論考

Thesis

アジア・太平洋で日本は再生する

大航海時代とも言える活況を呈する欧米諸国、大西洋地域。それとは対照的に分裂するアジア・太平洋、孤立停滞する日本。現在の日本の停滞は、国際社会からの孤立にその原因がある。その打開のための構想は次のとおりだ。

現在の日本の停滞は、我が国の国際社会からの孤立にある。特に、昨今の急激なグローバリゼーションの進展に対し、国際的な経済基盤の確立を怠ってきた日本の政策運営の失敗に負うところが大きい。脆弱な国際経済基盤は、日本を世界経済の活況から引き離し、停滞する淀んだ孤立空間に押しとどめている。

失われた10年

 昨今の経済潮流を指して、グローバリゼーションといわれる。80年代に進んだ世界的な経済の自由化、投資の自由化は、85年のプラザ合意による国際的な経済勢力図の再編成をきっかけとして、国際投資の爆発的増加を招き、それまでの世界経済観を一変させた。一国経済を基本にした財貿易の発展により世界経済が発展する時代から、海外投資による国際分業・世界経営の発展が世界経済を動かす時代になった。

 図1を見ると、証券投資・直接投資等の国際投資が、85年を境にしていかに急激に拡大しているかが見て取れる。国際分業・世界経営には、カネ・モノ・ヒトをスムーズかつ安定的に循環させうる国際基盤が不可欠となる。故に為替の自律・安定や自由な経済交流が保障される経済基盤が求められる。その結果、この10数年の間、グローバリゼーションに対する各国の当然の国家戦略として、地域経済圏の確立等による国際経済基盤の拡充が進められてきた。

 欧州は80年代後半からの市場統合の効果で見事に復活し、米国は地域にとどまらない世界的なドル基軸通貨体制という確固とした経済基盤により長期好況を実現した。NIES、ASEAN加盟国などアジア諸国も、97年の通貨危機によりその限界を露呈しはしたものの、安定的なドル基軸通貨体制に負うて著しい発展を遂げた。いずれにしろ、各国は、国際社会の中でいかなる経済基盤を確立するかというビジョンを有していた。

 一方、その頃日本は、いわゆる「失われた10年」と言われる停滞が始まるバブルの絶頂にいた。そんな中では、長期的なビジョンなど誰も必要だと思わなかったのかもしれない。しかし、一部有識者にはそれなりのビジョンがあった。例えば、外交評論家の岡崎久彦氏は次のように述べている。

 「10年後のビジョンとして、このまま海外直接投資による製造業の海外移転を続けていれば、19世紀の英国、20世紀半ばまでの米国のようになれるはずだ。長期に渡る貿易黒字を惜しみなく海外に投資していけば、その結果世界経済に日本の経済的足場を拡大しておくことが出来る。現在の英米両国のように一旦競争力が下り坂になっても、その地位が我が国を支えることになる。そこで現れるのが、『アジアの時代』であれば、それは我が国の国益である。その条件としてまず日本は円高を維持すべきだ。円高の環境下、国内産業の海外移転を進め、アジアに経済的基盤を構築すると同時に、国内の産業構造の転換も図る」(『新しいアジアへの大戦略―日本発展のビジョン』(読売新聞社 1993年)
 欧州や米国が歩んだこの10年間を現時点から振り返れば、岡崎氏の考えがいかに適切なものだったかがわかる。しかし現実は大きくズレた。日本には「アジアの時代」は来なかった。本来なされるべき政策的努力はなされず、「無為の10年」が過ぎた。日本の経済基盤は貧弱で、経済は国際的に孤立している。

孤立する日本

 なぜ「アジアの時代」は来なかったのか。なぜ日本はアジアに経済的基盤を構築できなかったのか。その理由は、グローバリゼーションという世界経済の潮流を無視した、日本の孤立政策とも言える国際戦略なき政策運営の失敗にある。

 岡崎氏は、日本がアジアに経済的基盤を構築する条件として、「日本は円高を維持すべきだ」と述べている。しかし、その条件は完全に反故にされた。

 図2のグラフは、世界の主要4通貨の変動を表したものである。一つ飛び抜けて不安定な動きをしている通貨がある。「円」である。円と比べれば欧州通貨は遥かに安定している。それは、彼らが通貨の安定性を深刻に捉え、政策的努力を怠らなかったからである。「通貨統合」はその延長線にあったにすぎない。これに比べると、日本の意識の低さと無策はどうだろう。

