論考

Thesis

共存共栄の考えを持った国家について思う -特許制度を切り口として-

私は、日本人は共存共栄の精神を心の根底の部分に持っているものと信じている。だから、この日本という国は国際社会でもっと発言力を持たなければならないと考える。今回は、その一つの足がかりとして、特許制度における我が国の役割と、それを通じた国際社会で発言力の向上を考えてみる。

 私が政治に携わることを志す理由の最も大きな物の一つは、今後の人類の繁栄幸福のためには我が国が国際社会で今以上に発言力を高める必要があると真に思うからである。この十年来、世界はグローバルスタンダード(これ自体は和製英語であるから世界共通ではない)の名の下に、アメリカンスタンダードであることが正しいこととされてきた。それは、勝者は尊敬に値するが、それ以外の全ての敗者は尊敬に値しないという考えで表される。アングロサクソンの弱肉強食という言葉で換言出来るとも言える。

 多くの方がこのことについて聞いたことがあると思うし、それが正しいと思っておられる方も少なからずおられると思う。しかし、それは我々人類がこれから先、未来永劫の繁栄を築くために選択すべき道なのであろうか。私はそうは思わない。確かに競争は発展を促すが、発展は一人の勝者の物では決してない。

 多くの人が一つの目標に向かって努力を始めたとする。ある人はその中で画期的なアイディアを考え、それを見た他の者はそれを参考にそれ以上を考える。その繰り返しが、現在の社会である。そうした過程を経て、全体が一つの目標に向かって進んでゆく。そして最後に一人の人間が目標に到達する。アメリカンスタンダードはこの最後の一歩を踏み込んだ人間に絶対的な敬意を表する。それ以前にアイディアを出し合った人間は、最後の一歩を踏み込んだ人間を間接的にサポートしてきたことは疑いようがないのにも関わらず、“結局のところ最後の目標に達成出来なかった”からということで、敗者とみなされる。私はこれを決して正しいとは思わない。このアメリカンスタンダードで勝者とされる人間は、多くの他の人間の努力を見て、それらを参考にし、そして運良く"最後の一歩"を踏み出したに過ぎない。もし目標が更にその少し先に設定されていたら、別の人が勝者になっていたのである。最後の一歩の陰には多くの方々の努力の積み重ねがある。しかし、アメリカンスタンダードは最後の一歩を踏み込んだ人以外には全くの経緯を表さない。果たしてこれが我々が目指す社会なのであろうか。疑問を感じざるを得ない。

 私は日本人はあまり自覚はしていないが共存共栄の精神を心の根底の部部に持っているものと信じている。だから、この日本という国は国際社会でもっと発言力を持たなければならないのである。もし私がこの国に生まれなかったならば、私は決して政治の世界から社会を変えていこうとは志さなかったと思う。そのことが、私が思う国家、日本のあり方である。

 日本が国際社会で発言力を持つ足がかりの一つが特許制度であると思う。今回はその特許制度から国を考えていきたい。

 特許という言葉を聞いたことが人はおそらくいない。しかし、特許が何かを理解している人は少ない。これを読んで頂いている方は、現時点で特許とはどういうものと捉えているか、今一度振り返ってから、この先を読み進めて頂ければ幸いである。
特許とは、決して勝者に独占権を与えることが目的ではない。

 特許法第一条 この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。

 世間一般では、特許によって発明者の権利が守られるとされている。しかしそれは特許法の主たる目的ではない。そのことは特許法第一条にも明記されている。明記されているにもかかわらず多くの人がそのことを十二分に認識していないことに私は驚きを覚える。特許法の目的は「産業の発達に寄与すること」である。多くの方が思っている特許法の目的である「発明の保護」は「産業の発達に寄与する」ための方法でしかない。特許法は産業立法の一つであって、我が国の産業の発達を促進するために必要と考えられる制度として立法されたものである。そのことについてもう少し詳しく触れてみる。

 ある機械を製品化することが市場の要求だったとする。そうすると多くの企業がそれを製品化するために一斉に研究開発を行う。研究開発の成果は、企業秘密としてその企業内に蓄積されていく。その結果、多くの企業はほぼ全く同じ研究を行うことになる。日本という国の研究開発能力を考えた時、同じ研究に重複してその開発能力を費やすことは無駄である。また投資も重複して行われる。企業秘密が過度に蓄積されることは、日本の社会としては決して好ましいことではない。

 その企業秘密を一般に開示することが出来れば、他の企業はその結果を参考にして更にその先の研究を行うために投資することが出来る。そして、またその結果を公表すれば、その他の企業は結果を参考に更にその先の研究を行う。それらが繰り返される結果、複数の企業がそれぞれ別々に研究を行っていた時よりも、市場が必要としていた機械を早く製品化することが出来る。技術の累積的進歩である。

 しかし、ここに勝者と敗者が登場する。最初の頃に結果を公表した企業は結局製品化までは達成していないから、投資は無駄になったことになる。しかし、最後に製品化した企業もその成果を利用している。その利益の再分配を行うための制度が特許制度である。

 特許制度は、過度の企業秘密を防止して、技術の累積的進歩を促すために、企業秘密を開示する見返りに、20年間その開示した秘密の独占的実施権を付与するという制度である。20年の独占的実施権を与えないで秘密を開示してくれればそれにこしたことは無いが、あまりメリットがなければ開示することはしないので、20年の独占というアメを与えるのである。この20年という期間は現在のところアメとして世界的に最も適当な期間とされている。

