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茶道裏千家宗家研修所感

 凡そ茶道をやっている方々に聞けば、京都の宗家において研修を受けるということは、まずあり得ないことで、あまつさえ、業躰先生つきっきりでご指導頂くという、本当に有り難いことである。本年4月に入塾して以来、茶道について研鑽してきたつもりであるが、その総決算というべき宗家研修において、何を感じ、そして何を体得できたのか。思いのままに綴ってみたい。

1 道を究めようとすることの重要さ

 本研修においては、主として業躰・奈良宗久先生、中村宗石先生に直接ご指導して頂いたが、お稽古をつけてもらっている間、終始感じたのは、人間としての凄みや重みであった。威圧感というわけではなく、物腰は柔らかいのだが、発する言葉、醸し出す雰囲気に圧倒され、緊張感が絶えることはなかったように思う。一つの道を究めることは、容易でなく、また、もしかしたら究めることなど死ぬまでないのかもしれないが、茶人として茶道という道一筋に専心、厳しい修行を積んでこられたに違いない両先生の人間としての重厚さを観るにつけ、こういったものを身につけることができるのだろうかと思いつつ、一所懸命、専心何事かに取り組み、道を究めんと修行することこそ、人間というものを大きくしてくれるのではないかと感じた次第である。自分が進むべき道はまだ模索中であるが、その道を歩むに際しての指針を頂いたような気がする。

2 茶道に観る日本の伝統精神

 入塾以来、日本の伝統について考える時間が多かったのだが、茶道というものも、一般に伝統文化として、広く世界中に認知されており、それは単に、利休居士以来、時間的に長く続いたという理由から伝統になっているというわけではないように思う。ろくすっぽお点前すらできていないくせに、茶道の伝統に言及するのも、口はばかられるが、入塾以来のお稽古と本研修を受けながら行き着いたのは、「不易流行」という考え方である。伝統として墨守すべきものは守り、変えてもいいものは変えていく。その中庸をとることが難しいのだが、守っていくべき核心として、私は「型」ではなくやはり「心・精神」の部分ではないだろうかと感じた。よく言われるのは「和敬清寂」「わび・さび」等であろう。それもまた大きな部分かもしれないが、実体験から感じたのは、心の部分でも特に核心となるのは「おもてなし」の心ではないかということである。奈良・中村両先生からお稽古をつけてもらったが、「ものを教える」という感じでなく、それすらもおもてなしという感じで、懇切丁寧、わかりやすくご指導頂いた。自分本位ではなく、お客本位で、満足して頂くために、お点前や作法、焼き物や茶杓に至るまで広範な知識を身につける必要があるわけで、そう考えれば、建塾に際して、塾主・松下幸之助が研修の一部として何故茶道を採り入れたかが合点がいく。礼儀作法を学ぶ自己修養という一面もあろうが、やはり「おもてなし」の心を学びなさいという思いがあったのではなかろうか。

 中村宗石先生に教わったことで「赤」という文字には「もてなし」という意味があるという。一方で「赤心」「赤裸々」というようにこころを露わにするという意味もある。もしかしたら、人をもてなすということは、偽り無く自分をさらけだすことが出発点になっているのだろうか。日本の伝統精神の根源もそのあたりにあるのかもしれない。

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日下部晃志の活動報告

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Koji Kusakabe

日下部晃志

第25期

日下部 晃志

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(公財)松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修局 人財開発部部長

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