 円高円安の乱高下を繰り返す中、日本企業の直接投資を中心とする国際展開は、非常に無秩序な状態で行われた。本来海外に移転されるべき競争力の弱い産業は、不安定な為替に尻込みし、海外進出のチャンスを失った。一方、競争力のある優良メーカーは、激変する為替対策として、本来ならば日本で生産しても採算が取れる産業まで含め、極端な海外脱出策を取った。そんな国外脱出策は、長期の経営計画も立てられないままに行われたため、ある優良メーカー幹部の試算によれば、日本のアジア進出企業は、米国のそれの約3分の1という低利益率に喘いでいるという。こうした現実を目の当たりにして、某メーカーの幹部は「日本の政策のスピードに合わせていたらビジネスなどできない」と、政府の無策を批判する。将来を睨んで、成長が見込まれるアジアに投資されるべきだった貿易黒字も為替の変動リスクに遮られ国内に滞留した。その結果がバブル経済だ。海外に出るべき産業が出ないことで、国内産業の新陳代謝も遅れた。

 通貨・為替相場というのは、国際経済への掛け橋と言える。我が国経済の国際経済への掛け橋はあまりにも不安定だ。その結果日本は、孤立・停滞してしまった。EUや米国など他の諸国と同じように、為替相場を安定させることで、周辺地域への直接投資を安定的に増大させつつ、経済的関係を強化し、同時にFTA(自由貿易圏)のような形で周辺地域に経済基盤を確立すべきだった。世界の主要国中で、FTA(自由貿易圏)という経済基盤を持たない国はわずか3カ国(日・韓・中)と台湾しかない。現在、世界中にはEU、NAFTAを始め約130のFTAが張り巡らされると言われるが、そこから漏れているのは日本周辺だけである。

 日本政府は世界の潮流とは全く逆のことをやってきた。内向き・短期的な視点に陥り、既存の国内産業を保護したいがあまり、無理な円安政策を繰り返し、結果的に為替市場の不安定性を高めた。金融政策を犠牲にした円安政策は、無謀な低金利政策となって国内では未曾有のバブルを引き起し、アジア諸国には「近隣窮乏化策」となって国際社会の不安定性を増幅させた。米国の顔色ばかりうかがいWTOに固執し続けたため、世界でFTAを持たない稀有な国となった。金融政策の自立性にこだわり、通貨・金融の国際化を怠ったため、多くの場合、日本の経済活動は米国ドルに依存し、日本の経済基盤を構築するどころか、世界経済の不安定要因、もしくはいわゆる米国の帝国循環システムの補完というピエロ役となった。

外交政策の転換点

 ようやく昨年あたりから、日本の外交に転換の兆しが現われ始めた。今までの孤立志向の内向きな政策思想を改め、ASEAN+3という政治的協議の場の確立、アジア諸国間における通貨融通協定の合意、シンガポール・韓国とのFTA構想の検討など確実に周辺アジア諸国を重視した政策思想にシフトしている。

 しかし、内実は非常に心許ない。現在の政策転換について政治家や官僚を始め何人かにインタビューしたが、そこから得られたのは、この政策転換は多分にビジョンを欠いた受身のものという印象だった。米中関係の悪化による中国のアジア重視政策への転換、及び通貨危機後アジア諸国に広がった反米意識に乗じた、実体のないアジアブームのようなものに流されているきらいがある。このことは、我が国にとって最も重要なパートナーである米国との関係を不必要に悪化させる危険があり問題だ。日本の経済的基盤を周辺アジア諸国に拡充するという国益を基本にした冷静な構想・戦略が見えない。
 事実、ASEAN+3は中国のイニシアティブで進んでいるし、現在日本がFTAの締結を検討しているシンガポール・韓国との案件は双方とも先方の提案によるものだ。そして最初のシンガポールとの交渉でさえ、農水省の反対で難航している。大蔵・通産・外務・農水と日本のアジア政策には大きなものだけでこれらの省庁が関係するが、官庁間のセクショナリズムは激しく、議論さえ望めない状態だと、ある通産官僚は漏らす。本来であればそんな対立をまとめ上げるビジョンとリーダーシップを持つべき政治家は、外交など考えていないのが実情である。

