論考

Thesis

イギリスの文化産業振興策

クリエイティブ産業台頭の背景

 1997年に行われたイギリスの総選挙で、18年間に及んだ保守党政権が終焉し労働党が地滑り的な勝利をあげた。堅調な経済成長を維持していたにもかかわらず保守党政権が大敗したのは、国民が変革を望んだからだと言われる。ブレア新政権は地方分権、貴族院改革、NHS(国民健康サービス)改革など各分野で次々と新機軸を打ち出した。文化産業振興もその重要な一つである。
 当時、シンクタンク・デモス(注1)の研究員だったマーク・レナードは報告書(注2)の中で、近年のイギリス国内のデザインやアートなど革新的・創造的な動きと、国外の大英帝国に代表される後ろ向きのイメージの落差はイギリス経済に大きなマイナスだと指摘し、対外広報戦略の強化とクリエイティブ産業(注3)の振興を訴えた。貿易産業省も、過去10年でイギリス経済の2倍の成長率を成し遂げたクリエイティブ産業の雇用・富生産の潜在能力に注目し、ニュー・ブリテンプロジェクトなど振興の可能性を模索していた。つまり、当時のイギリスには国家的な刷新の兆しがあちこちに芽生えていた。
 2000年現在、イギリスのクリエイティブ産業の経済規模は1125億ポンド(約20兆円)で、GDPの5%を超える。1997年度と比較すると16%の成長であり、イギリス経済全体の成長率6%を大きく上回っている。貿易収支においても103億ポンド(約2兆円)の黒字で、雇用は130万人に達する。産業の集積地であるロンドン、サウスイーストではクリエイティブ産業単体で他の産業全部の雇用を上回る。ロンドン以外のイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズにおいても、経済効果・雇用促進・地域再生の観点から注目を集めている。もはやクリエイティブ産業は周辺産業ではなく、メインストリームである。 1997年10月、政府はクリエイティブ産業振興のために文化・メディア・スポーツ省に特別委員会を設置した。メンバーはバージングループ会長のリチャード・ロビンソン氏など、この業界で活躍している人々9人である。役割は、民間と提携することで政府がいかに産業を育成できるか、規制・障害をどのように排除できるか、について提言することである。
 クリエイティブ産業特別委員会は、1998年、2001年とこれまで2度にわたって報告書(「クリエイティブ産業:業界の現状」(Creative Industry: Mapping Document ))を出した。これは、産業全体の動向とクリエイティブ産業界の13分野の現状分析と問題点の指摘、各地域の取り組みや政府と民間企業の連携などをカバーし、各種政策の基礎となっている。1998年版は、クリエイティブ産業そのものを広く人々に認知させること、またイギリス経済や新規雇用への貢献度の高さを関係者に認識させることが目的であったが、その後の政府・民間の事業計画策定に大きく貢献した。2001年度版ではその後の3年間の評価と、さらなる成長を目指してより具体的な現状分析・問題点を指摘している。データの収集、産業の明確な境界線などやや問題はあるもののきわめて有益である。その内容を次に簡単に紹介する。

『クリエイティブ産業:業界の現状2001』

  まず現状の取り組みとして報告されたのは、次のようなものである。
1)人材育成
 文化・メディア・スポーツ省は、2000年7月、4000万ポンドを投じて16の貧困学区で「クリエイティブ・パートナーシップ・イニシアティブ」をスタートさせた。学校・美術館などの協力を得て、小学生に創造性を高めるプログラムを提供しようというものである。他方、人材供給の面ではクリエイティブ産業でのキャリアを支援するブックレット『創造的な未来』(Your Creative Future)を作成し、ウェブサイトを立ち上げた。
2)地域・産業との連携
 地域レベルでの融資支援プロジェクトも昨年から始まった。このプロジェクトは徐々に人々に認識されており、ウェストミッドランズ(イングランド中部の首都圏州)では欧州開発公社の支援を受けてクリエイティブ・アドバンテージ基金が設立され、ベンチャー・中小ビジネスに最大13万ポンドまで融資する仕組みが出来ている。
産業との連携も進んでいる。すでに著作権などで政策立案に携わった実績のある「音楽産業フォーラム」は、連係を模索する産業のモデルとして期待される。地域再生では、シェフィールドにおける文化産業、バーミンガムにおける宝石産業、などの例がある。
3)著作権
 インターネットの普及で脅かされている著作権についてもクリエーター保護のための情報提供が行われている。「知的財産に関する報告書」(文化・メディア・スポーツ省発行)では、著作権の正しい理解を学校で教えることが提案され、現在導入方法が検討されている。知的財産は知価社会の最も重要な資産であり、この種の取り組みは今後加速すると見られる。
4)輸出
 海外におけるイギリス・クリエイティブ産業の需要の高まりを受けて「クリエイティブ産業輸出促進協議会」が設置され、テレビ番組の輸出増加に貢献している。また海外広報を担当するブリティシュ・カウンシルやトレード・パートナーズUK(注4)との連携も図られている。

