論考

Thesis

国民の生命と財産を守る国づくりを ~災害ボランティア体験を通して考えたこと~

震度7を記録した新潟県中越地震は、死者40名の惨事となった。多くの人々が未だ避難生活を余儀なくされ、生活再建の見通しもたっていない。長期震災ボランティアとしての活動を通じて、現場や被災者の声と、国の支援策のギャップを感じる中で、国家はどうあるべきか考察した国家観レポート。

一.新潟県中越地震ボランティア

1.地震とその被害

 2004年10月23日午後5時56分頃、新潟県中越地方を震源とする大地震が発生、北魚沼郡川口町では震度7、小千谷市で震度6強を観測した。続いて、午後6時12分頃と6時34分頃、続けざまに震度6強の余震が発生した。さらに本震から4日後の27日午前10時40分頃にも震度6弱の余震が発生した。この地震は新潟県中越地震と名付けられた。建物の倒壊、山崩れ、乗用車での寝泊まりによるいわゆるエコノミー症候群などで、本日11月25日現在までに、40名もの方が尊い命を落としている。住宅被害は、確認されているだけで8万世帯を優に超え、全壊2693世帯、半壊6573世帯、一部損壊75,701世帯にのぼる。新潟県庁が11月9日までに行った試算では、土木関係の被害額が約1700億円、農業関係では約1400億円となり、計約三千百億円に達した。二次災害の恐れから、調査におもむけない地域も多く残っており、最終的には、被害総額が一段と増えると言われているが、現時点でも阪神・淡路大震災当時の農林水産業被害額(912億円)を既に超えている。
未だ余震の続く中、約2000人が全村避難となった山古志村の被災者を始め、多くの人々が生活再建の見通しのつかないまま、避難所やテントでの不自由な暮らしを余儀なくされている。

2.震災ボランティアとして活動

 私は11月初旬から現地に長期滞在し、震災ボランティアとして、当初は山古志村避難所(長岡市)で被災者と一緒に寝泊まりし、現在は長岡現地対策本部に配属され、他県からの人や物資の受け入れ、調整、また小千谷市及び北魚沼郡堀之内への物資の搬送などの業務にあたっている。

(1)山古志村避難所での活動

 全村避難となった山古志村の人々は、集落ごとに長岡高校体育館など長岡市内8ヶ所の避難所で生活されている(長岡市内に建設されている仮設住宅に、12月上中旬頃から引越される予定である)。

 私がボランティア登録をしたのは、TJS(中越地震災害支援活動市民ネットワーク)という市民団体で、避難所の運営補助、夜警などの業務を行っている。地震発生、長岡市の体育館への村民の避難後、しばらくは多くの山古志役場の多くの方々が避難所を運営されていた。そして新潟市、新津市、横越町などの役所の方々が応援に駆けつけていた。しかし、山古志村役場の方々は、様々な震災支援関係事務や、来年4月の長岡市との合併に関する業務にあたらなければならなくなり、長岡市内に作られた臨時村役場へ出勤されることになった。そして、新潟県内の他の自治体の職員さん達も、通常の業務に戻られることとなった。このため、山古志村役場からの協力依頼が、TJSにあり、常時3人以上のボランティアを8ヶ所の避難所に配置することになった次第である。様々なボランティアが出入りする中で、ある避難所で指名手配犯が逮捕されるなど、物騒な状況もあり、市のボランティアセンターやTJSの様な身元を保証する団体を村役場も頼りにしている状況である。

 さて、私もTJSメンバーの一人として、避難所でのボランティア活動に赴いた。

 最初の勤務地は長岡市教育センターで101名の方が避難しておられる比較的小規模の避難所。山古志村役場川上総務課長が担当されていた。川上課長自身も、被災されておられるが、一生懸命村民のために支援活動をされていたのが、印象的であった。

 主な仕事として、援助物資の管理、受付業務、夜警など。

 三食とも自衛隊の人達が作ってくれており、意外なことにとてもおいしい。ある夜のサンマは特においしかった。

 自分の子どもと同じ三歳の子どもが2人おり、夜空いている時間にブロックで一緒に遊ぶ。午後9時に就寝。明かりを消し、私は当番後、山古志の方々の居住スペースであるホールの前のロビーで寝る。この頃は、新潟市、新津市、西蒲原郡横越村からの自治体派遣の職員さんもいて、負担は軽かった。

