論考

Thesis

カンボジアスタディツアー報告

今月20日より来月11日までカンボジアおよびインドを訪問しますので、先だって報告させて戴きます。
 11月17日より24日まで、第1回カンボジアスタディツアーを主催しました。22歳から38歳まで、合計10名の方に参加して戴きました。まずはスケジュールを、ついでメインの衣料配布、孤児院訪問(所感)、最後に反省点の順で報告させて戴きます。

1.第1回七五三基金、実施スケジュール

11/17 20:30 ツアー一行、カンボジアポチェントン空港に到着
21:00 ミーティング(~21:30)
05:45 ホテル発、シェムリアップへ
11/19 05:00 アンコールワットの朝日を見る
08:00 ホテル発、バッタンバンへ
11:50 BFDスタッフの結婚式に参加
13:00 BFD本部に表敬訪問
13:20 サムナーン村へ出発
14:10 サムナーン村着、衣料配布、村の視察及び村人へのインタビュー
16:20 サムナーン村発
17:15 ホテル着
18:00 BFDスタッフと夕食会
11/20 07:15 ホテル発、朝食
08:00 コンピンプイ村へ
10:15 コンピンプイ村着、歓迎式、衣料配布
13:15 コンピンプイ村発
15:15 ホテル着
16:30 BFD本部にてサヤプール幼稚園宿舎建設資金贈呈式、
体育設備設置資金贈呈式
17:20 アンロンビル小学校にて体育設備引き渡し式
18:15 BFDスタッフと夕食会
11/21 07:30 ホテル発、朝食
07:50 マーケットにて幼稚園児へのビスケット・ジュースを購入
08:30 BFD本部へ
08:40 ダンス教室に参加
09:30 子供達とお別れ、ビスケットのプレゼント
10:00 BFD発
13:00 プノンペン、ホテルチェックイン、昼食、夕食の食材購入
14:25 ホテル発
15:20 『スレアンピルの平和の子供の家』(孤児院)歓迎会、
     子供達と交流(折り紙の実演など)
     夕食準備(日本人参加者による120名分のカレーを準備、日本米の持参)
17:00 夕食会
21:30 『スレアンピルの平和の子供の家』発
22:30 ホテル着
11/22 08:30 集合、朝食、ミーティング
09:50 セントラルマーケット視察
11:10 トゥルスレン虐殺記念館視察
12:00 昼食
14:10 ホテル発
14:30 カンボジア国会訪問、王国議会副議長ソン・スーベール氏と会談、
国会内視察
16:10 国会発
18:00 夕食会
11/23 06:15 ホテル発、バンコクへ
11/24 自由解散

2.衣料配布について

 作家の曾野綾子氏は著書「神様それをお望みですか」の第2章でこういっている。「エチオピアの飢餓は世界的に有名になったが、マダカスカルの貧困はほとんど世界に紹介されたことがない。或る国民の腹の空かせかたには、二種類の形がある。人がばたばた倒れるような壮絶な飢餓と、慢性化した穏やかな栄養失調とで、マダカスカルの悲劇はまさに後者に属するのである」。

 カンボジアの場合も後者である。1993年の選挙までは日本人の関心外の国であった。しかし、選挙では異常とも言えるマスコミ報道がなされ、その後も現地で活躍する日本人N GOのドキュメンタリーが作られている。何れもほのぼのとしたエンディングである。それも一面の真実なのであろうが、カンボジアの抱える問題点や貧困の様子を真っ正面から捉えた報道に出会った事がない。

 それに対する苛立ちは大きかった。しかし苛立っていたところで何も始まらない。私の活動地バッタンバンの貧困の現状を鑑み、朝・夕は冷え込む乾期に備え、服や毛布を送ってあげられないものか?と考えていた。そしてある方より日本救援衣料センター(本部:大阪市)を紹介され、8月に7.2トンの衣料品と毛布を現地に送って戴いた。
詳細は別の機会に譲るが、無税(援助品)にて送付する手続きの煩雑さと、市場に売りたい人々の存在で少々苦労させられた仕事であった。その内およそ3トンをBFDに送り、今回のスタディツアーにて参加者自身による配布を企画した。その狙いは以下の点であった。

  1. 私達日本人が要らないとするものを、どれだけ喜んで受け取ってくれるのかを実感してもらいたい。
  2. 額では世界一であり続けるわが国であるが、援助の一つとしての現場に当事者として参加してもらいたい。

