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Report
1999年3月

子供の情景
大串正樹/卒塾生

 世界経済がそうであるように、社会システムもまた複雑に絡み合い、今や連鎖崩壊の様相を呈している。本稿では、この社会システムの連鎖について、子供を取り巻く環境からアプローチを試み、論じてみる。

 
■子供をめぐる環境

 子供たちはその成長の過程で、いくつものライフステージをめまぐるしく移り変わる。そして、その変遷の中から多くの事柄を学んで行く。そんな彼らが初めて出会う社会は家庭であり、やがて保育所や幼稚園が加わってくる。この保育所に対しては様々な議論があるが、少子化対策や働く女性の立場からの提言か、もしくは、保育現場からの提言のいずれかに分けられるであろう。もちろんそう言った視点も大切であるが、時間を追って客観的に見るとすれば、社会システムの連鎖の中で子供たちはどのように振る舞い、どのような役割を果たしているのであろうか。
 生活様式の変化に伴い、核家族化が進み、さらには少子高齢化から、年金をはじめとする社会保障システムが崩壊しつつある。社会保障費の負担増や給付減が家計を圧迫するだけでなく、老後の不安心理から、消費が低迷する。これが今の不況の本質であろう。当然、景気が悪いと夫婦共稼ぎが多くなり、保育所の社会的重要度が増してくる。そんな保育の現場では今「自由保育」が花盛りである。
 「自由保育」とはそれまでの「一斉保育」と呼ばれる規律重視・年齢別横割りの保育方法を改め、縦割りで様々な発達段階の子供たちが互いに環境から学んでいく保育方法であり、「個性を伸ばす」重要性が叫ばれたことから取り入れられてきたものである。
 確かに、様々な年齢の子供たちが擬似的に兄弟関係を体験すれば、学ぶところも多いであろう。しかし現実には、この「自由」に対する解釈がまちまちで、保育所によって方針は大きく異なる。一番の問題は、放任を自由とはき違えている人々がいることである。結果的に落ち着きのない子供に育った場合、その影響は社会にも、その子の人生にも顕著に現れる。

■家族の崩壊

 生活様式の変化は、子供をめぐる環境のうち、最も身近で重要な「家庭」にも大きな影響を及ぼす。前述した夫婦共稼ぎの一般化に伴い、これまでの「男は仕事、女は仕事も家事も」という女性に負担がかかっていた状態は少しづつ変わりつつあるようである。男性の育児参加が、ごく普通になってきた。しかし、家庭内において男女の役割は本当に平等で良いのだろうか。父親は父親の、母親は母親の、それぞれやらねばならない(精神的な)役割があるのではないだろうか。
 父親が家事や育児に参加することによって次第に母親化し、従来、父親が示していた父権が不在となる。これは単に父親がいないという物理的な状態を意味するだけではなく、家庭内の権威がなくなるという、システムとしての家族の崩壊を意味している。その結果、権威に対する畏怖の念がない、あるいは叱られた経験がなくそのことに慣れていない(逆に母親の過干渉によって叱られ慣れしている場合もあるが)子供たちは怒りの抑え方がわからず、突然キレる。さらに、援助交際をする子供たちを大人が理屈で説得できないという例も挙げられる。
 世の中には理屈ではなく、倫理的に社会規範に照らして「やってはいけない」ことがある。それを諭すには理屈でなく権威が必要である。つまり、家族というシステムは、物理的な父親の存在とは別の次元の、権威(父性)があって初めて成り立つシステムなのである。男女が平等であることは言うまでもないが、家族というシステムの中ではその役割は異なるのである。家庭での父権の不在が家族の崩壊を招いている。

■技術立国の危機

 さらに学校に目を向けてみると、「学級崩壊」という現象を良く耳にする。小学校で子供たちが先生の指導を聞かない、私語をやめない、歩き回る、奇声を発するなど授業が成立しない状態をさす。その原因はいろいろ言われているがまだ特定されていない。むしろ、様々な要因が絡み合った結果と見るべきであろう。安易な自由保育が原因の一つとなっているとの指摘もあるが、崩壊していく家庭や地域社会の影響も大きい。
 ただ確実に言えるのは、そういう状況に陥った子供は勉強も遅れるし、その遅れは中学校で挽回することも難しいということである。全般に学力が低下しているというのが教育現場の声である。しかし、塾通いをしたりして学力の高い子供も確実にいることを考えると、「できる子」と「できない子」の差が開いてきているというのが現実であろう。つまり知的貧富の差が拡大しているのである。しかし、数少ない「できる子」だけでは全体としての知のレベルは高く維持できない。「できる子」の底辺の拡大こそが重要なのである。
 これは、日本を技術立国として見た場合、国全体の技術力が低下していくということを意味している。日本は技術の独創性に欠けるという指摘があるが、「できる子」の数が少なければそこから出てくる独創的なアイデアを持った人物の数も少なくなる。いかなるジャンルにせよ「できる子」が数多くいてこそ、ユニークな人材も生まれる。これに「自由保育」は効力を発揮するだろうか。正式な因果関係は判らない。しかし少なくとも今の子供たちが大人になる頃には、これまで培ってきた日本の産業基盤は脆弱なものになっているだろう。

■問題の本質

 家族の崩壊は、連鎖的に地域社会の崩壊を導き、子供の情景を変えてしまう。「向こう三軒両隣」や「世間体」などの言葉に代表されるように、日本の社会規範は極めてローカルな地域社会の中で培われてきたものである。したがって、地域社会が崩壊すれば、必然的に社会規範の崩壊を引き起こす。そんな環境では子供たちの中にも規範は育まれない。さらに、個性を伸ばす「自由な」教育がその本質を履き違えることによって、社会規範の崩壊にますます拍車をかける。
 ここに子供たちの価値観は大きく変化し、やがてその影響は子供たちの成長に従って社会全体に及ぶ。崩壊連鎖の世界を生きてきた彼らは当然、政治にも関心を持たない。知的貧富の差が拡大すれば、知識層は多忙を極め、政治よりも仕事にその関心が集中する。逆にそうでない層は政治に対して興味さえ示さなくなる。
 日本において民主主義は、完全に定着する前に崩壊の兆しが見えてきている。加えて、資本主義の暴力が市場を中心に我々の社会を切り裂いている。日本人の心を無視して、市場化や小さな政府を安易に志向することは、取り返しのつかない結末を迎えることになる。我々の意識を変えるか、日本に相応しいシステムを構築していくか、今一度考える時期ではないだろうか。
 社会の現象は様々に結びついて悪循環を生み、臨界点を超えたところで崩壊が始まっている。崩壊は新たな現象を生みながら次の崩壊を誘発する。しかし、逆に連鎖的に好循環が生まれてくる可能性もあると言うことである。それぞれのシステムの中で、各々が問題意識を持ち、これを解決することになれば、連鎖的な変化が起こる。ここで重要なのは、それぞれの問題がその問題単体で正解が得られず、時と共に変化しながら、様々な問題と共に連鎖していることを十分に意識することである。これを単体で解決しようしたところにこれまでの失敗がある。だからといって、グローバルという言葉に惑わされて、小手先の対応で解決を急いだところで、その結果が現れるには、次の世代を待たなければならない。ここはじっくりと腰を据えて、社会システム全体を見直すべきである。しかし、急がなければ、子供たちは次のライフステージに移ってしまい、更なる悪循環を生みだしてしまう。

■連鎖崩壊する社会システム

1999年3月 執筆
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