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Cover Story
1999年12月

ブータン:龍王の選択
大串正樹/卒塾生

 ヒマラヤの秘境ブータン王国を訪れた。国王の下、経済的には決して豊かと言えないが、緩やかな成長を続けるこの王国は世界一幸せな国と謳われる。本当の幸福とは何か、日本人が失ったものがそこにある。

 
 「国にとって大切なのはGNP(Gross National Product:国民総生産量)ではなく、GNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)である」。  1972年に弱冠16才でブータンの王位を即位したジグメ・センゲ・ワンチュック第4代国王の基本方針であり、ブータンの国是とも言える。この宣言は、各国から反響を呼び、ヒマラヤの小国に世界の注目を集めることとなった。事実、ブータン国民は、貧しいながらも心豊かに幸せに暮らしている。 我が国は、戦後、追いつけ追い越せと欧米から多くのシステムを学んできた。経済が成長過程にあった今まではそれで良かったかもしれない。GNPは確かに高くなった。しかしそれに比例していろいろな問題が起こってきたのも周知のとおりである。
 行き詰まった社会を変えるためには、現在の「民主主義+市場経済」に替わる、新しい国家の政治経済システムが必要であるとは様々な場面でよく聞く。資本主義の蔓延により失われた社会規範をどうやって取り戻すのかが問われている。しかし、もはや参考にすべきモデルは先進国には見出せない。自国の伝統文化にふさわしい新たなシステムを、独自に作り出さなけらばならない。そこで、「世界一幸せな国ブータン」に学ぶべきものがあるのではないか。

■ブータン王国

 ブータン王国は、チベットとインドに挟まれたヒマラヤ山脈の南斜面に位置する君主国家である。現地の言葉で「ドゥック・ユル」と言う。ドゥックとは「雷龍」、ユルは「国」を意味する。つまり「雷龍の国」である。国王は「龍王(ドゥック・ギャルポ)」の称号をもつ。地理的には、標高200mの熱帯ジャングルから7000m級の高山まで南北で急激に変化しており、狭い国土は起伏に富んでいる。人々は、いずれも標高2000~3000mの谷間に開けた平地に暮している。筆者が訪れた10月初めは、辺り一面収穫を待つ稲穂で黄金の絨毯を敷き詰めたようだった。こんな高地で良く稲が育つものだと感心するかも知れないが、緯度が南に位置するため、概ね都市部は日本の気候に近い。また、豊富なヒマラヤの雪解け水が絶えず供給されているので、干ばつの被害はほとんどない。もちろん内陸であるから台風の被害もない。農業にはうってつけの土地なのである。

 ブータンの典型的なイメージとしてダルシンをあげる人は多いと思う。ダルシンは経文を印刷した幅50㎝ほどの布で、長さ7~8mはあろうか。これが至る所に高々と立てられ、風にたなびいている。どこも静かな街である。パタパタと風にたなびくダルシンの音と、回すことによって経文を唱えたことになるというマニ車の鐘の音(回す度に合図の鐘を叩く構造になっている)、そしてゾンと呼ばれる寺から響いてくるチベット・ホルンの「ボーッ」という低音。もちろん耳を澄ませば、この音に混じって僧たちの読経の声も響いてくる。それ以外は、鳥や虫の声しか聞こえない(もちろん首都ティンプーやパロと言った都市の中心では車の騒音が止まないのだが……)。このようにブータンを語る上で忘れてならないのが、生活に密着した仏教である。すべての基本は仏教にある。ブータンの伝統文化は、みなこの仏教に根ざしている。

■伝統と成長の狭間で

 ブータンは一貫した鎖国政策を採って来た。1952年、3代目国王のジグメ・ドルジ・ワンチュックの即位にしてようやく開国政策を採りだした。その後、72年に国連加盟を果たし、同年、現在の第4代国王が即位し現在に至る。ここで特徴的な点がある。開国に際して、「節度ある開国」を基本政策として、急速な近代化をかたくなに拒んできた。したがって近代化という点ではかなり遅れている。この時代によくこんな国が残っていたものだと思わせる。
 1989年、国王は「伝統的な価値と礼儀作法を守る運動」と称して、国民に民族衣装の着用を義務づけた。第八次五カ年計画にも謳われている「ブータンのような経済力も軍事力も持たない小国では、文化的アイデンティティーを維持していくことこそが社会安定の基盤となる」という考え方に基づいた決定である。他にもブータンには建築様式にまで厳しい決まりがある。現地に詳しい国立民族学博物館の栗田靖之教授の「国全体がテーマパークである」という言葉がまさにぴったりくる。
 しかし、民族衣装着用の決定は大きな波紋を呼んだ。ネパール系住民が反発したのだ。ブータンには本来のチベット系人種以外にも大量のネパール人が移住している。安い労働力として重宝されたわけだが、ブータンが医療・教育の無料政策を採って来たことも流入を助長した。国勢調査を行うと、その割合は35%にも達した。ブータン政府はこの事実に危機感を抱いたのである。したがって、民族衣装の着用という政策の陰に民族同質化の考えが全くなかったというと嘘になるであろう。結果として、流血の惨事を経て、大量の難民がネパールに流入することになった。
 政府がネパール人の増加に危機感を抱いたのには、かつての隣国シッキムのことがあったから。シッキムは1975年にインドに準州として併合されたが、その背景にはインド人が大量に流入し、その結果、インドへの併合がシッキム人自身の総意として住民投票で決まったという事実がある。ブータンは、シッキムと同じ道を歩むことを恐れたのである。国家を守るための龍王の選択だった。