 そして20日にはサムナーン村、21日にはコンピンプイ村で配布を行った。村人達は帰還 難民が殆どである。しかし、爪に灯をともすような生活も、内戦や出没する盗賊の為に落ちつくことはない。彼らは移住を重ね、彼らは国内避難民となった。

 一家の主な現金収入は女性2人が3日かけて織る茣蓙である。市場で8ドルの値が付く。しかし彼女たちが手にするのは織り賃の4ドルである。1日の現金収入は1ドル程でしかない。

 藁葺きの家に7、8人が住む各家庭が口にするものはボボと呼ばれるお粥である。そこに道端で採ってくる草を入れるのがせいぜいだ。それを朝から晩まで食べるしかないのが 実状である。我々が訪れたのはそんな村である。

 今回のツアーでの参加資格は、体力があることと、感想文を送ることであった。衣料配布の様子については、ある方より戴いた感想文の紹介で感じとって戴きたいと思う。

(感想文)

 見ると聞くでは大違いと良く言うが、今回私が感じたのが正にその言葉だった。空港から初めてカンボジアの地を踏んだとき、喧噪や物々しさの中で、ひときわ目立ったのが、裸足でボロボロの服を着た子供達が、チップ欲しさに旅行者の鞄に必死でしがみつく姿だった。それは端的に「貧困のゆえ」と形容してしまうには余りに生きることに懸命な人間の本能の光景だった。

  日々の生活において、妻子を養うための糧を稼いではいるものの、主体的に“生きる”と 言うことを自分自身、実感できているのか甚だ疑問な毎日を送っている私には、のっけからで会ったそれは大変衝撃的であった。
 そしてそれは以後であった全てのカンボジア人々に等しく感じたことである。彼らは懸命に生きている。長い内戦のため、世情不安と国土の荒廃から国内においても難民が出て、未だに住居の定まらない人が多数いるという 、およそ絶望的な状況にありながらも、皆が皆、大人から子供まで懸命に生きている。

 新聞の紙面や、TVのブラウン管を通してみる出来事は、分かってはいるものの当事者意識が介在することなく、あたかも一風景を見るが如く映画やバラエティ番組と等質の視点でただ追うだけになりがちである。
 それが良いことか悪いことかという論議はおくとしても、これが私も含めた大多数の日本人の現実であり、自分より総体的に恵まれない、貧しい状況にある人々のことなどそれこそペットボトルに詰まった小銭を見たときに思うのがせいぜいであろう。

 生で接したカンボジアの人々の姿。大きな銃創や手足指の欠損がありながらも、荷役をする男性。乳飲み子をあやしながら炎天下の中物売りをする女性。日本であればまだ大人に抱っこされるくらいの子供が、自分と余り変わらないくらいの赤ん坊を抱いてあやす姿は、それこそ至る所で見られた。
 そんなひたむきに生きている人を見るにつけ、このツアーで予定されている日本の古着を配るというスケジュールが正直なところ、非常に不遜な行為ではないかということが心に募るばかりだった。国内難民の人々の村を訪れるということには興味があったものの、当初古着の配布には心中斜に構える部分があった。

 だがその思いは、実際福を配っているときに吹っ飛んでしまった。日本ではもう着ないということでほかした古着を渡したときの老若男女の、訳隔てなく喜んでくれる有り様には、年齢30を過ぎた私が不覚にも涙がにじんでしまった。
 我々が不要としているものが、これ程までに喜んでもらえるという事に、日本の飽食ぶりを 反省するより、ただ素直に心の底から感激してしまった。それ程までに、人々の笑顔は、中でも子供達の一片の邪気も感じられない喜びの顔は本当に胸に迫るものがあった。

 「子供は国の宝である」ということは、字面でなく一児の父親としてつくづく思う。未来を担う子供達が、戦火に晒されたり、戦災孤児になったが故に物乞いをしたり、自活のために働く姿には、わが子のことを思うつけ、胸が痛む。
 カンボジアで出逢った子供達の笑顔の輝きを忘れまい。そしてその素晴らしい笑顔が失われることの無いよう、自分の 出来ることから行動していこうと思う次第であり、七五三基金の主旨に心から賛同する。(了)