 一方、課題として挙げられたのは次のようなものである。
1)長期的な人材供給を確保するために、学校教育において創造性を伸長する。
2)著作権の重要性を広く社会に啓蒙する。
3)金融機関にクリエイティブ産業への投資が有益であると認識させることで資金調達の道を開く。
4)海外でのイギリスのイメージを改善する。
5)eコマース、インターネットを最大限活用する。
6)政府・民間のパートナーシップを強化する。
7)広範なデータ収集を行い、課題解決力を強化する。

 これまでは国全体の動きを見てきた。次に各地域においてどのような取り組みをしているのか、地域別に見ることにする。一般に日本語で「イギリス」と称されるこの国は、大ブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランドと、北アイルランドの4地域から構成されている。

1. イングランド
 地域開発公社・ロンドン開発公社・地域文化コンソーシアム(共に地域支援の政府外郭団体)が設立され、4地域とロンドンに置かれ、これらが主体となって産業育成のメカニズムを確立している。
 東部では、映画協会の支援で映画・テレビ・映像ビジネスの集積を進めている。南東部のブライトンでは、人材教育のプログラム開発、ネット上での情報交換・リンケージのシステム「メディア産業 Net」などに地域開発公社から80万ポンドが援助されている。
2. スコットランド
 スコティッシュ・エンタープライズは一昨年8月に作成した開発計画で、来る5年間に2500万ポンドをこの産業に投資し、年間10%の経済成長、スコットランド総輸出額の15%の上昇を見込んでいる。スコットランド東部のテイサイドでは、産官学の連携でデジタル・メディア産業の集積が進められている。
3. 北アイルランド
 文化・芸術・余暇省は2000年11月に発行した報告書『創造性の開放』(Unlocking Creativity)で、産業の現状分析と今後の展望を調査する特別委員会をクイーンズ大学と共同で立ち上げ、来年までに報告するとしている。
 北アイルランドの首都ベルファストにある巨大撮影所Paint Hall Studiosは、映画・テレビ産業の一大集積地となりつつある。
4. ウェールズ
 最近の報告書「ウェールズにおける文化産業の経済効果」によって、音楽・工芸・デザイン・テレビ・演劇・映画の育成策が策定された。また、クリエイティブ産業を支援する機関の必要性が指摘され、ウェールズ観光協会、地域開発公社、地方自治体、議会を含む広範な組織Cymruユn Creuが、間もなく発足する。

日本へのフィードバック

  これらの点を踏まえて、日本の新産業育成策のエッセンスを指摘してみると、
1. 対外広報戦略の確立
 国家のブランドイメージは特定の経済ではなく国家経済全体に影響を与える。特に観光業は、21世紀最大の産業(世界規模で6兆5000億ドル市場と推計 『WTO白書』2000年)と目されるが、日本はその認識が低く、観光振興専門の組織の設立なども含め、広報戦略の確立が急務である。
2. 官民の連携
 ソフト産業の育成には民間のセンスが不可欠である。従来の官主導の産業育成はせっかくの産業の芽を摘み取ってしまう可能性が大きい。センスある目利きと実行力のある組織を兼ね備える必要がある。
3. 創造性の重視
 21世紀を見据えた成長可能性のある産業を育成する。キーワードは創造性・革新性でありITバブルなどの現象にとらわれない地に足の着いた認識が求められる。

 「周辺産業から基幹産業へ」。イギリスは国富の7割をサービス産業で生み出す国であるが、クリエイティブ産業育成策は21世紀の大きな流れを見据えたイニシアチブだと言える。「過去の歴史・伝統がイギリスの創造性の源泉である」とは、インタビューを行った文化・メディア・スポーツ省のある高官の言である。戦後、鉄鋼・造船などの重厚長大産業で復興を果たし、自動車・半導体で製造業の地位を確固たるものにした日本であるが、その経済発展の過程で失ったものはあまりにも大きい。 自国の歴史伝統に健全な誇りを持てるような教育、時代の流れを捉えた可能性のある産業に投資できる金融システム、創造性、革新性を伸長する人材育成。明確なビジョンに基づいた総合的な戦略が求められている。

(注1 )1993年に設立された独立系シンクタンク。「クール・ブリタニア」、「社会企業家」などの概念を打ち出し、労働党政権がそれを引用したことで有名。
(注2)Britain, TM: Renewing Our Identity, London, Demos 1997
(注3)ここでいうクリエイティブ産業とは、個人の創造性・スキル・才能に基盤を置き、知的資産によって価値を生産・雇用を促進する産業のこと。具体的には、広告・建築・美術品・工芸・デザイン・ファッション・映画・ゲーム・音楽・演劇・出版・ソフトウェア・テレビラジオの13分野で、観光・美術館・スポーツなどと密接な関係がある。
(注4)貿易産業省の外郭団体で、イギリスへの投資の促進、またイギリス企業が海外に進出する際の援助が主な業務。日本の日本貿易振興会(JETRO)に似ている。

<参考文献>
Tom Bentley and Kim Seltzer, The Creative Age – Knowledge and Skills for the new economy, Demos 1999
文化・メディア・スポーツ省ホームページ:http://www.culture.gov.uk/

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二之湯武史の論考

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Takeshi Ninoyu

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第21期

二之湯 武史

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