論考

Thesis

現場で知る韓国経済

昨年来、未曾有の経済危機に見舞われている韓国。その隣国の工場で新入塾生8人が労働実習を行った。彼らは何を感じ、考えたのだろうか。

昨年(1997年)7月のタイ・バーツ急落から始まったアジアの通貨危機は、わずか2カ月の間にインドネシア、フィリピン、マレーシアなどに波及した。続いて11月には韓国通貨であるウォンが売られ、翌月には下落率がマイナス40%まで達した。97年6月を基準としたウォンの対米ドル為替レートの変化は、今年7月1日現在マイナス36%、インドネシアのマイナス84%に比べれば数字上は小さいが、それは実際のところ「瀕死」か「重傷」かという違いだといっても過言ではない。輸出は今年1月以降伸びつつあるが、韓国が置かれた経済状況は依然厳しい。韓国政府は97年11月21日に外国為替取引き停止という異常事態を打開するために国際通貨基金(IMF)に支援を要請した。しかし、その引き換えとして緊縮財政と経済構造改革が要求され、国内の景気は失速したままであり、200万人にも達するといわれる大量の失業者ともあいまって金大中大統領の舵取りは困難を極めている。

 そのような中、今年松下政経塾に入塾した第19期生8人が、韓国の工場での研修を行った。政経塾では毎年、新入塾生に必修カリキュラムとしてアジアでの労働体験を実施している。今年は、6月15日から7月4日までの間、韓国の大宇グループの工場で実施した。大宇グループは、韓国立志伝中の人物で韓国経済連合会(韓経連:日本の経団連にあたる)の会長である金宇中氏が、1967年に30代で興した繊維会社からスタートしたものだ。現在では重工業・自動車・証券・建設・家電・造船・商社など多様な業種によって構成され、グループ全体の年商は96年で650億米ドルを超え、25万人が働いている。政経塾と大宇グループは、インターンの受け入れなどを通じて交流を続けている。

 今年で3年目になる大宇グループでの研修は8人の塾生が3つの会社で行った。島川崇・高橋斎久塾生は、大邱広域市の大宇機電でコンプレッサーの製造に従事した。そこから車で約1時間の亀尾のオリオン電気には神前元子・城井崇・小野裕之塾生が派遣された。3人はパソコンのモニターやカラーディスプレイなどのラインを実習した。亀尾は韓国で自然保護運動のシンボルとなっている金烏山のある美しい街だ。また、釜山から1時間半の昌原の大宇国民車および群山の大宇自動車で研修を行ったのは金子将史・小林献一・坂口友治塾生。彼らは車のペイントからアセンブリー、トリム・ライン(車の内部)、シャシー(下部)など自動車製造のほとんどの工程に携わった。

●経済危機の実感は?

 昨年までの研修で塾生が一様に驚いたのが現場の労働者の賃金の高さだった。25歳、高卒の工員で月収120万ウォン(当時のレートで約16万円)、これにボーナスが6、7カ月分つくというのが昨年までの実態だった。それが昨年来のアジア金融危機でどのように変わったのだろうか。前述のようにウォンが急落したこともあり、同じ職場で日本円にすると10万円程度、ボーナスも贅沢は言えないというのが今年の雰囲気だ。一方で消費者物価の上昇率は10%と予測されている(1998年見通し)。また生産調整のため1週間のラインストップなど、危機に見舞われた韓国経済を肌で実感することになった。
 一方、不況は商品の売れ筋にも大きな変化をもたらした。当初は大宇自動車に配属された金子・小林・坂口塾生だが、金会長直々の命令で大宇国民車に配置変えになった。それからは一変、一日10時間勤務の大活躍になった。初めの大宇自動車は1500CCクラスの中級車ラインでそれほど忙しくないのは研修生である彼らにもよくわかったが、軽自動車を扱っている大宇国民車のラインに移ると増産・増産の毎日だった。大宇の軽自動車はマチス(MATIZ)と名づけられている。不況だから経済的な車が売れる、という構図だ。
 また経済危機との関係で、韓国で流行っているのがIMFへの揶揄。街のあちこちにIMFの字が目立つ。「IMFに従って国を建て直そう」といった建設的なスローガンを掲げた横断幕がある一方、安さを強調するのに「IMFバーガー」と名づけたり、IMFコーヒーショップと自嘲的に使うのがうけていた。ちなみに庶民の間では「IMF」とは「I am fired(私は解雇された)」という意味で、IMFコーヒーショップと言えば失業した人に職を紹介する所である。当のIMF側は「すでにそのような状況は過ぎ去って、今はI am fine(私は気分がいい)のはず」と語呂合わせで応酬している。