 秘密であったものを開示させることが目的であるから、秘密でなくなってしまったものには特許(アメ)を与える必要はない。特許出願前に公になってしまったもの、例えば秘密保持契約のない者が知ってしまったものなどは、特許を与えなくとも既に秘密でなくなっているから特許を与える必要はない。例え世紀の大発明であっても、秘密が漏れていた場合は特許にならない。

 もし、多くの人が思っているように、特許制度の目的が「発明の保護」、"発明者の保護"であったならば、秘密か否かは問題とせずに特許を与えなければならないが、実際はそうではない。

 数年前まで、よくメディアで特許制度を批判する論調があった。その論調の多くはこのようなものである。「特許制度は、発明した人、最後の一歩を踏み越えられた人が巨万の富を得るためのものだ。アメリカで発明したものを他国が真似をして生産した時に、その利益を搾取する制度だ」。まったく特許制度を理解していないとしか言いようがない。これは特許制度のほんの一面しか見ておらず、本質でないことは明らかである。

 しかしながら、本来の特許制度はそのように素晴らしいものであるが、最近の特許制度はその本質からずれてきているように思える。現在、世界の特許制度はWTO、WIPO(世界知的所有権機関)が標準形を定め、各国はそれに準じた特許制度を準備しない限り、WIPOに加盟することは出来ない。そのため、しぶしぶ特許法を変えている国も少なくない。そして法律を整備したとたんにアメリカの出願が発展途上国に流れ込む。このような状況は、韓国がPCT(特許協力条約)に加盟した時に特に顕著に発生した。

 法は各国政府が独自に定めることが大原則である。産業立法である特許法は、その国の産業の事情に合わせることが必要であるから、その原則が生きてしかるべきである。それを各国特許独立の原則というが、今の特許制度はその原則によっているとは言い難い。WIPOの場でアメリカが自国に都合の良いように制度を変更し、それがグローバルスタンダードだといって、WIPO加盟各国に押しつけている面は否めない。日本も欧州も米国と並ぶ特許における世界三局であるのに、アメリカほど自国の利益をむき出しにしていない。

 果たしてそれが正しい道なのだろうか。日本がなすべき事はWIPOの中にも多分にある。WIPOは国連組織の中でも珍しく日本の発言力が強い組織である。アメリカ、EU、日本が出願数、レベル共に三局となっており、その一人である日本の発言力は非常に大きい(これは日本の政治力というよりも、産業界がレベルの高い発明をしていることによる)。今現在、押しつけの特許制度で国内の産業がガチガチに縛られている発展途上国は多い。それらの国は、その国の事情にあった発展が出来るよう、特許制度を変えたいと思うところだが、WIPOがそれを許さない。WIPOが定めるのはアメリカに最も都合の良い形である。そのように制度を変えていくことは、同様に産業界のレベルが高い日本や欧州にとっても都合がよいことはよい。ただそれは、自国のことだけを考えた場合のことであって、果たしてそのために発展途上国を搾取の対象にする制度にそのまま乗ることが日本や欧州の進むべき道であろうか。

 私は、日本はこの場でもう少しやることがあると思う。何もWIPOの制度を変える必要はない。単に"各国特許独立の原則"を、原則通り行うことのただ一つを主張すればよい。

 国によっては実施料率の上限を設けることを法定してもよいだろうし、国によっては、特許の年限を短くしても良いだろう(この場合、「発明の保護」が薄くなるから、他国はその国において工場建設を躊躇するなどマイナス面があることとバーターになるが、それもその国の判断である)。

 現在の問題点は、各国特許独立の原則があるにも関わらず、その原則を無視して“アメリカ式にしろ”となっていることなのである。それを改善するのに日本が主張すべきは、原則を貫くだけでよいのだから、決して難しいものではない。

 特許はある面では一局に富が集中するから、金持ちがさらなる金持ちになることをサポートする制度であるが、それは上を見た場合の話である。下を見た場合、アメリカ式では敗者になってしまうであろう努力を重ねた者に、最後の一歩を踏み出した勝者の利益を分配する制度である。

 特許制度の根本は、技術の累積的発展を通じて産業の発展に寄与すること、そしてそれは人類の発展に繋がるのである。決して、搾取のための制度ではない。

 共存共栄とは、日本が持つ「捨てることの出来ない考え」である。
私は、その考えを持って、今の世界の特許制度の状況を変えていくことが必要であると考えている。

 更に我が国を見たとき、国際社会においてまず特許制度の場で発言力を高めることは、他の分野への足がかりとして非常に成果があると思う。また、それには多くの国が陰ながら賛同すると思う。是非、そのところで大きく動いてほしい。

 現在、特許庁は経済産業省の下にあり、国務大臣が長とはならない。しかし、我が国にとって特許の重み、科学技術の重みはアメリカやEUのそれとは比べものにならない。是非、国務大臣をおき、我が国が世界の特許制度の一翼を担っていくことを表明すべきと思う。

 それが、日本の国際社会での発言力を強める大きな一歩となると考える。

以上
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福田達男の論考

Thesis

Tatsuo Fukuda

福田達男

第24期

福田 達男

ふくだ・たつお

VMware 株式会社 業務執行役員(公共政策)/公共政策本部本部長

Mission

デジタル政策、 エネルギー安全保障政策、社会教育政策

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