやすい国になってしまったのか。日本のこうした他国との付き合い方を間近に見るにつれ、私は日本をもっと他国と堂々と向き合える国にしたい、そのためには国としての力強さを増し、自立した世界観(ビジョン)を持った国にならなくてはならない、と考えるようになったのである。

 ここでいう「強い国家」とは、いわゆる「大国」のイメージではない。人を「強い人」と表すときと同じように必ずしもそれは腕力や経済力に勝る巨人というイメージだけではないのと同様である。

 本論では、こうした観念から日本が目指すべき「強い国家」のあり方を検証したい。

2.強さとはなにか

 強い国家とはどういう国家であろうか。
この問いを考えるにはまず、強さそのものとは何かを検証する必要がある。
大辞泉によれば、(1)力や技がすぐれていて他に負けない、(2)健康である、心身が丈夫である、(3)物事に屈しない精神力がある、少しのことでは参らない、ひるまない、(4)環境や条件に屈しない、物事に耐える力がある、(5)程度や度合いが大きい、(6)ゆるみがない、かたい、(7)断固としている、きびしい、(8)はっきりしている、明確である、などと定義づけられている。当然のことながら、その反対語は「弱い」である。大まかにこれらの定義をまとめてみると、(2)や(5)のような物理的側面と、(1)や(7)、(8)などに見られる対外的側面、それに(3)や(4)の内面的・精神的側面の3つの強さの側面があると考えられる。一般に「強い人」というときでも、膂力や体力など物理的な強さをもった人を表すこともあれば、発言力やいわゆる押しの強い人を表すこともあり、また物事に動じない精神力や外圧に屈しない内面の強さを表すこともある。そして多くの場合、これらの3側面を併せ持った人を「強い」という形容詞で表す。

 この中には数値で表すことのができるものもあれば、漠然としたものもあるが、これらの多様な強さの概念をまとめると、結局のところ強さとは
(1)物理的に自己を守り、その価値を含めて保全し繁栄させる能力を有していること
(2)対外的に、自己の目的を円滑に達成するために他者に対して影響力を有していること
(3)他者からの言動、影響にぶれない能力を有していること
の3点と定義できるのではないだろうか。国家であっても人であっても、これらの3点を有しているものが「強い」と表現されるべきものであると考えられる。

 それでは、この強さを構成するものは何であろうか。
対象が人であっても国家であっても、基本的に強さをつかさどるのは「力」である。
どのくらいの力を持っているかが、すなわちその人の強さ、その国の強さとなることには異論を挟む余地がない。

 しかし、この力というものの定義も、強さの定義と同様あいまいな部分も含む一見非常にわかりにくいものである。いみじくもジョセフ・ナイは次のように特徴的に表している。

 「力は天候のようなものである。天候は誰にとっても重要であり、いつも話題にしているが、それを理解している人は極めて少ないからである。また力とは愛情のようなものでもある。誰にでもすぐに実感できるが、定義し計測するのが難しく、しかしそれが存在することは確固たる事実であるからだ。」

 簡潔にいえば、力とは何かをする能力である。つまり、一般化して言えば、「自分の存在を守り」、「自分が望む結果を生み出す能力」のことであり、さらにいえば「自分が望む結果になるように他人の行動を変える能力」であるということがいえるのである。これらの能力は、必ずしも命令や強制という観点だけにとどまるべきではないという点を留意する必要がある。他者に同じ行動をとらせる場合においても、強制や脅しで可能なものもあれば他者が自分の価値観に共鳴して可能になるものもある。力が強さをつかさどるものであるなら、これらの有無、大小が、その対象の強さの基準となるはずである。

3.強い国家とは何か

 前章で見てきたように、強さには主に3つの側面がある。繰り返しになるが、それは
(1)物理的に自己を守り、その価値を含めて保全し繁栄させる能力を有していること
(2)対外的に、自己の目的を円滑に達成するために他者に対して影響力を有していること
(3)他者からの言動、影響にぶれない能力を有していること
の3点である。