 しかし現場の人は元気に働き、大変親切だった。派遣された塾生がまず戸惑ったのはコミュニケーション。現場では日本語はもちろん、英語もほとんど通じない。彼らもハングルは挨拶程度、というわけで活躍したのがボディ・ランゲージ。「この材料をここに持ってきて、こんな風にはめ込んで」と身振り手振りで研修が始まった。さっそく憶えたのが「不良(品)」という言葉。上司によって職場の雰囲気が大きく違っていることも実感した。「日本に研修した時、自分も言葉ができなくて苦労した。同じ思いをしているのではないかと思って」という製造課長に感激したのは小野塾生。坂口塾生はウズベキスタンから大勢来ている研修生と交流しようとがんばった。わずかな時間ですべてを知ることは不可能だが、高橋塾生は「自分は韓国に住んでいて家族もここにいる」と自らに言い聞かせながら、ともすればお客さん意識になる自分を戒めた。「人と食事を知ることが、その国を知ること」というのは神前塾生。エジプトでの留学生活を経験した彼女は、アラブと韓国の共通性を強く感じたという。「何でもストレートに聞いてくる」、「年齢による女性の上下関係が厳格」、「同性(女同志・男同士)のスキンシップが普通」などに「東洋のエジプト」を感じた。「現場に対する尊敬を感じました」と語るのは城井塾生。特に感じたのは現場の熱心さと、ラインの機具が考えられて作られていることだ。「傾けてあることで作業効率がよくなる」ことなど、現場にいるからこそ細かいことがわかったという。島川塾生は労働体験を「これが政経塾の真髄だと思った」。冷房の効いたオフィスの中でいくら説明されてもぴんと来なかったことが、現場に入ることで見えてきたという。「本質を見る時に管理者としてでなく現場の目で見る」というのが、まさしく政経塾の研修方針「現地現場主義」だ。

●金会長と語る

 最終日7月4日には、金宇中会長も加わって大宇本社で報告会が行われた。金宇中会長は「9時から5時」でなく「5時から9時」(早朝5時から午後9時まで働く)、年間200日は海外出張と言われる猛烈実業家らしく、金大中大統領との会談の後、海外出張に出かけるまでの約1時間を利用して塾生と懇談した。
 まず出た言葉は「マチスを運転してみたか?」というもの。自社製品に対する調査を怠らない。日本人が乗ってみた感想を知りたいと言う。その上で、現在の韓国が置かれている状況と対策について、①欧米のやり方がすべて良いとは思わない。特に労働者を使い捨てにするような政策では良い製品は作れない。②自分自身の文化的立脚点を忘れるな。新しいものを作っていくためには自分のやり方をベースにした上で外から取り入れることが大事だ。③頭は使えば使うほど良くなる。人間は楽をしたがるもの、もしそれを克服することができれば無限の可能性が広がる、と述べた。韓国で100万部を突破した著書『未来は君の手の中に~若い人たちに』(日本語版はプレジデント社刊)の中で金会長は、「私たちの世代は開発途上国としての大韓民国の最後の世代、あなたたち若者は先進国としての最初の世代だ」と言っている。そして、「松下政経塾のようなものをぜひ韓国にもつくりたい」と、若い人たちへの期待を膨らませた。この期待に、研修現場で会った人々は十分応えようとしていた。ふりかえって、現在の日本の若者にそれだけの危機感とガッツがあるか、塾生にとっては自らに問うた時間でもあった。

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甲斐信好の論考

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Nobuyoshi Kai

甲斐信好

第3期

甲斐 信好

かい・のぶよし

拓殖大学副学長/国際学部教授

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民主化と経済発展 タイ政治史 アフリカの紛争

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