論考

Thesis

大事を成す為に必要な人間観

一国を治める術は、人心を悦服させることが喫緊の要務かと存じます。人々が心から悦服しませんと、どんなに良い法律を作っても、どんなに美しい気持ちで人民に臨んでも、現実に立派な政治は行われません。為政者に施(人々を納得させ満足させること)、寛(寛容・寛大な気持ち)がなければ、人心は悦服しないものです。『水雲問答』

1.政経塾の研修とお世話になった方々

 私は松下政経塾の研修において、これまで様々な体験をさせていただいた。松下政経塾の一年目の研修は基本的に同期と共に用意されたプログラムを受ける集合研修が中心である。しかし二年目、三年目の研修は、原則として自分の活動計画のみに拘束される。年に数回の在塾研修が義務付けられているが、それ以外の期間は、すべて自分の「志」に基づいた精密な計画を実行する時間である。

 そのための「金」、「時間」もすべて真っ白の状態から始める。「志は何か」、「それに基づいて今すべことは何か」、「時間、期間はどのように設定するか」、「どれだけの費用をかけるのか」、「どのような結果と成果物を目標とするのか」などすべてにおいて自分の管理下に置かれる。

 松下幸之助塾主は、松下政経塾の研修目標の一つとして「経営の要諦」を身につけることを設立趣意書の中で述べているが、私がこれまで行なってきた研修はまさに、「自己経営」、「経営感覚」、「組織経営」など経営に要する様々な要素がこの研修の中で問われてくるものであったと感じる。

 とりわけ私が胸の奥に身にしみて感じたことがある。それは、自分の「志」を実現するために、いかにして多くの方々の協力を得ていくことが大変なことであるかということである。熱意や情熱だけでは多くの人々の協力を得ることはできない。またお金や、利害が合致しても協力を得ることはできない。

「人心を得ること」。

 このことこそまさに「経営の要諦」の中で一番本質的なものなのではないだろうか。松下幸之助塾主は、若いときに会社を興して以来、常に社員のことを考えてきたはずである。人心を得なければモノは作れない。人心を得なければモノは売れない。そして人心を得なければ経営をしていくことはできない。

 私は松下政経塾の研修の中で、規模や種類は異なるものの、真っ白なスケジュールを、自分の志から「今何をすべきか」ということを考えながら、様々な研修を行なってきた。とりわけ中国社会科学院日本研究所と松下政経塾の共同開催した「日中シンポジウム」に携わったことは人間観に関する非常に多くのことを学んだ。さらには米国研修、台湾総統選挙研修、韓国シンポジウムの企画、先輩後輩の選挙実習など様々な研修から、特に失敗体験を深く反省することにより多くの示唆を得ることができたと考えている。
 本稿では私がこれまでの研修の中で感じたことをもとに、人の心が動くことはどういうことなのかを考察し、将来にわたり大事を成す為に必要な人間観を検討する。

2.人の心が動くとき

 人は生きていくうえで「拠り所」がないと生きていけない。その拠り所とは、人によって異なる。「金銭」を拠り所とする人もいるであろうし、「地位・名誉」を拠り所とする人もいるであろう。だからこそ、人々の心をつかむために「金銭」や「地位・名誉」を提供しようとする人々がいる。現状の政治の世界では特にその傾向が強い。だからこそ政治家が尊敬されないし、政治が信頼を失っている。

 政治に限らず、大事を成す為には人々の協力が必要である。協力を得るために、人々の心をつかまなければならない。「金銭」や「地位・名誉」を提供することで、果たして人々の心は動くのだろうか。小事であれば、対価を払うことによって協力を得られるかもしれないが、大事を成すときにはそれらの提供では到底人心をつかむことはできないであろう。以下では大事を成そうとする為政者が、人心をつかむときにとりうる行動を挙げ、簡潔に検討を試みる。

(1)金銭

 人に何かを頼むとき、簡単に同意を得られるのが、行為の対価を金銭で支払うことである。ただし、ただ金銭を支払うだけでは、ひょっとするとこちらが期待していた通りのことをしていただけないかもしれない。また大事を成す場合には、金銭によって人心をつかむことは不可能なのではないだろうか。金銭によって人々の労働を提供していただくことはできるかもしれないが、心をつかむことはできない。