3.孤児院訪問にての所感

 七五三基金会員制度の中、以前レポートした孤児院『スレアンピルの平和の子供の家』 (運営:平和と正義と開発のためのクメール財団)の子供を対象にした里親制度がある。今回のツアーではその孤児院訪問のプログラムを組んだ(2名の里親の方が参加)。
 プログラムは子供達との交流会、施設見学、夕食準備、夕食会で、予定を2時間も超過するほど全員が時を忘れていた。メインの夕食メニューは日本のカレーである。我々は日本米を10キログラム日本より運び込み、120名分の人参、玉葱、ジャガイモ、カレールーを現地で調達し、日本人参加者が調理に取り掛かった。その量と慣れない竈での調理に奮闘を余儀なくされたが、全員の笑顔は今でも心に残っている。

 なんと言っても心配であったのが、子供達の口に合うか?の一点であった。しかし、子供達が先を争って食べてくれた姿には、何度現地を訪れたか分からない私自身も感激してしまった。その後も現地スタッフから何度感謝の言葉を戴いたことだろう。

 この項で述べたいのは私自身の所感である。子供達の交流会では120名の子供達が『幸せなら手をたたこう(振り付き、カンボジア語)』、日本語で『スキヤキソング』を歌って歓迎してくれた。私達参加者には3種のリアクションがあった。即ち、

  1. 嬉しい(日本の歌を歌ってくれたから、それも日本語で)
  2. やはり日本は素晴らしい、もっと交流を進めて日本文化を広めたい。
  3. 嬉しいけれど、何故子供達が日本語の歌を歌ったか(歌わねばならないか)という背景を思うと素直に喜べない。

 ここで言いたいのはどのリアクションが良いか悪いかではない。私自身、この孤児院を訪れるのは7~8回目だが、最初から感じたのは3.に近いものであった。海外から多くのゲストが訪れるこの孤児院で、外国曲を歌うことは何も特別なことではないだろう、との論もあると思う。しかし、それを聞いたゲストの感情はどうであろう。また訪問したい、そして出来ることなら援助したい、と思うだろうことは簡単に推察できる。

 子供達の目を海外に開かせたいという想いと共に、孤児院運営恒常化の狙いがあったとしても何の不思議はない。それを批判する人もいるかも知れないが、それは現場を知らないから言えるというものだろう。

 孤児院での本質は3.であるだろうと思う。改めて塾主の言葉と政経塾の研修について考えさせられた。周知の如く、塾主は素直にものを見ることが大事だとされた。しかし、それは本質を見抜く眼を養うためであると続く。少なくとも自らのフィールドにおいてはそうでありたいと思う。見ると見抜くの違いは大きい。

4.反省点

 次期に向けての反省点を列挙したい。

(プログラムとして)

(1)事前研修をやるべきであった。

→当初、出発前日に政経塾に集合してもらい、事前講座を組む予定であった。しかし、参加予定者の都合(出発地が成田では大変なので、名古屋・関空から出掛けたい)を優先してしまった。人数が欲しかったからである。今回は事前講座をとりやめ、必要な書類を送るのみにとどめた。
 しかし各人の知識の疎らさが目立った。これは私自身のミスである。 人数が半減しようとも、本来の主旨から考えて事前講座は必須にすべきであった。

(運営面から)

(1)参加費のアップが必要である。

→今回は航空運賃(およそ13万円)に加え、参加費として3万円(以前レポートをした、サヤプール幼稚園建設費に全額充当)と、現地必要経費としてUS$100を徴収した。私の知る限り、プログラムの充実度も含めて最安値のツアーだと思う。
 しかし、実際に費やす労力と、事前準備の経費などを考えると赤字であったと言わざるを得ない。検討課題である。

(2)スタッフが必要である。

→最安値であろうと記したが、プログラムとしても最も過密な部類に属するだろうツアーであった。何とか無事に終えたが、協力者(スタッフ)が必要である。写真(ビデオ)撮り、記録などやるべき仕事は余りに多かった。ボランティアレベルでのそれを見つけていくことは今後の重要な課題である。

 以上をもって報告を終わりたい。12月20日より11度目のカンボジア訪問を実施するが、来年4月を目指しての七五三基金と現地パートナーとの協力体制の再構築が主目的である。
 あと3ヶ月での目標は、七五三基金の組織化(役員の設置など)とパブリシティを高めていくことである。

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堀本崇の論考

Thesis

Takashi Horimoto

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第13期

堀本 崇

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