 次が長岡高校小体育館で、174名の方が避難している大規模な場所であった。山古志村役場の方々や他の自治体の職員さんが既に引き揚げてしまっていたため、特に夜が厳しかった。二人しかおらず、交代で睡眠をとりながら、夜通しの勤務となる。風邪が流行りだしていたため、湿度を確保するため、ストーブの前に濡れタオルを置き、一時間すると乾いてしまうタオルを再び濡らす。
ここでは写真のように子ども達と大いに遊ぶ。忙しくて、風呂に入れずじまいとなった。

そのほか、人員のつなぎで長岡高校栖風会館に昼間だけ勤務。125名の方がおられた。

 差し障りがあるので、ここではあまり触れないが、集落ごとに分かれて避難しているせいか、避難所ごとに様子、雰囲気が違う。
共通して印象に残ったことをランダムに挙げると次のとおり。

  1. 我々に対して、大きな痛手を負っている山古志の方々が親切にしてくれたこと
  2. 子ども達が、たくさんの大人にかまってもらっているためか、嬉しそうにしていたこと
  3. 子どもが少なくお年寄りが多い。少子高齢化がとても進んでいる。
  4. 前向きに明るく過ごしている人と、対照的に落ち込んでいる人がいること。
    健康を崩すのは後者の方々が多い。心のケアの必要性を痛感した。


(2)長岡現地対策本部

 避難所運営ボランティアを数日した後、長岡現地対策本部への配属となった。

 他県から来るボランティアの方々の受け入れ、各避難所への配置、渉外・連絡調整、長岡に集積される避難物資の小千谷や堀之内への搬入などの業務を受け持つこととなった。

 長岡高校の小体育館には要望があり、90kgもの大型テレビを搬送、実家が電気工事屋ということもあり、私が取り付けることとなった。


 比較的傷跡の浅い長岡市街地に比べ、長岡山間部、小千谷、堀之内、川口などに行くと、家屋が倒壊していたり、土砂崩れがおこっていたりと傷跡が生々しい。

 11月中旬に物資を小千谷に運ぶ際には関越自動車道も一般国道も凸凹で、致る所に段差や亀裂が入っている状況であった。睡眠不足のボランティアスタッフに「運転手(私)を気にせず、助手席で寝てください」と言ったものの、とても寝られる状況にはなかった。

▲長岡市妙見町の優太ちゃん救出現場
(山崩れ現場)を眺める。小千谷市側から

 それが、僅か10日ぐらいの間でほとんど平らにしてみせた道路公団には驚いた。普段様々な批判にさらされている公団であるが、この度は凄かった。

 小千谷に入ると損壊した家屋の入口に赤い色の紙、黄色の紙、緑色の紙が貼られている。道路の信号と同じ意味で、赤は立ち入り禁止、黄色は注意、緑は入ってよろしいという意味である。

 物資の搬入先の小千谷高校には、体育館で寝泊まりしている方々のほか、15世帯の自主避難の方々がテント生活をしている。

▲門柱や狛犬が倒壊した神社
(小千谷市)

▲小千谷テント責任者
福田達男塾生(第24期生)と


二.被災者生活再建支援制度とその問題点

1.被災者の不満

 被災者支援制度の説明を受け、帰ってきた後、多くの被災者から不満の声を聞いた。

 「国は、税金を取るときだけギリギリ取りやがるくせに、こういういざって大変な時には出しやがらねぇ」

 被災者の怒りはもっともである。国の支援制度は要件がかなり厳しいものになっている。
例えば、全壊世帯であっても、前年の収入によっては、国から一銭もお金は支給されないのが現行法(被災者生活再建支援法)の実態である。

 今回の山古志村のように養鯉業や闘牛を育てる業を営んでいたような方々は、前年度は収入が高くても、災害後のしばらくは一銭も稼ぐことはできないであろう。

 また世帯全体をベースにしているため、核家族世帯に比べ、三世帯同居などの大家族には、不利に働く。そのため、ある自治体の職員さんは世帯を分けて申告するよう、こっそりアドバイスをされているようである。