(2)地位・名誉

 人に何かの地位や名誉を約束することによって、心をつかむことができるであろうか。確かに地位や名誉によって、人々の判断基準に影響を及ぼすことができるかもしれない。しかしながら、大事を成す際の決定的な力とはなり得ないのではないだろうか。大事を成す為には、多くの協力者が必要であるが、協力者一人一人が主体的な行為者となっていかなければ進展していかないからだ。地位や名誉を欲する人に、それらを提供するだけでは、時代を変えうる大事を成す積極的な行為者を得ることはできない。

(3)様々な利益

 為政者は「金銭」や「地位・名誉」以外でも、様々な利益を提供することによって、人心を得ようとするかもしれない。組織や団体の利益や何かの便宜を図ることがそれに当たる。しかしながらこれも同様に協力者一人一人が主体的な行為者となることはない。

(4)義理・人情

 義理や人情は人間関係の大切なつながりである。例えば選挙事務所を立ち上げたとき、そこにどれだけの人々が集まるかは、候補者の人間関係の集大成といっても過言ではない。その中には、義理や人情で集まる人々も多いのではないだろうか。また組織におけるしがらみや、地縁・血縁による関係によっても行為者の一員に加わることもあるであろう。しかしながらやはり、義理や人情では本質的に人々の心をつかんだと言うことはできまい。

(5)共鳴・共感

 人心をつかむことの第一歩が、共感・共鳴を得ることであろう。何か事を起こそうとする時、「目的は何か」、「メリットやデメリットはどのようなものか」、「期待される結果は何か」という説明責任を明確に果たした上で、人々に心から納得していただくことが重要である。

 さらにはその先にある将来像やビジョンを明確に提起していくことも忘れてはならない。人々の心を動かし、実際に行動に移していただくためには積極的な同意を得ることが重要である。

(6)使命・宿命・運命

 人々が、大事を成すことが使命であると感じ、それが宿命であり運命として受けとめられるとき、人心をつかみ、「志」が人々の血となり肉となるときであろう。幕末の志士たちの命をかけた行動は、使命感に燃え、宿命・運命というものを一人一人が果たそうとしたことから結実したからに他ならない。

3.大事を成す為に必要なこと

 大事を成す為に必要なこと、それは常に人間観を絶えず探求していくことである。上記で検討した六項目は、これまでの研修で感じた、いわば当然のことを検討したに過ぎない。儒学や塾主の著書の中から抽出して検討することも必要であるし、日々の体験の中からさらに具体的なことを検討していくことも必要である。

 少なくとも本稿で結論付けられることは、一つに日々の生活の中から人間関係を大切にし、義理や人情の深みを作っていくことである。そして一つに明確な意思を提示することによって共鳴、共感を得ることである。心から共鳴・共感を得るために、「志」をさらに練磨し、価値あるものにしていかなくてはならない。

 最後に重要なことが、人々が使命感を抱き、そのことをもって宿命・運命と感ずることである。例えば、我々松下政経塾塾生は、松下幸之助塾主との出会いによって、「志」を練磨し使命感を高めてきた。さらに世に貢献することこそが自らの宿命であり、運命であると受け止めている。まさに大事を成す為に、松下幸之助塾主は、松下政経塾を建塾したのである。

 為政者が人々に使命感や宿命・運命を具現化させていくことは非常に困難である。明確なビジョンを提示し、確固たる信念と勇気、決断力を持たなければならない。塾生や塾出身者はまさに松下幸之助塾主の理念に共鳴し、共感してきたもの達である。塾生や塾員は大事を成す為に松下幸之助塾主のもとに集結した。我々の宿命の一部は、松下幸之助塾主によって与えられたものである。大事を成す際に必要なこと、「人間観」の探求に関し、松下幸之助塾主は絶えず深めていたのである。

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小野貴樹の論考

Thesis

Takaki Ono

松下政経塾 本館

第23期

小野 貴樹

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