 この定義に基づいて国家の強さを見ていくとどうなるだろうか。
一般に強い国というときのインデックスとなりやすいのが軍事力や経済力などの物理的な力である。特に「大国」を表すとき、このインデックスが用いられることが多い。そのほかにも、国内での法整備や社会生活の統制、治安維持能力、人口や国土、天然資源、教育、科学技術力などもその一部であるといえる。そして、民主主義の浸透度や文化の成熟度などを強さのインデックスとしてみる見方もある。また、例えば国際政治学者のスーザンストレンジのように、国家内で安全保障・公正・富・選択の自由がどれだけ保障されているかが国家の強弱を表すとする見方もある。外交の場においては、軍事力を背景にした発言力や国際連合の安全保障理事国などの機構的な強み、同盟関係や地域統合による強さなども存在する。これらは、国家が自己の目的を円滑に達成するための能力であるといえる。

 このように、国家の国力または強さを表すものは多岐にわたり、またそれらはいつでもどんな場面でも通用する普遍的なものとは限らない。そしてこれは、本来国家の目的を果たすための複合的な能力であるのだ。それは軍事力や経済力などのように数値で表しやすいものもあれば、民度や文化、徳など無形のものも含まれており、把握が困難なものであるといえる。

 それではそもそも国家とはなんであり、その目的とは何なのであろうか。
国力はその国家の目的遂行のために発揮されるのである。国家三要素説にしろ、国家法人説にしろ、社会契約説にしろ、国家の果たすべき最大の役割は国民の生命、自由、財産を最終的に保護することであり、言い換えればそのための治安と秩序を維持し、対外的独立を保持することであることは共通しているといってよい。そして、国家を「個人を包む全体であるとともに、個人の独立性をもみとめ、高次の統一と調和を実現する有機的統一体」と考えるのであれば、他の有機的統一体である他国が存在しそれぞれの利害が渦巻く国際社会においては、いかに自らの利益になることを求め、損害をこうむらないようにするか、がまたひとつの国家の目的であるはずである。

 これらの目的を果たすための能力を持つことが国家の強さであり、上述の定義とあわせて考えれば以下のような国家が強い国家であるといえる。
(1)国民や帰属するものすべてを含む有機体としての自己を保全し繁栄させる能力があり、
(2)国際社会において自己への損害を最小限にし、利益を最大限にするために他者へ影響を与える能力があり、
(3)他の国力に屈せず自立的な世界ビジョンをぶれずに守ることができる能力がある国家

 自己を保全するためにはもちろん経済力や社会基盤の安定は必要不可欠であろう。食料自給率やエネルギー確保の問題や治安維持能力や軍事力もこの視点から重要である。また、国際社会の場での自己の目的の達成のためには、それを遂行するための外交力、情報・諜報力などが必要になる。軍事力や経済援助、平和維持活動などもこの目的のための背景となる。そして、ここで忘れてはならなのは、目的達成のために自己完結を目指すだけではなく、他者をいかに巻き込めるかということである。強制力や命令によって自己の目的を果たそうとするだけではなく、他者をいかに巻き込んで影響を与えるかということも、国家の目的達成のためには重要なことである。このためには、従来考えられてきたように軍事力や経済力などだけの国力を追求するのではなく、価値観や魅力、徳などのソフト・パワー的な力が必要になるが、これこそわが国が最も強みを発揮できる部分ではないだろうか。一見遠回りに見えるようなソフト・パワー戦略は、わが国を強い国家にするためには重要な視点である。このような誘導と魅力を核とするソフト・パワーを有していれば他者への影響力は大きくなり、ハード・パワーにかかるコストも低くなるのである。

 また、第3点目の他者からの言動、影響にぶれない能力も国家の強弱を考える上で重要なポイントである。国家としての脆弱性があったり、組織としての恒常性がかけていたりすれば、他の国家の力の前に屈するほかなく、国家としての言動や政策にまで他国の思惑が絡んでくるようになってしまう。これでは国民の安全や文化や価値観なども守れないだろう。国家としての最低限の目的も果たせなくなってしまう。実は日本の外交の弱さはここに根ざしているものが多い。