「アジアの中の日本」(Nippon in Asia-Pacific)構想

 そんな現状を打開すべく、私は現在、シンクタンク「アジアの中の日本」(Nippon in Asia-Pacific)(仮称)の立上げを進めている。アカデミックな研究機関ではなく、現実の政治に一石を投じる実行力のあるものにしたい。コンセプトは3つ。

 1つは、「アジア・太平洋の中で再生する日本」。日本のアジア・太平洋地域における安定的かつ自律的経済基盤確立の必要性を訴える。つまり、アジア・太平洋地域に地域経済圏を構築することを目指す。この地域経済圏は、地域全体の利益はもちろん、日本の国益を十分に考慮されたものでなければならない。

 この地域経済圏の確立のための政策を、通貨政策と通商政策の2つの面から併せて提唱する。まず通貨政策として、為替相場安定のための国際協調の場として「AMS(アジア通貨制度)」の構築を提唱する。これは、アジア各国が今までのドル中心の通貨政策から自立し、円と人民元の比重を増した自律安定した通貨政策にシフトしていくための、協調のための機関とする。現在水面下で進行中のAMF(アジア通貨基金)と併せ、機動的な国際協調を担う組織とする。
 他方、通商政策として、先に述べた通貨政策による安定した地域経済基盤の下で、さらなるアジア圏の市場統合を推進すべく、「アジアFTA(自由貿易圏)」の構築を提唱する。対象範囲は台湾を含めたASEAN+4。具体的方策としては、まず二国間によるFTA交渉を進め、アジア圏に二国間FTAの網を張り巡らせた後に、それらを統合する形で統一FTAを創る。以上のプランは、決して閉鎖的な地域圏を企図するものではない。アジア統合の過程で、米国他環太平洋諸国とのFTAも検討し、日本が太平洋の掛け橋となって開かれたアジア太平洋を実現することを目指すものだ。

 また、本シンクタンクの独自構想として、沖縄-台湾FTA構想を提言したい。コンセプトは「中国の入口と日本の入口をつなぐ」。台湾は国際的な孤立に危機感を強めているし、沖縄は経済自立の方法を模索している段階であり、これは双方にとって有益なものとなる。沖縄は太田前知事の時代に、経済自立のために全世界を対象にしたFTZ(フリートレードゾーン)を検討し、その時の議論の蓄積がある。台湾のみを対象としたFTA構想は、全世界を対象にしたFTZに比べリスクが少なく、県民の理解も得やすいだろう。

 2つ目は「外交で日本を変える」。自国のみで構造改革をやり遂げるのは、日本のみならず世界のどの国にとっても難しい。そこで欧州の例を見習いたい。欧州諸国のリーダーは、市場統合や通貨統合といった外交的目標を掲げて国民運動を展開し、そのエネルギーで構造改革を成し遂げている。アジアとの融合過程で日本の再生を図る、そんなシナリオを提示したい。破壊的な「構造改革」ではなく、アジア・太平洋諸国との融合の中で必然的な「構造調和」を図って行くべきだ。

 3つ目のコンセプトは、「アジア・太平洋諸国の若き政治関係者たちとのネットワーク構築」である。このネットワークが、アジアに広がる新しい世代の知恵と志を結び付け、アジアと日本を動かして行く「力」となる。更に、このネットワークがアジア諸国間の「協力の場」になる。この「協力の場」こそが、互いの建設的な対話を深め、今まで観念的で実体の伴わなかったアジアという概念に内実が与えられる。「アジアのアジア化」が起こる。そしてそれは、反米親米と言った旧世代の観念を乗り越えた我々若き世代のアジアであり、米国その他の環太平洋諸国を積極的に惹きこむ、開かれたアジアである。

Back

鈴木烈の論考

Thesis

Retsu Suzuki

鈴木烈

第20期

鈴木 烈

すずき・れつ

八千代投資株式会社代表取締役/株式会社一個人出版代表取締役

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門