 また被害の程度が半壊では、国からの支援金は支払われない。

 また今年の通常国会で改正された法では、壊れた家の撤去費用や整地費などには支援金が使えるようになったが、住宅そのものの修理や再建には使えない。

 なぜこのようなおかしなことになっているのか?次に被災者生活再建支援法の成立過程をみていくこととする。

2.被災者生活再建支援法の制定過程

 1991年の雲仙普賢岳噴火による災害、1993年の北海道南西沖地震の際には、全国から多くの義援金が寄せられ、一世帯当たり、それぞれ1,150万円、1,350万円が支給された。しかしながら、人口が密集した都市直下型の大地震であった1995年の阪神・淡路大震災では、全国より約1,800億円もの義援金が寄せられたものの、一世帯当たりの配分は、数十万円にとどまった。長期に渡る仮設住宅での暮らしの中で、多くの自殺者が出る等、二次災害も発生した。被災者の生活再建は進まず、新たな生活再建支援制度づくりが提言された。しかしながら、政府は新法の制定に消極的で、政府提出(内閣提出)法案は提出されなかった。そのため、立法府議員による議員立法に委ねられることとなった。

 第140回通常国会(1997年)に、当時の連立与党三党(自民党、社会党、さきがけ)が与党案「被災者生活再建支援法案」を提出、新進党、民主党、太陽党の三野党が「阪神・淡路大震災の被災者に対する支援に関する法律案」を提出、さらに小田実氏を中心とする市民運動によって作成された「災害弔慰金の支給等に関する法律の一部を改正する法律案」が超党派の賛同議員によって、提出された。一本化に向けた各党間の協議を経て、第142回通常国会(1998年)に6会派共同提案による「被災者生活再建支援法案」が提出され、可決成立した。
この法律の成立によって、最高100万円を支給できることとなったが、政府は「私有財産である住宅に公費(税金)は使えない」として、使途は生活必需品や家財道具などに限られた。また前年の収入の多寡や年令による制限が加えられている。
本年の法改正で最高300万円に限度額が引き上げられ、使途も壊れた住宅の撤去費用、整地費等の住宅周辺経費まで拡大されたが、相変わらず住宅本体への修理や再建には使えない。また年令や収入による制限が残り、手続きの煩雑さも解消されなかった。
出来るだけ支給したくない、制限を加えて置きたいという政府の意向がはっきりと表れている。

3.政府の消極的な姿勢

 なぜ政府は新法の提出、新支援制度の導入に消極的であったのか。
この法案が審議された衆議院災害対策特別委員会の議事録での政府答弁を挙げる。

 「今度の仕組みでございますが、都道府県が相互扶助という基本的な考え方から拠出をされました基金を活用して行うといった一つのスキームでございまして、それに対して国が財政支援を行うという考え方に立っているわけでございます。
 したがいまして、個人の財産に対して、その財産の損害を国が補償をするという考え方には基本的に立っていないわけでございまして、その点は従来と全く変わることはないというように理解をいたしております。あくまでも生活再建をされる方々に対する支援ということで、基金を通じて国が御支援を申し上げるという考え方に変わりはないというように理解をしております。」
(1998年5月14日 第142回通常国会衆議院災害対策特別委員会 亀井久興国土庁長官答弁)

 憲法第29条は、通説的な解釈によれば、個人の現に有する具体的な財産の権利の保障と、個人が財産権を享有し得る制度、即ち私有財産制を保障する規定とされている。多数説は、私有財産制をとらないためには、憲法の改正が必要であるとしている。

 こうした憲法解釈を論拠に、国が直接個人に保障する「個人補償は私有財産制になじまない」という姿勢を政府は崩そうとしない。そのため、現行法では、個人の財産形成になるとして、住宅そのものの修理や再建には支援金も使えないわけである。