 これを防ぐためには、やはり国家としてのビジョンを明確にすることであろう。フランスの国際政治学者シャリヨンは世界の主要国の外交を、政治的、経済的、文化的な影響力を自国外にも持ち、世界大のビジョンを持ち狭い地域の利害のみにとらわれない「放射型外交」、外部からの進行や介入を防ぐことを第一の目的とする「保護型外交」、そして「妥協型外交」の3つの類型に分類したが、わが国の外交は「妥協型外交」の代表例として挙げられている。つまり、世界との関係において何らかの行動を起こすとき、国内のコンセンサス形成に困難が生じる国の外交、というものである。こうした外交態度を続けていれば自然他国の動向に影響され、そのつど国家としての政策を変えていかざるを得ない。他人の顔色を伺いながら自分の意見を変えていく人の行き方であるといってよい。

 先のイラク戦争の際にハード・パワーではとてもかなわないアメリカに対してもぶれずに自国のビジョンを提示したフランス外交は、そのソフト・パワーの用い方なども含めわが国が学ぶべきところも多くあるのではないだろうか。

4.力強い国家になるために

 以上に見てきたように、強い国家となるには自己を守り、自己の目的を達成するために影響力を発揮し、また他者もその目的達成のために巻き込むことである。このための第一歩として、まずはこの国家が自立した世界観を持ち、そこから導き出した国家ビジョンを明確にする必要がある。国家としてどういうことを国益と捉え、またこの世界の中でどのように生きていくのかをしっかりとぶれない軸として構築する必要がある。特に自己を守るという目的のためには、国家としての確固たるビジョンが必要なのである。

 例えば広義の安全保障問題にかかわる憲法9条の解釈などにおいても、与野党によってスタンスが大きく異なり、議論が前に進まない間があるが、それ以前の問題として少なくとも「自国は自国で守る」「同盟国が攻撃を受けたら当然集団的自衛権を発動する」など、政党を超えた大きなコンセンサスを構築する必要があるのではないだろうか。それは国家としての自立した世界観とそれに基づく国家ビジョンがないからに他ならない。もはやイデオロギーの問題ではないはずである。ここがしっかりと議論されある程度のコンセンサスが構築されないと、政権交代しても立場を逆転させて同じ議論が繰り返されかねない。

 最後に忘れてはならない重要な視点がひとつある。
それは、国家ビジョンや国家の目標は、自国の独りよがりな国益を追求することではないということだ。世界という「公」の中の日本であるということをその世界観にしっかりと持ち、その上で国家としてその公とどうかかわっていくかを国家ビジョンに取り入れる必要がある。自国の国益のみを追求しあい、国家同士が対立し利益を争うのではなく、公のパイを増やすことが重要なのである。これは長期的な公益となりひいては自国の国益にもつながるものである。このように、「こう」である世界の中に存在し、どうかかわっていくのかを「個」である国家は考えていかなくてはならない。

 強い人とは自分の利益に執着するのではなく、公益も追求する人だろう。
強い日本も、自国の利益のみを追及するのではなく、地域や世界の安定と平和を目標に掲げていくべきだろう。

【参考文献】

ジョセフ・ナイ 「ソフト・パワー」 日本経済新聞社:2004
竹中平蔵 「強い日本の作り方」 PHP研究所:2001
田中明彦 「新しい中世」 日経ビジネス人文庫:2003
百地章 「憲法の常識 常識の憲法」 文藝春秋:2006
山田文比古 「フランスの外交力」 集英社新書:2005
D.S.ランデス 「強国論」 三笠書房:2000

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源馬謙太郎の論考

Thesis

Kentaro Gemma

源馬謙太郎

第26期

源馬 謙太郎

げんま・けんたろう

衆議院議員/静岡8区/立憲民主党

Mission

外交・安全保障政策、平和構築、紛争解決

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