 「振り返れば、そこに素晴らしい国があった」、とJICA(国際協力事業団)の現地事務所でブータンの開発を見てきた小松征司所長は語る。これまでの発展途上国に対するODA(政府開発援助)は主にその国の首都周辺で行われてきた。その結果、首都を見る限りその国が発展したように見える。しかし、実態は都市部と農村部の経済格差が広がり、人口の一極集中に伴い首都周辺にスラムが出来上がる。ブータンはこの過ちを繰り返さないためにも、地域の意見をくみ上げながら、開発を地方に分散するというディ・セントラリゼイション政策を採ってきた。大学を作るにも首都から500㎞も離れた場所を選んだ。水力発電所にしても大型のものを作らず、小さなものを村々に建設するので効率が悪い。加えて、人口60万人程度で産児制限を行っているのも、先例をしっかり見てのことである。これらはすべて龍王の選択である。
 ブータンの政策は慎重に進められることが多く、その傾向は開発分野に顕著に見られる。これだけ開発が遅れているにもかかわらず、「開発の速度をスローダウンしようと考えている」というのは経済開発局のチェンケップ・ドルジ大臣(1992年当時)の言葉である。とにかく、いろいろな国の事例を研究して、遅れて歩んでもよいから同じ失敗は決して犯さないというのがブータンの姿勢である。

 ブータンの特徴として、もう一つ忘れてはならないものに環境政策がある。行き過ぎた森林の伐採で国土の大半の森を失ったネパールを見て、ブータンでは「自然を破壊してまで産業化を急ぐ政策は採らない」という。確かに豊かな森林資源に囲まれながら、それを産業発展の原動力に利用しようとはしない。実に国土の72.5%がいまだに森林である(ネパールの森林資源は既に10%を切っている)。常に環境と開発のバランスを意識した結果である。
 この環境政策の一環として、環境教育がある。小学校の低学年からカリキュラムに含まれる。ブータン環境教育課のツェリン・テンジン氏は次のように語る。「行き過ぎた精神主義も、物質主義も決して良くない。われわれはバランスをとりながら常に中道を行く。これはまさに仏教の精神そのものである。そして、自然の大切さとともに、そのことを子どもたちに教えていくことが重要だ」。

■欲深き人類の宿命

 ブータンではすべての考え方の基本が仏教に基づいている。訪れただけで、その雰囲気をはっきりと感じ取ることができる。とにかくみな礼儀正しい。社会規範として、生活の中に仏教(輪廻転生を心から信じており、生前の善行を心がける)が生きているのである。しかし、ブータン以外にも仏教国はたくさんある。そのいずれもが礼儀正しいとは言えない。なぜブータンがこうも礼儀正しいのだろうか。一言でいえば、心が本当に豊かだからである。
 豊かさには物質的な豊かさと、精神的な豊かさの2つがある。物質的な豊かさが満たされれば、精神も豊かになるのは想像に難くない。物がなければ心もすさんでくる。しかし、愚かな人類にとって欲望は止まるところを知らない。1つを手に入れると、また新たなものが欲しくなる。より快適に、より楽しくと歯止めは利かない。情報の氾濫がこの愚行を加速する。それゆえ物質的な豊かさはどこまでいっても満たされることはなく、当然、精神的な豊かさも得ることができない。
 物質的に貧しいはずのブータンで、この精神的な豊かさはどこから来るのであろうか。1つの理由として考えられるのは、自給自足が可能なほど食料が豊富なことである。
 主食の赤米をはじめ、野菜、肉、果物と食料はふんだんにある。つまり基本的な「生きる」という営みには全く支障が無いのである。もう1点は、逆説のようだが情報が少ないことだ。この6月からようやく国営のテレビ放送が始まったばかりである。さらに、長く続いた鎖国政策の影響もあって、外国の情報はほとんど入っていない。人々の心の中に物質的な欲望が開発されず、日々の生活で十分に満足を得ているのである。そして、そのことの大切さも十分に国民は理解している。海外へ出た留学生は、行き過ぎた物質的な豊かさに惑わされず、みなブータンに戻ってくるという。本当の意味での幸福を知っているのだろう。
 それは、ある意味では「民主的」でないかも知れない。国の政策で、海外からの情報を遮り、我々から見れば不便な生活を国民に強いている君主制である。しかし、国王に対する国民からの信奉はあつい。論語の中に「知らしむべからず、由らしむべし」という言葉がある。国の長期計画のように難しいことは国民すべてに理解してもらうことは不可能であるから、為政者は国民の信頼を得ることが大切であるという意味である。まさに、ワンチュック国王はこれを実践しているのである。国民から慕われ、国民の幸福を第一に考え、物質的な豊かさと精神的な豊かさのバランスを常に意識しながら国家を運営している。 同じ仏教国でかつ王国でありながら、ブータンとは全く別の道を歩んだタイ。日本からブータンを訪れる際の経由地である首都バンコクにはありとあらゆるものが溢れ、人々は物質的な豊かさを享受している。街の中心部、サイアムスクエアではスピーカーからロックの音楽が流れ、スターバックスのコーヒーを飲みながら、あてもなくたむろする若者であふれている。残念ながらいかがわしい店の看板には日本語が目立つ。ワンチュック国王がこの光景を見たらどのように思うだろうか。

1999年12月 執筆
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