 実際には、財政当局が大規模な財政出動を怖れてのことである。

4.地方自治体の取り組み、動向

 国の施策では出来ない住宅再建、補修に関して、各県は独自の制度を模索してきた。
2000年10月の鳥取県西部大地震では、片山善博知事は、「住宅復興補助金制度」施策を発表し、被害程度や所得に関わらず、住宅再建には限度額300万円を交付した。

 全国知事会も国に再三に渡って、国に住宅再建支援制度の創設を求めている。
今回の新潟県中越地震に関しても、県は国の制度に上乗せする支援策を発表、実施しようとしている。

新潟県中越地震 被災者生活再建支援制度
区分全壊大規模半壊半壊
世帯全体の年収500万円以下単身世帯以外300万円100万円×
地方100万円100万円50万円
400万円200万円50万円
単身世帯225万円 75万円×
地方 75万円 75万円37.5万円
300万円150万円37.5万円
・世帯全体の年収500万円以上かつ世帯主が45歳以上

・年収700~800万円かつ世帯主が60歳以上単身世帯以外
単身世帯以外150万円 50万円×
地方 50万円 50万円50万円
200万円100万円50万円
単身世帯112.5万円 37.5万円×
地方 37.5万円 37.5万円37.5万円
150万円 75万円37.5万円
・上記以外単身世帯以外×××
地方100万円 50万円50万円
100万円 50万円50万円
単身世帯×××
地方 75万円 37.5万円37.5万円
 75万円 37.5万円37.5万円

国:被災者生活再建支援法に基づく
地方:被災者生活再建補助金 県2/3、市町村1/3

三.どういう国を目指すべきか

 今回の中越地震の震災ボランティアを通して、始めて、国のあり方について真剣に考えることを迫られた。国民の生命と財産を守ることは、国家として当然の責務と考えてきたし、それがなされているものと思っていた。ところが、実際には震災という、その発生自体は当然国には責任がないにしても、生命と財産を脅かされる状況になっても、国は支援を出し惜しむ実態を観た。

 個人補償は、憲法第29条で採用されている私有財産制にはなじまない、などという論拠で国は住宅再建、補修には税金は支出できない、等と言い、また様々の理屈で出し惜しむ。ところが、まさに私有財産制の最たる国であるアメリカが、災害支援に個人に多額の現金を支給している。

 現場に近い自治体は、何とかしようと必死に智慧を絞っている状況なのに対し、国の官僚達は対照的である。国を動かす官僚達が被災者となった時に初めて、自分たちの間違いに気付くであろう。

 議員立法による被災者生活再建支援法の審議の際にも、政府官僚の作成した答弁が幅を利かせていたのも非常に奇異に感じたし、実際の運用も議員、立法府が関与出来ない、政令省令のレベルでなされている。

 今回の体験から、国家、政治は、現地現場を知った政治家、リーダーによってなさねばならないと改めて思った。災害の際の国民の生命と財産の安全を守る国造りを政治家主導で行う国家をつくっていく必要があると考える。私もその一翼を担っていきたい。

今後政策として、以下の点を考え、具体策としていきたい。

  1. 解釈で争う余地がないよう憲法に災害支援の条文を追加すること
  2. 財源として消費税を若干上げること
  3. 費負担方式の住宅再建支援


参考

1.参考条文

日本国憲法 
第29条 財産権
第 1項 財産権は、これを侵してはならない。
第 2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
第 3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

2.参考書籍、論文等

(1)「憲法」芦部信喜 岩波書店
(2)「被災者生活再建支援 調査と情報第437号」国立国会図書館 2004年2月
(3)「中越地震被災者支援制度等のお知らせ-長岡市政だより号外」長岡市役所
  2004年11月
(4)「大震災における(憲)法解釈と法政策」阿部泰隆
(5)「新潟県中越地震に伴う地盤災害による被災者への支援について(要請書)」
  長岡市など被災自治体首長から新潟県知事への要請書 2004年11月

3.国会議事録

(1)第142回通常国会 衆議院災害対策特別委員会 第4号
(2)第 回通常国会 衆議院災害対策特別委員会 第5号

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橘秀徳の論考

Thesis

Hidenori Tachibana

橘秀徳

第23期

橘 秀徳

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